ふるさと / 島崎藤村
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と挨拶しました。美濃の中津川といふ町の方から、いろ/\な物を脊中につけて來て呉れる
いへば、小さな翫具の鞄でした。それは美濃の中津川といふ町の方から翫具の商人が來た時に、祖母さんが買
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極くお天氣の好い日には、遠い近江の國の伊吹山まで、かすかに見えることがあると、祖父さんが父さんに話して呉れた
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御嶽參りが西の方から斯の木曾の入口に着くには、六曲峠と
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夏らしくなると、鈴の音が聞えるやうに成ります。御嶽山に登らうとする人達が幾組となく父さんのお家の前を通るの
村のはづれに當つて居ます。馬籠の驛まで來れば御嶽山はもう遠くはない、そのよろこびが皆の胸にあるのです。あの白い着物
御嶽山の方から歸る人達は、お百草といふ藥をよく土産に持つて來
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『長野縣西筑摩郡木曾神坂村』とその木の標柱には書いてあるの
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子供が片足づゝ揚げて遊ぶことを、東京では『ちん/\まご/\』と言ひませう。土地によつては
東京で『ネツキ』といふ子供の遊びのことを父さんの田舍では『
ましたがその歳の秋に祖父さんのいゝつけで、東京へ學問の修業に出ることに成りました。父さんは友伯父さんと一緒
『二人とも東京へ修業に行くんだよ。』
と伯父さんに言はれて、父さんは子供心にも東京のやうなところへ行かれることを樂みに思ひました。父さんより三つ
今から思へば祖母さんもよくそんな幼少な兄弟の子供を東京へ出す氣になつたものですね。その時の父さんは今の末子
この東京行は、父さんが生れて初めての旅でした。父さんが荷物の用意と
『お前が東京へ行く時には、この鞄へ金米糖を一ぱいつめてあげますよ。』
小さな鞄に金米糖を入れてもらつて、それを持つて東京に出ることを樂みにしたやうなそんな幼少な時分でした。
祖母さんは、おせんべつのしるしにと言つて、東京へ出る父さんのために羽織や帶を織つて呉れました。
で本を讀まうといふ祖父さんのことですから、父さんが東京へ行つてから時々出して見るやうにと言ひまして、少年のために
『これは大事にして置くがいゝ。東京へ行つたら、お前の本箱のひきだしにでも入れて置くがいゝ。』
そんな山の中の子供のやうな髮をして行つて東京で笑はれては成らないと、お家の人達が言ひました。
東京をさして學問に行かうといふ頃の友伯父さんも、父さんも、まだ
側で鳴きました。長いことお馴染の友伯父さんが東京へ行つてしまふので、お家の鷄もお別れを惜んで居たの
に呼んだり呼ばれたりします。いよ/\父さん達が東京行の日もきまりましたので、お隣りのお勇さんの家で
。この人は父さん達と違ひまして、眼の療治に東京まで出掛けるといふことでした。なにしろ父さんはまだ九歳の少年でした
伯父さんに附いて東京へ行く父さんの道連には、吉さんといふ少年もありました。吉
『いよ/\東京の方へ行くんですか。私も大きくなつてお前さんを待つて居
『お揃ひで、東京の方へお出掛けですか。』
父さんが東京へ出る時分には、鐵道のない頃ですから、是非とも木曽路を歩かなけれ
、祖母さんが呉れてよこした金米糖です。わたしはこれから東京へ修業に行くところですが、この棧橋まで來るうちに、金米糖も大分すくなく
父さんが東京へ行く話をしましたら、お猿さんも羨ましさうに、
にある古い石でもよく見て行つて下さい。これから東京へお出になりましたら、その石に發句が一つ彫つてあつ
父さんは伯父さんや吉さんや友伯父さんと一緒に東京行の馬車に乘りまして、長い長い中仙道の街道を晝も夜も乘り
た。いくら乘つても乘つても、なか/\東京へは着かないものですから、しまひには父さんも馬車に退屈しまして
、父さんも、どんなに幼少い子供だつたでせう。東京行の馬車の中には、一緒に乘合せた他所の小母さんもあり