農村 / 宮本百合子
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をきいて来るのであるけれ共、時には伽羅千代萩と尾上岩藤がいっしょになり、お岩様とお柳とが混線したりする。
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かなり高くて姿の美くしい山々――三春富士、安達太良山などに四方をかこまれて、三春だの、島だのと云う村々と隣り合い
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夏は、若い者共の泳場となり、冬は、諏訪の湖にあこがれる青年が、かなり厚く張る氷を滑るのであった。此等
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私も笑ってきいて居る。こんな時には大抵祖母の歌舞伎座だの、帝劇だのの話が出る。
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平穏無事である。そして幸福である。一番大きな息子は、京都で医者になってもう細君もある。けれ共、なぐさみに小さい男の児
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た。「御ともさん」は東京弁と、此村と山形――米沢の言葉をとりまぜた言葉でしきりに私に話しかける。芝居は好き
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は大抵、銀杏返しか桃割れだけれ共、たまに見る束髪は、東京の女の、想像以外のものである。
百姓などで、東京のものの様に次から次へと考えずに話をするものが有っ
小作人を叱る時、商人の悪いのを怒る時はきっと東京弁を使った。
の村なので句切り句切りのはっきりした少し荒い様な東京弁は、小作人などの耳には、妙に更まる気持を起させるので
ここいらでは東京弁を使う人には一種異った感じを持つ様な調子の村なの
「畑さ行のよ、東京のお嬢様いらっしゃるけえ、ちょっくら呼んで来ておくんなね。
だと云う七面鳥の卵ほど大きい卵を二つくれた。東京ではとうてい見たくとも見られるものではない。大いそぎで勘定をすませ
ない、瓶の蓋が必してあきませんでない又、東京さ、たよりして、どうして使うべえてきいてやりなすたのえ
お暇いただく三日ほど前にお国の母様が、東京さあ嫁づいて居なさる上の娘さんげから送ってよこしたちゅうて紫蘇
カステラを丁寧に切って居る。何にも慰みのない祖母は東京から送ってよこすお菓子を来る者毎に少しずつ分けてやって珍らしい御菓子だ
東京の習慣だと客に行って出された菓子をあるだけ喰べる事はし
貧しいと云っても比較的東京の貧乏人よりは何かが大まかで、来た者に何かは身に
郡山(町の名)さ芝居が掛りましたぞえ、東京の名優、尾上菊五郎ちゅうふれ込みでない。外題は、塩原多助、尾上岩藤に
時までは、思いさえもして居ない事だった。東京に居て、越す冬は、今此処で会う晩秋位ほか、寒さも
飛び込んだ様なものだ。来年の冬は、私は又東京の家で、ふくれた様に火にあったまって暮す事だろう。寒ければ逃げ
入れて置くのである。見た所は、出来上りでも東京のよりは倍も倍も不味まずしい形をして居るけれ共味は却って
の食時である。正月にならないでも餅をつく。東京の様に四角い薄平ったいものにするのではなく、臼から出したまんま
のがたまらなく欲しい事がある。そう云う時に折よく東京から送って呉れる、魚の味噌づけ、「一しお」の嬉しさは一月
だのの手入をして居る。いかにも手が鈍い。東京の職人も煙草を吸う時間の永いには驚く様だけれ共、まして此処
たよりない気持になって、静かな眠りに入ろうとした。東京に居たら、こんな時、私は母の床の中へかくまってもらう。
「東京さ、告げであげますだ。さ、来なされ、そらころぶころぶ。
年寄の召使と主人とは、しばしば衝突が起って、しばらく東京の家の方へ来て居た事もあったけれ共、今は、隣村
炬燵の中で「はぎ物」をして居る。私は東京へ、今年の初雪を知らせてやる。手紙の中へ、
来ました。帰りたい、ほんとうに帰りたい。けれ共、東京で桜が末になるまで、冬の寒さにつかまえられて、雪の
のでそちらの様に長起きが出来ないんです。つくづく東京が恋しい。平常私は『自分は、手足は山の中に暮しても
は降って小一日吹雪は止まない。その中で私は東京に居る時の様に更けるまで息をはずませて話合う様な人は
源平団子にもちごめと引きかえに餅をとりに行った。東京の鴨の様に臭がない。
そんな事をしない東京から来て見ると何だか不安心だ。銭湯を知らない私は、
の方の女の話をした。非常な働き者で、東京の娘達の様に箸より重いものは持てない様には必してし
と、今更、正月が近い内になったのに驚く。東京に居ればこそ、小さい兄弟に、贈物をしたり、外からもらったりし
東京の友達からはクリスマスの事等を云ってよこした。ほんとにもうクリスマスも
に話しかける。芝居は好きか、どの役者が一番好いか、東京では、どんな外題がもてるか。婆さんの話と云えば芝居の事
来ればよかったとも思った。「御ともさん」は東京弁と、此村と山形――米沢の言葉をとりまぜた言葉でしきりに
「東京に居なさるから、毎日毎日芝居見てなさるべえと思って……。お嬢
つまみに東京の生活振りを話してきかせた。皆は東京と云えば明るい方面ばかり見て居るので容易に私の辛い、みじめな
をたてて仕舞う。その時も私は歩きながら大つまみに東京の生活振りを話してきかせた。皆は東京と云えば明るい方面ばかり
手袋有※」などと書いたのがバタバタ云って居る。東京で歳暮の町を歩いて一番目につく羽子板等はあんまり飾ってなく、
二十六日の日に東京から、菓子と果物と「鳥そぼろ」がついて、同じ日に十二月分
である。元日だと云っても別に之ぞと云う東京ほどのにぎにぎしさもない。
して、斥候に出て捕虜になった在郷軍人は、東京の家の書生の兄弟で、いい機嫌で、その時勇戦奮闘した様子
来ない人達は、旧の正月を祝うのである。東京に居て他家へ行ったり来られたりしてすごす七草まで位の日は
東京の急がしい渦が巻き来まれて、暇だとは云いながら一足門
娘でも、東京へ出て一二年奉公でもすれば、立派な奥様になりあがって、明日
してそんなに善いとばかり想って居るかと云えば、東京見物に行ったものの土産話しと、雑誌の記事写真によるのである
思う位いに善い事ずくめに想って居るのである。東京を見た事もないで、どうしてそんなに善いとばかり想って居る
、食うに困る事等はない様に思う事等は、東京の生活をしたものがあんまり馬鹿馬鹿しいと思う位いに善い事ずくめに想っ
東京――都会の生活を非常に理想的に考えて居る事、都会に出れば
農業休みに十日か二十日の東京見物に出かけたものは、只にぎやかな町の様子、はやしたてて居る見世物、
「いやはあ、東京ちゅう処は、はあ偉えこんだよ。
とごたまぜにして居る。そして、自分も大望を抱いて東京へ飛出しは飛出しても、半年位後にはやせてしおしおと帰って来る
難だろうとさえ思われる。田舎の若者が、皆が皆東京へばかり出たがって仕舞っては、ほんとうに困る事だろうと思う。
東京を紹介する雑誌は、責任をもって着実な考えで東京を知らせ、良い処よりも悪い裏面を多く知らせた方がまだ不
東京を一寸も見た事のないものに東京を紹介する雑誌は、責任をもって着実な考えで東京を知らせ、
東京を一寸も見た事のないものに東京を紹介する雑誌は、責任
事を農民自身に感じさせたいものだと思う。東京へ東京へと浮足たって居ながらする農業は、目覚ましい発達を仕様はずがない。
と云う事を農民自身に感じさせたいものだと思う。東京へ東京へと浮足たって居ながらする農業は、目覚ましい発達を仕様はずが
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を考えもしずに都会の派手な生活にあこがれて、上野の停車場へ降りさえすれば、目の前に金のもうかる仕事が御意の