破戒 / 島崎藤村

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根津

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考へて見れば、亡くなつた場処は、西乃入か、根津か、其すら斯電報では解らない。

『むゝ、根津には君の叔父さんがあると言つたツけねえ。左様いふ叔父さんが

。早く斯の川の上流へ――小県の谷へ――根津の村へ、斯う考へて、光の海を望むやうな可懐しい故郷の空を

、妻君も、弁護士も。『瀬川君、いづれそれでは根津で御目に懸ります――失敬。』斯う言つて、再会を約して行く

の間に黒ずんで見えるのは柿の梢か――あゝ根津だ。帰つて行く農夫の歌を聞いてすら、丑松はもう胸を騒がせる

あゝ、自然の胸懐も一時の慰藉に過ぎなかつた。根津に近けば近くほど、自分が穢多である、調里(新平民の異名)で

父は人目につかない村はづれを択んだので、根津の西町から八町程離れて、とある小高い丘の裾のところに住んだ。

、俺は斯の牧場の土と成りたいから、葬式は根津の御寺でしねえやうに、成るなら斯の山でやつてお呉れ。

検屍も済み、棺も間に合ひ、通夜の僧は根津の定津院の長老を頼んで、既に番小屋の方へ登つて行つたと

かねて父が考へて居たことで。といふは、もし根津の寺なぞへ持込んで、普通の農家の葬式で通ればよし、さも無かつ

西乃入に葬られた老牧夫の噂は、直に根津の村中へ伝播つた。尾鰭を付けて人は物を言ふのが常

有るらしく、『つかんことを伺ふやうですが、斯の根津の向町に六左衛門といふ御大尽があるさうですね。』

来たからと、蓮太郎に誘はれて、丑松は一緒に根津の旅舎の方へ出掛けて行つた。道々丑松は話しかけて、正直なところを

軈て二人は根津の西町の町はづれへ出た。石地蔵の佇立むあたりは、向町

一軒、根津の塚窪といふところに、未だ会葬の礼に泄れた家が有つて、

弁護士の出張所も設けて有る。そこには蓮太郎の細君が根津から帰る夫を待受けて居たので。蓮太郎と弁護士とは、一寸立

らしい。そこは抜目の無い、細工の多い男だから、根津から直に引返すやうなことを為ないで、わざ/\遠廻りして帰つて

した、と丑松は自分で自分に尋ねて見た。根津の人、または姫子沢のもの、と思つて居るなら自分に取つて

瀬川君は小諸の人ぢや無いでせう。小県の根津の人でせう。』

江の島

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様子で見ると、高柳夫婦は東京の方へ廻つて、江の島、鎌倉あたりを見物して来て、是から飯山へ乗込むといふ寸法らしい。

諏訪湖

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丑松が佐久小県あたりの灰色の景色を説き出すと、銀之助は諏訪湖の畔の生れ故郷の物語を始める、丑松が好きな歴史の話をすれば、

梓川

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多くの山獄の峻しく競ひ立つのは其処だ。梓川、大白川なぞの源を発するのは其処だ。雷鳥の寂しく飛びかふといふの

佐渡

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癖は少許も見えなかつた。そも/\は佐渡の生れ、斯の山国に落着いたは今から十年程前にあたる。善に

田中

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田中から直江津行の汽車に乗つて、豊野へ着いたのは丁度正午すこし過

豊野の停車場で御一緒に成つて、それから私が田中で下りる、貴方も御下りなさる――左様でしたらう、ホラ貴方も田中で御

、貴方も御下りなさる――左様でしたらう、ホラ貴方も田中で御下りなさる。丁度彼の時が御帰省の途中だつたんでせう

飯山

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の窓に倚凭つて眺めると、銀杏の大木を経てゝ飯山の町の一部分も見える。さすが信州第一の仏教の地、古代を眼前に

年齢の春。社会へ突出される、直に丑松はこの飯山へ来た。それから足掛三年目の今日、丑松はたゞ熱心な青年

目の今日、丑松はたゞ熱心な青年教師として、飯山の町の人に知られて居るのみで、実際穢多である、新平民である

思へば他事では無い。長野の師範校時代から、この飯山に奉職の身となつたまで、よくまあ自分は平気の平左で、普通の

に居た。斯人は郡視学が変ると一緒にこの飯山へ転任して来たので、丑松や銀之助よりも後から入つた。学校

笹屋とは飯山の町はづれにある飲食店、農夫の為に地酒を暖めるやうな家で、

』と敬之進は手酌でちびり/\始め乍ら、『君が飯山へ来たのは何時でしたつけねえ。』

飯山を離れて行けば行く程、次第に丑松は自由な天地へ出て来た

『そんなら、瀬川さんは今飯山に御奉職ですな。』と弁護士は丑松に尋ねて見た。

には談話も能く聞取れないことがある。油のやうに飯山あたりの岸を浸す千曲川の水も、見れば大な谿流の勢に変つ

血潮が胸を衝いて湧上るやうに感じた。今は飯山の空も遠く隔つた。どんなに丑松は山の吐く空気を呼吸して、

、『懴悔録』の広告を見つけた時の喜悦から、飯山の雑誌屋で一冊を買取つて、其を抱いて内容を想像し乍ら下宿

『して見ると、瀬川君はあの男と一緒に飯山を御出掛でしたね。』

奈何思ふね、彼の男の心地を。これから君が飯山へ帰つて見たまへ――必定あの男は平気な顔して結婚の披露

『あ、ちよと、瀬川君、飯山の御住処を伺つて置きませう。』斯う蓮太郎は尋ねた。

『飯山は愛宕町の蓮華寺といふところへ引越しました。』と丑松は答へる

ことですから、まだ奈何なるか解りませんがね、若し飯山へ出掛けるやうでしたら是非御訪ねしませう。』

する。何処まで行つても安心が出来ない。それよりは飯山あたりの田舎に隠れて、じつと辛抱して、義務年限の終りを待たう。

なつて見ると、唯もう茫然するやうなことばかり。つまり飯山へ帰つて、今迄通りの生活を続けるより外に方法も無かつたので

船場迄行つて、便船は、と尋ねて見ると、今々飯山へ向けて出たばかりといふ。どうも拠ない。次の便船の出るまで

つて、江の島、鎌倉あたりを見物して来て、是から飯山へ乗込むといふ寸法らしい。そこは抜目の無い、細工の多い男だから、

た。誰が其を知らう。窓から首を出して飯山の空を眺めると、重く深く閉塞つた雪雲の色はうたゝ孤独な穢多の

手間取れた為に、凡そ三時間は舟旅に費つた。飯山へ着いたのは五時近い頃。其日は舟の都合で、乗客一同

言はれぬ可懐しさが湧上つて来る。丑松は久し振りで飯山の地を踏むやうな心地がした。

、蓮太郎夫婦に出逢つたこと、別れたこと、それから飯山へ帰る途中川舟に乗合した高柳夫婦――就中、あの可憐な美しい穢多の

があるだらうと思ふよ。まあ、君と斯うして飯山に居るのも、今月一ぱい位のものだ。』

として熱心に集ふのを見ても、いかに斯の飯山の町が昔風の宗教と信仰との土地であるかを想像させる。

法話の第二部は、昔の飯山の城主、松平遠江守の事蹟を材に取つた。そも/\飯山

遠江守の事蹟を材に取つた。そも/\飯山が仏教の地と成つたは、斯の先祖の時代からである。火のやう

をば甥に譲り、六年目の暁に出家して、飯山にある仏教の先祖と成つたといふ。なんと斯発心の歴史は味の

白隠に関する伝説を主にしたものであつた。昔、飯山の正受菴に恵端禅師といふ高僧が住んだ。白隠が斯の人を尋ね

といふ高僧が住んだ。白隠が斯の人を尋ねて、飯山へやつて来たのは、まだ道を求めて居る頃。参禅して教

其処を飛出したのである。思案に暮れ乍ら、白隠は飯山の町はづれを辿つた。丁度収穫の頃で、堆高く積上げた穀物

今に家々の軒丈よりも高く降り積つて、これが飯山名物の『雪山』と唄はれるかと、冬期の生活の苦痛を今更の

さうです。和尚さんが学校を退くことに成つて、飯山へ帰る迄の私の心配は何程だつたでせう――丁度、今から

うちに四尺余も降積るといふ勢で、急に飯山は北国の冬らしい光景と変つたのである。

この大雪を衝いて、市村弁護士と蓮太郎の二人が飯山へ乗込んで来る、といふ噂は学校に居る丑松の耳にまで入つた。

の追憶は丑松の胸の中に浮んで来た。この飯山へ赴任して以来のことが浮んで来た。師範校時代のことが浮ん

社会研究を発表したこと、それから長野へ行き斯の飯山へ来る迄の元気の熾盛であつたことなぞを話した。『実に我輩

弁護士の言ふには、丑松も今となつては斯の飯山に居にくい事情も有らうし、未亡人はまた未亡人で是から帰るには男の

でも都合の好いやうに致しませう。一日も早く飯山を発ちました方が瀬川君の為には得策だらうと思ふんです。

は弁護士と銀之助とに頼んで置いて、丑松は惶急しく飯山を発つことに決めた。

志賀

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た。上田の停車場で別れてから以来、小諸、岩村田、志賀、野沢、臼田、其他到るところに蓮太郎が精しい社会研究を発表したこと

浅間

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広野、湯の丸、籠の塔、または三峯、浅間の山々、其他ところ/″\に散布する村落、松林――一つと

鹿沢温泉

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囲ひもしてある一軒屋。たまさか殿城山の間道を越えて鹿沢温泉へ通ふ旅人が立寄るより外には、訪ふ人も絶えて無いやうな

上町

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上町の古本屋には嘗て雑誌の古を引取つて貰つた縁故もあつた。丁度

へて、今朝斯の客が尋ねて来たこと、宿は上町の扇屋にとつたとのこと、宜敷と言置いて出て行つたこと

の名前も演題も一緒に書並べてあつた。会場は上町の法福寺、其日午後六時から開会するとある。

長野

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いふ格につけられて、学力優等の卒業生として、長野の師範校を出たのは丁度二十二の年齢の春。社会へ突出さ

すべての穢多の運命である。思へば他事では無い。長野の師範校時代から、この飯山に奉職の身となつたまで、よくまあ

信州高遠の人。古い穢多の宗族といふことは、丁度長野の師範校に心理学の講師として来て居た頃――丑松が

は一番早く昔を忘れた。官費の教育を受ける為に長野へ出掛ける頃は、たゞ先祖の昔話としか考へて居なかつた位で。

もとより銀之助は丑松の素性を知る筈がない。二人は長野の師範校に居る頃から、極く好く気性の合つた友達で、丑松が

が無かつたとか。其様なことが面白くなくて長野を去るやうになつた、なんて――まあ、師範校を辞めてから、

を聞いたことが有ましたツけ。彼の先生が長野に居た時分、郷里の方でも兎に角彼様いふ人を穢多の中

世を隔てたかの心地がする。丑松はまた、あの長野の師範校で勉強した時代のことを憶出した。未だ世の中を知ら

磊落な調子で言つた。『私は市村です――只今長野に居ります――何卒まあ以後御心易く。』

溶いて丑松の背中へつけて遣り乍ら、『僕がまだ長野に居る時分、丁度修学旅行が有つて、生徒と一緒に上州の方へ出掛け

その聴衆が実に真面目に好く聞いて呉れましたよ。長野に居た新聞記者の言草では無いが、「信州ほど演説の稽古を

はあ――尤も、佐久小県の地方を廻つて、一旦長野へ引揚げて、それからのことですから、まだ奈何なるか解りませんが

青年の踏み留まるべきところでは無いと奮慨してよこした。長野の師範校に居る博物科の講師の周旋で、いよ/\農科大学の

やつたら、阿爺も君、非常に喜んでね、自身で長野迄出掛けて来るさうだ。いづれ、其内には沙汰があるだらうと

『瀬川君、奈何です、今日の長野新聞は。』

『長野新聞?』と丑松は考深い目付をして、『今日は未だ読んで

『長野の寺院に居る妹のところへ遣りたいのですがね、』と奥様は

ますから――』斯う言つて、気を変へて、『長野の妹も直に出掛けて来て呉れましたよ。来て見ると、

ところに蓮太郎が精しい社会研究を発表したこと、それから長野へ行き斯の飯山へ来る迄の元気の熾盛であつたことなぞを話し

は、猶々一同驚き呆れた。丑松はまた奥様から、妹が長野の方へ帰るやうに成つたこと、住職が手を突いて詑入つたこと

其日、長野の師範校の生徒が二十人ばかり、参観と言つて学校の廊下を往

は丑松の紹介で、始めて未亡人に言葉を交した。長野新聞の通信記者なぞも混雑の中へ尋ねて来て、聞き取つたこと

小諸

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―主に少年時代からの境遇にある。そも/\は小諸の向町(穢多町)の生れ。北佐久の高原に散布する新平民の種族の中

、其恐怖の情はふたゝび起つて来た。朦朧ながらあの小諸の向町に居た頃のことを思出した。移住する前に死んだ母親

教員が自分と同じ地方から来たといふことである。小諸辺の地理にも委敷様子から押して考へると、何時何処で瀬川の

見ると、これから市村弁護士は上田を始めとして、小諸、岩村田、臼田なぞの地方を遊説する為、政見発表の途に上るの

てすら、丑松はもう胸を騒がせるのであつた。小諸の向町から是処へ来て隠れた父の生涯、それを考へると、

山でやつてお呉れ。俺が亡くなつたとは、小諸の向町へ知らせずに置いてお呉れ――頼む。」と斯う言ふ

のも、山で葬式をして呉れと言ふのも、小諸の向町へ知らせずに置いて呉れと言ふのも、畢竟るところは

一夜は斯ういふ風に語り明した。小諸の向町へは通知して呉れるなといふ遺言もあるし、それに移住

果で有るのと、種々な臆測を言ひ触らす。唯、小諸の穢多町の『お頭』であつたといふことは、誰一人とし

は其を見ると、瀬川の家の昔を思出した。小諸時代を思出した。亡くなつた母も、今の叔母も、克く其の『

製造とは、斯の部落に住む人々の職業で、彼の小諸の穢多町のやうに、靴、三味線、太鼓、其他獣皮に関したもの

て見ると細君は東京の家へ、蓮太郎と弁護士とは小諸の旅舎まで、其日四時三分の汽車で上田を発つといふ。細君

ものに是非談話をして呉れなんて――はあ、今夜は小諸で、市村君と一緒に演説会へ出ることに。』と言つて、

『未だ校長先生には御話しませんでしたが、小諸の与良といふ町には私の叔父が住んで居ます。其町はづれ

『一寸待ちたまへ。瀬川君は小諸の人ぢや無いでせう。小県の根津の人でせう。』

を丑松に話した。上田の停車場で別れてから以来、小諸、岩村田、志賀、野沢、臼田、其他到るところに蓮太郎が精しい社会研究

東京

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といふは、猪子蓮太郎の病気が重くなつたと、ある東京の新聞に出て居たからで。尤も丑松の目に触れたは、

の病気見舞と同じものに成つて了つた。『東京にて、猪子蓮太郎先生、瀬川丑松より』と認め終つた時は、深く/

出して、『実は新聞で見ました』から、『東京の御宅へ宛てゝ手紙を上げました』まで、真実を顔に表し

の海岸まで旅したことを話した。蓮太郎は又、東京の市場で売られる果実なぞに比較して、この信濃路の柿の新しい

毎日の夢であらう。孔雀の真似を為る鴉の六左衛門が東京に別荘を置くのも其為である。赤十字社の特別社員に成つ

ところへ娘を呉れたところで何が面白からう。是から東京へでも出掛けた時に、自分の聟は政事家だと言つて、

。細君は深く夫の身の上を案じるかして、一緒に東京の方へ帰つて呉れと言出したが、蓮太郎は聞入れなかつた。

のは三時間しか無かつた。聞いて見ると細君は東京の家へ、蓮太郎と弁護士とは小諸の旅舎まで、其日四時三分

成ればいくらでも事業は出来ますわ。あゝ、一緒に東京へ帰つて下されば好いんですのに。』

『つまらないことを言ふなあ。それで一緒に東京へ帰れと言ふのか。はゝゝゝゝ。』と蓮太郎は快活らしく

。実はね、家内も彼様言ひますし、一旦は東京へ帰らうかとも思ひましたよ。ナニ、これが普通の選挙の場合

はまあ何よりだつた。失礼ながら、奥様は? 矢張東京の方からでも?』

談話の様子で見ると、高柳夫婦は東京の方へ廻つて、江の島、鎌倉あたりを見物して来て、是から

仕方の無いもので、それから三年経つて、今度は東京にある真宗の学校へ勤めることに成ると、復た病気が起りました

が引受けて居て呉れるし、それに先住の匹偶も東京を見たいと言ふもんですから、私も一緒に随いて行つて、三

言つたことを思出した。それから彼の細君が一緒に東京へ帰つて呉れと言出した時に、先輩は叱つたり※したり

られて其同じ門を潜るのである。不取敢、東京に居る細君のところへ、と丑松は引受けて、電報を打つ為に郵便局

つた。猪子君が何と言はうと、細君と一緒に東京へ返しさへすれば斯様なことは無かつた。御承知の通り、猪子君

志保は口籠つて、『あの、猪子さんの奥様が東京から御見えに成るさうですね。多分その方へ。ホラ市村さんの御宿

は法福寺の老僧が来て勤めた。其日の午後東京から着いたといふ蓮太郎の妻君――今は未亡人――を始め、弁護士

するからして、あの蓮太郎の遺骨を護つて、一緒に東京へ行つて貰ひたいが奈何だらう――選挙を眼前にひかへさへし

の心を動したのであつた。行く/\は東京へ引取つて一緒に暮したい。丑松の身が極つた暁には自分の

ても、決して上らうとはしない。いづれ近い内に東京へ出向くから、猪子の家を尋ねよう。其折丑松にも逢はう。左様いふ

語り聞せた。一人、相応の資産ある家に生れて、東京麻布の中学を卒業した青年も、矢張其渡航者の群に交つたこと

『いづれ復た東京で逢はう。』と丑松は熱心に友達の顔を眺める。

引受けて貰ひ、それから例の『懴悔録』はいづれ東京へ着いた上、新本を求めて、お志保のところへ送り届けることにしよう

上野

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上野行の上り汽車が是処を通る迄には未だ少許間が有つた

渋谷

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大学の頭ですらも。それから守は宗教に志し、渋谷の僧に就いて道を聞き、領地をば甥に譲り、六年目の暁

千曲川

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今である。雪の来ない内に早く。斯うして千曲川の下流に添ふ一面の平野は、宛然、戦場の光景であつた

、いづれも仕事を急ぎ初めた。今は夕靄の群が千曲川の対岸を籠めて、高社山一帯の山脈も暗く沈んだ。西の空

つたものさねえ。変遷、変遷――見たまへ、千曲川の岸にある城跡を。彼の名残の石垣が君等の目にはどう

たりして、無限の感慨に沈み乍ら歩いて行つた。千曲川の水は黄緑の色に濁つて、声も無く流れて遠い海の

一昨年の夏帰省した時に比べると、斯うして千曲川の岸に添ふて、可懐しい故郷の方へ帰つて行く丑松は、まあ自分

は丑松の眼前に展けた。それは広濶とした千曲川の流域で、川上から押流す泥砂の一面に盛上つたところを見ても

ないことがある。油のやうに飯山あたりの岸を浸す千曲川の水も、見れば大な谿流の勢に変つて、白波を揚げて

一つとして回想の種と成らないものはない。千曲川は遠く谷底を流れて、日をうけておもしろく光るのであつた。

展けて居た。青白く光る谷底に、遠く流れて行くは千曲川の水。丑松は少年の時代から感化を享けた自然のこと、土地の

千曲川沿岸の民情、風俗、武士道と仏教とがところ/″\に遺した中世

夕飯の用意にと、蓮太郎が宿へ命じて置いたは千曲川の鮠、それは上田から来る途中で買取つたとやらで、魚田楽に

うちに、いつの間にか丑松は広濶とした千曲川の畔へ出て来た。急いで蟹沢の船場迄行つて、便船は

の雲は対岸に添ひ徊徘つた、広濶とした千曲川の流域が一層遠く幽に見渡される。上高井の山脈、菅平の高原、其

斯うして茫然として、暫時千曲川の水を眺めて居たが、いつの間にか丑松の心は背後

千曲川の瀬に乗つて下ること五里。尤も、其間には、ところ

れて、幽に鶏の鳴きかはす声が聞える。千曲川は寂しく其間を流れるのであつた。

何時の間にか丑松は千曲川の畔へ出て来た。そこは『下の渡し』と言つて、

、何の結末もつかなかつた。長いこと丑松は千曲川の水を眺め佇立んで居た。

時丑松の耳に無限の悲しい思を伝へた。次第に千曲川の水も暮れて、空に浮ぶ冬雲の焦茶色が灰がゝつた

二の鐘はまた冬の日の寂寞を破つて、千曲川の水に響き渡つた。軈て其音が波うつやうに、次第に拡つ