獄中への手紙 10 一九四三年(昭和十八年) / 宮本百合子

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地名一覧

横浜

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暮又一かたまり払ったとき初めて会いました。今そのひとは横浜の航空機の会社につとめました。私の見たところでは人柄がじみで

住むのは横浜の郊外の由です。

伊豆

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し、自分も誰かいた方が無理しないから。伊豆なんかはお米をかついで行ってひるめしだけ三円、凡そ一日には十

腎臓をわるくしていて(泰子の過労から)先日も伊豆の温泉にゆき、明後日ごろから国府津へ子供づれでゆきます。自然太郎の責任

。霜のおりた、松の葉のしげみの下に、伊豆は、冬でもりんどうの花が咲いて居ります。冬でも、りんどうは

ウィーン

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ていて、それを切りとったら話の種もなくなるでしょう。ウィーンのリヒテンシュタイン伯の画廊で見た毛皮外套の若い女の裸体は今も目に

牛込区

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なくていたのですが、あなたは、もしや昔、牛込区の坂の近所のきたない下宿にいた、Nという早大英文科か何か出

小谷

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の手すき紙で装幀して横帙に入れた本よ。小谷の方と淀君の少女時代につかえた盲目の按摩、遊芸の上手が、信長

王子

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だ由。でも秋日和に照らされて電車は動かず、王子の方へゆく電車で大塚まで出て市電でかえりました。菊富士に部屋

浅間山

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二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(浅間山の写真絵はがき)〕

九州

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三年になろうとしている男の子、六年の女の子、九州から来ている十九かの娘(はじめの結婚の)その人たちはどんな気

樺太

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てみましょう。案外あるかも知れないわ。金庫屋が樺太まで行ってものを仕入れるとききましたが、私たちも魔法ビンではなかなか内地

桂離宮

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見て来ているブルノー・タウトなんかが、日本へ来て桂離宮などをよい趣味とこころだけが語られている――その前には何で

ロンドン

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を人間の運命のうちにつよく感じる作家が出るのね。ロンドンやホイットマンもそうですし。新しい生活力が、或ときは悲劇的に横溢するからでしょう

ゾラと親交があったのよ。ドルフュスのとき、ゾラがロンドンへ行ったりしているときセザンヌは、あいつは相変らず気ちがいだと云って

富士見町

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栗林さんへのものその他お義理の買物をして、富士見町へは 16.00 ほどの大きい、いい盆をとどけました。その時又手紙をかいて

香港

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三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(香港 Flower street の写真絵はがき)〕

大阪

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お母さんが珍らしく京都見物と奈良見物を思いたたれ多賀子を連れ、大阪の岡本のうち(かつ子のところ)へついたら電報がきて、十五日に

世田ヶ谷北沢の明石方としてありますが、明石って、大阪の明石という鉄道会社の社長か何かの娘夫婦のところでしょうか。この頃は

た。それでもいろんな噂が珍らしくてこの手紙さしあげます。大阪の明石さんでなかったから大助りよ。まともな配給で毎日暮している人

ないのを不思議にも思わぬ人のところが楽でしょう。大阪のKは全く虚飾的結婚して、えらいさわぎしたのですから。妹の

戸塚

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、たのしみがなくなると、こそこそとどっかへ消えてしまう。戸塚や動坂や、ああいう、生活している人間がいる人間がある以上店

下北沢

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ました。もう五時近いからおつきになったでしょう。下北沢でおりるのですって。

江の島

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月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(江の島の写真絵はがき)〕

十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(江の島の写真絵はがき)〕

ベルリン

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ないというわけなの。この伯父はもう七十でしょう、昔ベルリンで父とこの義弟とが一九〇四年代のハイカラー姿をうつした写真などもあり

平河町

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、かえりにペンさんのところで夕飯を食べたのです。平河町の停留場の角に光ヶ丘病院というのがあるの御存じでしょうか。あすこは

札幌

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たのではないのよ。私は小石川原町。国は札幌。ですから五歳以後からこの家に住んだだけです。寿はここで生れ

牛込

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ているように、とのことでした。だから私が牛込居住のころは、私の方も全くお仕きせで、私は二人分

山梨

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魔法ビン火曜日ごろ届けます。けれども、もう少し待って、山梨からお医者様が帰ってからにしましょう、ましなのがあった方が

丸山町

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あるのでしょうから。買いつけの本やへきいて見ましょう、丸山町のところのもとの本やは、もう出入りしないのよ、会社へ何か

公国

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ではバルソロミョーの大虐殺がありました。ケプラーの祖父は小さい公国の市長だったが、父は当時のドイツが傭兵市場であって、その

鎌倉

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でしょう? 葛西善蔵がいたというところは。昔、鎌倉の明月谷というところに一夏いて、小説かいていたことがあります

ローマ

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マッシュルームをつかい、これはもう世界共通のありふれたものです。ローマからこの頃ヴェニスへうつったという日本の人々も、こんなマッシュルームとマカロニたべている

桑野村

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招かざる客の来訪なしに保養したくてね。昔の桑野村と何と云う違いでしょう。その変りかたは興味深く、例えばこの佐藤などを活き活き

伊勢

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技倆をもった写実家です。それを土台として、伊勢や源氏の絵巻をかいていて、コムポジションの頭のよさ、牛車をひい

筑摩

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今ヘディンの『馬仲英の逃亡』をよんでいます。筑摩で『彷徨える湖(ロブ湖)の話』(ヘディン)をくれて、それ

本郷

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でいて、ミス・ボイドという人も居り、そこへ本郷からよく通ったものでした。そこが先年から光ヶ丘病院となりました。そこ

北海道

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なくがっかりね。スウィスは牛乳が世界一良質だそうです。北海道の雪印バタ工場が焼失したそうで又一層バタはなくなるでしょう。八月玉子

上林

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は十二三円以上かかることになって来ました。上林は米をまだもってゆかずといいし、あすこは樹木が多い道があっちこっち

の。(こんなにかいて反りみるに、どうも私は上林は知ったところだからついそちらへ引かれるが、鷹の巣の方がよさそうだ

清洲城

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、兄の裏切りで良人を攻めほろぼされ、息子をころされ、清洲城にこもって十年暮したあと、本能寺の変後、柴田の妻となり

伊東

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今の調子で春までのんびりしたら眼もよほどいいでしょう。伊東へ行くことなども考えていたけれどもあすこは防空地帯の甲で、これ

青山

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をよべたのでそれではと、何年ぶりかで青山へお参りしました。先の頃はいつも草むしり婆さんが、あの道この道

建長寺

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建長寺でしょう? 葛西善蔵がいたというところは。昔、鎌倉の明月谷と

て、小説かいていたことがあります。そのとき、建長寺も見に行ったのだけれどこんなお寺ではなかったわ。きょう、冬

福島市

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もいられないわけでしょう。旦那さんになる人は、何しろ福島市というようなところの日銀支店づめであったし、通俗的ととのった方らしいから

西芳寺

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八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(西芳寺の写真絵はがき)〕

豪徳寺

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ました。ゆっくり眠って父さんは外出。母さんと子供たちとで豪徳寺の中を散歩しました。銀杏と紅葉が見盛りで、実にいい気持

明石

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由です。世田ヶ谷北沢の明石方としてありますが、明石って、大阪の明石という鉄道会社の社長か何かの娘夫婦のところでしょうか

の明石方としてありますが、明石って、大阪の明石という鉄道会社の社長か何かの娘夫婦のところでしょうか。この頃はおもてなし

あなたにほめられたという娘さんよ、十九で、去年明石という応用化学出の人(鹿島高工)と結婚し、その人が応召で

吉野

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。覚えていらっしゃるでしょうか、昭和七年頃。横とじの、吉野の手すき紙で装幀して横帙に入れた本よ。小谷の方と淀

上野公園

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ため処置されました。火、音響などによわいから。上野公園に昔平和博というのがあって、父は第一会場(上の

青森

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そっちだと都合して手つだってもらえる十九ほどの娘さんが青森在から来てくれられるかもしれないので。

(消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(青森林檎畠の写真絵はがき)〕

ペンさんが青森へ行って、おみやげに林檎畑のえはがきを買って来てくれまし

京都

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は、そこをまわって小郡へ出て見たいものです。京都からのりかえて山陰本線土井までですから、今すぐでは無理でしょう。物資は

。多賀子から知らせてきました。島田のお母さんが珍らしく京都見物と奈良見物を思いたたれ多賀子を連れ、大阪の岡本のうち(かつ子の

十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(京都三千院の写真絵はがき)〕

千葉

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らしいあざやかさですね、昔、『文新』から行った千葉の開墾部落もこうゆう家が並んでいました。あの時は南京豆が

奈良

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知らせてきました。島田のお母さんが珍らしく京都見物と奈良見物を思いたたれ多賀子を連れ、大阪の岡本のうち(かつ子のところ)へ

ありそうな感じですね。ぬかるまないような。ペンさんが奈良の旅行からかえり、寿江子国男国府津からかえり又ガヤガヤになりました。戸塚の

そのときは、ああ奈良朝の美術はここから来ていると漠然思ったきりで、ちっとも深く勉強

長野

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のよ。それからのりかえて羽越線で二三時間らしいの。長野までは夜行では半端で、それから電車が二時間余でバスが猛烈

新潟

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に特効ありという温泉かどちらかへ行くでしょう。山形県と新潟の境のようなところにある鷹の巣というのは、割合まだ俗化して

秋田

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マホービンだからまだ面目が立つわ。細君がこっそり指輪買いに秋田辺へ行ったりして問題を起すよりは。きょうは、きのう出かけて(

広島

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魔法ビン来年広島でさがしてみましょう。案外あるかも知れないわ。金庫屋が樺太まで

拘置所の顕治宛 駒込林町より(比治山公園旧御便殿(広島)の写真絵はがき)〕

巣鴨

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一月三日 〔豊島区西巣鴨一ノ三二七七巣鴨拘置所の宮本顕治宛 本郷区林町二十一より(代筆 牧野虎雄筆「春

一月七日 〔巣鴨拘置所の宮本顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

一月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

一月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

一月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

一月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

一月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 ミレー筆「編物をする女

一月二十九日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 パリ・ノートルダムの写真絵はがき)

一月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

二月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 セイロンの風俗の写真絵はがき)

二月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 山下新太郎筆「少女立像」

二月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

二月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

二月十九日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

二月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

二月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

三月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 都鳥英喜筆「戦傷士

三月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 川村清雄筆「画室」の

三月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書 書留)〕

三月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 田舎の風景の写真絵はがき)

三月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

三月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 絵はがき)〕

三月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 絵はがき)〕

三月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 絵はがき)〕

三月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

三月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

四月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

四月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(ゴッホ筆「アルプスへの道」3

四月八日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(はがき)〕

四月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(木下克巳筆「夏の夜」の

四月十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(絵はがき)〕

四月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(京都三千院の写真絵はがき)〕

四月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(中村彝筆「エロシェンコ像」の絵はがき

四月二十四日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

五月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

五月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(西芳寺の写真絵はがき)〕

五月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(庫田※「松林」の絵はがき)〕

五月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(石井柏亭筆「佐野瀑図」の

五月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

五月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

五月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

五月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(浅間山の写真絵はがき)〕

五月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(セイロンの仏教徒の写真絵はがき)〕

六月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(佐伯祐三筆「貧しきカフェー」の絵はがき

六月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(石川確治筆「七面鳥」の絵はがき

六月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(安芸厳島神社の写真絵はがき)〕

六月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月二十八日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(紀伊田辺の風景の写真絵はがき)〕

六月二十八日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(土畑鉱山倶楽部の写真絵はがき)〕

六月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(徳山小学校の写真絵はがき)〕

七月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(紀伊田辺・奇峡巖の写真絵はがき

七月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(ルノアール筆「カーニュのテラース」の絵はがき

七月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(広島市庁の写真絵はがき)〕

七月十七日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(山の風景画の絵はがき)〕

七月十七日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(セザンヌ筆「パイプを咥えた男」

七月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(比治山公園旧御便殿(広島)の写真

七月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(土畑鉱山従業員居住地の写真絵はがき)〕

七月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(ウラジロモミの写真絵はがき)〕

七月二十六日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(ウラジロモミの写真絵はがき)〕

七月二十六日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(富田溪仙筆「迅瀬の鵜」、

七月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(光琳筆「群鶴図屏風」の絵はがき

七月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(江の島名勝 稚児ヶ淵の写真絵はがき

七月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(江の島の写真絵はがき)〕

八月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(鎌倉由比ヶ浜海水浴場の写真絵はがき)〕

八月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(香港 Flower street の写真絵はがき

八月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(江の島七里ヶ浜の写真絵はがき)〕

八月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(鎌倉建長寺の写真絵はがき)〕

八月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(箱根宮之下の写真絵はがき)〕

八月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(レマン湖の写真絵はがき)〕

八月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(箱根大涌谷の写真絵はがき)〕

八月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(箱根芦之湖の写真絵はがき)〕

八月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(モンブランの写真絵はがき)〕

八月六日夕 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(伝光茂筆「浜松図屏風」の

八月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(伝光茂筆「浜松図屏風」の

八月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(Fishing Village, Paslr Panjang

八月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(八千代橋畔の秋色〈箱根〉の写真

八月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(江の島の写真絵はがき)〕

八月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(鎌倉長谷観音の写真絵はがき)〕

八月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(日光五重塔の絵はがき)〕

八月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(箱根芦ノ湖の写真絵はがき)〕

八月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(土田麦僊筆「罰」の絵はがき)

八月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月八日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(青森林檎畠の写真絵はがき)〕

九月八日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(西沢笛畝筆「十和田湖と三羽浦

九月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(史蹟開成館の写真絵はがき)〕

九月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(開成山の中條阿部両氏の記念碑と

九月十日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(カーフ筆「静物」の絵はがき)〕

十月十一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(電報)〕

十一月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(ブーダン筆「海辺」の絵はがき)〕

十一月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(ユトリロ筆「雪のエグリーズ」の絵はがき

十一月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(池部鈞筆「池」の絵はがき)

十一月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(小山敬三筆「高山雪景」の絵はがき

十一月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

駒込

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一月七日 〔巣鴨拘置所の宮本顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

一月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

一月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

一月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

一月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

一月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 ミレー筆「編物をする女」の絵はがき)〕

一月二十九日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 パリ・ノートルダムの写真絵はがき)〕

一月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

二月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 セイロンの風俗の写真絵はがき)〕

二月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 山下新太郎筆「少女立像」の絵はがき)〕

二月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

二月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

二月十九日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

二月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

二月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

三月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 都鳥英喜筆「戦傷士の俤」の絵はがき)

三月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 川村清雄筆「画室」の絵はがき)〕

三月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書 書留)〕

三月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 田舎の風景の写真絵はがき)〕

三月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

三月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 絵はがき)〕

三月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 絵はがき)〕

三月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 絵はがき)〕

三月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

三月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

、検事拘留一ヵ年の一月が過ぎ、二月下旬に駒込の特高の人が来た時、私は自分がどうなっているのか

四月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

四月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(ゴッホ筆「アルプスへの道」3ノ一、三岸節子筆

四月八日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(はがき)〕

四月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(木下克巳筆「夏の夜」の絵はがき)〕

四月十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(絵はがき)〕

四月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(京都三千院の写真絵はがき)〕

四月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(中村彝筆「エロシェンコ像」の絵はがき)〕

四月二十四日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

五月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

五月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(西芳寺の写真絵はがき)〕

五月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(庫田※「松林」の絵はがき)〕

五月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(石井柏亭筆「佐野瀑図」の絵はがき)〕

五月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

五月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

五月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

五月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(浅間山の写真絵はがき)〕

五月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(セイロンの仏教徒の写真絵はがき)〕

六月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(佐伯祐三筆「貧しきカフェー」の絵はがき)〕

六月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(石川確治筆「七面鳥」の絵はがき)〕

六月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(安芸厳島神社の写真絵はがき)〕

六月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

六月二十八日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(紀伊田辺の風景の写真絵はがき)〕

六月二十八日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(土畑鉱山倶楽部の写真絵はがき)〕

六月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(徳山小学校の写真絵はがき)〕

七月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(紀伊田辺・奇峡巖の写真絵はがき)〕

七月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(ルノアール筆「カーニュのテラース」の絵はがき)〕

七月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

こととり消せるかどうかと、来合わせた紀さんと一緒に駒込まで行ったらもう移牒してあるとのこと。咲枝はおろおろするたちなの

そしたら入院するというさわぎです、駒込へ。あすこはカンづめになり何週間の規定の時日はかえれないのよ。

全く疲れてかえったらその騒ぎで亢奮して又駒込まで私としての全速力でかけつけたりしたから、ひどくつかれてね、

七月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(広島市庁の写真絵はがき)〕

七月十七日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(山の風景画の絵はがき)〕

七月十七日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(セザンヌ筆「パイプを咥えた男」の絵はがき)〕

七月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(比治山公園旧御便殿(広島)の写真絵はがき)〕

七月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(土畑鉱山従業員居住地の写真絵はがき)〕

七月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(ウラジロモミの写真絵はがき)〕

七月二十六日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(ウラジロモミの写真絵はがき)〕

七月二十六日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(富田溪仙筆「迅瀬の鵜」、「梢の鶯」の

七月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(光琳筆「群鶴図屏風」の絵はがき)〕

七月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(江の島名勝 稚児ヶ淵の写真絵はがき)〕

七月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(江の島の写真絵はがき)〕

八月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(鎌倉由比ヶ浜海水浴場の写真絵はがき)〕

八月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(香港 Flower street の写真絵はがき)〕

八月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(江の島七里ヶ浜の写真絵はがき)〕

八月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(鎌倉建長寺の写真絵はがき)〕

八月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(箱根宮之下の写真絵はがき)〕

八月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(レマン湖の写真絵はがき)〕

八月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(箱根大涌谷の写真絵はがき)〕

八月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(箱根芦之湖の写真絵はがき)〕

八月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(モンブランの写真絵はがき)〕

八月六日夕 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(伝光茂筆「浜松図屏風」の絵はがき)〕

八月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(伝光茂筆「浜松図屏風」の絵はがき)〕

八月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(Fishing Village, Paslr Panjang S. S.

八月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(八千代橋畔の秋色〈箱根〉の写真絵はがき)〕

八月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(江の島の写真絵はがき)〕

八月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(鎌倉長谷観音の写真絵はがき)〕

八月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(日光五重塔の絵はがき)〕

八月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(箱根芦ノ湖の写真絵はがき)〕

八月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(土田麦僊筆「罰」の絵はがき)〕

八月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月八日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(青森林檎畠の写真絵はがき)〕

九月八日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(西沢笛畝筆「十和田湖と三羽浦秋色」の絵はがき)〕

九月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(史蹟開成館の写真絵はがき)〕

九月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(開成山の中條阿部両氏の記念碑と銅像の写真絵はがき)〕

九月十日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(カーフ筆「静物」の絵はがき)〕

十月十一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(電報)〕

十一月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(ブーダン筆「海辺」の絵はがき)〕

十一月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(ユトリロ筆「雪のエグリーズ」の絵はがき)〕

十一月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(池部鈞筆「池」の絵はがき)〕

十一月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(小山敬三筆「高山雪景」の絵はがき)〕

十一月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

目白

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顔までかぶると云うわけでもなかったのです。年始に目白の先生が来た時その話をしたら、寒すぎて頭がジンとし

『人間の歴史』、目白から貰ったけれどまだよみません。「私」と云うものを知らないと

お客様の数は、目白のお医者夫妻とペンさんと位のものでしたが、食堂のテーブルは

を自分のなかに生んでいて、それは生活環境が目白とちがうことと結びついて、やっぱり一つの新しい面を自分のうちにひらき

は不思議な感じね、すっかり面変りがしていますから。目白もそうよ。

もあるが、決してさしつかえなく、いく分改良して居ります。目白のお医者様に寿江子からきいてもらったら、よく分らないが、あっそれ

れます。(ここまで書いたら夕飯、そのあとへ久々で目白のお医者が見えました。私のグミ頭や顔がしびれるようなの

不平均だからの由)全く意味ないというので、目白のお医者さんが地方へ出かけるので、そちらをしらべて見てくれるそう

目白のお医者様などは子供三人、おばあさん、その他小さい家に

になりました。こんなところ覚えていらっしゃいましょうか。いつか目白のお医者さんからかりた『時計の歴史』と『ラバジエ伝』どうなり

でかえりました。菊富士に部屋もっていた頃、目白へかえるのに大塚終点までよく来たので、独特な視線であのあたり

公価がきまって、面白いのよ。来てくれた人は目白の先生の紹介で律気な人だもんだから、一冊一冊大体発行

。その人柄の底を見せられました。あのとき細君は目白の家の二階で、何と慟哭したでしょう。そして、身をしぼる

にやってみて壕が余り冷えるので、きのうは、目白でベッドに使っていた板を提供して底にしきました。大変

てゆくのですって。人手がないからと云って。もう目白にいた時分から。予約ものを中途半端にしたりしてすこしけしからぬこと

今度の経験は目白なんかで暮していた時のケロリと又ちがって、気分の荒らされた

東京

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なってしまうかも知れないわね。今年の夏ばかりは東京にいる勇気がありません。あなたもおおめに見て下さるでしょう。

なとき、私はそういう名士は実に願い下げですし、東京では、ともかく命がけの形で、身元もわかった人間になっているの

(四) 東京貯蓄銀行丸の内支店から、タンポで、島田へお送りした額の十倍

行った上林のせきやあたりへ行きます。夏の間は東京に居ない方がよいと思いますから。

こちらだって戒厳的混乱は生じ得ますから。もう私は東京をはなれるのに所轄へことわって行けばそれだけでいいのだそうですし

ヵ月半ほど信州へ行って一寸かえって、改めて東北の方の東京人の入りこまない地方の人が鍋釜もって行くようなところへ行って九

の上林のせきやを問い合わせ中です。これとてもあなたが東京をはなれたって意味ないとお考えなら、ひとりできめて意気ごんでいる

。後者のことは物を書く人間に生れて来て、東京がそういう経験をするとき、そこから静安だけを求めて、どこへか

って行きましょうね、六月になると、うちの女史は東京と田舎とちゃんぽんに暮すのですって。夏どこへ行くか、なかなか決定出来

知れないが、働かなければ食えないということのない、東京にいなければならないというのでもない、戦争へ行かなければなら

ます。銀座で何も実質的買物をする必要のない人々が東京に何十万といます、だから、銀座なんかが真先にがらんとするの

を東京に移動させたらいいかもしれませんね。東京ではいいことだけを期待して来るお客様は実につらいものです、お

から、そんなのでもこの際一緒にして親戚話を東京に移動させたらいいかもしれませんね。東京ではいいことだけ

いう学校が東京にだけあるのではないでしょうし、やっぱり東京へ出しておくというところに親の情愛があるのかもしれないが

やっても中将とかいて来るのよ。そういう学校が東京にだけあるのではないでしょうし、やっぱり東京へ出しておくというところ

からそれ迄に田舎へのおみやげをもって行きましょう。東京でみると、あちらの女の人たちはみんな周ちゃんに似て線が

居ります。男の子へはオモチャ。おばあさん御自身にだって東京みやげがほしいでしょう。何しろあのお年で、元気とは云ってももう二

てありがたく思います。しかしそれ迄に私としては、東京に生れ、そしてここに育った者としてとれる自然な方法が少しは

ゆくことをとっているのでもわかります。私は幸東京に生れた家があるのだから、その点はより便宜に円滑に処し

たちが、安穏に食えそうな故郷をみなはなれて、東京で埃っぽい生活ながら自分の生活を営んでゆくことをとっているので

ます。それは一つの身の謹しみですからね。東京から来て、のりまわしている、という感じがしたら、そのさもしさで

になって、世間並ならマア避暑というところを、結局東京にいて、暑いわねとあなたに云っているのが、やっぱり自然だ

この夏、東京にいたのは、何とよかったでしょう。十三日の電報を、もし

わけです。昨夜、国男一ヵ月ぶりに帰京しました。東京のじっとり暑いのに参ると云って、きょうは長い顔をしておとなしゅうござい

は用事をぬきにしたって、私として何ヵ月も東京を離れる心持になれないところもあったわけです。一年近く御無沙汰した

兄さんとお父さんとが北京へ行って、「家財をとりまとめ」東京へ帰って来て、若い未亡人はお里と嫁家と半々に暮すこと

ました。技師だったの。そしたらこの六月、東京へ帰任する決定で、最後の出張をして小さい村にある事務所にとまっ

音楽学校の卒業式がこの三日間つづけてあり、それが東京の上野の音楽学校最後の卒業式となります。女子の方の学校はどう

小売やが出版するのは原則としてなくする由です。東京堂、三省堂、その他どうなるわけでしょうね。大したことです。文学者はどう

高見順がこの頃『東京新聞』に「東橋新誌」という小説をかいて居ります。このひと

は淡雪がふっていて私の髪にかかりました。東京の雪というと、いつも思い出すのは歩道の横にのけられている雪

、在るかどうかのぞみうすです。絶版とのことです、東京、三省、郁文などききましたが。うちにわるい英露があります、お

は、かこまれる危険が多いのです。私はいずれにせよ東京の外へ出て暮そうとは考えませんから、猶更よく準備したい

びっくりしてしまった、本やが変ったのには。東京堂は、ぐるりの本棚ね、あすこへよりつけないように台を並べて

銀座

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の夜の外はどんなでしょう、それはそれは暗いって。銀座なんて初めてですからさぞおどろくでしょう。

通って銀座へ出ました。これも何年ぶりかの銀座ですが、やっぱりいろいろとおどろきました、オリンピックで、のむものなど二種しか

の角へ出る道と通じて居ます。そこを通って銀座へ出ました。これも何年ぶりかの銀座ですが、やっぱりいろいろと

寂しくなったということはしばしば聞いたが、そのことで銀座の本質が示されて居ると云った人はありません。生活のしみじみ

銀座なんかが真先にがらんとするのは自然のなりゆきです。銀座が寂しくなったということはしばしば聞いたが、そのことで銀座の本質

のない人々が東京に何十万といます、だから、銀座なんかが真先にがらんとするのは自然のなりゆきです。銀座が寂しくなった

日常的でずっと健全であり人間らしさを保って居ます。銀座で何も実質的買物をする必要のない人々が東京に何十万といます

云われていたけれど、全く強い印象をうけました。銀座の表通りのような都会的消費の町は、こういうときほんとうに早く表情を

かふつうでない――用心する瞬間の気になる、そんな銀座がわかるでしょうか。殆どすべての店は厳重に表戸をおろして居ります、

光りに照らされた安全地帯と、月光で互の顔を見分ける銀座二丁目とをあなたに想像お出来なさいましょうか。安全地帯の端の赤い標識

青山一丁目

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た。欅みたいな葉だったけれど。ぐるりと墓地下から青山一丁目へぬける新道が出来て、もとは墓地裏の谷間を電車が通ってい

上野

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とは何とちがったでしょう。でも、今日は東京駅も上野も互に近づきました。そして荷物として動く荷物は、世界中似て

いたけれどほかに日はないしペンさんつれて、先ず上野松坂やへゆき、岩本御主人のネクタイを買い、初めて省線、小田急にのって

動物的と云えば、上野に住んでいた猛獣たちは市民の平安のため処置されました。

学校の卒業式がこの三日間つづけてあり、それが東京の上野の音楽学校最後の卒業式となります。女子の方の学校はどうなの

目黒

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島田のお母さんの御上か下かでしょう? そこの息子が目黒かどこかの無電学校に来ていて、よく来たいと云って来る

渋谷

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親の情愛があるのかもしれないが、あのゴタゴタの渋谷辺うろついて、と思います。いい身分なのね、でもきっと下宿で

池袋

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エソになりました。神経疲労位であったら大助かりです。池袋へは来週のうちに参ります。母も眼の障害と内臓の病気は

でしょう。寿江子は眼も悪くなって来ていて、近く池袋の近藤という眼科の人のところへ二人で行きます。あの人は遠視

護国寺

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かえりました。出かける頃もうポツポツしていたのが、護国寺でのりかえるときは相当になり、団子坂で降りたらザアザアなの。もう古び

大塚

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菊富士に部屋もっていた頃、目白へかえるのに大塚終点までよく来たので、独特な視線であのあたり眺めました。山

照らされて電車は動かず、王子の方へゆく電車で大塚まで出て市電でかえりました。菊富士に部屋もっていた頃、

お茶の水

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会ったこともないのよ、今度行けば初対面なの。お茶の水出の人ですって。案外、マアと云われたりするのかも知れない

神保町

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の。六法は、ここでも冨山房でも三省堂でも神保町の方の角でももう売切れです。困ったと思います、これからは

きのうはあれから、裏の電車で神保町行きのあるのを思い出し、六法、早い方がいいと思って、初めて神田

神田

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のを思い出し、六法、早い方がいいと思って、初めて神田へ行きました。びっくりしてしまった、本やが変ったのには

田端

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わたしたちのぐるりにあるこの静寂はどうでしょう。時計のチクタクと田端の方の汽車の音だけ。それに私がこうやって話しているペン

由比ヶ浜

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日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(鎌倉由比ヶ浜海水浴場の写真絵はがき)〕