家 01 (上) / 島崎藤村
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に出ると、ついそこが町の角にあたる。本郷から湯島へ通う可成広い道路が左右に展けている。
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言出した。「そりゃお前、Mさんと俺とでわざわざ名古屋まで出張して、達雄さんの反省を促しに行ったことが有るサ」
「よくまた名古屋に居ることが分りましたネ」と三吉は茶を入れ替えて兄に勧めながら
さ……その時Mさんが、どうしても橋本は名古屋に居るに相違ない。俺にも行け、一緒に探せという訳で、それ
俺にも行け、一緒に探せという訳で、それから名古屋に宿をとってみたが、さあ分らない。宿の内儀はやはりそれ者
から保養を兼ねて心当りの温泉へ行って見て来る、名古屋に二人が居るものなら必ずその温泉へ泊りに来る、こう内儀が言って探し
「達雄さんも、名古屋の方だそうですネ……」
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て、奥の庭を眺めた。庭の片隅には、浅間から採って来た植物が大事そうに置いてあった。それを直樹は登山
、下りの汽車を待つべきプラットフォムの上へ出た。浅間へは最早雪が来ていた。
雪はまだ深く地にあった。馬車が浅間の麓を廻るにつれて、乗客は互に膝を突合せて震えた。
を出して、もう一度山の方を見ようとした。浅間の煙は雲に隠れてよく見えなかった。
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の最後の日であった。流浪はそれから始まった。横浜あたりで逢ったある少婦から今の病気を受けたという彼の血気壮ん
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姉のお種は病を養う為に、伊豆の伊東へ向けて出掛ける途中で、達雄は又、お種を見送りながら、東京への
尋ねてみた。「都合が出来ましたら、貴方もすこし伊東で保養していらしったら……」
下さい。最早船に乗るだけの話で、海さえ平穏なら伊東へ着くのは造作ない――私独りで行きます」
「伊東まで行く思をして御覧な」と達雄は言った。「なにも、そんな
伊東の宿には、そこでお種の懇意に成った林夫婦、隠居、書生
も無い。それよりは皆なの意見を容れて今しばらく伊東に滞在しておれ、とある。不思議だ、不思議だと、お種が思い
、湯船の中に身を浸した。彼は妻だけこの伊東に残して置いて復た国の方へ引返さなければ成らない人で有った
母は引取って、「ホラ、私が伊東へ来る前に、実のことで裁判所から調べに来たろう――私はあれ
正太は母の側に長く留ることも出来なかった。伊東を発つ日、彼は母だけ居るところで、豊世の身の上に起った出来事を
到頭、お種は豊世と二人で、伊東に年をとった。温泉宿の二階で、林の家族と一緒に、
。こう思った。お種は、もうすこしもうすこしと、伊東に嫁を引留めて置きたくてならなかった。
して前途の方針を定めよとあるし、姉は今しばらく伊東で静養するように、そのうちには自分も訪ねて行くとしてあった
種は皆なの意見に従って、更に許しの出るまで伊東に留まることにした。山に蕨の出る頃には、宿の浴客は
落付いた後で言った。「でも、豊世――伊東で寂しい思をしながら御馳走を食べるよりかも、ここでお前と一緒にパン
やがてお種は一服やって、「私もネ、長いこと伊東の方に居ました。森彦の親切で、すっかり保養も出来たで……
「伊東に居た時分も、お前さん、他の奥様なぞが橋本さんは御羨しい御
、自分で抑えることの出来ないほど興奮して来た。伊東に居た頃、よく彼女の瞑った眼には一つの点が顕われて
と、光沢が出るんだそうです――なんでも、伊東の方で聞いてらしったんでしょう」
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最早節句の栄螺を積んだ船が下田の方から通って来る時節である。遠い山国とはまるで気候が違ってい
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を見に出ると、ついそこが町の角にあたる。本郷から湯島へ通う可成広い道路が左右に展けている。
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「へえ、君は甲州の方でしたかねえ」と西は記者の方を見た。
「ええ、甲州は僕の生れ故郷です……ああそうかナア、あれが八つが岳か
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姉のお種は病を養う為に、伊豆の伊東へ向けて出掛ける途中で、達雄は又、お種を見送りながら、東京
とはまるで気候が違っていた。お種は旅で伊豆の春に逢うかと思うと、夫に別れてから以来の事を今更の
まで採りに出掛けた。お種もよく散歩に行って、伊豆の日あたりを眺めながら、夫のことを思いやった。採って来た蕨は
旅で馴染を重ねた人々にも別れを告げて、伊豆の海岸を離れて行くお種は、来た時と帰る時と比べると、
伊豆の方で豊世が見た時よりも、余程姑の容子に焦々したところ
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松島の方まで遊びに行ったりした。あの時も、仙台で、叔父の書いたものを見せて貰って、寂しい旅舎の洋燈の下
年――殊にその間の冬休を三吉叔父と一緒に仙台で暮したことは、正太に取って忘れられなかった。東京から押掛けて
て、翌朝阿武隈川を見に行って、それから汽車で仙台へ帰てみると、君が来ていた……」
「仙台は好かったよ。葡萄畠はある、梨畠はある……読みたいと
前、三吉は任地へ向けて出発することに成った。仙台の方より東京へ帰るから、この田舎行の話があるまで――足
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君、B君なら疾から知っていたんだがネ、長野に来ていらっしゃるとは知らなかった……新聞社へ行って、S君を
三吉は記者にもビイルを勧めた。「長野の新聞の方には未だ長くいらっしゃる御積りなんですか」
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、都合六人のものが口を預けている。そこへ東京からの客がある。家族を合せると、十三人の食う物は作らね
ことも有り――娘のお仙が生れたのは丁度その東京時代であったが、こうして地方にも最早長いこと暮しているの
東京からの客というは、お種が一番末の弟にあたる三吉と、
焼けずに形を存していた。次第に弟達は東京の方へ引移って行った。こうして地方に残って居るものは
彼が修業に出た時分は、旦那さんも私もやはり東京に居た頃で、丁度一年ばかり一緒に暮したが……あの頃
「姉さん、東京からこういうところへ来ると、夏のような気はしませんね」
老人は三吉に向って、よく直樹を東京から連れて来てくれたと言って、先ずその礼を述べた。
方に主に身を入れた。達雄の奮発と勉強とは東京から来た三吉を驚かした位である。
のことで……」と達雄は言淀んで、「正太を東京へ修業に出しました時に、私が特に注意して、金時計を
て、「この髪結さんは手真似で何でも話す。今東京から御客さんが来たそうだが、と言って私に話して聞かせる
三吉が東京から訪ねて来たことは、達雄に取っても嬉しかった。彼は親身
なぞが出て来た。それは三吉が姉と一緒に東京で暮した頃の事実で、ところどころ拾って読んで行くうちに、少年時代
揉む者も無い。それに引きかえて、正太は折角思い立った東京の遊学すら、中途で空しく引戻されて了った。やれ大旦那が失敗し
叔父甥は話し続けた。正太の方は実業に志し、東京へ出た時は主に塗物染物のことを調べ、傍ら絵画の知識をも
で暮したことは、正太に取って忘れられなかった。東京から押掛けて行くと、丁度叔父は旅舎の裏二階に下宿してい
東京で送った二年――殊にその間の冬休を三吉叔父と一緒に
復たお種が言って、弟の側に寝転んだ。東京にある小泉の家のことは自然と姉の話に上った。相続人の
ほどしか逗留しなかった。植物の好きなこの中学生は、東京への土産にと言って、石斛、うるい、鷺草、その他深い山
そこの老人から橋本へ便りがあった。「三吉も最早東京へ帰るそうなが、わざわざ是方へ廻るには及ばん、直に帰れ
方の多忙しいところを見て貰ったのが、何より東京への土産だ、とも話した。
通いで来る嘉助親子も、東京の客が発つというので、その朝は定時より早く橋を渡って
弟の三吉が帰るという報知を、実は東京の住居の方で受取った。小泉の実と橋本の達雄とは、義理
遊戯とで始まったようなもので。実に引連れられて東京へ遊学に出た頃は、未だ互に小学校へ通う程の少年であっ
「木曾に居ても随分暑い日は有りました――東京から見ると朝晩は大変な相違でしたが」
任地へ向けて出発することに成った。仙台の方より東京へ帰るから、この田舎行の話があるまで――足掛二年ばかり
翌日の午後、三吉達は東京を発つことにした。買物やら、荷造やら、いそがしい思をした。
直ぐ下にあたる妹で、多勢の姉妹を離れて、一人東京の学校の寄宿舎に入れられている。名倉の母の許を得て、
東京の学校が暑中休暇に成る頃には、お雪が妹のお福も三吉
の変遷を見せるようなものがあった。中には、東京の学校に居る頃、友達と二人洋傘を持って写したもので、顔
見せて、この帽子を横に冠ったのは三吉が東京へ出たばかりの時、その横に前垂を掛けているのが宗蔵、
。そこで自分は自分だけの生涯を開こうと思った。東京を発つ時、稲垣が世帯持の話をして、「面白いのは百日
がし出した。若夫婦へ贈る為に、わざわざ老人が東京から買って提げて来たのである。これは母から、これは名倉
名倉の父は二週間ばかり逗留して、東京の学校の方へ帰るお福を送りながら、一緒に三吉の家を発っ
新婚の当時のことは未だ三吉の眼にあった。東京を発って自分の家の方へ向おうとする旅の途中――岡―
三吉は東京の方の空を眺めて、種々な友達から来る音信を待ち侘びる人と成っ
東京へ行った学生達はポツポツ帰省する頃のことであった。三吉の家
帰仕度を始た。九月に入って、お福は東京の学校へ向けて発った。
私は東京の方へ帰るという気分に成りません。東京へ帰るのは、真実に厭で……」曾根は嘆息するように言
「ああ……私は東京の方へ帰るという気分に成りません。東京へ帰るのは、真実
は客をもてなす物も無かったのである。その曾根が東京の友達から借りて来たと言って、出して見せたような書籍は
旅情を慰める為に、曾根が東京から持って来た書籍は机の上に置いてあった。それを曾根
てあった。それを直樹は登山の記念として、東京への好い土産だと思っている。
宜敷、と認めてあった。三吉から出した手紙は東京へ宛てたので、未だ曾根は知る筈がない。そんな手紙が待つと
東京から三吉は種々な話を持って帰って来た。旅に出て帰っ
運んで来た。三吉は乾いた咽喉を霑して、東京にある小泉の家の変化を語り始めた。兄の実が計画して
て、下婢が持って来た電報を受取った。差出人は東京の実で、直に金を送れとしてある。しかも田舎教師の三吉
つつ三吉は家へ帰った。委しいことの分らないだけ、東京の家の方が気遣わしくもある。とにかく、兄の方で、よくよく困った
こういう侘しい棲居で、東京からの友人を迎えるというは、数えるほどしか無いことで有った。やがて
人は有るまいと思うよ。小泉君が書籍を探しに東京へ出掛けて、彼処を往ったり来たりする時は、どんな心地だろう」
を結っていた女髪結を笑わせた――三吉は東京に居る兄の森彦から意外な消息に接した。
なかった。それを森彦が相談して寄した。この東京からの消息を、三吉はお雪に見せて、実にヤリキレないという
て出掛ける途中で、達雄は又、お種を見送りながら、東京への用向を兼ねて故郷を発ったのである。この旅には
「ずっと東京の方へ御出掛ですか」と三吉が聞いた。
は後廻しです」と達雄は窓につかまって、「私だけ東京に用が有りますから、先ず家内を送り届けて置いて……今度の様
「いや、東京は後廻しです」と達雄は窓につかまって、「私だけ東京に用が
言っていられるもんじゃない」と達雄が言った。「東京で用達をして、その模様に依っては直に復た国の方
に別れるとしよう……こうっと、俺はこれから直に東京へ引返して、銀行の方の用達をしてト……大多忙」
、宿の下婢が船の時間を知らせに来た。東京の方へ出る汽車が有ると見えて、宿を発って行く旅人も有っ
で……それほど大切な時なら、一汽車でも早く東京へ入った方が好からずと思って」
、書生などがその夏も来ていた。この家族は東京から毎年のように出掛けて来る浴客である。長い廊下に添うて、庭
た。隣室の林夫婦は、隠居と書生だけ置いて、東京の方へ行く頃と成った。その人達を船まで見送るにつけて
東京に居る森彦からの手紙は、すこしばかり故郷の事情を報じて来た。
て、何度父親さんも東京へ出たか知れない……東京で穴埋が出来なかったと見えるテ。それで、何かや、後
用だ、銀行の用だと仰って、何度父親さんも東京へ出たか知れない……東京で穴埋が出来なかったと見えるテ
当分国の方に居にくい人である――彼女はしばらく東京にでも留って、何か独立することを考えようとして来た人
客だ。林夫婦は師走の末に近くなって復た東京から入湯に来ていた。
に誓うように言った……その後、女は東京へ出たとやらで、どうかすると手紙の入った小包が届いた
一緒にいられる場合では無かった。豊世は豊世で早く東京へ出て独立の出来ることを考えなければ成らないと思っていた。
さん、すっかり御病気を癒して来て下さいよ。私は東京の方で御待ち申しますよ……真実に、母親さんの側に居
て行く人達を見送るにつけても、お種はせめて東京まで出て、嫁と一緒に成りたいと願ったが、三月に入っ
林の家族はやがて東京の方へ引揚げて行った。お種の話相手に成って慰めたり励まし
国の方からは送金も絶え勝に成った。そのかわり東京の森彦から見舞として金を送って来た。この弟の勧めで
れることを楽みにして、まだ明るいうちにお種は東京へ入った。
八月には、お種は東京で三吉を待受けた。この弟に逢われるばかりでなく、久し振りで姉弟や
始め、多くの家族を訪ねようとして、序に一寸東京へ立寄ったのであった。
―そう言えば、俺の許のやつも、来年あたりは東京の学校へ入れてやらなきゃ成るまいテ」
へも帰っていない。その中で、小泉の家が東京へ引越したばかりの頃、一度彼女は母と一緒に成ったことや、
東京を発つ朝は、お種は豊世やお俊やお鶴などに見送られ
「ある時なぞも――それは旦那が東京を引揚げてからのことですよ――復た病気が起ったと思いまし
……私は豊世のを見て来たで、一つ東京風に結ってみて進げるに」
の方は若い者に任せましてネ、私は私で東京の方へ出ようと思っています。これからは私の奮発一つです
「へえ、正太さんも東京の方へ……実は僕も今の仕事を持って、ここを引揚げる
は、いよいよ三吉もこの長く住慣れた土地を離れて、東京の方へ引移ろうと思う人であった。種々な困難は彼の前
て、溶け始めていた。三吉は帰って来て、東京の郊外に見つけて来た家の話をお雪にして聞かせた
と言って聞かせた。女子供には、東京へ出られるということが訳もなしに嬉しかったのである。
いらっしゃい。着物を着てみましょう――温順しくしないと、東京へ連れて行きませんよ」
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癖のように揉みながら、「君の留守に大芝居サ。八王子の方の豪家という触込で、取巻が多勢随いて、兄さんの事業
「え……八王子の……あの話は最早しッこなし」と稲垣は手を振る。
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静かな夜であった。上野の鐘は寂とした空気に響いて聞えて来た。留守居の女
言葉が取換された。三時頃には、夫婦は上野の停車場へ荷物と一緒に着いた。多くの旅客も集って来てい
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自分がまだ少年の頃、郷里から出て来た幼友達と浅草の公園で撮ったという古い写真を出して、お福に見せた。
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赤羽で乗替えて、復た東海道線の列車に移った頃は、日暮に近かっ
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国に居る頃から夫が馴染の若い芸者、その人は新橋で請出されて行って、今は夫と一緒に住むとのことであっ
、それで芸者を身受けして連れて行った。それが新橋の方に居た少婦さ……その時Mさんが、どうして
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午後の四時頃に、親子五人は新宿の停車場へ着いた。例の仕事が出来上るまでは、質素にして暮さ
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、その音は南向の障子に響いて来た。それは隅田川を往復する川蒸汽の音に彷彿で、どうかするとあの川岸に近い
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谷の一部も下瞰される。そこから、谷底を流れる千曲川も見える。
から、草木の茂った城跡の感じの深かったことや、千曲川の眺望の悲しく思われたことなどに移った。三吉は曾根の身体の
た山が有るだろう、あの崖の下を流れてるのが千曲川サ」