本州横断 痛快徒歩旅行 / 押川春浪 井沢衣水

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地名一覧

日本アルプス

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この辺から西方雲煙の表に夕陽の残光を受けて立つ日本アルプスの重畳は実に雄麗壮大の眺めであった。濃霧の中を冒して

草津

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長尾原で夕食をなし、これから草津まで暗夜の強行軍。中途より雨さえ加わりて路は膝を没する泥濘、とても歩け

草津へ着いたのが九時。長尾原より、遅くも着くと大東館という

朝のうちに草津の町を見る。極めて平凡なる土地なり。ただ高原の中より湧く温泉が霊験

越後国

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の船橋を渡り、妙高山、黒姫山の麓を迂回して越後国高田に出づ。ここに少憩して付近の勝を探ぐり、はるかに左方春日山

妙高山

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も知らずに眠る。次の日は千曲川の船橋を渡り、妙高山、黒姫山の麓を迂回して越後国高田に出づ。ここに少憩して付近

渋川

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翌早朝出発。渋川までは無難。ただ連中饅頭が食いたくなって、しきりに饅頭屋を探した

探したのだが、生憎一軒も無くって大悄気。渋川からは吾妻川の流れに沿うて行くのである。ところが途中洪水のため

塩原

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発揮した未醒画伯、孰れも着茣蓙を羽織って、意気揚々塩原へこそ乗りこんだり。

ここでひと息入れて、さらに進む半里ばかり、いよいよ塩原の峡谷へ差しかかる。入勝橋というを渡れば山勢、渓流いよいよ非凡奇抜、

由来塩原という処、金持共が贅沢に夏の暑さを避けに来る土地ゆえ、

塩原から雇って来た強力殿の足の早いこと、凡そ五、六貫位の

と、今晩中に日光へ行くことは出来ぬ。一体、塩原から日光へひと跳びというのが已に人間業ではない。自慢じゃないが、高原

白根

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途中で別れた白根行きの二人、帰途、この茶屋へ知らずに飛び込み、有繋の両人も孤

赤城

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の平佐。愉快愉快とばかりに馬上打興じて、左手に赤城、榛名の山を眺め、あれが赤城の地蔵岳だの、やれあれが伊香保

興じて、左手に赤城、榛名の山を眺め、あれが赤城の地蔵岳だの、やれあれが伊香保の何々山だのと語りながら馬を

大尻沼

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を出発した。これから丸沼へ出て、その次が大尻沼である。この湖畔に一軒の掘建小屋があって、ここには丈夫そう

黒姫山

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ずに眠る。次の日は千曲川の船橋を渡り、妙高山、黒姫山の麓を迂回して越後国高田に出づ。ここに少憩して付近の勝

浅間

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翌日、汽車に乗り、浅間の山の噴煙を眺め、絵のごとき信濃の国を過ぎて夜の十一時

江戸

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ヘ続く林だということだ。維新以前、会津侯が江戸登城の折は四千余尺のこの山道を通られたということで、路傍

岩櫃山

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して、右手に全山悉く岩石より成る山を見る。これ岩櫃山というて正平年間吾妻太郎行盛の城跡、巨巌重畳、断崖聳立、山中に古戦場

下野

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便を催おし、叢の中に男体山を眺めながら、上野と下野の国境上に真黒な塊を残す。

水戸

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いよいよ一行は四人と相なった。水戸以来総勢八人、八溝の天※も何のその、一足跳びにワッショイワッショイと飛び越え

上野

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山頂に便を催おし、叢の中に男体山を眺めながら、上野と下野の国境上に真黒な塊を残す。

のごとき信濃の国を過ぎて夜の十一時というに上野着。四人の色黒ろきこと印度人のごとし。眼ばかりキョロつかせ

東京

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はゼロ。梅毒患者が療養すべき土地にして、わざわざ東京から見物がてら避暑なぞという気の利いた所ではない。

千曲川

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椀を平らぐ。翌朝まで何事も知らずに眠る。次の日は千曲川の船橋を渡り、妙高山、黒姫山の麓を迂回して越後国高田に