獄中への手紙 05 一九三八年(昭和十三年) / 宮本百合子
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ので(35歳)その仕度のため、(郵船のある横浜へ家をもつので)出かけて大さわぎをやっていて、迚もその気に
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この手紙は、伊豆の東海岸のいかにも晴れた日光を受けながら、つちやという宿の八畳の
面白かった。バスの女車掌さんが皆説明して呉れる。伊豆が金山で有名で幕府(徳川)の経済をまかなっていたとか、運上
たとか、運上山というのが見えたりして。伊豆はなかなか幕末の舞台でしたから。曾我兄弟の父河津氏の所領がその名
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ノーベル賞を貰います。カウツキーという人は八十四でアムステルダムで(ウィーンからうつって)死んだ。ローランが大戦のときノーベル賞を受けました。その祝い
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さまがこしらえて、後生大事に膝にのせておかえりです。靖国神社の臨時大祭には(十九日)二百万の人出であったそうで、私が
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五十二分で立ち午後の二時すぎこっちへ着きました。網代からバスで伊東まで、そこで又のりかえてバスがいかにも伊豆らしい柔かい枯草山
日目。九日にはね、午後〇時何分かに網代について、すぐそこからバスで伊東下田行が出かかっているのだが熱川
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の変遷を考え、一種異様な感がします。昨今、王子に近い志村の町に工場がどっさり建つ。その地形のために泥をナラす
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ひとのために実によくつくしてやりました。それから九州の兄の家へかえってそこでも自分が思っていたよりはよく扱われ
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降り出して、それでもどうやら電車で来られて、音羽へさしかかったら、折から野間清治の葬式で、講談社の前は電車一停留場の
ば自分で知って居り、又思い出すでしょうから。この人は音羽に住んでいる由です。
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この間の大雨の被害四億の由。東海道阪神の被害のひどさは汽車から見て実におどろきました。舞子のところ住吉
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私がそちらから帰ってから、Tさんと二人でお出かけで歌舞伎座。浅草のレビューか何か見ていらした(それは前日だった)。二十
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『タイムズ』の文芸附録が今度スコットランドの現代文学の特輯を出しました。歴史的な小説をかく婦人作家が二人いる
小説をかく婦人作家が二人いることがはじめてわかりました。スコットランドはその自然の景観から、独特なロマンティシズムをもっている由。では又。
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ロンドンから雑誌のようなものは二十日ほどで来ます。あなたのお手紙が十七
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。バスの女車掌さんが皆説明して呉れる。伊豆が金山で有名で幕府(徳川)の経済をまかなっていたとか、運上山と
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来ている。野原のおばさんも来て、克子さんが大阪でお嫁にゆくことになり(汽車会社の設計につとめている技手か何
か)その結納の百円がいるので、明晩私が大阪で二時間ほど途中下車し克子さんにわたしてやるために、相談をしていらっしゃる
は明朝九時五十何分かにここを立ち七時に大阪へおりて十時にのりつぎ、十四日朝かえります。十五日にはお目
どうかお考えおき下さい。大森のひとの経費は、大阪につとめている弟さんが支払うことになって居る由です。
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が来て五時すぎてしまった。そのうち、ひさ、戸塚へゆく時間で出かけいよいよ二階へ上ったら到頭十時まで一息に眠ってしまい
臥てしまっているので、きのうは午後から太郎をつれ戸塚へまわって達坊とおかあさんとを誘い、家で七時まで遊んでそれから
留守の間おひささんは戸塚へ手つだいに行っていて、一日に一遍ずつ見まわりに来て居まし
いることでしょう。机の上に、三日のおひな様のとき戸塚の花やで買って来た見事なアネモネがさしてあって、それは一昨日
十九日は戸塚へ行っていろいろ話し、新宿のムーランルージュへつれられて行った。ここはいろいろ
〔前略〕昨日あれから戸塚へまわりました。おなかペコペコで御飯をたべ、終ったら鶴さんがやって来
少いでしょう! 林町(これも折々)、あと栄さん、戸塚。ごくたまに重治さん。
が仕立ものをもって来ました。今年はあのひとが戸塚に来たので、どてらの直しや何かたのめて、レコード破りのポンポコに
の九月ごろだったか公判のために上京して、戸塚の下宿にいました。ちょいちょい出入りしていて、お金にこまり、ぜひ東京
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私たちは十五日ごろにかえるでしょう。一九三一年の二月ごろ湯河原に一ヵ月ばかりいたことがある。肝臓のために。大宅さんだの隆二
大宅さんだの隆二さんだのが遊びに来て一緒に湯河原の小山にのぼったことがある。こっちの方が海気があるから一層心持が
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考え、一種異様な感がします。昨今、王子に近い志村の町に工場がどっさり建つ。その地形のために泥をナラす。下から
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のことです。氷菓子だそうです。この辺の子供は、東北地方のようにとうもろこしや枝豆はたべないのですってね。こういうものをたべる由
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あけてよんで、国府津などにも持って行った例のベルリン製の紙トランクに入れて又こっち迄持って来、今はやはりこの紙の
ようなものであった。金はある、子供である。ベルリンにはヴィクトリアという日本人の税関と称するカフェーがある(西洋のカフェーは或とりひき
或とりひき場)。ヨーロッパ戦後である。一九二九年に私がベルリンの国立銀行の広間の人ごみの裡にいたら、ちらりといかにも見たよう
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明日は、お迎に行って、一寸休んで、淀橋へ行って、時間と疲れがくり合わされれば、午後にでもそちらへ行けたら
がともかくあったりした時期。五月から十月下旬まで淀橋。この間に『冬を越す蕾』が出版されたわけです。翌年の
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きのうはバスで二時間ばかりかかって下田へ行って見ました。実のお吉で食っている。吉田松陰先生の住ん
て講義したという、ベン天島というのも小さい。下田の町からはずれた柿崎というところ。ハリスのいた寺、お吉がカゴで
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きのうはかえって来てから、その小さい本を送り出して、ニューヨークの出版屋へカタログ請求の手紙をかいて、夜は『家族』の最後の部分
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花に風というと皆は今日思わず笑うが、特に関東地方では全く、花は風にもまれるために咲くようですね。フィリップという
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汽車にも沢山のって居りました。もし私のいるうち宇品からでも出るようでしたら、お母さんのお伴をして送りにゆきましょう。
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は其々に合衆国の生んだ現代の婦人の一タイプです。マドリードの「パッショナリア」という名を得ている婦人と共に。これはラテン人で
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のつまったような気持で出て、空気が吸いたくて神楽坂まで歩いて田原屋で御飯をたべました。それから歩いて稲ちゃん死んだ
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達ちゃんは元気で炭鉱のある、そして有名な石仏のある大同の兵舎にいるそうです。日本人の商人も居り、茶わん一ヶ八十銭の由
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は、お赤飯をふかさして栄さんのところを(丁度小豆島から妹さんとその娘――小さなの――が来ているから)ユリちゃん
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て通り、フト 田 という字が見えるので、岩田へ来たかと、逆によみ直したら島田なのでびっくりして、ふくら
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ローマの法王庁の或祝祭で、法王が立っている最上の段階まで大理石の数千
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※北隆館月報
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この間の大雨の被害四億の由。東海道阪神の被害のひどさは汽車から見て実におどろきました。舞子のところ
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で居られます。折角いらしたのだから上野、浅草、明治神宮、日比谷、エノケンからデパートまでおともしました。きのうきょうは、もと十条にい
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光子さんが三ヵ月に亙る岩手と北海道の絵の旅からかえって来て、きのうから泊っています。今風呂に入っ
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を作家クラブにもなし得ぬ。卵橋(ポンヌフ)の河岸につらなるパリの十六世紀からの住居の美もあり得ない面白いものではありませんか
でしょう、とにかく弾くという技術では日本人の女の子が十七でパリのコンクールで一等をとるようになって来たから。芸術が生れるのは
している人で、近頃何とかいう映画監督と(パリにいた)結婚した。井上園子のピアノと全く正反対で、音色もテムペラメント
愛嬌の下に無理解以上の反歴史性をためこんだ。そしてパリにかえって、そのへどを吐いた。歴史はその一方にこのへどを称して
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ていい。そして豊富にあつめてあって、こんなのと、オックスフォードと、市河の古語があれば、まあ大抵の役には立つのでしょう。非常
でしょう。もっとも旦那さんの方は外務省からですが。ケンブリッジとオックスフォードで能の講演をする由です。ギリシア文学の知識で、この人は欧州人
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二科は琉球流行でね。いろんな人が藤田嗣治その他琉球の布、人物、風景を描いている。木綿がなくなることから琉球の絣、
布、人物、風景を描いている。木綿がなくなることから琉球の絣、染に人の懐古的目が向けられた。それもありましょう。
においてある、赤土素焼の二匹の狗と虎の尾は琉球の女の人の土産もの。
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午後の二時すぎこっちへ着きました。網代からバスで伊東まで、そこで又のりかえてバスがいかにも伊豆らしい柔かい枯草山や海やを
、電話料二十銭。二十銭わたしてバスにのったら、伊東まで相当ある。伊東は乾いたようなあまりに風趣のない町に見えた。
。二十銭わたしてバスにのったら、伊東まで相当ある。伊東は乾いたようなあまりに風趣のない町に見えた。伊東から又下田行
は乾いたようなあまりに風趣のない町に見えた。伊東から又下田行で熱川まで一時間余。すっかりで二時間余です。山の
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あり。午後四時頃まで実に晴れ渡って、沖を宇部へ通う曳船が重く並んで通るのが見え、水無瀬島の方もよく見え、
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によってノーベル賞を貰います。カウツキーという人は八十四でアムステルダムで(ウィーンからうつって)死んだ。ローランが大戦のときノーベル賞を受けました
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煙を濠々立てている。その煙とはるか海の彼方の三原山の噴火の煙とが同じ一直線の上に在るように、ここからは眺められ
の真上に一つの雲のかたまりが止っていて、三原山の煙が一寸ねじくれ乍ら真直のぼって、その雲との間に柱のように
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らデパートまでおともしました。きのうきょうは、もと十条にいた本間さんに来て貰って、布団を新しくして、昨夜からはそれにおより
本間さん(もと十条にいた)が仕立ものをもって来ました。今年はあのひとが戸塚に来たので、
。ドンドン売り家が出ている。近年なかった現象です。十条の方などでは女工さん「帰ってあんた眠るだけですもの、一部屋へ三人ぐら
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三十日は二年目の父の命日で、雨のなかを青山墓地へゆき、花のどっさり飾られているお墓に参りました。この前
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丸善の方もちゃんと命じました。松山高校へも出しました。私のやりかたは可笑しくてすぐやってしまう分
のあとは四人目でお上さんの住所は分りかねるそうです。松山の学校は指田町というところにあるのですかしら。あさってあたりおめに
それから、かねがねの宿題の返事がやっときました。松山高校内菊池用達組販売部という紫のゴム印をおして。鉛筆をなめ
松山の方のことは島田からの手紙でもお判になったことと思っ
ときの写真や松山へ行っていたときの写真や、松山へはじめて行くとき着て行った絣の着物まで知って居りますよ。絣
あなたの赤坊のときの写真や小学生のときの写真や松山へ行っていたときの写真や、松山へはじめて行くとき着て行った
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体のためにも、気分の落付きにもよろしいでしょう。広島というせわしない町の、ごみごみした一隅へ急に移ってはどうかと
でいて、寝台もとれなかったので、くたびれて、広島からのりかえてすいた車にのったら眠くて眠くて柳井線は眠って通り
ないから。八日午後二時四十何分かの汽車で広島まで行って、昨夜は宿やにとまるのだそうです。きょう(九日
。隆治さんは明け方の三時三十何分かの汽車で広島にいる達治さんの面会に出かけている。野原の先に普賢様という
達ちゃんの食べるのを見物して、十一時三十五分で広島を立ち、こちらに二時ごろかえりつきました。お母さんは御自分の目で
汽車で広島にゆきました。お母さんのお伴をして。広島の第二高等小学校に駐屯していて、十五日頃には渡支する
十二日には、朝六時五十五分の汽車で広島にゆきました。お母さんのお伴をして。広島の第二高等小学校に
広島という市は、戦争で次第に繁栄して来た都市です。独特な
などもして三十五日までいることになるでしょう。きのうは広島のTさんが又金銭上のしくじりをやったらしく、行方不明だとかで
達ちゃんには、近日慰問袋を送ります。広島へおかたみ分けを買いに出たときに。
きょう野原の叔母さん富ちゃんと一緒に広島へゆかれました。金談のため。お手紙にあることは、口が
昨夜野原の小母さんがおそく広島から戻って島田の方へ泊られたので、多賀ちゃんは夜番にあっち
見ると室積では鯖が十何万疋とれてこれから又広島へそれを運ぶ、一寸よってお昼をたべているのだが、トラック
こんなお天気で広島へよるのも大変でしょう。私のコートをおかししてあるから、いくらか
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十六日 一昨日から昨日の雨は、山陽線の岡山よりすこし手前のところで土砂崩壊による列車テンプクを起し、二重衝突が
と涙とごっちゃに、大してきれいでもないハンカチで拭きながら岡山あたりを揺られていらっしゃる様子が目に浮びます。東京見物は冨美ちゃんが卒業
昨夜は、夕飯がすんだとき、さち子さんが岡山の栗をもって来たので、小母さまがそれをむいて、私
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福岡に(入りぐち)おりをという寺があって中気のための名灸
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と大童で火夫をやったり何かしています。京都神戸雨の水害あり、こっちもグズグズの天気でそれかと云って降らずに
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かこうと大童で火夫をやったり何かしています。京都神戸雨の水害あり、こっちもグズグズの天気でそれかと云って降らず
「暗夜行路」の主人公謙作が京都で鳥毛立屏風の絵にあるような女(この絵覚えていらっしゃるかしら。
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』に発表しました。このお祖父さんというのが千葉の佐倉の堀田の何かひっぱりがあり、脱藩した形式で塾をひらい
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長崎書店『療養夜話―胃腸病の新療法』
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へ使をやって袷をかりて着せて。入れちがいに、甲府の方の人がよって、立派な黒っぽい葡萄を二房くれました
甲府から来た人の話で、その人は果樹をやっているのですが
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「御免下さい。」おとなりの細君が玄関に来た。福島の白河辺の人というふれこみです。良人に死なれて十八九の
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社会が動いているから、あっちでもいろいろの心持でしょう。巴里で金持と女子供は皆避難したときは大分特別な経験もしたらしい
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中野区昭和通一ノ一三です。
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一月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(中村研一筆「朝」の絵はがき)〕
一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
あなたの御存じの時分より倍は高くなりました。銀座から目白まで雨だと一円以下では来ません。夜淋しすぎるところに住ん
一月三十一日夕 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
たらさぞ美しいでしょう、黄色いナラの林があって)省線で目白へかえって来ました。すこし乗物ばかりで残念ですが、やっぱりよかった。
二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
が雨を吹きつけていて、ガラスのところから眺めると、目白の表通りにある三本の大きい欅の木が揺れる房のように見えて
二月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月五日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
私はこちらに十四五日頃までいるつもりです。目白はひさとその友達で留守番をして居ります。きのうは組合のひとが出発
五月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月四日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき)〕
六月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき)〕
七月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十六日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月四日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月六日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月八日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十日午後 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕
八月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
きのう、目白で省線を下り、駅前の市場の中にある郵便局で早速中村善男(自注
九月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十八日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
目白の駅を下りたら十時すこし過で、あの野っぱらの真中できいた空襲
九月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十九日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
きょうはおひるをたべて目白へかえります。渡辺町へまわろうとしたら留守故。
九月二十五日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
、それ一つだけがどこにも入らない。Tちゃんが目白へかえって来たとき、おや洗面器をもって来たのかしらと思って見
十月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月三十一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
になる迄、田舎の送金がなくなったからという理由で目白に来て、二月まで二ヵ月いた。二月に職業を見つけて
目白へ家をさがした心持は、思い出一しおの故です。Sさんはその
十一月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十二日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十五日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十八日夕 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月五日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
下宿代が送られなくて家がなくなったとさわいで、目白へ一緒に来たわけです。あのこと、このこと、ちょいちょい違って私が
十二月十日午後 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
の変化が多かった。ああいう生活らしい色彩を帯びて。目白での手紙は、生活が統一されて一筋のものの上にあると
はっきり区別をして。島田にいるとき自分の書く手紙、目白にいて自分のかく手紙、父がいた時分の自分の手紙。それぞれ
十二月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
。「伸子」の終りの部分については、元の目白の家でも一寸ふれられたことがありました。覚えていらっしゃるでしょうか
十二月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
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一月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(中村研一筆「朝」の絵はがき)〕
一月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(山と水辺と村の風景の絵はがき
一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月三十一日夕 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 伊豆熱川温泉つちやより(つちや旅館の絵はがき)〕
二月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 熱川温泉つちや別館より(封書)〕
二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月五日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
印象をうけて来ました。中川一政の昔の画集に巣鴨の昔のそこの附近を描いたものがあったりして独特の味を
四月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県熊毛郡島田村より(封書)〕
五月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
五月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月四日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき)〕
六月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
六月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(はがき)〕
六月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
六月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
六月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県熊毛郡光井村より(封書)〕
六月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
六月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
六月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
七月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
七月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
七月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県徳山駅より(「徳山市毛利公邸桜の一部」の
七月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき)〕
七月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十六日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月四日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月十六日(巣鴨へ引越しての第一信)
八月六日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月八日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十日午後 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕
八月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十八日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十九日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月二十五日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
をたべて、午後は、勉強か、お客か。用事で巣鴨からじかによそへ廻るか。夕飯六時―六時半。それからこのごろは
十月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月三十一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十二日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十五日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十八日夕 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月五日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十日午後 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 慶応義塾大学病院より(封書)〕
十二月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 慶応大学病院より(封書)〕
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一月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(山と水辺と村の風景の絵はがき)〕
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でうれしいと思います。あしたは防空演習だけれども午後は神田へ行って、およろこびのしるしとしていいものを買って頂きます。
金曜日は実に面白かった。あれから神田へまわって東京堂へゆき字引などいろいろしらべてフラリと出て専修大学の方向
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価はあなたの御存じの時分より倍は高くなりました。銀座から目白まで雨だと一円以下では来ません。夜淋しすぎるところ
がしました。かえりに太郎も加えて同勢五人、銀座の松喜という牛肉をたべさせる家で夕飯をたべました。この店に
たそうで、私が外苑や銀座を御案内したら、銀座の風景は全くふだんとちがっていて、黒紋付を着て、ホオに
日)二百万の人出であったそうで、私が外苑や銀座を御案内したら、銀座の風景は全くふだんとちがっていて、黒紋
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そしたら雪になって来て、寿江と私とだけ日比谷で車を降りて二人で雪の中の公園をあっちこっち歩き、非常にいい
られます。折角いらしたのだから上野、浅草、明治神宮、日比谷、エノケンからデパートまでおともしました。きのうきょうは、もと十条にいた
た。二度目のときは七時すぎで、そのときは日比谷の公会堂の二階にいました。おひさ君と並んで。舞台で
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上り屋敷の駅から所沢まで武蔵電車で行って、バスで国分寺へ出て(この間はなかなかよい、大雪だったらさぞ美しいでしょう、黄色いナラ
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これはもう東京。ひどい風が雨を吹きつけていて、ガラスのところから眺めると、目白
私たちは十五日の午後に熱川を立って夕方東京にかえりました。十三日の私の誕生日はよい天気で、寿江子はスケッチ
。清三郎さん大元気です。おひさ君本当にやがて一年東京に暮すことになります。早いものね。さち子さんがお手紙をもって
も見えないが、花なんかやっぱりあるのでしょうね。ヨーロッパと東京にこの頃肺気腫の患者が殖えて来る傾向なのでしらべたら、アスファルトの微細
わけですがどうだったろうかしら。体が腺病質なので。東京の小学校では、体によって肝油をやっています(金を払っ
たら、後から私は涙がこぼれそうでたまらなかった。東京からクレオソート丸を千粒ほど、キニーネを二百粒、クリームとなっている一
困りらしいし。こちらの物価は二三割上ってはいるが、東京程多角的に生活に迫って来ないようすで、こちらの景気はどうですか
て東からすこし肌寒い風が吹いてくる。きのうのラジオで東京は平年よりずっと冷える由。工合はいかがですか。冷えをお腹に引込まない
にして実にためになりました。回教徒のモスクが東京のどこかに新たに建てられて、その教徒のための学校が別
、只夜ひやっこい東風が吹くだけだったので、いかにも東京から遠くはなれていることを感じました。きょうはお母さんも汗をおかきでしょう
昨夜のニュースで、東京が大雨だと知り、こちらは一昨日から晴天つづきで、只夜ひやっこい東風
ノ言渡ヲ相受ケ候処昭和十三年八月四日東京刑事地方裁判所検事局ヨリ被告人妻ユリニ対シ右罰金ノ納付方請求有之、妻ユリハ
東京拘置所在監
東京刑事地方裁判所
※東京堂月報一ヵ年予約のこと
前便のタテの封筒がいかにもいや。東京堂と丸善とへ出かけるから、そこで何か見つけて、それから出すこと
国男さん、安積へ誘うが、やっぱり行きません。東京の日々の暮しで、きっちり習慣をつけてしまわないうちから動くと心配です
も米材なり)都市としての江戸の形成の過程と東京の変遷を考え、一種異様な感がします。昨今、王子に近い志村
拭きながら岡山あたりを揺られていらっしゃる様子が目に浮びます。東京見物は冨美ちゃんが卒業祝に、と云ったりしていたのに、
ないでしょうか。生活の習慣というものは可恐ものです。東京の町を歩くのに、小母さまは、いつも我知らず右手を八ツ口から
ロシア語の人物は、きょうお話しした通り。間接に、今東京にいず、鵠沼辺に住んでいることなどきいています。これから
。富雄さんの気分も一転して明るくなったそうです。東京にすこしいて、今までとちがう雰囲気にふれたのは大層よかったらしく、
コートをぬいで、下着をうすくして、それから三省堂、東京堂、丸善、本店をまわって今かえったところ。
その代りに一杯語学勉強の本を並べて居ります。東京堂へ行って、「地名人名辞典」をきいていたら、見知らない
ました。ちょいちょい出入りしていて、お金にこまり、ぜひ東京にいたいというので、私はすこし助ける意味で、新聞の切ぬき
さて、きのうはあれから東京堂へゆきました。『新支那現勢要覧』は持っていないし、
金曜日は実に面白かった。あれから神田へまわって東京堂へゆき字引などいろいろしらべてフラリと出て専修大学の方向へ行ってい
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この間三四日何と暖たかだったでしょう。東中野のところに在る三越の青年寮の大きい桜は、八重だのにもう七
下落合駅のところを道普請していて、すこし広い道が東中野から聖母病院の坂まで貫通しかけています。工事のはじまったのは
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になっている箇所があって、それを手入れするぎり。お茶の水の文部省附属の方へ行きました。父もよく通っていた。そこ
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親たちと私とは一昨日春陽展を上野で見ました。木村荘八、中川一政、石井鶴三、梅原龍三郎の諸氏の
何か色の絵はがきを送って上げたいと思って、上野では暫く見たがろくなのがないからやめてしまいました。
原っぱを横切って通りに出て、一寸林町へよって、上野の松坂やへ出かけて下着などを買いかえると、いねちゃんが待っていて
、可哀想にくすんで居られます。折角いらしたのだから上野、浅草、明治神宮、日比谷、エノケンからデパートまでおともしました。きのうきょうは
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十九日は戸塚へ行っていろいろ話し、新宿のムーランルージュへつれられて行った。ここはいろいろ今日の社会相を笑い
にないから虫にくわせまいとして。夕方ひさと栄、新宿に出かけ、寿江もいず、のろのろとして風呂をたいて入った。
出かけようというとき鶴さん一寸一緒に新宿へ出ようと云い、私はおみやげのバタ、稲ちゃんは不二やでお菓子
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さは汽車から見て実におどろきました。舞子のところ住吉のところなど、線路のところへ山が岩と松とをのせて流れ出した
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月曜日には出かけます、ここからは池袋へ出てバスで、全体二十五分ぐらいでゆけるから。今日何か一寸
きのうは、出てから池袋の駅でプラットフォームを間違えて、長いこと来ない方向の電車を待ってい
きのう、きょう、朝出かけは裏の上り屋敷から池袋まで出ることにして見ました。省線駅の段々がなくて、これ
はじめた欅の梢など眺めながら電車を待ってのって、池袋。そこからバスで消防前。野っぱらが日毎に秋枯れて来て、夏
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いました。やっと気がついて別の方へ行って有楽町まで行って、用をすまして伊東屋であなたからの手紙を整理するため
で数寄屋橋の先まで出て、お寿司をたべて、有楽町からかえりました。
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市ヶ谷からの第一信から昨年一杯までの注文された本の総数は
でコーヒーをのむのに(鶴さん)つき合って、それから市ヶ谷へ行ったら六時ごろです。
の家へ越した年の十二月初めに、夕刊で、市ヶ谷へいらしたことがわかった。その晩あわてて、着物買ったり何か栄
――一九三五年五月から一九三六年春にかけて百合子が市ヶ谷にいた間の顕治に対する差入状態。
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12)が、弱くてよくそのことを云っていて、信濃町を辛がっていたが、きのう上り下りをして見て、本当にそれ
年は十月頃まで林町に暮しました。それまで東信濃町に住んでいた国男夫婦が林町へうつって来た。父は、それ
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布団が不足しているし、それらの買物に早いうち日本橋の西川へ行きました。塗った箱枕、うちに一つもない。先
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にくすんで居られます。折角いらしたのだから上野、浅草、明治神宮、日比谷、エノケンからデパートまでおともしました。きのうきょうは、もと
そちらから帰ってから、Tさんと二人でお出かけで歌舞伎座。浅草のレビューか何か見ていらした(それは前日だった)。二十日
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です。明治大学出? か何かの若い人。私に西巣鴨で会ったことがあるという話の由。私は、ではあの人
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。大河内の科学主義工業の調査の方です。80円。京橋へ通う。朝八時ですから六時頃おきる。妻君はそれですこし参る