家 02 (下) / 島崎藤村

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満洲

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集まるまいか。どうしても東京に置いちゃ不可……満洲の方にでも追って遣らにゃ不可……今度行ったら、俺がギュウと

居るという達雄の宿まで辿りつくだけの旅費しか無かった。満洲の野は遠い。生きて還ることは、あるいは期し難かった。こうして雄々しい

「姉さん」と三吉はコハゼを掛けながら、「満洲の方から御便は有りますか」

鎖が繋いである。二人はこの石に倚凭った。満洲の方の噂が出た。三吉は思いやるように、

「そう言えば、達雄さんも満洲の方へ行ったそうですネ」

どうも帰って来てくれそうな気がして……満洲へ行って了った……それを聞いた時は、最早私も駄目かと

他の兄弟の話が引出された。お種は、満洲から来た実の便りに、漸く彼も信用のある身に成って、東京

「満洲の父親さんの方へは知らせたものでしょうか……」

樺太

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た。乏しい旅費を懐にしながら、彼は遠く北海道から樺太まで渡り、空しくコルサコフを引揚げて来て、青森の旅舎で酷く煩ったことも

という父の若い時代を可懐しく思った。しばらく彼は、樺太で難儀したことや、青森の旅舎で煩ったことを忘れた。旧い屋根船

武蔵野

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武蔵野の名残を思わせるような、この静かな郊外の眺望の中にも、よく

名古屋

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したいことが有ると言うもんですから、それで私も名古屋の方から廻って来ました」

の方は、新しい事業に着手すると言って、勇んで名古屋へ発って行った。

御話も致しませんでしたが、近いうちに私も名古屋へ参るつもりです。彼方の方で、来ないか、と言ってくれる人が

た。自分で作った日露戦争前後の相場表だの、名古屋から取寄せている新聞だのを、叔父に出して見せて、

正太が名古屋へ発ってから、こうして豊世はよく訪ねて来るように成った。長い

三吉は笑いながら、「何か貴方は心細いようなことを名古屋へ書いて遣りましたネ」

を聞いて、豊世はお雪と微笑を換した。名古屋から送るべき筈の金も届かないことを、心細そうに叔父叔母の前で話し

あれで宅はどういうものでしょう」と豊世は叔父に、「名古屋へ参ります前なぞは、毎日寝てばかりおりましたよ。叔父さんが寝

「名古屋へ私が手紙を出しました序に、『駒形の家は月が好う御座ん

言った。彼女は留守宅を老婆に托して行くこと、名古屋廻りの道筋を取って帰国することなどを、叔父や叔母に話して置いて

自分の生れ故郷へ向うことにした。森彦や正太は名古屋に集っている。序に、帰りの旅は二人を驚かそうとも思った。

ように、その重い音の遠く成るまで聞いた。やがて、名古屋に居る正太の噂を始めた。彼女は幾度も首を振って、「どう

と一緒に一晩そこで泊らせて貰って、一番で名古屋へ発ちたいと言った。こう頼む人を翌朝停車場へ送り届けた時は、三吉

、子供は、三吉の周囲に集った。その日は、名古屋の方に居る森彦、東京に修業中のお延、お絹の噂で持

やはり株式に関係した人の自宅であった。三吉は名古屋へ入って、清潔な「閑所」の多い、格子窓の続いたある町

その時、三吉は、この婦人の口から、正太が既に名古屋の相場で失敗したことを聞いた。この婦人の若い養子も、正太と

して、正太は一緒にこの宿を出た。電車で名古屋の停車場まで乗った。時間はまだすこし早かった。正太は燈火の点き始めた

では、豊世と老婆と二人ぎりで、四月あまりも名古屋の方の噂をして暮した。豊世は十一月末に東京へ引返した

、疲れた。そればかりではない、月々の生活を支える名古屋からの送金は殆んど絶えて了った……家賃も多く滞った……老婆に

二月の末頃、正太は一度名古屋から上京したこともあった。その時は顔色も悪く、唯瘠我慢で

種のような、そういう考えは豊世には無かった。名古屋へ行こうか、それともこの際……いっそ自分の生家の方へ帰って

ありません……最早知ったでしょうよ……幸作さんが名古屋へ出て、宅に逢っていますから。森彦叔父さんだって、漸くこの頃

いう眼付をして、「橋本の母親さんからは、早く名古屋の方へ行って、看病してやっておくれ、と言って来ますし…

いよいよ豊世が名古屋へ発つという前日、駒形の家の方からは、夏火鉢、額、その

惜んで、一晩豊世に泊るように、自分の家から名古屋へ発つように、と勧めた。「どうです。そうなすったら」と彼女が

も、老婆の給料まで悉皆払って行くことは覚束ない、いずれ名古屋から送る積りだ、とも言った。

「豊世さんを一つ嫌がらせることが有る。ホラ、名古屋で正太さんが泊ってる家の主婦さん……シッカリ者だなんて、よく貴方がた

雪も笑わずにはいられなかった。豊世は、いずれ名古屋へ着いたら、日あたりの好い貸間でも見つけて移る積りだと話して、いそいそ

五月の末に、三吉は正太が名古屋の病院に入ったという報知を受取った。間もなく、彼は病院から

。手放しかねる仕事もあり、様子も分りかねたので、名古屋に居る森彦へ宛てて、病人のことを電報で問合せた。都合して来い

という返事が来た。何を措いても、彼は名古屋の方へ行こうと思い立った。それをお雪にも話した。

彼の行商中に万一の事でもあったら、死体は名古屋で焼くように、そして遺骨として郷里の方へ送るように、と頼ん

と言って、彼は昨日から待っていた……この名古屋に、彼の御友達で油絵を描く人がある、その人の描いた画

「や、名古屋へ来て、ここの家の娘の踊を見ないということは無い」

三吉は甥の寝台の側へ寄って尋ねた。名古屋へ着いて三日目の午前の事である。

三吉も、そう長く名古屋に逗留することは出来なかった。午後まで、皆なと一緒に正太の側

旅舎で人々が言い合うのを聞き捨てて、その晩三吉は名古屋を発った。夜行汽車の窓は暗かった。遠い空には稲妻が光って

あった。家では、お雪や親戚の娘達が名古屋の方の話を聞こうとして、彼の周囲に集った。

は雨戸を一枚ばかり開けて見た。正太の死体が名古屋の病院から火葬場の方へ送られるのも、その夜のうちと想像され

江戸

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と正太も立って行って、何となく江戸の残った、古風な町々に続く家の屋根、狭い往来を通る人々の風俗

見て貰いたかった。こういうところへ来て、彼は江戸の香を嗅ぎ、残った音曲を耳にし、通人の遺風を楽しもうとし

北海道

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せなかった。乏しい旅費を懐にしながら、彼は遠く北海道から樺太まで渡り、空しくコルサコフを引揚げて来て、青森の旅舎で酷く煩った

横浜

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、学校の寄宿舎からお幾を呼寄せて、母と一緒に横浜見物をして帰って来た時で、長火鉢の側に煙管を咬えながら、

富士登山

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ああ、ああ、峯公(女教師の子息)も独りで富士登山が出来るように成ったか、して見ると私が年の寄るのも…

駒形

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正太の家は厩橋寄の方であった。その位置は駒形の町に添うて、小高い石垣の上にある。前には埋立地らしい往来

駒形から川について厩橋の横を通り、あれから狭い裏町を折れ曲って、更に

た。豊世は十一月末に東京へ引返したので、駒形の家の方で女ばかりの淋しい年越をした。河の方へ向いた

大阪

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の服装をして、表から入って来た。勉は大阪まで行って来たことから、東京での商用も弁じた、荷積も終った

、福ちゃんの旦那さんです。彼方の方の人達は大阪の商人に近いネ。皆な遣方がハゲしい」

諏訪

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仕度を始めた。姉の様子も心に掛るので、諏訪の方から廻って、先ず橋本の家へ寄り、それから自分の生れ故郷へ

伊豆石

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芽が出ている。隅田川はその座敷からも見えた。伊豆石を積重ねた物揚場を隔てて、初夏の水が流れていた。

厩橋

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、三吉や直樹の住むあたりから見ると、正太の家は厩橋寄の方であった。その位置は駒形の町に添うて、小高い石垣の

両国

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両国の花火のあるという前の日は、森彦からも葉書が来て、お俊やお延は川開に

日延に成った両国の川開があるという日に当った。お俊やお延は、森彦の旅舎へも寄ると言っ

両国に近い三吉の家では、毎年川開の時の例で、親類の娘達を待受けた。豊世も

岸について両国の方へ折れ曲って行くと、小さな公園の前あたりには、種々な人が往ったり

電車が両国の方から恐しい響をさせてやって来たので、しばらく正太の話は途切れた。

ふとその時浮び上るように、三吉の眼に映じた。二人は両国の河蒸汽の出るところまで、一緒に歩いて、そこで正太の方は厩橋行に乗っ

青森

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遠く北海道から樺太まで渡り、空しくコルサコフを引揚げて来て、青森の旅舎で酷く煩ったこともあった。もとより資本あっての商法では

思った。しばらく彼は、樺太で難儀したことや、青森の旅舎で煩ったことを忘れた。旧い屋根船の趣味なぞを想像して

神戸

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「先日、Uさんが神戸の方から出て来まして、私に逢いたいということですから―

、彼は年五十を超えていた。懐中には、神戸の方に居るという達雄の宿まで辿りつくだけの旅費しか無かった。満洲

して、「ホラ、長らく神戸に居ましたろう。何か神戸でも失敗したらしい。トドのツマリが満洲行と成ったんです…

―」と正太は声を低くして、「ホラ、長らく神戸に居ましたろう。何か神戸でも失敗したらしい。トドのツマリが

「神戸に居る間は、未だそうは思わなかったよ……どうも帰っ

長崎

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んです。それでいて、猛烈な感情家でサ。長崎までも行って商売をしようという冒険な気風を帯びた男でサ。

下谷

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「叔父さん、済みませんが下谷の警察まで行って下さいませんか……浅草の警察へは今届けて

て、角に番をしていて下さい。じゃあ私は下谷の警察まで行って来ます」

な場処に人一人通らずサ……あの時、君は下谷の方面を探り給え、僕は浅草橋通りをもう一遍捜してみようッて言って

岐阜

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も笑った。「叔父さん、ホラ、私がこの夏、岐阜の方へ行って、鵜飼の絵葉書を差上げましたろう。あの時、下すった

仙台

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、旧い御馴染」と豊世は受けて、「叔父さんが仙台に被入しった時分、宅のことで書いて寄して下すった手紙

深川

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土地に居着のものは、昔の深川芸者の面影がある。それを正太は叔父に見て貰いたかった。こう

て行った。対岸には大きな煙突が立った。昔の深川風の町々は埋立地の陰に隠れた。正太は川向に住んだ時

東京

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も、漸く山から持って来た仕事を纏めた。早く東京で家を持つように成ろう、この考えは正太の胸の中を往来し

そればかりでは無い。叔父という叔父は、いずれも東京へ集って来ている。長いこと家に居なかった実叔父は壮健で

愛も長い紫の袴を着けて来た。こうして東京に居る近い親類を見渡したところ、実を除いての年長者は、さしあたり森彦

も並んで日に光る程の大きな家の若主人が、東京に出て仮に水菓子屋を始めているとは。加に、若い細君

にお俊ちゃんも、御迷惑でしたろうねえ――さぞ、東京はお暑かったでしょうねえ――」

うちに一度兄貴の家へ集まるまいか。どうしても東京に置いちゃ不可……満洲の方にでも追って遣らにゃ不可……

例の箪笥や膳箱などを送り届けて来た。いずれも東京へ出て来てからの実の生活の名残だ。大事に保存され

て、そこまで送って来てくれました。久し振で東京へ出たら、サッパリ様子が解りません」

、そちらの噂をしない日は無い。お前達の住む東京を、お仙にも見せたい……叔父さんや叔母さん達にも逢わせ

お種がお仙と一緒に東京へ着いた翌々日、正太はその報告がてら、一寸復た三吉叔父の家へ

の時だぞや。碌に記憶があらすか。今度初めて東京を見るようなものだわい」

「姉さん、東京も変りましたろう」

安気で好い。兄さんや姉さんの傍に居られるだけは、東京も好いけれど――」とお仙は皆なの顔を見比べながら言った。

はこういう話を覚えているが――貴方達が未だ東京に家を持ってる時分、お仙が二階から転がり落ちて、ヒドク頭を打っ

「延ちゃんは、もうすっかり東京言葉だ」とお雪も娘達の発達に驚くという眼付をした

て来た。勉は大阪まで行って来たことから、東京での商用も弁じた、荷積も終った、明日は帰国の途に就く

耕す、果樹でも何でも植える、用のある時だけ東京へ出て来る、それだけでも貴方には好かろうと思うんです」

※の兄と連立って、名倉の母が長逗留の東京を去る頃は――三吉は黙って考えてばかりいる人でもなかった

、家、水道、普請中の工事なぞを見て廻った。東京も見尽したと老人は言っていた。

「阿爺さんも――ひょっとすると、これが東京の見納めだネ」

参らず、留守宅のことも案じられ、一日も早く東京へ参りたく候――」

送っているということを話した。お仙を連れて空しく東京を引揚げてからのお種は、実に、譬えようの無い失望の人で

に集った。その日は、名古屋の方に居る森彦、東京に修業中のお延、お絹の噂で持切った。

置いても行かれませんし、そうかと言って、東京の家を畳むのも惜しいなんて言いますし――」

暮方に、三吉は東京へ向けて、夜汽車で発つことにした。叔父を見送ろうとして、

方の噂をして暮した。豊世は十一月末に東京へ引返したので、駒形の家の方で女ばかりの淋しい年越をし

級は違いましたが。私が八つばかりの時に東京へ修業に出される……あの頃は土耳古形のような帽子が

東京から見ると暑い空気の通う二階の窓のところで、兄弟は正太の

の便りに、漸く彼も信用のある身に成って、東京に留守居するお倉へ月々の生活費を送るまでに漕付けたことを

た額が三枚僕の家へ来てる。いずれ僕が東京へ帰ったら、あの中をどれか一枚、君の記念として送り

は無いらしいので、看護を人々に頼んで置いて、東京の方へ帰ることにした。

まで、勉と一緒に子供を連れて出て来て、東京に世帯を持つように成った。

新宿

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も思出したように、「あの時はエラかった。私も新宿まで鶏肉を買いに行ったことが有りました」

吠える声も聞える。そのうちに車が来た。三吉は新宿まで乗って、それから電車で行くことにした。

は、まだ電車は有るらしかった。稲荷祭の晩で、新宿の方の空は明るい。遠く犬の吠える声も聞える。そのうちに車

てみた時は、この娘もぶるぶる震えた。叔父が新宿あたりへ行き着いたかと思われる頃には、ポツポツ板屋根の上へ雨の

甥に留守を頼んで置いて、一寸三吉は新宿の停車場まで妻子を送りに行った。帰って見ると、正太は用事あり

「一寸新宿まで――延と二人で買物に行きました」

は帰って行った。三吉は二人の姪に吩咐けて、新宿近くまで送らせた。

新宿の方角からは、電車の響が唸るように伝わって来る。丁度、彼

長く独りで居られるナア」と思ってみた。電車で新宿まで乗って、それから樹木の間を歩いて行くと、諸方の屋根から

向島

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入れて、キヌカツギなぞを取出しながら、姪と一緒に上野や向島の噂をした。

「アア向島の芸者のことですか」

三吉は笑いながら「向島もどうしましたかネ」

の噂なぞをして見た。二人の間には、向島で意味が通じた。

「いっそ、向島に逢わせてみたらどうです」と三吉は戯れて言った。

のある待合でした。そこへ豊世を連れて行くと、向島も来て変に思ったと見えて、容易に顔を出しませんでし

すると、さすがは商売人だ。人が悪いや。帰りに向島が車を二台あつらえて、わざわざ二人乗の方へ豊世と私を乗せ

「どうです、向島へ一枚出してやろうじゃ有りませんか」

「正太さん、向島にはチョクチョクお逢いですか」と言って見た。

「威勢の悪いこと夥しいんです。向島が私に、茶屋でばかり逢うのも冗費だから、家へ来いなんて…

、そう私が言ってやった……でも、向島も可哀相です……私の為には借金まで背負って、よく私

へ連れてったそうです。根引の相談までするらしい……向島が、どうしましょうッて私に聞きますから、そんなことを俺に相談する

「彼処に会社が見えましょう。あの社長とかが向島を贔顧にしましてネ、箱根あたりへ連れてったそうです。根引の

、私がどうかします、一緒にいらしって下さい、そう向島が言って置いて、チョイト皆さん手を貸して下さいッて、橋の畔

今日はもうどんなことがあっても放さない、そう言って向島が私を捕えてるじゃ有りませんか。今日は駄目だ、紙入には

河蒸汽で吾妻橋まで乗って、あそこで上ると、ヒョイと向島に遭遇しました。半玉を二三人連れて……ちっとも顔を見せない

、湿った屋外の空気が見られる。何となく正太は向島の方へ心を誘われるような眼付をしていた。

「豊世さん――一体貴方は向島のことをどう思ってるんですか」三吉が切出した。

「向島ですか……」と豊世は切ないという眼付をして、「

と思いましたよ。そればかりじゃありません、宅で向島親子を芝居に連れてく約束をして、のッぴきならぬ交際だから

時分――丁度私は一時郷里へ帰りました時――向島が私の留守へ訪ねて来て、遅いから泊めてくれと言ったそう

忙しい思をした。甥が病んでいることを、せめて向島の女にも知らせて遣りたいと思った。言伝でもあらばと

居なかった。幸作も見えなかった。その時、三吉は向島の言伝を齎そうとして、電話で聞かせたことを話しかけた。お

の方へは便りが有りません……」と正太は向島親子が病んでいることを叔父から聞いた後で、言った。「この

上野

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茶を入れて、キヌカツギなぞを取出しながら、姪と一緒に上野や向島の噂をした。

…こりゃあウカウカしちゃあいられない、そう思って、私は上野の方へ独りで歩いて行きました」

電車で上野の停車場まで乗って、一同は待合室に汽車の出る時を待った。老人

浅草

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ませんが下谷の警察まで行って下さいませんか……浅草の警察へは今届けて来ました」

浅草橋

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…あの時、君は下谷の方面を探り給え、僕は浅草橋通りをもう一遍捜してみようッて言って、二人で帽子を脱って別れまし

蔵前

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厩橋の横を通り、あれから狭い裏町を折れ曲って、更に蔵前の通りへ出、長い並木路を三吉叔父の家まで、正太は非常に

浜町

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、三吉は正太と並んで、青物市場などのあたりから、浜町河岸の方へ歩いて行った。対岸には大きな煙突が立った。昔

品川

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。若い時から鍛えた身体だけあって、三吉の家から品川あたりへ歩く位のことは、何とも思っていなかった。疲れると

新橋

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間もなく三吉は新橋行の列車の中に入った。窓の外には、見送の切符

隅田川

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翌日の新聞は、隅田川の満潮と、川開の延期とを伝えた。水嵩が増して危いという

の感じがすると、三吉が来る度に言うところで、隅田川が好く見えた。対岸の町々の灯は美しく水に映じていた。

隅田川が見える。白い、可憐な都鳥が飛んでいる。川上の方に見える対岸

「河の香からして変って来た。往時の隅田川では無いネ」

間から、青々とした稗の芽が出ている。隅田川はその座敷からも見えた。伊豆石を積重ねた物揚場を隔てて、

の見える方へ行った。川蒸汽や荷舟は相変らず隅田川を往復しつつあった。玻璃障子の直ぐ外にある植込には、萩

神田川

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三吉がよく散歩に行く河岸である。石垣の下には神田川が流れている。繁華な町中に、こんな静かな場処もあるかと思わ

静かに歩るいて行った。橋の畔へ出ると、神田川の水が落合うところで、歌舞歓楽の区域の一角が水の方へ突出

するという眼付をしながら、三吉は元来た道を神田川の川口へと取った。