老残 / 宮地嘉六
地名一覧
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て酒をのみたがるのには泣かされたとのこと、青山の引揚者寮に入つてから、その寮の前に空地があつたので、
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それどころか、寄りつかなくなつてしまつたので、彼女は名古屋で景気づいてゐる弟から資本を借りて現在の福吉町のバラック建の喫茶店を
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言葉の調子では関西者らしい。
「君、関西かい」
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わからなかつたが、或る引揚者夫婦のことで、亭主は横浜の進駐軍関係の自動車工場に勤めてゐて、情婦ができたので妻子を
になつたが、よいあんばいに亭主の就職が叶ひ、横浜の方の進駐軍関係の自動車修理工場に採用ときまつたので、やれありがたやと
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「大阪です」
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今でこそ赤坂の花柳街も殆ど元通りに待合など建ちそろつたが、終戦直後は見渡す
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。さらにさかのぼつて回想すると、このへん一郭は佐賀藩主N侯爵の屋敷で、今の崕上の総理大臣官邸が昔は御殿と
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終戦と共に東京の空が急に平穏にかへつたときは誰もがホツとしたで
とハンコを刻つてるのをよく見受けた。終戦直後の東京でも家を焼かれた印章屋が焼跡の路傍で、道ゆく人の
軒の瀟洒な印章屋の影像が浮ぶのだつた。東京の町のどこかで、さうした、小ざつぱりとした印房を
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得策だと思ひ、或る日のこと、ハンコ屋になりすまして浅草鳥越町一円の印材問屋を一軒々々あたつても見た。そこに
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或る日、虎ノ門の霞山会館の前でA通信社の文化部のK君に出あつた
よく/\見ると見覚えのある男。虎ノ門の焼けビルの跡などに古いベニヤ板を三角に立て合はせて、その
「ねえ君、一日に二百円平均も稼ぐなら、あんな虎ノ門の焼けビルの跡なんかに寝泊りしなくつても、安宿に泊れるだらうに
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「え、千住の簡易ホテルだつたら一晩三十円で泊めてくれまつけどな、僕、
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さすがに私も、その酒場だけは足遠くなつた。概して新橋界隈は柄がよくなかつた。
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なら高い足代をもいとはず遠征した。西は飯能、八王子、東は茨城水海道へんまでも長駆した。
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のませてやりたいと思つたらしく、殊勝にも一緒に五反田まで同伴して行列に立つてくれたが、おかげでその時は二杯
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、おつしやつてゐましたわねえ。さう/\、永田町でしたわね」
「溜池の停留所の近くです。永田町の総理大臣官邸の崕下にゐます」
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をめぐる家来長屋の一棟に寄寓し、少しの間、神田の学校へ通つたことがある。それから早くも五十年――。今
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だつたのだ。大正十二年の震災後、藩主の本邸は渋谷に移された。私は母方の親戚がN侯の側近を勤めてゐ