天城山 相模灘 葉山 青山 湯河原 九段 番町 真鶴 北海道 日本アルプス 丸の内 軽井沢 道成寺 鎌倉 小石川 赤坂 箱根 箱根町 三宅坂 両国 日比谷公園 青山墓地 京都 奈良 神戸 巴里 深川 東京 青山一丁目 麹町 赤坂見附 新橋 上野 日比谷 信濃町 小川町 新宿 お茶の水 神田 品川 湘南 半蔵門 英国大使館 帝国ホテル 帝劇

帯たまゝ澱んでいた。先刻まで、見えていた天城山も、何時の間にか、灰色に塗り隠されて了っていた。相模灘を圧し

深く翳っていた。汽車の進むに従って、隠見する相模灘はすゝけた銀の如く、底光を帯たまゝ澱んでいた。先刻まで、見えて

の間にか、灰色に塗り隠されて了っていた。相模灘を圧している水平線の腰の辺りには、雨をでも含んでいそうな、

、雲とも付かず空とも付かず、光っている相模灘が見えた。

『そうだ！　勝彦を遠ざけよう。葉山の別荘へでも追いやろう。何とか賺して、東京を遠ざけよう。』勝平は

「葉山へ！」と云ったまゝ、遉に彼女は二の句を云い淀んだ。

手前、理不尽な振舞に出ることは出来なかったが、葉山では事情が違っていた。今迄は敵と戦うのに、地の利

彼女を護っている勝彦と云う番兵もあった。が、葉山には、何もなかった。彼女は赤手にして、敵と渡り合わねば

葉山へ移ってから、二三日の間は、麗かな秋日和が続いた。東京で

十月も終に近い葉山の町は、洗われたように静かだった。どの別荘も、どの別荘も

勝平は、葉山からも毎日のように、東京へ通っていた。夫の留守の間、

葉山へ移ってから、三四日の間、勝平は瑠璃子を安全地帯に移し得たこと

葉山へ移ってから、丁度五日目の夕方だった。其日は、午過ぎから

云われたけれどもね。やっぱり此方が心配でね。是非葉山へ行くと云ったら、冷かされたよ。美しい若い細君を貰うと、それだ

は、瑠璃子を慕うの余り、監禁を破って、東京から葉山まで、風雨を衝いて、やって来たのに違いなかった。

に対する暴行の結果として、警察の注意のため、葉山の別荘の一室に閉じ込められた為に、彼女の親しい肉親の人々を凡て彼女

を考えた。兄は、白痴の身を、監禁同様に葉山の別荘に閉じ込められている。が、他の世間の人々に対しては、愚か

静子を伴って帰京した翌日に、青木家の葬儀は青山の斎場で、執り行われることになっていた。

が、空にも地にも溢れていた。たゞ、青山の葬場に集まった人丈は、活々とした周囲の中に、しめっぽい静か

今点火したばかりの、眩しいような頭光を輝かしながら、青山の葬場で一度見たことのある青色大型の自動車は、軽い爆音を立てながら

、彼女はもっと有意義に過すこともあった。それは、青山に在る父と母とのお墓にお参りすることであった。

た日曜の午後などを、わざと自動車などに乗らないで、青山に父母の墓を訪ねた。

信一郎は、いらいらしくなって来る心を、じっと抑え付けて、湯河原の湯宿に、自分を待っている若き愛妻の面影を、空に描いて見

た。彼は止むなく先週の日曜日に妻と女中とを、湯河原へ伴うと、直ぐその日に東京へ帰って来たのである。

は電車に乗ろうとした足を、思わず踏み止めた。湯河原まで、何うしても三時間かゝる。湯河原で降りてから、あの田舎道をガタ

ず踏み止めた。湯河原まで、何うしても三時間かゝる。湯河原で降りてから、あの田舎道をガタ馬車で三十分、どうしても十時

「湯河原まで。」

「湯河原までじゃ、十五円で参りましょう。本当なれば、もう少し頂くのでございます

近い収入を持っている。が十五円と云う金額を、湯河原へ行く時間を、わずか二三時間縮める為に払うことは余りに贅沢過ぎた。

「それで貴君様の方を、湯河原のお宿までお送りして、それから引き返して熱海へ行くことに、此方の

「湯河原までは、四十分、熱海までは、五十分で参りますから。」と、

「いや、若し遅くなれば、僕も湯河原で一泊しようと思います。熱海へ行かなければならぬと云う訳もない

「それじゃ、是非湯河原へお泊りなさい。折角お知己になったのですから、ゆっくりお話したいと思い

ぶれば、むしろ命拾いをしたと云ってもいゝでしょう。湯河原へ行らっしゃるそうですね。それじゃ小使に御案内させますから真鶴までお

真鶴から湯河原迄の軽便の汽車の中でも、駅から湯の宿までの、田舎馬車の中で

が、美奈子の乗った九段両国行の電車が、三宅坂に止まったとき、運転手台の方から、乗っ

「あのう。番町の二八九一番！」

「番町の二八九一番！」

「じゃ、一番近くの医者を呼んで来るのだ。真鶴なら、遠くはないだろう。医者と、そうだ、警察とへ届けて来るの

真鶴から湯河原迄の軽便の汽車の中でも、駅から湯の宿までの、

のポケットに入れているのに、気が付いた。先刻真鶴まで歩いたとき、引き裂いて捨てよう／＼と思いながら、小使の手前、何うし

あの悪魔のために汚されないように努力する積です。北海道の牧場では、よく牡牛と羆とが格闘するそうです。妾と荘田と

かかっていた。その拳銃は、今年の夏、彼が日本アルプスの乗鞍ヶ岳から薬師ヶ岳へ縦走したときに、護身用として

「あらそう。付き合って下さいますの。それじゃ、直ぐ、丸の内へ。」

「軽井沢は去年行ったし、妾今年は箱根へ行こうかしらと思っているの。今年

られていて、今しがた帝劇の嘉久子と浪子とが、二人道成寺を踊り始めたところだった。

、みんなビク／＼している時だからね。いや、鎌倉まで一緒に乗り合わして来た友人にね、此の暴風雨じゃ道が大変だから

た友人にね、此の暴風雨じゃ道が大変だから、鎌倉で宿まって行かないかと、云われたけれどもね。やっぱり此方が心配

兄が、その以前父に隠れて通ったことのある、小石川の洋画研究所も尋ねて見た。兄が、予てから私淑している二科

。彼は、心の中で、金で購った新橋や赤坂の、名高い美妓の面影と比較して見た。何と云う格段な相違が

でさえ、購うことが出来るだろうか。いかにも、新橋や赤坂には、彼に対して、千の媚を呈し、万の微笑を贈る女

そうコソ／＼とはいたしませんよ。まさか、貴君が赤坂の誰かを湯治に連れていらっしゃるのとは違っていますから。」

常ならば、箱根から伊豆半島の温泉へ、志ざす人々で、一杯になっている筈の二等

云ってもよかったのだ。青年は死場所を求めて、箱根から豆相の間を逍遥っていたのだった。彼の奇禍は、彼

ほんとうに長い間お見えになりませんでしたのね。箱根へお出でになったって、新聞に出ていましたが、行らっしゃらなかった

「軽井沢は去年行ったし、妾今年は箱根へ行こうかしらと思っているの。今年は電車が強羅まで開通したそうだ

「妾箱根へはまだ行ったことがありませんの。」

「それだと尚いゝわ。妾温泉では箱根が一番いゝと思うの。東京には近いし景色はいゝし。じゃやっぱり箱根

思うの。東京には近いし景色はいゝし。じゃやっぱり箱根にしましょうね。明日でも、富士屋ホテルへ電話をかけて部屋の都合

「判っていますとも。箱根でしょう。而も、お泊りになる宿屋まで、ちゃんと判っているのです。」

お見えになったら、その償として、皆さんを箱根へ御招待しますわ。御覧なさい、もう切符を切りかけたのに、青木

青木さんが一緒だったら、その償いとして皆さんを箱根へ御招待しますって。それでも皆善人ばかりなのよ、おしまいには

にも堪らないように思われ出した。そうだ！　箱根へ着いて二三日したら、何か口実を見付けて自分丈け帰って来よう。

からまだ一月も経っていないのです。殊に、今度箱根へ行くと云うと、父と母とが可なり止めるのです。で、やっと、

、善良な純な彼の心に、自動車に対する、殊に箱根の――唱歌にもある嶮しい山や、壑の間を縫う自動車に対する不安

底倉に夏三月』それは昔の人々の、夏の箱根に対する憧憬であった。関所は廃れ、街道には草蒸し、交通の要衝

廃れ、街道には草蒸し、交通の要衝としての箱根には、昔の面影はなかったけれども、温泉は滾々として湧いて

箱根へ来てから、五日ばかり経ったある日の夕方だった。美奈子達が

相模灘を、渡って来た月の光が今丁度箱根の山々を、照し初めようとしている所だった。

の眸を追うて、大空を見た。夏の宵の箱根の空は、磨いたように澄み切っていた。

濡していた。二人は、夏の夜の清浄な箱根に酔いながら、可なり長い間橋の欄干に寄り添いながら、佇んでいた。

が、ある晩、それは丁度箱根へ来てから、半月も経った頃だが、美奈子の心は、何時に

、もう十時に近かった。やゝ欠けた月が、箱根の山々に、青白い夢のような光を落していた。

それだと、妾も一緒に行くかも知れないわ。箱根も妾何だか飽き／＼して来たから。」

夜の箱根の緑の暗を、明るい頭光を照しながら、電車は静かな山腹の空気

、山の傾斜に作られた洋風の庭園であった。箱根の山の大自然の中に、茲ばかり一寸人間が細工をしたと云っ

何の興味も持っていなかったのです。青木さんを箱根へ連れて来たのなども、妾のホンの意地からなのです。ある

ものですから、妾はつい反抗的に、意地であの方を箱根へ連れて来たくなったのです。外ながら、そのおせっかいな人に思い知らせ

、却って触りたくなるような心持で、青木さんを、わざと箱根へ連れて来たのです。あの人に何の興味があったと云う訳

よ。でも、もう少し考えさせて下さいよ。貴君、箱根へ一緒に行って下さらない。妾、此の夏は、箱根で暮そうと思って

箱根へ一緒に行って下さらない。妾、此の夏は、箱根で暮そうと思っていますのよ。箱根へ行ってから、ゆっくり考えてお

此の夏は、箱根で暮そうと思っていますのよ。箱根へ行ってから、ゆっくり考えてお答えしますわ。」

箱根へ同行を誘って呉れる！　それは、もう九分までの承諾であると

箱根に於ける避暑生活は、彼に取って地上の極楽である筈であった

ながら、まだ二月と経たない今、この俺を！　箱根まで誘い出して、謂われのない恥辱を与える！」

夜は明け放れた。今日も真夏の、明るい太陽が、箱根の山々を輝々として、照し初めた。が、人事不省の裡に眠っ

「お取込みの中を、大変恐れ入りますが、今箱根町から電話がかゝっているのです。実は蘆の湖で今夕水死人の死体

最後に、三台の自動車は、瞬く裡に、日比谷から三宅坂へ、三宅坂から五番町へと殆ど三分もかゝらなかった。

台の自動車は、瞬く裡に、日比谷から三宅坂へ、三宅坂から五番町へと殆ど三分もかゝらなかった。

なった。其処へ、彼のそうした決心を促すように、九段両国行きの電車が、軋って来た。此電車に乗れば、麹町五番町迄は、一回の乗換

が、美奈子の乗った九段両国行の電車が、三宅坂に止まったとき、運転手台の方から、乗って来る人を見

青年と向い合って坐りながら、もっともっと九段までも両国までも、いな／＼もっと遥かに遥かに遠い処まで、一緒に乗って行きたいよ

九月二十九日の夕であった。日比谷公園の樹の間に、薄紫のアーク燈が、ほのめき始めた頃から幾台

自動車が、日比谷公園の傍のお濠端を走っている時だった。美奈子は、やっと思い切って

晴れた日曜の午後の青山墓地は、其処の墓石の辺にも、彼処の生籬の裡にも、お

た。新しく兄を失った青木と云う青年が、彼女が青山墓地で見たその人であることに、もう何の疑も残っていなかっ

「貴女！　青木さんと、青山墓地で、会ったことがあるでしょう！」

た結婚式のことを考えても、上京の途すがら奈良や京都に足を止めた蜜月旅行らしい幾日かの事を考えても、彼

で挙げた結婚式のことを考えても、上京の途すがら奈良や京都に足を止めた蜜月旅行らしい幾日かの事を考えても

戦争が始まる前は、神戸の微々たる貿易商であったのが、偶々持っていた一隻の汽船

に、お願いがあるの。あの、電報を打つときに、神戸へも打っていたゞきたいの！」

「神戸！　神戸って、何方にです？」

「神戸！　神戸って、何方にです？」

新聞で見たのです。月初に、ボルネオから帰って、神戸の南洋貿易会社にいる筈です。死ぬ前に一度逢えればと思うのです

のです。奥さんなんか、このまゝ直ぐ外交官夫人として、巴里辺の社交界へ送り出しても、立派なものだと思います。」

がマザ／＼と残っていた。それは、東京の深川本所に大海嘯を起して、多くの人命を奪ったばかりでなく、湘南

妻と女中とを、湯河原へ伴うと、直ぐその日に東京へ帰って来たのである。

「じゃ、東京からいらっしたんじゃないんですか。」

「東京です。」青年は振り向きもしないで答えた。

「五月の十日に、東京を出て、もう一月ばかり、当もなく宿り歩いているのですが

です。僕の考えでは、何かを紛らすには、東京生活の混乱と騒擾とが、何よりの薬ではないかと思うの

「一層のこと、東京へお帰りになったら何うでしょう。僕なども精神上の動揺のため、海

。東京にいることが何うにも堪らないのです。当分東京へ帰る勇気は、トテもありません。」

「が、僕の場合は少し違うのです。東京にいることが何うにも堪らないのです。当分東京へ帰る勇気は、

、日に幾回となく往返しているらしい運転手は、東京の大路を走るよりも、邪魔物のないのを、結句気楽そうに、奔放

青年の横死は、東京の各新聞に依って、可なり精しく伝えられた。青年が、信一郎の想像

へ放り出してやりたいとさえ思った。彼は若い時、東京に出たときに労働をやった時の名残りに、残っている二の腕の

かも知れない。大正六年の九月の末に、東京大阪の各新聞紙が筆を揃えて報道した唐沢男爵の愛嬢瑠璃子の結婚

。葉山の別荘へでも追いやろう。何とか賺して、東京を遠ざけよう。』勝平はわが子に対して、そうした隠謀をさえ考え

で来ようかと思うのだ。尤も、彼処からじゃ、毎日東京に通っても訳はないからね。それに就いては、是非貴女に

は、彼女に取っては死地に入ることであった。東京の邸では、人目が多い丈に、勝平も一旦与えた約束の手前

場合は、そうではなかった。勝平と二人限で、東京を離れることは、彼女に取っては死地に入ることであった。東京

瑠璃子が暫らく東京を離れると云うことが分ると、一番に驚いたのは勝彦だった

から、二三日の間は、麗かな秋日和が続いた。東京では、とても見られないような薄緑の朗かな空が、山と海

勝平は、葉山からも毎日のように、東京へ通っていた。夫の留守の間、瑠璃子は何人にも煩わされ

たのであろう。人のよい好々爺になり切って、夕方東京から帰って来る時には、瑠璃子の心を欣すような品物や、

の記憶がマザ／＼と残っていた。それは、東京の深川本所に大海嘯を起して、多くの人命を奪ったばかりでなく

た彼は、瑠璃子を慕うの余り、監禁を破って、東京から葉山まで、風雨を衝いて、やって来たのに違いなかった。

も言葉が出なかった。が、凡ては明かだった。東京の家に監禁せられていた彼は、瑠璃子を慕うの余り、監禁

「東京から、一人で来たのですか。」

「仕様のない若旦那だ。こんな晩に東京から、飛び出して来て、旦那をとっちめるなんて、理窟のねえ事をするの

夫人達の主催にかゝる、その日の演奏会の純益は、東京にいる亡命の露人達の窮状を救うために、投ぜられる筈だった。

に出た露西亜の音楽家達が、幾人も幾人も東京の楽壇を賑わした。其中には、ピアノやセロやヴァイオリンの世界的名手

いゝわ。妾温泉では箱根が一番いゝと思うの。東京には近いし景色はいゝし。じゃやっぱり箱根にしましょうね。明日で

知り初めた処女の苦しみと悩みとを運びながら、グン／＼東京を離れて行った。

設備の整ったホテル生活に、女中達が不用なため、東京へ帰してからは、美奈子達三人の生活は、もっと密接になった

いゝ月でしょう。空が、あんなによく晴れています。東京の、濁ったような空と比べると何うです。これが本当に緑玉と

「やっぱり空気がいゝのですね。東京の空と違って、塵埃や煤煙がないのですね。」

それでも、温和しい彼女は、東京へ一人で帰るとは云わなかった。自分ばかり、何の理由も示さず

「重傷です。私は応急の手当をしますから、直ぐ東京から、専門の方をお呼び下さい。今のところ生命には、別条ない

なる光一にも、電報を打ったけれども、恐らく彼は東京を離れていたのだろう、夜になっても姿を見せなかった。

東京から急を聴いて馳け付けた女中や、執事などで、瑠璃子の床

いや、お駭かせしてすみません、たゞ青木さんの東京のお処だけが承りたかったのです。」

一人だけ、友達と別れて、電車の線路に沿うて、青山一丁目の方へ歩き出した。信一郎は、その男の後を追った。相手

て、何か説明しようとした。が、もう二人は青山一丁目の、停留場に来ていた。学生は、今発車しようとしている

「霞町から乗って、青山一丁目で乗換えすることにいたしましょうか。」

て行かれても、屹度逢って呉れるでしょう。御宅は、麹町の五番町です。」

の電車が、軋って来た。此電車に乗れば、麹町五番町迄は、一回の乗換さえなかった。

電車が、赤坂見附から三宅坂通り、五番町に近づくに従って、信一郎の眼には、葬場

だった。彼は、心の中で、金で購った新橋や赤坂の、名高い美妓の面影と比較して見た。何と云う格段

一つでさえ、購うことが出来るだろうか。いかにも、新橋や赤坂には、彼に対して、千の媚を呈し、万の微笑

「間に合うかも知れない。確か二時に新橋を立つ筈だから。」

に妻の静子の面影が、チラッと頭を掠め去った。新橋へ、人を見送りに行ったと云う以上、二時間もすれば帰って

。だから、妾が云わないことじゃないでしょう。品川か新橋か孰らかでお乗りなさいと。妾、貴君が妾の云うことを

。が、お互に個性を認め合い、尊敬し合った。上野の音楽会の帰途に、ガスの光が、ほのじろく湿んでいる公園の木下

信一郎が、その日の会場たる上野の精養軒の階上の大広間の入口に立った時、会場はザッと一杯だっ

自動車は、公園の蒼い樹下闇を、後に残して、上野山下に拡がる初夏の夜、そうだ、豊に輝ける夏の夜の描ける

日比谷大神宮の神前でも、彼は瑠璃子の顔を、仰ぎ見ることさえなし得なかっ

自動車を最後に、三台の自動車は、瞬く裡に、日比谷から三宅坂へ、三宅坂から五番町へと殆ど三分もかゝらなかった。

「信濃町です。」

車が、小川町の角を、急に曲ったとき、夫人は思い出したように、とぼけた

、其夜、半蔵門迄、夫人と同乗して、其処で新宿行の電車に乗るべく、彼女と別れたとき、自動車の窓から、夜目

と、午後から郊外へ行く約束をしたのでね。新宿で待ち合わして、多摩川へ行く筈なのだよ。」

新宿行の電車に乗ってからも、信一郎の心は憤怒や憎悪の烈しい渦巻

彼女は、やっと妹を思い出した。お茶の水で確か三年か二年か下の級にいた人だ。そう／

も思い出せなかった。家へ帰ってからも、美奈子は、お茶の水にいた頃の校友会雑誌の『校報』などを拡げて、それ

彼女は、女中をそれとなく先へ降して、神田辺に買物があると云って、此のまゝずっと乗り続けていようかと思っ

ですもの。だから、妾が云わないことじゃないでしょう。品川か新橋か孰らかでお乗りなさいと。妾、貴君が妾の云う

掻き乱すのであった。殊に青年が人目を忍ぶように、品川からたゞ一人、コッソリと乗ったことが、美奈子の心を、可なり傷けた

海嘯を起して、多くの人命を奪ったばかりでなく、湘南各地の別荘にも、可なりヒドイ惨害を蒙らせたのであった。

彼は、其夜、半蔵門迄、夫人と同乗して、其処で新宿行の電車に乗るべく、

電車は、直ぐ半蔵門で止つた。もう、自分の家までは二分か三分かの間である。

その内に、電車はもう半蔵門の停留場を離れてゐた。英国大使館の前の桜青葉の間を、

キラ／＼と夏の風が光る英国大使館の前を過ぎ、青草が美しく茂つたお濠の堤どてに沿うて

我輩一昨日は、英国大使館の園遊会ガードンパーティに行きましたがね。

が、自動車が英国大使館前の桜並樹の樹下闇を縫うてゐる時だつた。

英国大使館の前の桜青葉の間を、勢よく走つてゐた。

軽快な車台で夕暮の空気を切りながら、山下門の帝国ホテルを目指して集まつて来た。

式が、無事に終つて、大神宮から帝国ホテルまでの目と鼻の距離を、初めて自動車に同乗したときに

帝劇で見た芝居の噂話をでもしてゐるやうに夫人の態度は平静だつた。

今しがた帝劇の嘉久子と浪子とが、二人道成寺を踊り始めたところだつた。

その夜も、勝平は若い妻を、帝劇に伴つた。彼はボックスの中に瑠璃子と並んで、

あの兄妹の露西亜ロシア人を、晩餐旁かた／″＼帝劇へ案内してやらうと思つてゐましたの。

帝劇の南側の車寄の階段を、夫人と一緒に上るとき、信一郎の心は、

帝劇のボックスに、夫人と肩を並べて、過した数時間は、信一郎に取つては

夫人から、帝劇のボックスで聴いた「こんなに打ち解けた話をするのは、貴君あなたが初めて