大阪夏之陣 / 菊池寛
地名一覧
地名をクリックすると地図が表示されます
、大阪より青木一重、淀君の妹の常高院などが駿府に下り、家康に増封を請願しているのでも分る。大阪方で
は、家康、子義直の婚儀に列する為と云う口実で駿府を出発、十八日、二条城に入っている。
地名をクリックすると地図が表示されます
た事がある。その時、基次「大阪方の運開け関東危しとならば、また考えようがある。只今のように大阪方非運の場合
の事だろう」と豪語した。しかしその事件から基次、関東に内通せりとの訛伝ありし為既に死は決していたらしい。その心情
地名をクリックすると地図が表示されます
最高層の窓からわずかに、足下に煤烟の下に横たわる大阪市を瞥見したに過ぎぬが、その視野の宏大なるは、さすがに太閣
が残っていて、少し話が分った人だったら、大阪市の市長位には担ぎ上げられたかも知れない。
地名をクリックすると地図が表示されます
城は、摂津の国東成郡に属し、東に大和、西に摂津、南に和泉、北
、摂津の国東成郡に属し、東に大和、西に摂津、南に和泉、北に山城を控えて、畿甸の中央にあり、大和
一、秀頼の封邑中、去年の兵乱に摂津の百姓離散せるは疑うべからざるも、河内は然らず。(之は変だ
地名をクリックすると地図が表示されます
の主将は木村重成、長曾我部盛親の二人。是に向うは河内国の先鋒藤堂高虎兵五千、井伊直孝三千二百。
地名をクリックすると地図が表示されます
に列する為と云う口実で駿府を出発、十八日、二条城に入っている。
地名をクリックすると地図が表示されます
去年の兵乱に摂津の百姓離散せるは疑うべからざるも、河内は然らず。(之は変だが、つまり秀頼よりの増封の要求の
て、東は大和口の東軍と河内口の東軍とが河内の砂に相会する所を迎え撃ち、南は熊野の土冦と相結んで、
せ、法隆寺村、竜田村に火を放ち、国府越より河内に引き去った。これが夏の陣の第一出動である。
地名をクリックすると地図が表示されます
東軍とが河内の砂に相会する所を迎え撃ち、南は熊野の土冦と相結んで、和歌山の浅野を挾撃し、又別に古田織部正
地名をクリックすると地図が表示されます
大阪夏之陣
今年の四月初旬、僕は大阪に二三日いたが、最近昔の通りに出来たと云う大阪城の天守閣
大阪冬の陣の原因である鐘銘問題など、甚だしく無理難題である。家康が、
が、家康の大阪城に対する対策も同じであって、大阪冬の陣に、和議を提議したのは徳川の方からである。一度
大阪冬の陣の媾和には、初め家康から、一、浪人赦免、二、秀頼
三月中旬に、大阪より青木一重、淀君の妹の常高院などが駿府に下り、家康に増
四月二十四日に、家康が大阪に遣した最後通牒は、次ぎの通りだ。
「大阪の城堀埋り、本丸許りにて浅間と成り、見苦敷体にて御座候との
四月晦日、大野治房等は樫井の敗戦から還り、大阪で軍議をした。後藤基次先ず国分の狭隘を扼し大和路より来る東軍を
関東勢百万も候へ、男は一人もなく候よし雑言申、大阪へ引取申候」と『北川覚書』に出ている。
「大阪衆手柄之儀中々不及申候。今度之御勝に罷成候へども大御所
取揚て、唐迄聞えたる御馬印を捨置、落行段大阪数万の軍勢に勇士一人も無し、伊藤武蔵、御馬印を揚帰るとて御
地名をクリックすると地図が表示されます
等、浅野長晟の兵を迎え撃たんとして、住吉、堺を焼き、兵火を利用して南下し、先鋒の塙団右衛門直之は、樫井に
郡にあって、大阪城の東南凡そ五里、奈良より堺に通ずる街道と、紀州より山城に通ずる街道との交叉の要地である。
地名をクリックすると地図が表示されます
織部正の家老木村宗喜に嘱し、家康秀忠の出馬した後京都に火を放とうと云うにあった。
地名をクリックすると地図が表示されます
所を迎え撃ち、南は熊野の土冦と相結んで、和歌山の浅野を挾撃し、又別に古田織部正の家老木村宗喜に嘱し、家康
地名をクリックすると地図が表示されます
河内志紀郡にあって、大阪城の東南凡そ五里、奈良より堺に通ずる街道と、紀州より山城に通ずる街道との交叉の要地で
高野街道、奈良街道の要地にして、地勢卑湿、水田沼地多く畷道四通する
地名をクリックすると地図が表示されます
岡山天王寺口の戦
天王寺南門に備え、大野治長の先鋒銃隊東に在り、左方岡山口は大野治房を配し、迂回すべき遊軍は明石全登が精兵三百を
東軍は昨日奮戦した藤堂井伊を労わり退かしめ、岡山口の先陣を前田利常、天王寺口のそれを本多忠朝に定む。然るに
地名をクリックすると地図が表示されます
「路には御馬印捨候を伊藤武蔵と云ふ広島浪人跡より来り捨たる御馬印を取揚て、唐迄聞えたる御馬印を
地名をクリックすると地図が表示されます
献御膳暫有於奥之間大御所御対面本多佐渡守同上野介召御前御密談移刻」
地名をクリックすると地図が表示されます
道犬等、浅野長晟の兵を迎え撃たんとして、住吉、堺を焼き、兵火を利用して南下し、先鋒の塙団右衛門直之は