処女の木とアブ・サルガ / 野上豊一郎
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支配していたので、エルサレムに入ることを避け、ガリラヤへ遁れてナザレに住むことになった。
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。ヘロデには多くの妻妾があった。マリアムネの死後はサマリアのマルタケが閨房の勢力を独占していた。エルサレムの王宮は陰謀と策動
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すでに荒廃して王都ではなかった。その頃の首府はアレクサンドリアで、しかもパロはとっくに存在しなくなって居り、エジプトはローマ帝国の領土
エジプトの土地を離れるまで消えなかった。数日の後、アレクサンドリアからイタリアの汽船でロードスへ行く時も、まだそのしみが気になって、
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もそういう場所であっただろうし、エジプトへ来て、バビロンのカーンの片隅に夜露を避けていたというのもそういう事情からで
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びとの王」として生れた赤ん坊を拝もうと思い、エルサレムまで行くと、それを聞いて王ヘロデはひどく心を傷め、その赤ん坊に嫉妬
恐るべきアケラオ(アケラオス)が支配していたので、エルサレムに入ることを避け、ガリラヤへ遁れてナザレに住むことになった。
の名義を貰い出し、前三七年(三十七歳)にはエルサレムを手に入れ、以後三十四年間、都城を改修して其処に住んでいた
呼ばれる海角に大規模の築港をしたり、改造したエルサレムの町に大劇場を建てたり、それに隣接して円形競技場を設けたり、
まで見送っての帰りに、ダマスクスから道をユダヤに取ってエルサレムに訪ねて来た。アリストブルスの母アレクサンドラは衷情を披瀝して息子の身の
ヘロデを呼び寄せて詰問した。その時ヘロデは王妃マリアムネをエルサレムに残して出発し、腹心の部下の者に命じて、もし自分の一身上に
はサマリアのマルタケが閨房の勢力を独占していた。エルサレムの王宮は陰謀と策動の巣窟となり、血で血を洗うような事件が
へ東方の博士たちが救世主出現の星の跡を追うてエルサレムを通り過ぎたので、赤ん坊のキリストを殺そうと考え、その所在がわからなくなっ
ヨハネが蘇えったのだろうといった。最後にキリストがエルサレムに来て、パリサイ人の奸計に陥り、捕えられてローマの太守ピラトの前
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カイロに着いた翌日、町の北東五マイルほどの郊外にある昔のヘリオポリス(
カイロでは今一つマリアとキリストの遺跡を見た。
ニルの上流地方から帰って来てからだったが、カイロの町を南へはずれ、ローダの島を右に見て、ニルを遡りつつ
中庭を後でクリプトの形に改修したのであろう。カイロの町の古い部分の市場へ行って見ると今も見られるが、カーンと
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とヘロデを思い出し、ヘロデのことを思うと帝国建設前後のローマを思い出すのは、私だけの癖だろうか。実際、その頃の地中海沿岸は
だけの癖だろうか。実際、その頃の地中海沿岸は、ローマの世界だった。ケーサルの斃れた後、ローマの勢力はアントニウスとオクタヴィアヌスに二
沿岸は、ローマの世界だった。ケーサルの斃れた後、ローマの勢力はアントニウスとオクタヴィアヌスに二分されていたが、アクティウムの海戦(
一方、ヘロデは初めからローマに依存してユダヤを支配していた。ケーサルの暗殺者カシウスが地中海東部を
、天下の形勢の推移にも見通しが利き、エジプトにもローマにも秋波を送っていたが、ローマが世界を支配するだろうことをば逸早く
、エジプトにもローマにも秋波を送っていたが、ローマが世界を支配するだろうことをば逸早く予感していた。しかし、アントニウスとオクタヴィアヌス
彼は、ローマ人がギリシア的な生活様式にあこがれたように、ローマ的な生活様式にあこがれ、自分もしばしばローマへ行き、二人の上の息子をば長く
あこがれたように、ローマ的な生活様式にあこがれ、自分もしばしばローマへ行き、二人の上の息子をば長くローマに留学させていた。都市
、自分もしばしばローマへ行き、二人の上の息子をば長くローマに留学させていた。都市を改造し、大建築を起したのも
いた。都市を改造し、大建築を起したのもローマに傚ってであった。例えば、サマリアを改造してセバステと改名したり、
弟)は、ヘロデが次第に老齢に入ったので、ローマから呼び返された。彼等は母系の血統のために人民に人気があった
の血統のために人民に人気があった。けれども長くローマの生活に馴れて、ユダヤ風ではなかった。それが却って父の自慢で
エルサレムに来て、パリサイ人の奸計に陥り、捕えられてローマの太守ピラトの前に引かれると、ピラトは彼をヘロデの手に渡した
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た翌日、町の北東五マイルほどの郊外にある昔のヘリオポリス(日の町)の遺跡にウセルトセン一世の建てたエジプト現存第一の大オベリスク
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たので、エルサレムに入ることを避け、ガリラヤへ遁れてナザレに住むことになった。