続獄中記 / 大杉栄
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暑中休暇に新発田へ帰る途で、直江津から北越鉄道に乗換えて長岡を越えて三条あたりまで行った頃かと思う。ふと僕は、窓の
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れて仕方がなかった。その頃は、まだ一人身で堺の家に同居していた、僕の女房の保子が、からかい半分に猫
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僕の元来の国、すなわち父祖の国は、名古屋を西にさる四、五里ばかりの津島に近いある村だが、そこに
十四の時に初めてちょっと伯父の家を訪うて、その翌年名古屋の幼年学校にはいってから時々ちょいちょい遊びに行ったに過ぎない。少しも自分
名古屋から初めて暑中休暇に新発田へ帰る途で、直江津から北越鉄道に乗換えて長岡を越え
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千葉でのある日、湯にはいっていると、そこへ見知らぬ男が一人
のことが、しきりに思い出される。ことに刑期の長かった千葉ではそうだった。
残った、紫色の広い帯のあとについての印象。千葉監獄在監中の、父の死についての印象。一親友の死に
実際僕は、最後に千葉監獄を出た時、初めて自分がやや真人間らしくなったことを感じた。
死刑囚』を読んだ。ことに後者は、よほど後に、千葉の獄中で読んだ。その時にはたしかにある戦慄を感じた。しかし
千葉でのある日であった。運動場から帰って、しばらく休んでいると、
やはりこの千葉でのことだ。
そしてその後千葉で、初めて、そういう男に実際にぶつかった。今でもその名を
おとなしくしていた。そしていよいよ官吏抗拒の刑がきまって千葉へ移された時にも、その当座は至極神妙にしていたが
のいたところからは見えなかったが、東京監獄でも千葉でも、運動場へ行く道には必ず病監の前を通った。普通
病監にはいりたいと言った。今僕は、現に、千葉のお土産としてその病気を持って来ている。もうほとんど治ってはいる
千葉では、僕等が出たあとですぐ、同志の赤羽巌穴が何で
こういった冬の、また千葉でのある日のこと。教務所長という役目の、年老った教誨師の
何ものかが見える。僕はこの男が見舞いに来るのを千葉での不愉快なことの一つに数えていた。
千葉のこの教務所長というのは、その頃もう六十余りの老人で、
、ある日の新聞に、この教務所長が収賄をして千葉監獄へ収監されたという記事を発見した。もっともその後証拠不十分
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数カ所の大きな禿になった傷あとがあった。それはみな甲府で看守に刀で斬られたのだそうだ。
、その当時から知っていた。初め窃盗か何かで甲府監獄にはいっていたのを、看守等と大喧嘩して、そのために
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から、煙草のことなどはまるで忘れてしまう。初めてはいった東京監獄では、看守等が休憩所でやっているのをよく窓から見
ほかでそんな機会はなかったが、東京監獄での第一の楽しみは、女の被告人か囚人かを見ることで
時と思う。例の通り警察から警視庁、警視庁から東京監獄へとつれて行かれて、まず例のシャモ箱の中に入れられ
父や母と一緒に越後の新発田へ逐いやられた。東京では父は近衛にいた。うちは麹町の何番町かにあっ
だそうだ。が、生れて半年経つか経たぬうちに東京へ来た。そして五つの時に父や母と一緒に越後の新発田
しない。本籍はそこにあったのだが、その後東京の自分の住んでいた家に移した。
東京監獄で押丁を勤めていて、僕等被告人の食事の世話をし
東京監獄に、今はもういないが、もと押丁というのがいた
からに気味の悪い形相の男だった。実際僕は初めて東京監獄にはいった翌朝、例の食器口のところへぬうとこの男に顔
もう幾度も引合いに出した、東京監獄のあの死刑囚の強盗殺人君も、その一人だ。
等と大喧嘩して、そのために官吏抗拒に問われて東京監獄へ送られて来ていたのであった。額から鼻を越え
この男とは、東京監獄でも同じ建物にいて、よく僕の室の錠前の掃除をし
この男は、東京監獄では、まだ裁判中であったせいか、ごくおとなしくしていた
監は僕等のいたところからは見えなかったが、東京監獄でも千葉でも、運動場へ行く道には必ず病監の前を
ついては先日面白い話を聞いた。荒畑と山川とが東京監獄から放免になるのを、朝早く、門前のある差入屋まで迎えに
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も裁判所へ呼び出された。大がいは馬車でだが、巣鴨からは歩いたり車に乗せられたりした。
ぬうちに、再び巣鴨へやられた時のことだ。巣鴨のあの鬼ヶ島の城門を、護送の看守が「開門!」と呼ばわって厚い
、出てからまだ二月とは経たぬうちに、再び巣鴨へやられた時のことだ。巣鴨のあの鬼ヶ島の城門を、護送の
、どうも実際にそう感じたのだから仕方がない。巣鴨は僕が初めて既決囚として入監させられた、したがってもっとも
には出遭わなかったが、それでも裁判所の仮監で同じ巣鴨の囚人だというそれらしいのに会った。
巣鴨では例の片輪者の半病監獄にいたのだから、さすがに
巣鴨の病監は僕等のいたところからは見えなかったが、東京監獄
が、一度、巣鴨でこの病監にはいることができた。前に話した徒歩で裁判所へ
巣鴨の病監は、精神病患者のと、肺病患者のと、普通の患者の
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れた。東京では父は近衛にいた。うちは麹町の何番町かにあった。僕はその近衛連隊の門の様子と
初めての差入弁当だ。麹町の警察と警視庁とに一と晩ずつを明かして、二日半の
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千葉では、僕等が出たあとですぐ、同志の赤羽巌穴が何でもない病気で獄死した。その後大逆事件の仲間の