棚田裁判長の怪死 / 橘外男
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饗応のため、小女玉木うめ(十九歳)を連れて、長崎市まで料理材料の買い出しに出かけて行ったが、夕方五時七分着の列車
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「旦那様は大阪じゃねえでがす、名古屋にいられるだが」
「そうそう名古屋、名古屋……そういう知らせが来ていたが……」
「そうそう名古屋、名古屋……そういう知らせが来ていたが……」
時にお弾きになるでがす。旦那様アもう一つ名古屋にも持ってござらっしゃるだが、とてもお好きだで、ああやって大事に
一齣大村の懐旧談に花を咲かせました。もちろん名古屋にいる棚田判事へも懐旧のあまりお留守中にお宅へ伺って、爺や
ように覚えていました。が、もちろん私の方から名古屋へ行く折もなければ、先方がわざわざ訪ねて来るほどの用件もありません
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、忘れることができなかったのです。寒い朝でした。西九州ではめったになく酷い霜の降った、寒い朝だったことまで、ありありと
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にしましたが、私の言いたいのは西独逸のボンに滞在中のことだったのです。
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聞いて驚きましたが、話を聞いたところでは、九州の辺鄙な城下町の、殊に郊外の昔の武家屋敷なぞには大した変化もなく
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終戦後の二十四年から翌年の三月までをボルチモアのジョンズ・ホプキンスの大学病院で送って、帰りは欧州の医療施設の見学かたがた西独逸
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大学の独法を出て、司法官試験にも合格して、大阪で試補をしていること、やがて本官に登庸されて、今では判事
でしたが、どういう魔が射したものか、この長老が大阪の松島という遊廓の移転事件に連座して、疑獄を惹き起し、松島事件と
「大阪にいられる棚田さんの……」
「旦那様は大阪じゃねえでがす、名古屋にいられるだが」
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たつと私はさらに父の転任につれて長野へ行き、前橋へ行き、浦和へ行き、この浦和で祖母は七十六歳の高齢で世を
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二年ばかりもたつと私はさらに父の転任につれて長野へ行き、前橋へ行き、浦和へ行き、この浦和で祖母は七十六歳の
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大学病院の実習も終り、一人前の医師になって、久しぶりで静岡の父母の家へ遊びに行っていた時ではなかったかと思い
も退隠して、最後の任地であった気候の穏やかな静岡の郊外で、悠々と余生を送っていました。私も大学を卒業
ことなぞも承知していました。ある時、私が静岡へ帰ってみましたら、こたつの上に袴地を並べて、楽しそうに
来、乳母が来、書生や下男が殖えて、私が静岡の親を顧みるのも、二月に一度、三月に一度……
よほど感慨を催したとみえて、たまに子供を連れて、静岡の隠居所へ行ってみると、
は私よりもっと興味が深かろうと思いましたから、帰りは静岡へ寄って老父や老母相手に一齣大村の懐旧談に花を咲かせ
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の息子が結婚するんでお祝いに送ろうと思ってね。岡山とかの大きな商人の娘と結婚するという話だが」
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ちょうど長崎医大で開かれた学会へ出席したついでに、長崎からは眼と鼻の先ですから、足を伸ばして大村まで行ってみ
も、わざわざ出かけて行ったのではありません。ちょうど長崎医大で開かれた学会へ出席したついでに、長崎からは眼と鼻
「棚田、井沢両判事の不思議なる決闘事件を取り調べている長崎地検大村支部でも、調査の進行につれて、事件の核心と目すべき
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なったために、この草深い田舎の生活を棄てて私は東京へ出て来ました。その後二年ばかりもたつと私はさらに父
ます。が、村の小学校の四年生の時、父が東京の本省へ転勤になったために、この草深い田舎の生活を棄てて私
「そりゃあなた、この子だって東京へ帰って聴診器を持たせたら、立派な先生様ですもんな。親は
狭い土地でよく幼年時代を過ごしたものだと、久しぶりに東京から行った眼には鼻につかえそうなくらい、すべてが鄙びて狭っこ
「……では今東京でお医者様をしてござらっしゃるとか……?」
「……あの人は今確か東京高裁に勤めてられるはずだと思いましたがね」
「凄惨! 東京高裁棚田判事、同僚井沢判事と決闘す。長崎県大村市、孤島の大惨事」
、五日に西下、同判事宅に逗留中の、同じく東京高等裁判所判事井沢孝雄氏(四十六歳)と判明、前後の事情より推して、
の紳士は、一年前より肺を病んで休職中の、東京高等裁判所判事、三浦襄のペンネームをもって作曲家としても有名なる、棚田
本月十八日、夫人は遥々東京より来訪せる夫君の親友井沢判事饗応のため、小女玉木うめ(十九歳
知人や心当りを探索していたものの、井沢判事は東京以来、棚田判事と親密な同僚関係にあり、平素口論一つしたこと
の権威である。温厚なる井沢判事は、三年来、東京高裁民事部長の職にある人、棚田判事は今回の司法部内の異動
「東京高裁木俣長官談。棚田判事の事件は、検察当局でも取調べを急いで
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もはいっていたのでしょうが、その頃は私が西大久保で医院を開業してから、もう十五、六年ぐらいは経っていた
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として、ヒットラーに追われて、グレゴール劇場の指揮者から上野の音楽学校の教授に抜かれてから、もはや何年くらいになるでしょうか
その後間もなく教授も日本へ帰って、相変らず上野で教鞭を執っていられましたが、職業も違い、社会的立場も異なっ