熊の足跡 / 徳冨蘆花
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遙に津輕の地方が水平線上に浮いて居る。本郷へ來ると、彼醉僧は汽車を下りて、富士形の黒帽子を冠り、小形
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である。宮部博士の説明で二三植物標本を見た。樺太の日露國境の邊で採收して新に命名された紫のサカイツツジ、
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ぬアイヌの悲哀が身にしみる樣だ。下富良野で青い十勝岳を仰ぐ。汽車はいよいよ夕張と背合はせの山路に入つて、空知川の
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で、川音がます/\耳について寂しい。宿から萩の餅を一盂くれた。今宵は中秋十五夜であつた。北海道の神居古潭
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頭の赭い駒が岳が時々顏を出す。寂しい景色である。北海道の氣が總身にしみて感ぜられる。
余市に來て、日本海の片影を見た。余市は北海道林檎の名産地。折からの夕日に、林檎畑は花の樣な色彩を見せ
小麥の收穫をして居るのを見ると、また北海道の氣もちに復へつた。
を一盂くれた。今宵は中秋十五夜であつた。北海道の神居古潭で中秋に逢ふも、他日の思出の一であらう。雨戸を少し
黒い木の株が立つて居るのを見ると、開け行く北海道にまだ死に切れぬアイヌの悲哀が身にしみる樣だ。下富良野で青い十勝
になつた樹々の間に、イタヤ楓は火の如く、北海道の銀杏なる桂は黄の焔を上げて居る。旭川から五時間餘走つて、
。幣舞橋には蟻の樣に人が渡つて居る。北海道東部第一の港だけあつて、氣象頗雄大である。今日人を尋ぬ
をした事を話す。枕木は重にドス楢で、北海道に栗は少なく、釧路などには栗が三本と無いが、ドス楢は
あつた。五十そこらの氣輕さうな男。早くから北海道に渡つて、近年白糠に來て、小料理屋をやつて居る。
北海道の京都
此札幌の附近にまだ熊が出沒したと思へば、北海道も開けたものである。宮部博士の説明で二三植物標本を見た。樺太
楡の蔭うつ大學の芝生、アカシヤの茂る大道の並木、北海道の京都札幌は好い都府である。
に遊び暮らし、其夜函館に往つて、また梅が香丸で北海道に惜しい別れを告げた。
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樣なものをむら/\と立てゝ居る山がある。有珠山です、と同室の紳士は教へた。
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で寫眞をとり、大急ぎで停車場にかけつけた。Y君も大鰐まで送つて來て、こゝに袂を分つた。余等はこれから秋田、
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札幌行の列車は、函館の雜沓をあとにして、桔梗、七飯と次第に
札幌へ
O君は小樽で下り、余等は八時札幌に着いて、山形屋に泊つた。
十八日。朝、旭川へ向けて札幌を立つ。
札幌百五十八哩六分
一泊、小樽一泊して、十月二日二たび札幌に入つた。
二夜、復へりに一晝夜、皮相を瞥見した札幌は、七年前に見た札幌とさして相違を見出す事が出來な
、皮相を瞥見した札幌は、七年前に見た札幌とさして相違を見出す事が出來なかつた。耶蘇教信者が八萬の
余の頭を痛くした。明治十四五年まで此札幌の附近にまだ熊が出沒したと思へば、北海道も開けたものである
余等は其日の夜汽車で札幌を立ち、あくる一日を二たび大沼公園の小雨に遊び暮らし、其夜函館に往
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まだ死に切れぬアイヌの悲哀が身にしみる樣だ。下富良野で青い十勝岳を仰ぐ。汽車はいよいよ夕張と背合はせの山路に入つて
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には青森の人煙指す可く、其背に津輕富士の岩木山が小さく見えて居る。
城北三里板柳村の方へ向うた。まだ雪を見ぬ岩木山は、十月の朝日に桔梗の花の色をして居る。山を繞
城へかけ上り、津輕家祖先の甲胃の銅像の邊から岩木山を今一度眺め、大急ぎで寫眞をとり、大急ぎで停車場にかけつけた。Y君
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十八日。朝、旭川へ向けて札幌を立つ。
疊の一室に導かれた。やがて碁をうつて居た旭川の客が歸つて往つたので、表二階の方に移つた。硫黄
。朝神居古潭の停車場から乘車。金襴の袈裟、紫衣、旭川へ行く日蓮宗の人達で車室は一ぱいである。旭川で乘換へ、名寄に向ふ
、旭川へ行く日蓮宗の人達で車室は一ぱいである。旭川で乘換へ、名寄に向ふ。旭川からは生路である。
で車室は一ぱいである。旭川で乘換へ、名寄に向ふ。旭川からは生路である。
明治三十六年の夏、余は旭川まで一夜泊の飛脚旅行に來た。其時の旭川は、今の名寄より
は旭川まで一夜泊の飛脚旅行に來た。其時の旭川は、今の名寄よりも淋しい位の町であつた。降りしきる雨の中を
のわびしい記憶を喚起さうとしたが、明治四十三年の旭川から七年前の旭川を見出すことは成功しなかつた。
としたが、明治四十三年の旭川から七年前の旭川を見出すことは成功しなかつた。
春光臺に上つた。春光臺は江戸川を除いた旭川の鴻の臺である。上川原野を一目に見て、旭川の北方に連
の鴻の臺である。上川原野を一目に見て、旭川の北方に連壘の如く蟠居して居る。丘上は一面水晶末の樣
旭川に二夜寢て、九月二十三日の朝釧路へ向ふ。釧路の方へ
、北海道の銀杏なる桂は黄の焔を上げて居る。旭川から五時間餘走つて、汽車は狩勝驛に來た。石狩十勝の境である
旭川七十二哩三分
第一の目的なる關寛翁訪問を果し、滯留六日、旭川一泊、小樽一泊して、十月二日二たび札幌に入つた。
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の紅い畑を過ぎて行く。二時間ばかりにして、岩木川の長橋を渡り、田舍町には家並の揃うて豐らしい板柳村に入つた
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陸奧灣の緑玉潮がぴた/\言ふ。西には青森の人煙指す可く、其背に津輕富士の岩木山が小さく見えて居る
背後を青森行の汽車が通る。枕の下で、陸奧灣の緑玉潮がぴた
青森から藝妓連の遊客が歌うて曰く、一夜添うてもチマはチマ。
津輕海峽を四時間に駛せて、余等を青森から函館へ運んでくれた梅ヶ香丸は、新造の美しい船であつた
青森に一夜明して、十月六日の朝弘前に往つた。
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O君は小樽で下り、余等は八時札幌に着いて、山形屋に泊つた。
なる關寛翁訪問を果し、滯留六日、旭川一泊、小樽一泊して、十月二日二たび札幌に入つた。
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案内者は水戸の者であつた。五十そこらの氣輕さうな男。早くから北海道
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其奴ですか。到頭村から追ひ出されて、今では大津に往つて、漁場を稼いで居るつてことです」
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北海道の京都
蔭うつ大學の芝生、アカシヤの茂る大道の並木、北海道の京都札幌は好い都府である。
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に袂を分つた。余等はこれから秋田、米澤、福島を經て歸村す可く汽車の旅をつゞけた。
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來て、こゝに袂を分つた。余等はこれから秋田、米澤、福島を經て歸村す可く汽車の旅をつゞけた。
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現はれる。十勝は豆の國である。旭川平原や札幌深川間の汽車の窓から見る樣な水田は、まだ十勝に少ない。帶廣は
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たと聞いて、明治四十三年九月七日の朝、上野から海岸線の汽車に乘つた。三時過ぎ關本驛で下り、車で
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/\歩いて居る。代官町の大一と云ふ店で、東京に二箱仕出す。奧深い店は、林檎と、箱と、巨鋸屑と