墓が呼んでいる / 橘外男
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「あの辺には、相当な山が沢山にあります。吾妻山……鳥甲山……国見岳……山へ登っては温泉へ泊り、温泉へ
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「そして、平戸のお祖父さんお祖母さんに、逢わなかったんですか?」
へ来て、その足で今度は大野木村へ行って、平戸から来ている開墾地の農家を訪ねて聞いてみることにしよう。それで
最初は二十四軒あったが、故郷恋しで平戸へ帰ったものもあり、殊に石橋氏の鉱山失敗が農民たちの間にも
「最初石橋の旦那のおつもりでは、御自分の故郷の平戸の百姓の、貧しさを気の毒にお思いになったのでやしょうが、それ
、いくら貧乏でも生まれ故郷さ帰った方がいいと、平戸へ帰るものも出やしたし、一人欠け二人欠け、今じゃさっき申上げたよう
いう。農夫の一人はここで働いているが、一人は平戸へ引き揚げ、福次郎はやっぱり馬丁をすると、やがて伝手を求めて福岡へ出て
都留氏と卓を囲んで会談する。話によれば、平戸にいる故石橋氏の弟、妹たちから欲に絡んで、東水の尾にある
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暑い間は、伊東の別荘で寝て暮すことにして、行くのにも自動車を徐行させ
立って十月赤蜻蛉の飛び交う頃まで、体温計と首っ引きで、伊東で寝て暮してしまいました。気候がよくなってから、やっと東京へ戻っ
ん。何とか親をゴマカス旨い手段はないかと、伊東の別荘へ行けと勧める母の言葉を渋って、無理に東京で考えこんでい
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「山口県の宇部というところなんです。一緒に宇田中の温泉へ行こうと、楽しみにし
「宇部とは遠いのう! お父さんひとりスッポカシテ、そんなところへ行かんだっていいじゃないか
長崎急行に乗り換えて、宇部も宇田中もクソもあったものではありません。それからは一直線に
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の事件も起っていない今日までですらそれですから、九州のこうこういうところで知り合った混血児の娘と、結婚したいなぞといい出し
こととなると人一倍ヤカマシクてユーゴのどんな名流であろうとも、九州の片田舎に住む混血児の娘との結婚なぞを、許してくれるはずがないと
綺麗だなと思ってもいましたが、それは、九州へ出かけるまでの話であって、あの二人に逢った後は、まったく事情が
ぬではありませんが、こんな病気くらい、一思いに九州へ飛んでいって、ジーナやスパセニアと馬の二、三回も走らせれば
食い入らんばかりの寂寥を伝えてきましたが、もともと、九州の山の中にいるジーナが、こんな東京の真ん中になぞ、いるはずもない
休暇に入ればもちろん、私にとっては九州が第一の問題です。が、去年も患い、今年もまた患ったこのからだ
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ん。それからは一直線に長崎へ! この前は、島原から雲仙へ出て、山道を歩いて東水の尾へ出ましたが、これ
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を、刻み付けられてしまいましたが……塔沢岳、稲荷山……地図に磁石を当て当て、道を南へ取って進みました。あの
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精々四、五百メートルから七、八百メートルくらいです。北アルプスや立山を踏破してきた身には、何でもありませんが、割合に
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大東亜戦争の始まるちょうど、二年半ばかり前でした。長崎に住居を定めて、日本語がわかりませんからわたくしとスパセニアは、ジョレース女学院
それならもう、戦争も済んだんですから、いつでも長崎へ帰れるじゃありませんか! といったのに対して、ジーナは
たちは若いのだから、こんなところにいる必要はない、長崎へお帰りって……でも……父を見棄てて、どうし
そしてまた、本国の財産が没収されようと、長崎の帰る家はなくなろうとも、彼女たちは決して貧しいという身の上ではありませ
そして、明日から山のことで自分はちょっと、長崎の鉱務署まで出かけなければならないが、そのついでに二、三人調査
…貴方たちがユーゴから帰っていらした時のことや、長崎にいらした時分の話を聞いてたんです……」
のまぐれ当りです。今度はもう道を知っていますから、長崎からまっすぐ小浜へ! そして一刻も早く二人に逢いたい一心に、気も
もあったものではありません。それからは一直線に長崎へ! この前は、島原から雲仙へ出て、山道を歩いて東水
長崎急行に乗り換えて、宇部も宇田中もクソもあったものではありませ
まだわからなかったら、一応父の許へ帰った上で、長崎の市役所なり、警察なりへ、照会状を出してみることにしよう。
…ジュールは八十五万円、ペリッは二十七万円で、それぞれ小倉と長崎の素封家へ引き取られて、これらの金は、ことごとく水の尾村役場の
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特急つばめで東京駅を発つ。妻の注意によって、途中京都で降りて、名香幽蘭香を用意する。下の関山陽ホテルで水の尾村
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、やがて伝手を求めて福岡へ出て行った。今も福岡にいると聞いている、ということであった。
引き揚げ、福次郎はやっぱり馬丁をすると、やがて伝手を求めて福岡へ出て行った。今も福岡にいると聞いている、ということ
地下工事現場には、大勢の人夫が入り乱れて、福岡の貝塚合名会社地所部とした貨物自動車が、十二、三台、盛んに
福岡に建つ大きな六階建てのデパートの、建築資材にするのだという。湖
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いる間に、六十くらいの下男風の老爺が来て、麹町のお邸から来たものだが、若旦那様が折り入ってお眼にかかり
名前は、麹町の五番丁に住む、柳田とかいったということである。もちろん、私
と、いうことから今麹町の番丁に住んで、大学の医学部へいっていること、そしてパンフレットを
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山の中に、この美しい庭や清々しい家屋とは! 東京の町の中にもこれほどの美しい住居は、滅多にありますまい。
「ほう、貴方は東京にお住いですか」
「わたしはまだ、東京は一度も行ったことがないが……さぞ、賑やかでしょうな? そんな
どういう淹れ方か? 私は一遍、東京で土耳古風の淹れ方だとかいって、叔父の相伴をしたこと
不思議さ? しかも今の父親の話によれば、まだ東京へ行ったこともないというのです。
ないのなら、娘たちとても都は知らないのでしょうが、東京でさえめったに見られないような人たちが、こんな山の中にこんな
父親が東京を知らないのなら、娘たちとても都は知らないのでしょうが、東京で
占めて、紅茶を飲みながら久しぶりの客をもの珍しそうに、東京の話、私の通って来た雲仙からの道中、登って来た山々
、まったくその雰囲気の違いだったのかも知れません。東京で見慣れている、亜米利加人の生活様式なぞとは、まったく異なっているの
東京へ帰ってからも、どんなにこの姉妹の俤が、眼の前に躍っ
て暮してしまいました。気候がよくなってから、やっと東京へ戻って来ましたが、医者がヤカマシクいうものですから、その翌年の
いましたが、ある日探したい本があって神保町の東京堂までいったことがありました。あすこは狭い通りに混み混みといつも
の知らせもなく、東京へ来ているんだろうか? 東京へ来ていながら、知らせてくれもしないのか? もうそんな
なぜ一言の知らせもなく、東京へ来ているんだろうか? 東京へ来ていながら、知らせて
の真ん中になぞ、いるはずもないことですし、いわんや、東京へ来るという一言の挨拶もなしに! やっぱり心の底で考えてる
が、もともと、九州の山の中にいるジーナが、こんな東京の真ん中になぞ、いるはずもないことですし、いわんや、東京へ来ると
の幻覚や見誤りなぞでは、ないのです。しかもジーナが東京にいるはずはなく、こんな奇怪なことがまたとあり得ることでしょうか?
が、苦笑はしても、ジーナが東京にいるはずがないとは思いつつも、今でもその時のことを
したというのだろうか? ともかくジーナもスパセニアも、東京にいることだけは、間違いない……返事の来ないこないだの電報のこと
の別荘へ行けと勧める母の言葉を渋って、無理に東京で考えこんでいたのですが、偶然にも、父が休暇を取って
ここには住んでいないのでしょうか? やっぱりみんな、東京にいってしまったのでしょうか? それならなぜ私に、住所を知ら
という葉書も、そのまた前の葉書も手紙も、ことごとく東京で、ジーナやスパセニアの姿を見た以前のものばかりで、それ以来は
たら、いつまた来れるか見当も付かないのです。やっぱりみんな東京へいってしまったのか知ら? と落胆しました。
にとっては容易な業ではないのです。このまま東京へ帰ったら、いつまた来れるか見当も付かないのです。やっぱりみんな東京へ
ではつかぬことをお伺いいたしますが、旦那様は東京で、大学へいっていらっしゃいますんで」
「……何でも、東京の大学生とかを、えらく怨んでたという噂でございましたが…
受け取りに来る姿が見られたというのです。そして、東京から郵便が来てるはずだがと、来るたんびに気にかけて問うて
村の郵便局へ通って来るのが見受けられました。よほど東京からの手紙を待っていたらしく、四里の道をほとんど毎日のよう
噂では何でも、前々年の夏とかに、東京から米た大学生とかがあって、その大学生が姉の方にも、
て来ても、まだ気が落ちつかず、父を促して東京まで逃げて来たようなものでした。
渡ししますけれど、ほかの郵便なんぞ眼もくれずに、東京からの絵葉書だけ抜いて、窓口でお二人で顔を寄せて、読んで
別段わたくしたちには、何にも仰しゃいません。ハイ、東京からは時々、片仮名の手紙が来ていました。絵葉書もまいりました
、そう仰しゃれば、今思い出しました。四月の中頃、東京から電報が来たことがございます。その時は、もうお姉さんはいらっしゃらなく
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の七時といえば都会では、まだほんの宵の口です。銀座なぞは人で、さぞ雑踏しているでしょう。
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通っていましたが、ある日探したい本があって神保町の東京堂までいったことがありました。あすこは狭い通りに混み混み
のか? それなのにどうしてこの春は、神保町でジーナに逢い、スパセニアはわざわざ私の家まで訪ねて来たのか?
その瞬間、私の思い出したのは、あの神保町の人混みの中で見たジーナの姿だったのです……それ
これが、故青年が神保町の通りで、ジーナの姿を発見して打ったという、例の電報
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、その年の夏から秋へかけては、到頭七里ヶ浜の湘南サナトリウムで、懊悩しながら療養の日を送ってしまいました。