地方主義篇 (散文詩) / 福士幸次郎
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未だ知らぬ人には想像がつくまい。それは今も蝦夷の凄涼な俤を殘す此處いらの娘の齒のやうに、淨か
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「でも岩木山が見え出したよ」
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大正十二年春・名古屋にて
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私の眼の膜を拂つて仕舞つた。蒼い茂りを東北地方夏季中特有の優しみある空に、高くのびのびと差出してゐる松の廣い
海岸に詰め寄せるかのやうに鮮かに浮出してゐる。そこは東北地方の風景といふ先入觀念を完全に拭ひとるに足る明るい澄んだ、そして又
自覺である。例へば東北のズウズウ辯と言ふごときも東北地方にはズウズウ音の分布は、何ぞ計らん東京の御膝下の茨城地方に始
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故郷の弘前市に着いたのは、これがさうかしらんと遠くから眺めてゐた大村落を
弘前市もこれと大同小異で大村落を出てから漸く向うの山裾に見えはじめた屋根屋
「板柳だ」とわたしはこの弘前市から三里ほど北の町の名を言つた。
この晩わたし共夫婦親子は弘前市の次ぎの驛で、夜遲くまでまた待たされた。ここは支線の汽車
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烈しいとでも言ひたい位の正午の光を受けて、北海道通ひの蒸汽船が二艘、遙か遠くを煙りを吐いて走つてゐる
海の色あひには及ばない。その時の汽船が北海道通ひの船だといふことを知つたのも、それはも少し年
坊樣で、盲人の男女の唄うたひ、此の地方から北海道までも逍つて歩く。唄はジヨンカラ節、ヨサレ節なぞといふ津輕民謠で
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この汽車を利用して更に今一時間ばかり先きの距離の青森市に北行する乘客が、廣いプラツトフォームに溢れてゐた。雪はここで
べ」と彼は優しく勞はるやうに言つた。彼は青森市の少壯政治家として、地方民に囑望されてゐるのを、一二
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「あつ、W君、青森の?」
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、仙臺山形地方に北上してゐるのに止まり、南部、秋田、津輕の三地方には痕跡がないのである。この點東北の
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の御膝下の茨城地方に始つて、會津地方を通じ、仙臺山形地方に北上してゐるのに止まり、南部、秋田、津輕の三地方
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表したい。――大正十五年三月二十六日上京中、深川に於て
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二十の年には、その頃もう東京に來てゐた時分だが、夏の眞盛り時、房州海岸を半月
、感動の眼を見張つた。彼が大學生時代に東京で別れて以來十七八年になるが、よく見誤らずに見當てた
くらゐに思へるのは不思議なことだ。こんな經驗はあの永い東京生活のなかで、一遍だつて味はつたことがない。これといふの
【「百姓女の醉つぱらひ」の東京俗語譯】 お前の亭主は幾歳だい。私のは今年二十六だ
するのに、今迄のやうに音をたださず、平氣で東京語發音化することも、無自覺千萬である。○わたしの此の
も東北地方にはズウズウ音の分布は、何ぞ計らん東京の御膝下の茨城地方に始つて、會津地方を通じ、仙臺山形地方に北上
と違つて亞細亞はこの緯度で十分寒く、首都の東京を離れる二百里で、「白色恐怖」は思ひの儘に威力を振ふ。
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の處へ行つた。汽車は終驛が近いので、上野驛以來の乘合客も大半降りてしまつて、車内はわたし等夫婦