山崎合戦 / 菊池寛
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なかった。勝家は北国に、秀吉は中国に、滝川は関東にめいめい敵を控えているのだし、秀吉なども光秀の眼からは、
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やり出すのである。本能寺の変を聴いて堺から伊賀を通って、三河へ帰った家康だって土民のために危かったし、現に
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例の愛宕山の連歌で、
気が付いていたと見え、光秀の敗軍と知るや愛宕山に馳けつけて、知ると云う字を消して、その上に再び知ると、かいて
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光秀反逆の原因は、丹波の波多野兄弟を、光秀が、命は請け合ったと云って降服帰順させた
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寺襲撃は、物の見事に成功した。信忠まで、二条城で父に殉じた。太田錦城と云う漢学者は慷慨の士だが、信忠が
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秀吉や柴田が、グズグズしている裡に、畿内を経営して、根拠を築き、毛利と誼を通じて秀吉を挾撃して
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それと同時に、左翼は淀川を頼みにして、配備が手薄であったところ、秀吉の第三軍たる
光秀が、天王山に関心しながら、淀川の方を気にしなかった事も亦、一つの敗因でなかったか
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諫めて出陣せしめず、ただ人数だけを山崎の対岸なる八幡の洞ヶ峠に出した。
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光秀とをいろいろからませている話は、若年にして本能寺で死んだ蘭丸の短生涯を小説化するため、大抵は仕組まれたもので、
圧して攻め上って来たのも故あるかなである。本能寺の兇変が、天正十年六月二日で、山崎合戦は同じく十三日で
娘である。だから、織田の一族ではあるが、本能寺の兇変を聞いて躍り上って悦び、光秀の為に中国から攻め上る秀吉を防ぐつもり
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せたのを、信長が殺してしまった事。家康が安土に来るとき、光秀に饗応の役をさせた所、あまりに鄭重に過ぎ
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秀吉を防ぐつもりでいたが、あまりに早まりすぎて、大阪にいた丹羽五郎左衛門のために殺されてしまった。
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乳兄弟なので、その弔合戦に先陣を望んだが、高槻の城主高山右近は、「わが居城は最も京に近い。京近き合戦に、
で止まないので、到頭その居城の順序に依って、高槻の高山、茨木の中川、花隈の池田の順になった。
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をあまり無理だと云えないところもある。その証拠に、堺にいた家康など泡を喰って本国へ逃げ帰っている。これは、光秀の
狩をやり出すのである。本能寺の変を聴いて堺から伊賀を通って、三河へ帰った家康だって土民のために危かったし
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て相当あわてた。その第一報は、黒田如水の所へ京都の長谷川宗仁と云うものから飛脚が来たのである。秀吉は、外
酒肴をもたせて光秀の陣に来た。その中に京都の饅頭屋塩瀬三左衛門と云うものも伺候したが、光秀が献上の粽