忠直卿行状記 / 菊池寛
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「今日井伊藤堂の勢が苦戦したを、越前の家中の者は昼寝でもして、知らざったか、両陣の後を
ばそれにも及ぶまい。わが本統のあらん限り、越前の家また磐石のごとく安泰じゃ」といいながら、秘蔵の初花の茶入を忠直
八月、都を辞して揚々とした心持で、居城越前の福井へ下った。
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につれ、国政日に荒んで、越前侯乱行の噂は江戸の柳営にさえ達した。
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を駆け抜け、加賀勢の怒り止むるに答えず、無二無三に天王寺の方、茶臼山の前までおし詰め、ここの先手本多出雲守忠朝の備えより
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捨てられ、配所たる豊後国府内に赴かれた。途中、敦賀にて入道され、法名を一伯と付けられた。時に元和九年五
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忠直卿は萩の中の小道を伝い、泉水の縁を回って小高い丘に在る四阿へと
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、曲輪に溢れ、寄手の軍勢から一際鋭角を作って、大坂城の中へ楔のごとく食い入って行くのを見ると、他愛もない児童のよう
「青木新兵衛大坂城の一番乗り仕って候」と注進に及ぶと、忠直卿は相好を崩されながら
大坂城の寄手に加わっている百に近い大名のうち、功名自分に及ぶ者は一人
彼は大坂城がまったく暮れてしまった空に、まだところどころ真紅に燃え盛っているのを見ながら
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黒田甲斐守長政を第一の先手として旗を岡山の方へと進めた。
見ると、岡山口から天王寺口にかけて、十五万に余る惣軍は、旗差物を初夏
なんと仰せられるかきこう」と、思いつくと、忠直卿は岡山口へ本陣を進めていた家康の膝下に急いだのである。
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弓の的を競えば、勝利者は必ず彼であった。福井の城下へも京の公卿が蹴鞠の戯れを伝えて、それが城中に
、都を辞して揚々とした心持で、居城越前の福井へ下った。