幼き日 (ある婦人に与ふる手紙) / 島崎藤村
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また別の空氣がありました。そこの祖母さんは名古屋風の趣味を持つた人で、綺麗に片附けた下座敷へ琴を取出して
方へ垂れて居るやうな人でしたが、その旅で名古屋へ來て始めて散髮に成つた話などを私に聞かせました。
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『江戸は火事早いよ。』
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私は子供を連れて家へ入り、茨城の方から貰つたばかりの粽を分けて呉れました。青い柔かな笹の
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の子供と競爭で揚げました。『シヨクノ』――東京の言葉でいふ『ネツキ』は、最も私の心を樂ませた遊びです
それから九歳の秋に東京へ遊學に出掛けるまで、私の好きなことは山家の子供らしい荒くれた
少年の私が銀さんと一緒に東京へ遊學することに成りました時は、銀さんが數へ年の
は裏の梨の樹の下あたりに腰掛けて、兄貴に東京行の頭を刈つて貰ひました。村には理髮店といふ
片田舍のことですから、私達が東京へ發つ前には毎晩のやうに親しい家々から客に呼ばれました
間より外に鐵道といふものも無く、私達の故郷から東京まで行くには一週間も要るほど不便な時でした。それに大きな谷
私達は一人の女の客とも道連に成りました。矢張東京まで行く客で、故郷に殘して置いて來た私の母などより
た。私は馬車に乘つたまゝ半分夢のやうに東京へ入りました。その馬車が着いたところは萬世橋でしたが、あの
論語の素讀を授けて呉れたり、閑暇な時には東京の町々だの公園だのを見せに連れて歩いて呉れました。私
ない年頃の姪が一人ありました。その姪は姉が東京に家を持つてから生れた子供です。あの日、私が學校から歸
一人東京に殘されました少年の私の身に取つては、斯の同じ家
の心は屋外の方へ向ひました。私も早や東京へ出たての時のやうに髮などを長く垂れ下げて、黄八丈の羽織を
身體の疼痛を想像するにも堪へませんでした。東京へ修業に出て來てからも、二番目の兄に連れられて寄席
豐田さんと言へば、姉が東京に居ました時分にはよく私も使に行きましたからそこの細君
婆さんの口癖でした。お婆さんに言はせると、東京は生馬の眼でも拔かうといふ位の敏捷な氣風のところだ、愚
『そりや、お前さん、東京の人の話は「何」で通るからネ。ちよいとあの何を何し
のを見ても解ります。私達兄弟の少年は二人だけ東京に殘つて居てもめつたに逢ふやうな機會は有りませんでした
言ひますけれども、鄙びた言葉づかひが柔軟に働いて東京言葉では言ひ表はせないやうな微細な陰影までも言ひ表はせるのが有ります。
の大倉組の角に點いた白い強い電燈の光が東京の人の眼に珍しく映つた頃のことです。尾張町の角にあつた
貰ひたいと思ひました。久し振の上京で、父は東京にある舊い知人を訪ねたり、亡くなつた人の御墓參をしたり
て考へたいと思ひました。私は一日も早く父が東京を引揚げて、あの年中榾火の燃えて居る爐邊の方へ歸つて行つて
言つたら近いかも知れませんが、すつかり意味の宛嵌まる東京言葉は一寸思ひ當りません。
買ひたい物があらば買へ、苦しい中でも貴樣達は東京へ出してあるのだから、その積りで勉強せよ、と言つて寄し
極く無作法な荒くれた時でも有りました。姉がまだ東京に居ました頃、あの家の二階の袋戸棚の前へ幼い甥
ない習慣でした。それが癖に成つて、私は東京へ出て來てからも自分で金錢を所有したことは少く、
を離れようとして居ます。私が御地を去つて東京へ引移らうとした時、貴女のお母さんの家へ小さな記念の桐
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田舍者が多勢で押掛けて來た姉の家は、銀座の裏側にあたる閑靜な町の角にあつて、灰色な圓柱の
好きな姉の夫の氣風をあらはして居りました。同じ銀座の町の近くには、矢張同郷の豐田さんといふ人が住んで居
まして旅屋に日を送りましたから、私もよく銀座邊の寄席へは連れられて行きましたが、騷がしい樂屋の
路地を曲つて行くと、鼈甲屋、時計屋などのある銀座の裏通りの町、そこにある黒い土藏造りの豐田さんの家、鐵格子
間だのを歩き※るのを樂みにしました。銀座の縁日の晩などには、よくまた小父さんに連れられて行つたもの
斯の小父さんは手細工が好きで、銀座の夜店から鋸、鉋の類を買つて來まして閑暇な時には種々
家の裏は丁度銀座通の裏側にあたる路地でした。もし私が父に勸められたやう
は豐田さんの家の人達に隨いて、明るい夜の銀座通を歩きに行きましたものです。
斯の手紙で私が今貴女に御話して居るのは、銀座の大倉組の角に點いた白い強い電燈の光が東京の人の
銀座の夜見世と言へば、夜風の樂しい夏の晩などは私もよく豐田
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身を立てるやうにと姉夫婦から説き勸められて、日本橋のある紙問屋へ奉公に行くことに成りました。國から二番目の
出來た時には私の方から持つて行きました。日本橋の本町です。風呂敷包を携へながら紙問屋の店頭まで行きますと、そこ
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にやつて來て、乾き切つた町々を濡らしました。隅田川も濁つて灰汁を流したやうに成りました。狹い町中とは