食堂 / 島崎藤村
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子守娘をつれて町へでも買物に行く度に、秩父の山々を望んで来た。山を見ると、彼女は東京の方の空
「あの秩父のお山のずっと向うの方が、東京だよ。ずっと、ずっと向うの方
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前の小竹の奥座敷を思出しながら今の部屋を見ると、江戸好みの涼しそうな団扇一本お三輪の眼には見当らなかった。あれ
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焼出された親戚の中には、東京の牛込へ、四谷へ、あるいは日暮里へと、落ちつく先を尋ね惑い、一年のうちに七度
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ことでしょう。秋草さんのようなお店でも御覧なさいな、玉川の方の染物の工場だけは焼けずにあって、そっちの方へ移って
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その子息さんまでも震災の当時には大火に追われ、本郷の切通し坂まで病躯を運んで行って、あの坂の中途で落命してしまっ
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同じように焼出された親戚の中には、東京の牛込へ、四谷へ、あるいは日暮里へと、落ちつく先を尋ね惑い、一年のうち
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とした頃は、小竹の店も焼け落ちてしまった。芝公園の方にある休茶屋が、ともかくも一時この人達の避難する場所に
なぞを訪ねまいと思った。その足でお三輪は芝公園の休茶屋の方へも寄って来たが、あの食堂もまだ開業の
後を追って、お力は一緒に歩いて来た。芝公園の中を抜けて電車の乗場のある赤羽橋の畔までも随いて来た
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れるくらいだ。彼女はお富達と手をつなぎ合せ、一旦日比谷公園まで逃れようとしたが、火を見ると足も前へ進まなかった。
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縁故のある寺でそれを願って行って、西は遠く長崎の果までも旅したという。その足での帰りがけに、以前の
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二人の孫に、子守娘に、この家族は震災の当時東京から焼出されて、浦和まで落ちのびて来たものばかりであった。
お三輪が東京の方にいる伜の新七からの便りを受取って、浦和の町からちょっと
ように言って、お富と顔を見合せた。過ぐる東京での震災の日には、打ち続く揺り返し、揺り返しで、その度に互いに
来た。彼女は、お富や孫達を相手に、東京の方から来る好い便りを待ち暮した。
輪と同じように焼出された親戚の中には、東京の牛込へ、四谷へ、あるいは日暮里へと、落ちつく先を尋ね惑い、一
四つも越していた。父は浦和から出て、東京京橋の目貫な町中に小竹の店を打ち建てた人で、お三輪は
ない前から小竹の家に奉公していたもので、東京にある身内という身内は一人も大火後に生き残らなかった。全く独りぼっちに
の山々を望んで来た。山を見ると、彼女は東京の方の空を恋しく思った。
お三輪は震災後の東京を全く知らないでもない。一度、新七に連れられて焼跡を見
来ていた。お三輪はその音を聞きながら、東京の方にいる新七のために着物を縫った。亡くなった母のこと
「おばあちゃん、東京へ行くの」
た。娵と二人ぎりになると、出ない日のない東京の方の噂が、いつの間にか子供の耳に入っているの
た。もう一度東京へ――娘時分からの記憶のある東京へ――その考えは一日も彼女から離れなかった。それなしには落ちつい
までも、ありありと眼に見ることが出来た。もう一度東京へ――娘時分からの記憶のある東京へ――その考えは一日も
が、東京だよ。ずっと、ずっと向うの方だよ。東京は遠いねえ」
「あの秩父のお山のずっと向うの方が、東京だよ。ずっと、ずっと向うの方だよ。東京は遠いねえ」
あたるというので、お三輪もやや安心して、東京の方へ向う支度をした。彼女はすこし背をこごめ、女のたしなみ
とそこへ来て言って、一緒に東京へ行きたがるのは年上の方の孫だ。お三輪はそれをどう
東京まで出て行って見ると、震災の名残はまだ芝の公園あたりにも
久しぶりでお三輪の出て来て見た東京は何となく勝手の違うようなところで、見るもの聞くものが彼女の
「お母さん、東京へ出て来たついでに焼跡の方へも行って見ますか」
れて、あの祖母さんに仕込まれて、あたしなぞよりもっと東京の人だから、それでそんなことを言うかも知れないけれど……」
尻端折りでやるつもりですよ。私はもう今までのような東京の人では駄目だと思って来ました」
も、それがある。思わずお三輪は旧い馴染の東京をそんなところに見つける気がして、雨にもまれ風にさらされた
ずにあるようにも思われた。あの魚河岸ですら最早東京の真中にはなくて、広瀬さんはじめ池の茶屋の人達が月島の
のである。そして、そういう娘時代の記憶の残った東京がまだ変らずにあるようにも思われた。あの魚河岸ですら最早東京
都会の残った香でも嗅ぐ思いを起させた。古い東京のものでありさえすれば、何でもお三輪にはなつかしかった。
していたからである。明日もあらば――また東京を見に来る日もあらば――そんな考えが激しく彼女の胸の中
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親戚の中には、東京の牛込へ、四谷へ、あるいは日暮里へと、落ちつく先を尋ね惑い、一年のうちに七度も引越して
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生れの父を助けて小竹の店を持つ前に、しばらく日本橋石町の御隠居さんの家に勤めていた頃は、朝も暗いうち
たり来たりしているようなところでなければ、ほんとうの日本橋のような気もしなかったのである。そして、そういう娘時代の
ものが石造に変った震災前の日本橋ですら、彼女には日本橋のような気もしなかったくらいだ。矢張、江戸風な橋の欄干
なつかしかった。木造であったものが石造に変った震災前の日本橋ですら、彼女には日本橋のような気もしなかったくらいだ。矢張
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たよ」と金太郎は力を入れて言った。「そりゃ日比谷辺へ行って御覧になると分りますが、震災このかた食物屋の出来まし
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にはなくて、広瀬さんはじめ池の茶屋の人達が月島の方へ毎朝の魚の買出しに出掛けるとは、お三輪には信じ
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つも越していた。父は浦和から出て、東京京橋の目貫な町中に小竹の店を打ち建てた人で、お三輪はその
「きまったお客さんはおもに京橋時代からの店のお得意です」と新七も母に言って見せた。
だけは感心ですよ。わざわざこの食堂へ訪ねて来て、京橋時代にはお世話になった。これはいくらでもないが使ってくれと
休茶屋の近くに古い格子戸のはまった御堂もあった。京橋の誰それ、烏森の何の某、という風に、参詣した連中の
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緒に歩いて来た。芝公園の中を抜けて電車の乗場のある赤羽橋の畔までも随いて来た。