ある女の生涯 / 島崎藤村
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本物のキ印を見ることを恐れた。午後に、熊吉は小石川方面から戻って来た。果して、弟は小間物屋の二階座敷におげんと
小石川の高台にある養生園がこうしたおげんを待っていた。最後の「
ていた。その時になって見て、おげんはあの小石川の養生園から誘い出されたことも、自分をここの玄関先まで案内して来
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、弟の行先が気になった。ずっと以前に一度、根岸の精神病院に入れられた時の厭わしい記憶がおげんの胸に浮んだ。旦那
はそういうけれど、私の勧めるのは養生園ですよ。根岸の病院なぞとは、病院が違います。そんなに悪くない人が養生のため
思っていた婦人の顔は、よく見ればずっと以前に根岸の精神病院で世話になったことのある年とった看護婦の顔であった
て行って、一緒に窓の戸を開けて見た。根岸の空はまだ暗かった。
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で、是非とも東京の空まではとこころざしていた。東京には長いこと彼女の見ない弟達が居たから。
は、しばらく蜂谷の医院に養生した上で、是非とも東京の空まではとこころざしていた。東京には長いこと彼女の見ない
た。その時もおげんは家を出る決心までして、東京の方に集まっている親戚の家を訪ねに行ったこともあったが
さすが旦那にも謹慎と後悔の色が見えた。旦那の東京生活は結局失敗で、そのまま古い小山の家へ入ることは留守居の
もめずらしかった、旦那が一旗揚げると言って、この地方から東京に出て家を持ったのは、あれは旦那が二十代に当時流行
の方へ引きかへさせたい。その下心でおげんは東京の地を踏んだが、あの伜の家の二階で二人の弟の
を見物顔なお新も居る。そこはおげんの伜が東京の方に持った家で、夏らしい二階座敷から隅田川の水も見え
煙管なぞを取り出しつつある。二階の欄のところには東京を見物顔なお新も居る。そこはおげんの伜が東京の方に
「東京の兄さん達も何処かで泳いでいるだらずかなあ」
が三番目の弟の熊吉から預った子で、彼女が東京まで頼って行くつもりの弟もこの三吉の親に当っていた。
、にわかに医院の部屋もさびしかった。しかしおげんは久しぶりで東京の方に居る弟の熊吉に宛てた葉書を書く気になったほど、
になった婆やにも暇を告げねばならなかった。東京までの見送りとしては、日頃からだの多忙しい小山の養子の代り
も、一層おげんの心を東京へと急がせた。この東京行は、おげんに取って久しく見ない弟達を見る楽しみがあり、その
と機嫌を損ね易いということも、一層おげんの心を東京へと急がせた。この東京行は、おげんに取って久しく見ない弟
話して悦んで貰うほどであった。そこでいよいよ彼女も東京行を思立った。「小山さん、小山さん」と言って大切にして
、お前は家の方でお留守居するだぞや。東京の叔父さん達とも相談した上で、お前を呼び寄せるで。よしか
「お新や、お母さんはこれから独りで東京へ行って来るで、お前は家の方でお留守居するだぞや
おげんは養子の兄に助けられながら、その翌日久し振で東京に近い空を望んだ。新宿から品川行に乗換えて、あの停車場で降り
に誘われて直次の家を出た。最早十月らしい東京の町の空がおげんの眼に映った。弟の子供達を悦ばせるよう
。そういうことを想って見なけりゃ成りません。私も東京に自分の家でも見つけましたら、そりゃ姉さんに来て頂いても
それだによって、どんな小さな家でもいいから一軒東京に借りて貰って、俺はお新と二人で暮したいよ。お前は直次
頃は妙に心細かった。今度の上京を機会に、もっと東京で養生して、その上で前途の方針を考えることにしたら。そう
娵の言葉までが妬ましく思われたこともあった。今度東京へ出て来て直次の養母などに逢って見ると、あの年をとっ
目の弟の宗太の娘の名だ。お玉夫婦は東京に世帯を持っていたが、宗太はもう長いこと遠いところへ行って
おげんは可成暗い静かな道を乗って行った。彼女は東京のような大都会のどの辺を乗って行くのか、何処へ向って行く
いたおげんの一番目の弟の宗太も、その頃は東京で、これもお玉の旦那と二人で急いで来たが、先着の
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その翌日久し振で東京に近い空を望んだ。新宿から品川行に乗換えて、あの停車場で降りてからも弟達の居るところまでは
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ながら、その翌日久し振で東京に近い空を望んだ。新宿から品川行に乗換えて、あの停車場で降りてからも弟達の居るところ
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おげんは熊吉の案内で坂の下にある電車の乗場から新橋手前まで乗った。そこには直次が姉を待合せていた。直次は
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東京の方に持った家で、夏らしい二階座敷から隅田川の水も見えた。おげんが国からお新を連れてあの家を見