不在地主 / 小林多喜二
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食糧問題がかくまでも行き詰りを感じている現今、北海道、樺太の開墾は焦眉の急務であると思います。そのためには個人の利害得失
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五日前から降っていた。満目ただ荒涼とした石狩平野には、硝子クズのように鋭い空ッ風が乾いた上ッ皮の雪
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荒川は上ってくると、「ヤア。」と云って、元気よく皆に頭を
荒川は硫黄分でインキのように真黒になっているお茶を飲みながら、内地
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雖も新に得ることは仲々困難であるのに反して、北海道に移住し、特定地の貸付をうけ、五ヵ年の間にその六割以上
移住後概して生活に困難することなし……。」(「北海道移住案内」北海道庁、拓殖部編)
は行末永く残るべし。」(「開墾及耕作の栞」北海道庁、拓殖部編)
人口、食糧問題がかくまでも行き詰りを感じている現今、北海道、樺太の開墾は焦眉の急務であると思います。そのためには個人の
も、その「移民案内」を読んだ。そして雪の深い北海道に渡ってきたのだった。彼等も亦自分達の食料として
市場に出せる価格に引き合わなかった。――それに、この北海道の奥地は「冬」になったら、ロビンソンよりも頼りなくなる。食糧を得ること
北海道の農村には、地主は居なかった。――不在だった。文化の余沢
三吾ばかりでない。――東三線の伊藤のおかみさんは、北海道の冷たい田に、あまり入り過ぎたので、三月も腰を病んで、
、村役場に対して小作争議を起したことがあった。北海道は町村が沢山の田畑を所有していて、それに小作を入地さ
東京にいる、爵位のある大地主も、時々北海道へやってきて、小作人や村の人達を「家来」に仕立てて、
着ているものが何かお互いに云い合った。が、北海道の奥地にいる小作の女達には、見たことも、触ったことも
分派線一帯にかけて、何千町歩という美田が出来上る。北海道の産米がそれで一躍鰻上りに増えるのだった。
「佐々爺云ってたども、北海道の開拓はどうしたって土方ば使わねば出来ないんだってよ!」
つるして灌漑溝の水につけたり、上げたりやる。然し北海道のように、小作と一緒に村に住んでいる地主がいないので、
間に合わなくなってしまう。追ッ付くものでない。――北海道では何処だって、出稼ぎは別にして、冬の内職などするものが
――過ぎ去ってしまった生涯が思いかえされる。――こんな「北海道」に住むとは思わなかった。一働きをして、金を拵えたら、
ない薬袋を置いて行った。――然し、「長い」北海道の冬が待っていることを考えれば、襦袢の切れもうっかり買えないのだ
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「由どこの姉、こんだ札幌さ行ぐってな。」
村に置いた。だから、彼は東京や、小樽、札幌にいて、ただ「上り」の計算だけしていれば、それでよかった
と、健は淋しかった。――健の好きなキヌも札幌へ出て行っていた。製麻会社の女工に募集されて行ったの
は少し年頃になると、(例えばキヌなどのように)札幌、小樽へ出て行ってしまう。自分の母親達のように、泥まみれになっ
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百五十町歩――大学所有田・「学田」
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ことがある。知ってるな。和蘭が不作のために、倫敦から大口の注文があったからだ、とあの時皆は云っていたさ
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百二十町歩――吉岡(旭川)
阿部は旭川の農民組合の人達が持ってくる「組合ニュース」や「無産者新聞」
「お茶ば飲みに来ないか。旭川の人も来るし、二三人寄るべから。」
旭川の人はまだ来ていなかった。
だ。――阿部さんからの話だと、村にも旭川の農民組合から人が来て、会をやってるそうだ。健ちゃも出る
五度怒鳴り散らされた。――俺達は怒鳴られるために旭川まで出掛けて行ったんじゃない、調停して貰うためにだ。
あげく、とうとう決めることにしたんだ……俺は、旭川さ出る積りだよ。」
健は固い決心で旭川に出て行った。キヌの妹が見送ってきてくれた。
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それは空知川から水を引いて、江別、石狩に至るまでの蜒々二十何里という大灌漑溝を作るための工事
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、一家餓死するものが居た。――石狩、上川、空知の地味の優良なところは、道庁が「開拓資金」の財源の名によっ
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をその村に置いた。だから、彼は東京や、小樽、札幌にいて、ただ「上り」の計算だけしていれば、それ
五百町歩――岸野(小樽)
「七ちゃ、小樽行きまだか。」
「お前え、それから岸野がワザワザ小樽から出てきて、とッても青訓や青年団さ力瘤ば入れてるッて
「小樽さ行ぐごとに決ったど。」
「工場さ入るんだ。――伯母小樽にいるしな。……んでもな、健ちゃ、俺あれだど
ついて説明した。余興に入り、薩摩琵琶、落語、小樽新聞から派遣された年のとった記者の修養講話――「一日
ば、お前すぐ嫌な顔すべ。――阿部さんが小樽の工場にいた時なんて、工場の隅ッこさ落ちてる糸屑一本
小樽や東京にいる友達に、絵ハガキで是非ランプのことは云ってやらなければ
のように純真に思われた。父が経営している小樽のS工場の傲慢な職工達とは似てもつかない、と思った
てるんだから夢中よ。――此頃の北海タイムスや小樽新聞の農村欄ば見れ。ヤレ農村美談だ、ヤレ何々村の節婦だ、
年頃になると、(例えばキヌなどのように)札幌、小樽へ出て行ってしまう。自分の母親達のように、泥まみれになって
でないんだ。その事もあるにはあった、が小樽の大問屋で、大貿易商である※が、高く売り飛ばすために、買い集めて
とあの時皆は云っていたさ。ところが、今度小樽へ出て聞いてみると、そうでないんだ。その事もあるに
肥料、――これだけが農村だ!――だが、小樽の人は本当の百姓を眼の前で見たことが、一度だって
「小樽」と「S村」――上ッ面から見ただけでも、前
は「金壱千円也」出していた。――小樽から坊さんを呼ぶのも、主に岸野のつてだった。
毎年の例で、小樽から「偉い坊さん」を呼んで、S村龍徳寺で、四五日間説教
「やッぱし小樽だ、あの恰好な! 大家の御令嬢さ。田舎の犬ば、見
S村と小樽、これをキヌが考えさせる!
選んで、岸野に直き直き会って、詳しい話をするために小樽へ出掛けることだ。――喧嘩はまだ早い。後で大丈夫だ。」
交渉委員が小樽へ出発してから三日経って、ハガキが来た。阿部だった。
「小樽でグズグズしてると、警察へ突き出すぞ!」終いにそう云った。
「気の毒だが、小樽からの命令で、小作米を押えるから。」
したら小樽へ出て来い、と云うのだ。地主は小樽に居る。そんな処でいくら騒いだって、岸野には、百里も離れ
の労働組合のものに、そのことを話した。そしたら小樽へ出て来い、と云うのだ。地主は小樽に居る。そんな処で
――小樽の労働組合のものに、そのことを話した。そしたら小樽へ出て
に立つように、たゆまず宣伝、煽動すること、――小樽に於ける情勢の刻々の変化に応じて、報告、示威、糾弾を兼ね
「争議団小樽出張委員」、農場に残る「連絡委員」の決定、――この争議を
健は小樽へ出て行きたかった。然し連絡委員として残らなければならなかった
組合旗、流し旗をたてて小作人に送られた。小樽に出るということが分ると、吉本や武田は周章てて、遠まわしに調停
争議団小樽出張委員伴、阿部外十三名は、組合旗、流し旗をたてて小
して、S村岸野農場小作人代表十五名が、はるばる小樽へ出陣してきた。
直ちに、「農民組合連合会」「争議団」「小樽合同労働組合」とで、
三日夜六時、小作人十五名出樽。小樽合同労働の約二百名の組合員の出迎えをうけ、直ちに岸野の店舗、工場
赤襷をかけて、岸野の店先きに出掛けるばかりでも、小樽の市民に「岸野の小作人」の顔を知らぬもの無きに到った
小樽からは、一日も早く争議団の「青年部」と「婦人部」
―阿部さんは、どうして我々百姓の争議に無関係な小樽の労働者達が、(組合員はまずとして)仕事を休んでまでも
判事――小樽あたりで演説会を何故やるか。どこ迄も喧嘩腰でやる気なら、調停を
―お前等は金がない、味噌がないと云うが何故小樽あたりへ行けるのか。
│ 全小樽陸産業労働者会議 │
│ 幼児を背にして、五人の女房達きのう小樽へ! │
大きな「見出し」で小樽新聞が書いた。――岸野農場の小作人十余名は、三日来
委員」と入り代って、女房達とは一足遅れて、小樽へ出て来た。
(小樽新聞) 悲痛な決心のもとに来樽した妻君達は、直ちに岸野
に面白おかしく出て来たのか?――どの面さげて小樽に出てきたんだ。」とか、「真人間になって出直して
です。ところが、岸野の御主人様は私共に「小樽に面白おかしく出て来たのか?――どの面さげて小樽に出て
それが新聞に出た。――体面を重んじるH町と小樽の教育会が動き出した。岸野に「かかる不祥事を未然にふせがれるよう
ている小作人の子供を一人残らず盟休させて、小樽へ来させる策をたてた。それが新聞に出た。――体面を
争議団は小樽の労働者達に見送られて、――一ヵ月以上の「命がけ」の(
「……考えることもあるんだ、俺小樽から帰ってから毎日毎日、一月も考えた。……考えたあげく、
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辱うし、農場主側よりは吉岡幾三郎氏代理として松山省一氏、小作方よりは不肖私が出席し、ここに協力一致、挙
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――秋田には「青田を売る」ということがある。それは新らしい小作戦術で
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子供を育てているという評判をきいた。もう一人は青森の小作の三男だそうだ。背がゾッとする。
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表へ立った。太物をもった行商もきた。越中富山の薬屋が小さい引出しの沢山ついた桐の箱をひろげて、ベラベラ饒舌り
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農場管理人」をその村に置いた。だから、彼は東京や、小樽、札幌にいて、ただ「上り」の計算だけしていれ
二百十町歩――片山子爵(東京)
三百町歩――高橋是善(東京)
佐々爺は村一番の「政治通」だった。「東京朝日」「北海タイムス」を取っているものは、市街地をのぞくと、佐々
東京にいる、爵位のある大地主も、時々北海道へやってきて、小作人
小樽や東京にいる友達に、絵ハガキで是非ランプのことは云ってやらなければならない
決めた事だんだ。――東京新聞ば読め! 東京新聞ば読んでからもの云うんだ。ええか!」――顔を
が考えて、考えて決めた事だんだ。――東京新聞ば読め! 東京新聞ば読んでからもの云うんだ。ええか
分るッてか。お前えより千倍も偉い、学問のある東京の人が考えて、考えて決めた事だんだ。――東京新聞
「え、え、え、東京新聞も碌ッた見もしねえで、何分るッて! お前えみだ
佐々爺は東京新聞にも読み飽きてしまった。若いものの邪魔になりながら、ゴロゴロして
ことで、ひょッこり顔を出した。佐々爺は東京新聞を振り上げながら、「どうしたんだ? どうしたんだ?