本州横断 癇癪徒歩旅行 / 押川春浪

本州横断 癇癪徒歩旅行のword cloud

地名一覧

富士山

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に駆け上ると、ここぞ海抜三千三百三十三尺、高さからいえば富士山の三分の一位のものであるが、人跡余り到らぬ常州第一の

越後国

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いう太平洋沿岸方面の常州水戸で、到着地は日本海沿岸の越後国直江津の予定。足跡は常陸、磐城、上野、下野、信濃、越後の六ヶ国

水車

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巌寺へ回ってみる積りなので、急流の岸の水車小屋に足を運び、

赤坂

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てみたい」位なもので、東京の真中、新橋や赤坂等の魔窟で、小生意気なハイカラや醜業婦共の歌う下劣極まる唄に比すれば

黒羽町

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淋し気に立っている。一行は今夜、那須野ヶ原の黒羽町に一泊の予定で、その途中、有名な雲巌寺へ回ってみる積り

お頼み申し、重い荷物は尽く駄馬に着けて、近道を黒羽町まで送り届けて貰う事とし、黒羽町の宿屋は△△屋というのが

着けて、近道を黒羽町まで送り届けて貰う事とし、黒羽町の宿屋は△△屋というのが一等だと聴いたのでそこと

四方の景色を見ながら水流に泛んで下ったら、自然に黒羽町に着くだろう」と、そこで新しい盥でも古い盥でも構わん、人間

雲巌寺から黒羽町までは炎天干しで、その暑い事は焦熱地獄よろしくだ。半身裸体の吾輩など

下すような弱虫は一人もなく、牛の歩みも一歩一歩黒羽町に近づき、この前途もう半里ばかりという処まで来かかると、ここにも飴ン

「そうじゃそうじゃ」と評議一決。やがて黒羽町に入込むと、なるほど、遊廓と背中合せに、木賃宿に毛の生えたような

下野

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の越後国直江津の予定。足跡は常陸、磐城、上野、下野、信濃、越後の六ヶ国に亘り、行程約百五十里、旅行日数二週間内

頂上には一個の石標があって、ここは常陸と下野の国境である事を示す。吾輩はすぐさまその石標の上に跳り上り、

水戸

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を見送り、そこで御免を蒙る積りであったが、さて水戸まで行ってみると、オイソレと逃げる訳にも参らず、とうとう牛に曳か

要務が山積しているので、実は徒歩発足地の水戸まで一行を見送り、そこで御免を蒙る積りであったが、さて水戸まで

徒歩出発地は前にいう太平洋沿岸方面の常州水戸で、到着地は日本海沿岸の越後国直江津の予定。足跡は常陸、磐城

上野発水戸行の汽車は午前十時と聴いたので、さっそく朝飯を掻込み、雨

待ちなさい。これは水戸行の汽車ではありません。水戸行は午前十一時五十五分です」と来た。

「ドッコイ、お待ちなさい。これは水戸行の汽車ではありません。水戸行は午前十一時五十五分です」

「オヤオヤ、オヤオヤ。誰だ誰だ、水戸行を、午前十時だと言ったのは――」と、一同開い

間三里の道は平々凡々だから、無駄足を運ばず水戸からにしようかという事は未定問題であったので、吾輩は大洗

横断旅行は、出発地を太平洋波打際の大洗にしようか、大洗水戸間三里の道は平々凡々だから、無駄足を運ばず水戸からにしよう

な好文亭は外から一見したばかり。この好文亭は水戸烈公が一夜忽然として薨去された処で、その薨去が余り急激

水戸に到着、停車場前の太平旅館に荷物を投込み、直ちに水戸公園を見物する。芝原広く、梅樹雅趣を帯びて、春はさこそと思わ

その内に汽車は水戸に到着、停車場前の太平旅館に荷物を投込み、直ちに水戸公園を見物する

ある。水戸の有志家杉田恭介君、川又英君、及び水戸中学出身の津川五郎君で、孰れも健脚御自慢、旅行は三度の

鞭打って、我が一行に馳せ加わった三勇士がある。水戸の有志家杉田恭介君、川又英君、及び水戸中学出身の津川五郎君

座相撲や腕押しで夜遅くまで大いに騒いだ。ところで、水戸から膝栗毛に鞭打って、我が一行に馳せ加わった三勇士がある。水戸

大洗までの無駄足は止しにして、水戸から発足と決定した。というのは、翌日は行程十五里、山間

、昨日までの雨に引替えてギラギラ光る太陽に射られながら水戸出発、右に久慈川の濁流を眺めつつ進む。数里の間格別変っ

あるが一寸有福らしき町である。未醒子や吾輩は水戸から加入の三人武者を相手に快談に花を咲かせ、髯将軍や

た吾輩、今日はいかなる風の吹き回しか、その元気凄まじく、水戸の津川五郎子と前後して先頭に立っている。ああら有難し、これ

スルト側から水戸の川又子、俳号を五茶と申す、宗匠気取りで、

ははや凹垂れてヒョロヒョロ走り、四、五町にいた水戸中学の津川五郎子、非常なヘビーを出して遥か先頭に進み、続いて

たる那須野ヶ原を横断して西那須野停車場。ここで吾輩は水戸からの三人武者と共に、横断隊に別れて帰京の途に着い

小山駅で水戸の三人武者とも別れて、後はただ一人、俄かに淋しくなれば

上野

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海沿岸の越後国直江津の予定。足跡は常陸、磐城、上野、下野、信濃、越後の六ヶ国に亘り、行程約百五十里、旅行日数

上野発水戸行の汽車は午前十時と聴いたので、さっそく朝飯を掻込み

号外を見ながら、午前十一時五十五分、今度は首尾よく上野出発。この時から常陸山中の大子駅に至るまでの間の事は、

午後三時半、上野に着く。実に今回の旅行は愉快であったが、思えば初めから

新橋

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にしてみたい」位なもので、東京の真中、新橋や赤坂等の魔窟で、小生意気なハイカラや醜業婦共の歌う下劣極まる唄

東京

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、元の島田にしてみたい」位なもので、東京の真中、新橋や赤坂等の魔窟で、小生意気なハイカラや醜業婦共の

丸煮か何かで漸く昼飯に有付くことが出来た。東京では迚も食われぬ不味さであるが、腹が減っているので

「コレ、天狗殿、吾輩は東京天狗倶楽部の一人、吉岡信敬なり。敢て閣下の子分に非ずと雖も、

太陽の光線を浴びぬ奴は心身共に柔弱になる。東京の電車に乗ってもそうだ。大の男や頑強なるべき学生輩に