野ざらし / 豊島与志雄

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九州

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云おうか、兎に角或る漠然たる憂鬱を齎したのである。九州の炭坑のことと橋本沢子のことが、同じ重さで天秤の両方にぶら下って

先ず九州の炭坑から……そして次に橋本沢子。

禎輔の心が今そんな所にある筈ではなかった。九州の炭坑に行くか否かの昌作の返答こそ、今晩の問題であるべき筈

「佐伯さん、どうしたの、九州へ行くことにきめて? それとも行かないの?」

向き返った。「そりゃあ東京を離れるのは嫌でしょうけれど、一時九州の炭坑なんて思いもよらない処へ行ってみるのも、却って生活を新たに

を遮った。「今はそんな議論の場合じゃないわ。九州へ行くか行かないかの問題じゃありませんか。行くのが却ってその心棒

「一体、九州の直方って、どんな土地でしょう?」

ああゆっくり考えるがいいよ。今じゃなんでもないが、九州へ行くと云えば昔では……。」

「いえ、九州だからどうのこうのと云うんじゃありません。ただ、自分の気持に

口は、また探そうたってありはしないわよ。それは九州なんかに行くのは嫌でしょうけれど、それかって、東京に居てどうするつもり

て? 今度は否でも応でも、あなたは暫く九州に行って辛抱なさるが本当だと、私は心から信じきってるのよ。

「いえ私は、九州行きを断るつもりじゃないんです。ただ……どうして片山さんが私を

ないんです。ただ……どうして片山さんが私を九州なんかに……。」

温情とを以て自分を通してくれた禎輔が、遠い九州の炭坑なんかに自分を追いやろうとすることこそ、最も不可解なのであった。

東京もしくは何処かに奔走してくれそうなものだった。九州の炭坑とは、全く夢にも思いがけないことだった。それとも、そう

方向もないぐうたらな生活を送ってる昌作にとっては、九州の炭坑と云えば、全く流刑に等しいと感ぜられるのだった。そのことを

本当の心を聞きたい、その上で忍ぶべきなら忍んで九州へ行きたい、というのが彼の希望の凡てだった。

てやってることを、あなたは、厄介払いをする気で九州なんかへ追いやるのだと思ってるのでしょう。いえそうですわ。あなたには人

で、東京にいい口がないので、少し遠いけれど、九州の時枝さんに頼んで上げたのではありませんか。それをあなたは

んでしょう。……もう何にも申しません。行きましょう、九州の炭坑へ。そしてうんと働いてみます。全く私には、仕事を見出す

は私は何にも云わないで、すぐにも承諾して九州へ行きたかったんです。仰言る通りどの点から考えても、私は九州へ

たんです。仰言る通りどの点から考えても、私は九州へ行った方がいいんです。第一自分で自分に倦き倦きしています

からじゃありません。その時からです。東京を離れて九州へ行こうと思った瞬間からです。そして自分で自分に口実を拵えるために、

口実が欲しかったのです。いやそればかりじゃありません。九州というのが余り思いがけない土地だったものですから、淋しさの余りに、

余りに、或るものに縋りついたのかも知れません。九州と聞いて、実際島流しにでも逢ったような気がして、闇の

たのは、寧ろ自ら自分の心へ対してだった。九州の炭坑へ行くべきなのが本当であると、彼ははっきり知っていた

、橋本沢子のことが同じ強さで浮んできた。九州へ行くという意志が強くなればなるほど、同じ程度に沢子へ対する愛着が

、同じ程度に沢子へ対する愛着が強くなっていった。九州へなんか行かないでもよいという気になれば、沢子なんかどうでもよい

いう自分の心を、どうしていいか分らなかった。九州の炭坑のことを思うと、真暗な気がした。沢子のことを思う

強くなったり弱くなったりした。そして、沢子を連れて九州へ行くことは、到底望み得られなかった。

は初めて、何故に此処に来たかを自ら惑った。九州へ行くか行かないかについて、心に喰い込んでる彼女に片をつける、

「そら、九州の炭坑とかのこと。」

に非常に奔走して、僕には勿体ないほどのあの九州の口を探してくれた。いくら僕が恩知らずだって、はっきりした

好意が……親のような好意があるなら、僕を九州まで追いやらずともいいさ。然し僕はもう片山さんの心をあれこれと詮議

は何もかも薄っぺらなのだ、ふやけてるんだ。九州の炭坑へでも追いやられたら……光を失って闇の中へでも

昌作は思い出した。それはまだ九州行きの問題が起らない前、或る晩すっかり酔っ払って、ふと沢子の許へ立寄っ

は……僕に必要なのは、仕事でもない、九州の炭坑でもない、或る一つの……そうだ、九州へ行くのが

の炭坑でもない、或る一つの……そうだ、九州へ行くのが、暗闇の中へでもはいるような気がするのは…

「佐伯さん、あなた九州行きはどうして?」

は……僕は今晩沢子さんから聞いたんですが、九州の炭坑とかへ行こうか行くまいかと、迷ってるそうですね。」

五日前の片山夫妻との約束を考えた。そして、九州へ行かないことにいつしか決定してる自分の心に気付いて、自ら喫驚

が引受けて、まとまるものならまとめてやるがいい、何も九州へ行くことが是非必要というのじゃないから、他に東京で就職口を

ぼんやり待っていた。ハイカラな女学生風の令嬢だの、九州へは行かないでもよいだの、弟だの、禎輔から急な話が

あせった。「それで……そのことで……私は九州へ行かなくてよくなったのですか。何だか私にはさっぱり分りませ

「九州へ行かないでもいいし、それに……あなたが私に急なお話

「君は、僕がなぜ九州なんかへ君を追いやるのかと疑ったね。」

「君が達子へ向って、片山さんはなぜ私を九州なんかへ追い払おうとなさるんでしょう、と云ったことと、それから、君に若い

の気もなく……全く何の気もなくなんだ、九州の時枝君のことを思いついて、手紙で聞き合してみると、案外いい返事

、その恩返しって心もあるに違いない。所が、この九州の炭坑ということが……偶然そんなことになったのだが、その偶然

ことになったのだが、その偶然がいけなかった。九州の炭坑と聞いて、君が逡巡してるうちに、そして僕から云わすれば

君が逡巡してるうちに、そして僕から云わすれば、九州へ行くくらい何でもないし、非常に有利な条件ではあるしするから

ふと僕は自分の気持に疑惑を持ち初めた。君を九州へ追い払おうとしてるのじゃないかしらと……。」

、ごっちゃになってしまっていた。それに、君が九州行きをいやに逡巡してるものだから、或は達子に心を寄せてるからで

だ。そしてまた一方には、僕は嫉妬の余り君を九州へ追い払おうとしてるのだと、自分で思い込んでしまったのさ。そしてまた

してみたのだ。そして、片山さんはなぜ私を九州なんかへ追いやるのだろうかと、君が達子へ聞いたことと、君が他

から僕は、次第に考えを変えてきて、君を九州なんかへやらない方がよいと思ったのだ。君を九州へやることは

なんかへやらない方がよいと思ったのだ。君を九州へやることは、君自身を苦しめるばかりでなく、僕をも苦しめることになる

にでも鎖されたような自分自身を彼は感じた。九州行きの問題も、自然立消えのようでいて、実はまだ宙に浮いて

たんだ。僕には君が必要だったんだ。九州行きの問題が起ってから……その後で……気付いたんだが、僕

淋しい感激がこみ上げてきた。――自分は一思いに九州へ落ちて行こう、真暗な坑の中へでも。身を捨てて生きて

「私はやはり九州の炭坑へ行きます。坑の中へはいってでも働きます。」

木曽

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椎のはなの心にも似よ木曽の旅

東京市

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合うようなことさえありました。そして僕は、二人が東京市内に住んでいて何時でも逢える身なのに、屡々手紙を往復し

鎌倉

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初め僕は、大森辺かまたはずっと遠く鎌倉や逗子あたりへ行くつもりだったですが、その方面には沢子の知ってい

河口湖

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乗って、尾花の野原をしゃんしゃんしゃんとやるんだ。……河口湖ってのがあるだろう。その湖畔のホテルに大層な美人が居てね、或る

伊予

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「そら、伊予の松山の八百八狸って有名な奴さ。」

松山

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「そら、伊予の松山の八百八狸って有名な奴さ。」

盛岡

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どうにも身動きが取れないでいる時、片山さんはわざわざ盛岡までやって来て、僕を救い出してくれたのだ。母が亡くなる時

からは、あらゆる面倒をみて貰ったんだからね。盛岡で、学校はしくじるし、女に……豚のような女に引っかかって

よりも農場なんかの方がいいと、私思ってるわ。盛岡の農林学校に中途までいらしたでしょう、その方がよほど自然よ。農場で

な飜訳……徒らに書き散らしてる詩や雑文の原稿……盛岡で私淑していたフランス人の牧師から貰った聖書……ファーブルやダーウィンなど

知ってる人で……そうじゃありませんか、盛岡のことだって、またその後のことだって、考えてごらんなさいな…

ことにしよう。判断は君に任せるよ。……君が盛岡であんなことになって、東京に帰ってきてからものらくらしてるの

てくるか、それを君に知らしたかったのだ。あの盛岡の女の事件みたいな、単なる肉体上の事柄じゃない。もっと深い心の

だったとしてもいいさ。ただ僕は君に、盛岡の二の舞をやってくれるなと、老婆心かも知れないが、切に願いたい

――自分は盛岡で、フランス人の牧師に一年ばかり私淑していた。そしてその牧師から

富山

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彼女の家は、富山でも――越中の富山です――相当の家柄だったのが、次第に衰微して、彼女が

彼女の家は、富山でも――越中の富山です――相当の家柄だったのが、次第

京都

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も知ってる通り、僕がこちらの高等学校を出ると、わざわざ京都の大学へ行ってしまったのは、実はそのことを罪悪だと意識

東京

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ちらと見やって、また昌作の方へ向き返った。「そりゃあ東京を離れるのは嫌でしょうけれど、一時九州の炭坑なんて思いもよらない処へ

は九州なんかに行くのは嫌でしょうけれど、それかって、東京に居てどうするつもりなの。私こんなことを云うのは嫌だけれど

のであった。どうせ就職口を探してくれるのなら、東京もしくは何処かに奔走してくれそうなものだった。九州の炭坑とは

云ってるのです。私もそう思っています。で、東京にいい口がないので、少し遠いけれど、九州の時枝さんに頼んで

、ほんとに信じていたんですわ。それで片山は東京で方々就職口を内々尋ねて……働くことによってしか生活はよく

から……前からじゃありません。その時からです。東京を離れて九州へ行こうと思った瞬間からです。そして自分で自分に口実

は、僕にはよく分りません。が兎に角、彼女は東京に逃げ出してきて、前からいくらか名前を聞きかじってる――というの

な破目になって、母親の黙許を得た上で、東京へ逃げ出してきたのです。勿論その間の事情は、僕にはよく

合うようなことさえありました。そして僕は、二人が東京市内に住んでいて何時でも逢える身なのに、屡々手紙を

ですから――休暇は八月になってからです――東京に残っていました。そして、久しぶりに妻や子供と離れて、がらん

そう考えてるうちに、妻のことも家のことも、東京のことも、遠くへぼやけて消えてゆきました。世界のはてへで

、として彼女は僕の眼に映じました。そして東京へ近づくに従って、僕は妻のことを、自分を束縛してる醜い

のように、慌だしくその家を飛び出して、急いで東京へ帰って来ました。その時僕の眼前の彼女は、もう可愛い無邪気

へ行くことが是非必要というのじゃないから、他に東京で就職口を探してやろうと、そう云うんですよ。それから、一体

かあなたに逢うことを非常に急いでいたんです。東京にいい口があるのかも知れませんよ。私には何とも

てくれるね。……そこで、僕は君のために東京で就職口を探してみたが、僕の会社の社長にも相談し

任せるよ。……君が盛岡であんなことになって、東京に帰ってきてからものらくらしてるのを見て、僕達は影

吉祥寺

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居るらしいのを思い出して、急に方向を変えて電車で吉祥寺まで行きました。そして井ノ頭公園とは反対の方へ、田圃道を当て