旧主人 / 島崎藤村

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地名一覧

赤坂

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小諸の荒町から赤坂を下りて行きますと、右手に当って宏壮な鼠色の建築物は小学校です。

浅間

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袋町です。それはだらだら下りの坂になった町で、浅間の方から流れて来る河の支流が浅く町中を通っております。この支流

佐久

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柏木界隈の女は佐久の岡の上に生活を営てて、荒い陽気を相手にするのですから

伊勢

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「伊勢でござります」

相生町

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へはほんのり紅を点して、身の丈にあまる程の黒髪は相生町のおせんさんに結わせ、剃刀は岡源の母親に触させ、御召物の見立

、「御母さん、御母さん」と目的もなく呼んで、相生町の通まで歩いて参りました。

柏木村

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十七に見て下さいました。私の生れましたのは柏木村――はい、小諸まで一里と申しているのです。

懐古園

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の前に立ってると、お前許の旦那様と奥様が懐古園の方から手を引かれて降りて来たと言うよ。私嫌だ

長野

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「越後路から長野の方へ出まして、諸方を廻って参りました。これから御寒く

になって四日目のこと、旦那様と御一緒に長野へ御出掛になりました。奥様は御留守居です。私は洋傘

奥様は例の小説本、私は古足袋のそそくい、長野の御噂さやら歯医者の御話やら移り移って盗賊の噂さになり

は毎日のように旦那様の御帰を聞きによこす。長野からも御便が有ました。御客様は外の御連様と別所へ

旦那様は御帰になりました。御茶を召上りながら長野の雪の御話、いつになく奥様も打解けて御側に居っしゃるの

たし、幸い一緒に連れて帰って貰う積りで、わざわざ長野までも出掛けては見たが、さて御父さんの顔を見ると――

に草鞋掛という連中が入込んでおりましたのです。長野から来た楽隊の一群は、赤の服に赤の帽子を冠って、

下谷

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下さい。私には義理ある先生が有ましてね、今下谷で病院を開いているんです。私もその先生には、どんなに御世話

小諸

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た。私の生れましたのは柏木村――はい、小諸まで一里と申しているのです。

な女でした。ですから、隣の大工さんの御世話で小諸へ奉公に出ました時は、人様が十七に見て下さいました

て、私共を仰山らしく眺めるのでした。北国街道は小諸へ入る広い一筋道。其処まで来れば楽なものです。昔の宿場風

から、乾燥いだ砂交りの灰色な土を踏で、小諸をさして出掛けました。母親は新しい手拭を冠って麻裏穿。私は

私共の尋ねて参りました荒井様でした。見付は小諸風の門構でも、内へ入れば新しい格子作で、二階建の

小諸の荒町から赤坂を下りて行きますと、右手に当って宏壮な鼠色の

。家の構造を見比べても解るのです。旦那様は小諸へ東京を植えるという開けた思想を御持ちなすった御方で、御服装

誰は差置ても先ず荒井様という声が懸る。小諸に旦那様ほどの役者はないと言いました位です。

小諸で新しい事業とか相談とか言えば、誰は差置ても先ず荒井

を見て、てんで笑って御了いなさる。全く、奥様は小諸の女を御存ないのです。これを御本家始御親類の御女中

おりますと、おつぎさん――矢張柏木の者で、小諸へ奉公に来ておりますのが通りかかりました。

御承知の通、小諸は養蚕地ですから、寺の坊さんまでが衣の袖を捲りまして

ません。奥様は外の御歓楽をなさりたいにも、小諸は倹約な質素な処で、お茶の先生は上田へ引越し、謡曲の

も、皆私の意見を基にしてやっている。小諸が盛んになるも、衰えるも、私の遣方一つにあるのだ

不景気だ、不景気だ、こう口癖のように言いながらも、小諸の商人が懐中の楽なのは、私が銀行に巌張っているから

ことを能く聞いてくれ。自慢をするじゃアないが、今日小諸の商業は私の指先一つでどうにでも、動かせる。不景気だ、

つを御自由に成さることは出来ません。微々な小諸の銀行を信州一と言われる位に盛大くなすった程の御腕前は

は男らしい御顔を流れましたのです。御一人で小諸を負って御立ちなさる程の旦那様でも、奥様の心一つを

式場は、つい東隣の小学校の広い運動場で、その日は小諸開闢以来の賑いと申しました位。前の日から紋付羽織に草鞋掛という

東京

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の構造を見比べても解るのです。旦那様は小諸へ東京を植えるという開けた思想を御持ちなすった御方で、御服装も、

暮。御本宅は旧気質の土地風。新宅は又た東京風。家の構造を見比べても解るのです。旦那様は小諸へ東京

奥様は御器量を望まれて、それで東京から御縁組に成ったと申す位、御湯上りなどの御美しさと言っ

いう他所者が舞込で来たのは、開けて贅沢な東京の生活を一断片提げて持って来たようなもの、としか思われ

一緒に御花見すらしたことが無いのですから、こんな東京風――夢にも見たことの無い、睦まじそうに手を引き連れて

摘みに御出なさる時も、奥様は長火鉢に倚れて、東京の新狂言の御噂さをなさいました。

独で縁側に出て、籠の中の鳥のように東京の空を御眺めなさることもあり、長い御手紙を書きながら啜泣をなさる

に、都を想起すと言っておりました。一体、東京から来る医者を見ると、いずれも役者のように風俗を作っております

、さも面白そうに歩くのが癖でした。この人は東京の生ですから、新しい格子作を見る度に、都を想起すと言っ

銀行から御帰りになる、御二人とも御客様の御待遇やら東京の御話やらに紛れて、久振で楽しそうな御笑声が奥から

門の前で停りました。それは奥様の父親様が東京から尋ねていらしったのです。思いがけないのですから、奥様は敷居に

「否、そうじゃごわしねえ。私は東京でごわす」

千曲川

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ながら馳けて来て、言触らして歩きます。聞けば、千曲川へ身を投げた若い女の死骸が引上げられて、今蕎麦屋の角まで