念仏の家 / 小寺菊子
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正月末、源義経主従十七人が山伏の姿となつて奥州へ落去の途次、京都堀川を忍び出て、越前に入り、安宅の関を
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像を祀つて運座の会が開かれたりすることは、富山市と変りがなく、私の父もその水橋の旧家に生れた一粒種の青年
柄売薬を業としてゐたが、明治十一年ごろ富山市に移り、前田藩の士族で、祖父は町奉行、父は和歌俳諧の先生を
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なつて奥州へ落去の途次、京都堀川を忍び出て、越前に入り、安宅の関をすぎ、倶利伽羅峠をこえて、越中に入り、水橋
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方をよつぽど好きだつた。だが、彼は加賀の医学専門学校へ入つてから底なしの放蕩者になり、私の父にもさん/
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川を渡つた――といふ史話がある。鎌倉時代、富山城より二十四年おくれて、小さな城が築かれ、天正六年に姉崎和泉守が
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川を渡つた――といふ史話がある。鎌倉時代、富山城より二十四年おくれて、小さな城が築かれ、天正六年に姉崎和泉
さんは今どちらにお住居ですか? たしか大分前から富山にゐられるときゝましたが……」
どこへ行つても人は隠すものだつた。私は富山の寺にある墓の話をはじめた。
、私どもはどないにでもお守りをしますけれどね、富山にありますとね、どうしてもわざ/\行くことが出来ません
て、夕方再び汽車に乗り、三里さきの我生れ故郷富山に向つた。
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人が山伏の姿となつて奥州へ落去の途次、京都堀川を忍び出て、越前に入り、安宅の関をすぎ、倶利伽羅峠をこえ
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にして東京へ出てしまつた。そのあひだに金沢の医学専門学校に入つてゐたこの医者とも、ちよつと関係したものらしいの
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田舎で安全な生活をしようなどゝいふ心は毛頭なく、東京へ出て勉強したい願ひで、十七歳の少女は一杯だつたので
と、窃かな哀感が私の胸にしみた。たとへ、東京へ出ないとしても、私には只規丁面でこち/\
ぢきに又新しい恋愛に陥り、英さんを置き去りにして東京へ出てしまつた。そのあひだに金沢の医学専門学校に入つてゐ
紅くした。お房さんといふのは、私を初めて東京へつれて来てくれた私の従姉である。十五の時家老の二男
「若いときやお互ひさ、君だつて東京へ行つてからどんなことがあつたか分らんからね。今の旦那さん
なほさずにしまふんぢやないかと私思ふわ。東京でも今仏教復興と云つて騒いでるけど、科学の力が進歩するほど
んですが、兄貴が丈夫になつたら、僕も一つ東京へ出て、何か自分の仕事がしてみたいと思つてゐるん