欧洲紀行 / 横光利一

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地名一覧

キエフ

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なので私の宿は女医の家だ。女主人はキエフの白系露人の貴族である。王朝時代の品位と善良さを持った五十過ぎ

ルーアン

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パリーからルーアン迄バスで三時間、沿道の田園はノルマンディにかかっているのでフランス特有の明るい日光

が立っている。滑かな道は草の中を真直ぐにルーアンまで延びている。ところどころに五六軒の村がある。どの村ものどかでものう

と谷のような低い平野に、セーヌ河を取り包んでルーアンの町が見える。河の両岸は起重機ばかり。ファーブルから上って来た船が

純粋のフランス人を見たければ、ルーアンへ行けと云われて出て来たのだが、寒くて外出不能である

これを読むと、パリーからノルマンディへ行く道の書き出しなど、ルーアンへ私の行った道と同じである。

ベルリン

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た巴里祭の準備に賑やかだ。これがすめば私はベルリンへ発ち、日本の夏の終りに間に合いたいと、今は心急ぐばかりである

ベルリンへ発つ飛行機の切符を買う。この夜、西條八十氏とぼたん屋で出逢う。

ね、寝ていたら夢を見てね、あなたがもうベルリンへ行くと云って僕のところへ来たんですよ。僕びっくりして、

が翼を拡げ、火を吹いて横わっている。それがベルリンだ。これにのた打ち廻られてはパリーもたまるまいと思う。

、山の頂きを仰ぐような感じであったが、ここベルリンの建物の下では岩石の谷間を歩いているような感じである。町

あるが、無一文で革命の際に老母と息子二人を連れベルリンまで逃げて来た。刻苦精励医学を勉強し医者の免状をそれから取ろうと

て来た。笑婦も脚の運びで見当がつく。ベルリン、パリー、ロンドンは笑婦に一脈の共通な悲しいところがある。しかし、この

の姪が来るというので女主人は嬉しそうだ。ベルリンの娘は十八ならもう大人と同じ事をしているが、パリーの姪は

ばかりにも拘らず、パリーは長くいる気はしないがベルリンならいつまでだっていられると云う。

。また喧嘩ばかりだろうと一人が云う。これから始まろうとするベルリンのオリンピックのことなど、今はどうでもよいという気持ちになって来る。

。さて日本人はとわれわれは互に見合うのだが、このベルリンに匹敵する文化をどこから引き摺り出すのか、答えに詰った顔を撫で廻し

とかまやしないと、このように言ったドストエフスキイのベルリンに於ける心理も、何も珍らしいことではない。

この地の博物館さえまだ私は見ていない。私はベルリンの歴史よりソセージの美味なのを一つ食べあてれば、それで心は満足

学者であるが、大森義太郎氏の紹介に預り、今初めてベルリンで逢う。

夜十一時ベルリン、ツオウ駅出発。――汽車が動き出すと突然五十過ぎの日本人が一人這入っ

ものを想像出来ない。私はパリーでドイツから追われたベルリンの共産党の婦人と知合いになったことがある。この婦人にあなたはどこが

あなたはどこが一番好きかと訊ねたら、「そりゃ、やはりベルリンですわ」と答えたことがある。

禁止だが、この夫婦だけには黙許されている。ベルリンから日本へ外交文書を持って行くドイツ人の外交官二人は、紐で結えた大きな

バイカル湖にかかって来る。山がだんだん多くなる。ベルリン以来山らしいものを見たのは初めてだ。しかし、それもまだ山とは

の湖水が眼下に見え、赭黒い尖塔のかたまった巨大なベルリンが現れた。空巣のようにさびれた夏のパリーとは違ってここは祭り

。菩提樹下の街々は外国人の横行でさながら国際都市である。ベルリンの市民はこれ等の歓待に謙遜で礼儀正しく清潔で親切だ。雨霽れた

する屋舎の紅い瓦は平和な楽園を思わせる。競技場はベルリンの郊外一里のところにある。灰白色の方円の底に緑の芝生をとり囲む

、得る処が多かったのである。いつか前に、ベルリンにいる日本人で、ベルリンの料理は不味くて困ると書いたところが、日本から

のである。いつか前に、ベルリンにいる日本人で、ベルリンの料理は不味くて困ると書いたところが、日本から沢山の投書が来て

たところが、日本から沢山の投書が来て、お前にベルリンの料理の味が分るかと、さんざんな攻撃を受けたという。日本の

パリーを守る人と、ベルリンを守る人と、ロンドンを守る人との熱心な争いは、しばしば外国で見る

ベルリンやパリーのことを悪しざまに書けば、いろいろ攻撃を受ける不便は、ロシアに入れ

ベルリンにいる時、政治の話だけはしないでくれ、外人といえどもすぐ

。この夜、私は面白い経験にぶつかったことがある。ベルリンからモスコウへ行くために、ポーランドの国境で汽車を乗換えねばならなかった。

大阪

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ものは、やはり花である。ロンドン市中の建物は、大阪の堂島に似ている。石柱が太く重い。テームスの景観も丁度中之島だ。

浅草寺

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思う。前の広場の鳩の密集している様は、浅草寺の比ではない。差し延ばす腕に、身を擦りよせてとまる鳩の群の

堂島

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、やはり花である。ロンドン市中の建物は、大阪の堂島に似ている。石柱が太く重い。テームスの景観も丁度中之島だ。実質一点張り

チロル

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はパリーを一人発った。アルザスからドイツのミュンヘンへ入り、チロルからウイン、ブダペストと延びて、ダニューブ河の河岸のホテルへ著いたときには

山岳の美はドイツとオーストリアの国境、ミッテンワルドから、チロルへかけて第一と思ったが、シンプロンを越え、スイスに這入り、モントルウまで

シナイ山

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スエズに近づいている。右にシナイ山が見え、左にエジプトが見える。このあたりを通りつつあるときには、頭

中之島

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に似ている。石柱が太く重い。テームスの景観も丁度中之島だ。実質一点張りで、装飾は堂々たる威嚇となり、大国の鷹揚さの裏

コロンボ

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セイロン島が船と共に走っている。間もなくコロンボだ。見たところ、印度は九州の端みたいなもの。デッキパッセンジャーの印度人

午後四時、コロンボ着。ここまで来ると椰子はもう珍らしくはなくなった。日本の藪を見て

三月十一日、正午コロンボ出帆。

エトナ火山

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赤い屋根、白い砂ばかりの川。右のメッシナの横にエトナ火山が見える筈だのに雲の中に隠れている。

マルセイユ

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欧洲航路のマルセイユまで行く船中生活ほど、この世の楽土はまたとないと人々はよく口にする

と深さを感じる。欧洲へ渡ること二十六回。横浜よりマルセイユまでの航行中の心理の移動をときどき私に説明してくれる。東京を立つ

野蛮国である。まだまだこの三倍の長さの未開地がマルセイユまで続くのだと思うと、戦争の起るのも無理もないと思う。誰

へこの船の寄らぬ事が惜しい。後二日目にマルセイユへ着くので誰も彼も上陸の準備ばかりで急がしい。

マルセイユ見ゆ――灰白色の陸地に松色の樹木が苔のように喰いついている。

マルセイユの街を廻る。街路樹は皆揃いも揃った大木ばかりだ。家は古びて

街を自動車で廻り歩いた。ところが、不思議なことに、マルセイユの群衆は誰一人笑っているものがない。どうもおかしいと思って、同行

晴。マルセイユ出発。巴里へ。

アルプス

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イタリアへ入ったのは六月の下旬である。アルプスの峻峰を飛行機で飛び越えてベニスへ出る。

ワルシャワ

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の奥へ這入っていると見えて、雨の降っているワルシャワへ着く。どことなく濃尾の平原にある街のようだ。錆びたレールの

たが、どうも御苦労でございました。私はこれからワルシャワへ行く外務省の者です。」

妙義山

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割り込んで進んで行く。夕陽がコルシカ島の上に落ちる。妙義山を連ねたようなサルジニアには波が荒い。ガリバルジイの生れた島とナポレオンの生れ

東京市

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薬研堀から人形町の裏町へかけた所である。私は東京市中で純粋の東京の品物を売っているのは恐らくここだけだと思うが

東京市庁に芸術家をもっと入れるが良いと思う。ここの街では、彫刻家の集団

ロンドン

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昨夜事務長が、七つの男の子がロンドンから日本までお婆さんを慕って一人で帰った話をした。それも

からどうしても一人で帰るといってきかないのでロンドンの親達も困って一人で帰らしたとのことだ。何処やらの日本婦人

船中の話――ロンドンにイギリスの売春婦があり、日本人専門に商売をつづけているうち、八十磅の

懐中していたと云う話――。これは前のロンドンの総領事の米沢氏が直接私に話したこと。

ロンドンへ来た。ドーバーを越した飛行機の中で、足が側面の立壁に触れる

三つ四つ向うのテーブルにいたアメリカの婦人と、ロンドンのピカデリの群集の真ん中でふと出逢った。物も云ったこともないのに

らしく、にっこり笑いつつハロウと声をかけて行きすぎた。ロンドンの良い印象の一つである。

どこ一つ見る気も起らずロンドンを発つ。十二時半。ドーバーの上は霧ばかりだ。霧は茫々と際限なく

飽かず街々を眺め廻した。六月になれば、もう一度ロンドンへ行き、イギリスを見直そうと思う。

笑婦も脚の運びで見当がつく。ベルリン、パリー、ロンドンは笑婦に一脈の共通な悲しいところがある。しかし、このようなものも

電話に出ると脇村氏からだ。氏は石油研究のためロンドンに滞在中の学者であるが、大森義太郎氏の紹介に預り、今初めてベルリン

パリーを守る人と、ベルリンを守る人と、ロンドンを守る人との熱心な争いは、しばしば外国で見る光景であるが、中

東本願寺

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にその比を捜すなら奉天の北陵か日本でなら京都の東本願寺の屋根である。深夜に森林の中を一人歩く凄さより、コンコルドの広々とし

モンブラン

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の風景は、すべてモントルウの風景だ。雪を冠ったモンブランの峻嶺がレマン湖に映り、シロンの古城を取り包んだ清澄な湖面は、

満洲

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人たちばかりだとの事である。日本ではこれが満洲。

カムラン

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カムランの島浅黄なる衣更

ナポリ

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頂上で明るい。桜島のように全島が富士形の火山だ。ナポリへこの船の寄らぬ事が惜しい。後二日目にマルセイユへ着くので

九州

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ている。間もなくコロンボだ。見たところ、印度は九州の端みたいなもの。デッキパッセンジャーの印度人たちは、美しい衣を着替えて嬉し

シベリア

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私はウラルを越えてシベリアへ入って来たとき、幾千里となくつづいた原野を見ると、過ぎて

アデン

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。今日は私の誕生日である。今日の午後一時にアデンへ着く筈。ここまで書いてふと窓から外を見るとアデンが見えて来

カイロ

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午後三時、スエズ着。ここで途中下船してカイロへピラミッドを見に行く。一行十四五人。自動車で百哩ほど沙漠の

である。しかし、こんな高価な遠足にも拘らず、このカイロへ来た事だけは、後悔をさせぬものが確にあるのだから

と答えると、びっくりして云うには、六磅あればカイロから巴里まで行って自分たちは帰って来るのが習慣だと云っていた

香港

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疲れているので、上海のことは後日に廻し日記は香港から書こうと思う。

の逢うもの同様な表情を一瞬私の面前でする。総て香港の支那人は上海のものより俊敏で活溌だ。

香港は建設以来八十年、全島鬱々たる樹木の山もそれまでは禿山との事

事。山の頂に向って階段をなす建築の美。香港の夜景は世界の四大夜景の一つだと云うが、私は昼間の

香港へ着いた朝、チャイナメイルの英人の記者二人訪ねて来た。どちらも

香港二十九日朝七時出帆。寒い。ここより以西は夏服だと聞いていた

なかった所であろう。しかし、私にとっては上海、香港、シンガポールと来た土地の中では、最も気に入った所である。

京浜

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。自動車で百哩ほど沙漠の中を疾駆する。道路は京浜より完全だ。五六十哩の速力をつづける。この速力なら石ころ一つあっても

横浜

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何処やらの日本婦人が世界を廻って帰って来て、横浜まで船が入ると、どぶんと海へとびこんで死んだという話もきいた

面白さと深さを感じる。欧洲へ渡ること二十六回。横浜よりマルセイユまでの航行中の心理の移動をときどき私に説明してくれる。東京

オリンピア

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騒音のなかで孫、南両氏がかけている。ギリシアのオリンピアから運ぶ鉄の火皿の三本の脚と脊を比べるとまだ一尺を見上げ

ジュネーヴ

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日本に帰るには先ずパリーへと、翌日ジュネーヴまで戻る。ここは琵琶湖の入海の部分を公園にしたと同じである。

ミュンヘン

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なって、私はパリーを一人発った。アルザスからドイツのミュンヘンへ入り、チロルからウイン、ブダペストと延びて、ダニューブ河の河岸のホテルへ著い

ミュンヘン着。静かな街だがどこか底の方で大きな機械がごとごと動いている

ジャパン

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人を湛えて群れている。その中の一つに、ジャパンというのが、市中目抜きの場所にある。

、一町四方もあろうかと思われる大カフェーの名前にジャパンというのがある。

軽井沢

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資生堂どころではない。軽井沢も日比谷も、東洋的な良さである。日本の外人がすでに東洋的なのだ

林のなかに米国選手の宿舎がある。一帯の風景は軽井沢に似ていて裏葉をかえした白樺の梢が日光にきらめき、はればれとし

下関

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て、左岸にシシリイ島のメッシナ、右岸にレジア、門司、下関という距離だ。海峡には渦が巻きひどい急流である。海峡を渡りつつ

ブダペスト

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発った。アルザスからドイツのミュンヘンへ入り、チロルからウイン、ブダペストと延びて、ダニューブ河の河岸のホテルへ著いたときには、ハンガリアの曠野

。ヨーロッパの中で、一番に美しい都会は、パリーとブダペストといわれている。ハンガリアの都、ブダペストは、街も自然も人も美しい

は、パリーとブダペストといわれている。ハンガリアの都、ブダペストは、街も自然も人も美しい。しかも、市中の河岸半里の間に

ブダペストへ出発。オーストリアからハンガリアの野へかけて、雛芥子が所嫌わず生えている

午後六時ブダペスト着。――ヨーロッパへ来てどこが一番面白かったかという話が出る度

が一番面白かったかという話が出る度に、異口同音にブダペストと誰も云う。ここはブダとペストが河を挟んで合している街。

がシンボルだ。コンパスでヨーロッパに円を描くと、中心がブダペストの上に刺さる。海岸線を一つも持たず、兵力の集中をどちらの国境

日本を愛すること、ここの国民のごときはなかろう。ブダペストには、一町四方もあろうかと思われる大カフェーの名前にジャパンという

ブダペストの郊外の地中から、二千年前の遺跡が近年発見された。この遺跡

ワシントン

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を指差し、くつくつ笑いながら、ジョージ・ワシントンと云う。なるほど、ワシントンの立像が、どう云うものだか、こんなところで光っている。私が笑う

ケルン

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午後二時(時間表では十四時と書いてある)ケルンへ着く。平野の中央に尖塔を鋭く立てた煉瓦色の市街である。石炭

芥川忌日に飛行機で発つ。パリーをなつかしむ間もなくケルンを過ぎ、早くもポツダムの湖水が眼下に見え、赭黒い尖塔のかたまった巨大

ローマ

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大きさから察すると、この都の文化は、その昔ギリシアやローマに劣らなかった繁栄を示したものにちがいない。しかも、この都の広さ

、美人が一人もいないのと同じ事だ。ネロがローマに火をつけたのも、あまり美人がいすぎたからだ。

、このような絵画を店頭にかけるのは、あらゆる道はローマへ通じると訓戒をしているようなものだ。仏訳になった印度のカーマストラ

遺跡が近年発見された。この遺跡はペルシャとギリシャとローマの混合であるが、往時の文化の高さを物語るもろもろの要素が、一見

唐招提寺

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春の大和、唐招提寺の句だ。現在の私の日々眼にしているものとこれほど違って

丹波

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捨てて他を刺し殺し、総てを無にする奇怪な道場が丹波の山奥の修験場のように、呼吸をつづけているのである。ここへ

巴里

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だ。無事に過せる考えは無事にしとくに限る。今に巴里へつけば私の今までの考えなど無事にはすむまい。

と、びっくりして云うには、六磅あればカイロから巴里まで行って自分たちは帰って来るのが習慣だと云っていたから

晴。マルセイユ出発。巴里へ。

夕暮の六時。巴里着。

雨。巴里へ着いてから今日で一週間も立つ。見るべき所は皆見てしまっ

巴里について、いろいろの人が、いろんな事を云ったり書いたりした。

晴。巴里へ来てから初めての晴天だ。しかし、私の頭の中では、

は金だということ――この簡単なことが、この巴里へ来て初めて分る。われわれは、資本を金だと容易に思えるものじゃ

の服のがらをほめると、この布を売ってる店は巴里のサンゼルマンにある古代布屋ただ一軒よりないといって私にその店の

巴里へついてから一週間にもなる。ペンをもつのが今はじめてだ。

どういうものか巴里にいると、日本の田舎の温泉に行きたくて仕方がなくなる。東京なぞ

。罷業は跡方もなく鎮って、街々は近づいて来た巴里祭の準備に賑やかだ。これがすめば私はベルリンへ発ち、日本の

た巴里へ来て、たった二ヶ月でフロウレンスへ逃げ出し、ほとんど巴里の事に関して書かなかったということはもっともだと思う。

ドストエフスキイが多年あこがれた巴里へ来て、たった二ヶ月でフロウレンスへ逃げ出し、ほとんど巴里の事に関して

て暮している。そこへドストエフスキイが飛び込んだのだ。当時巴里のロシア人たちは、本国を軽蔑する代りに、新米の彼を、事毎

巴里に長くいる外国人は、誰も彼も、一様に巴里を尊敬し、熱愛して暮している。そこへドストエフスキイが飛び込んだのだ

巴里に長くいる外国人は、誰も彼も、一様に巴里を尊敬し、熱愛

ても云い出さずにはいられなかったものが、この巴里には潜んでいるのである。

巴里の憂鬱という言葉がある。私もこの年まで、度々憂鬱は経験し

雲形定木の面白さも何となく物足りぬ。私は巴里へ来てから一層上海の面白さが分って来たような気がする

巴里にはリリシズムというものが、どこにもない。何とかかとか

河は、古城の銃眼を高く一方に聳えさせ、延々と巴里に向って流れている。風はうすら寒い。

サンジェルマンは高台で、六里彼方にある巴里の街のゆるやかな起伏が一望の中に見渡せる。林檎の花盛りだ。遠く

に疑問を持つのである。私は自分で来たくて巴里へ来たのでは決してない。私の友人たちが、行け行け、行け行け

なマロニエの花叢が、風に重々しく揺れ動く。岡本君は巴里の屋根の下を「若者よ、愛せ。」とフランス語で唄いながら、その

ここでは句にはならぬ。以上は巴里着即後の私の句であるが、外国で俳句を作るには発明

巴里に淡徳三郎氏の出している、日仏通信というガリ版の一頁新聞が

罷業を見終ってからにしようと、また腰を据える。巴里へ来た人はこの地の歓楽場の話をよくしたものだが

の方へ曲り、サンゼリゼーからカルチェルラタンまで歩いてみた。ほとんど巴里の中心を廻ってみたのだが、ホテルとカフェーとレストランは、どこ

パリーは巴里祭の準備で賑やかだが、人に聞くと、毎年毎年この祭りはさびれ

が長々と続いて来る。すべて共産党の行列だ。明日の巴里祭までこれがつづいていくのである。三時になって外へ出る

七月十四日、巴里祭――

巴里祭の過ぎた後で、パリーに残っているものは馬鹿にされると

は私のつけた題ではない。私の通信は、巴里そのものを書くのが目的ではなく、私という一個の自然人が

私の「失望の巴里」という第二信は、こちらの日本人間で問題を起したらしいが

小出楢重という画家は、日本を発ち、巴里へ着いたその翌日、もう帰ると云って、どんなに友人たちがひきとめて

するこれらのものも何らの光彩も発揮しない。巴里の憂鬱というのはげらげら笑っていようと、黙りこくっていようと、何の

巴里から帰って

私は失望の巴里という題で、文藝春秋へ通信したことがある。あの通信はパリー

京都

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どこかにその比を捜すなら奉天の北陵か日本でなら京都の東本願寺の屋根である。深夜に森林の中を一人歩く凄さより、

奈良、京都など、東洋的には見えぬという。この不思議さも、ヨーロッパへ来て

奈良、京都はすでに電池の切れた日本である。

外国人が世界を一周して、日本の京都と奈良に来ると、初めてほッと救われた気持ちになると云う。是は

奈良

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奈良、京都など、東洋的には見えぬという。この不思議さも、ヨーロッパへ

奈良、京都はすでに電池の切れた日本である。

外国人が世界を一周して、日本の京都と奈良に来ると、初めてほッと救われた気持ちになると云う。是は先日実験

東京

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東京に起った暗殺の報伝わる。まだ朝だ。台湾沖通過の際デッキゴルフを

航行中の心理の移動をときどき私に説明してくれる。東京を立つときの送別会攻めの疲労はシンガポールまで続くとの統計が出ている

私の着ている夏服は、東京で三人より着ていない。印度のセメントを入れる荒い麻袋で造った

だ。ところが、こんなに遠い紅海の真ん中で、突然、東京音頭や長唄のレコードを聴かされると、首を絞められたような気持に

今ごろ東京の真ん中で退屈で何とも仕方のない人間は、大往生をしている

と、日本の田舎の温泉に行きたくて仕方がなくなる。東京なぞはあまり魅力がない。

どんな街路樹でも早や駄目だ。マロニエに似た街路樹は、東京では警視庁の横から海軍省の前まで並んでいる栃の木がよく似

へかけた所である。私は東京市中で純粋の東京の品物を売っているのは恐らくここだけだと思うが、これがパリー

薬研堀から人形町の裏町へかけた所である。私は東京市中で純粋の東京の品物を売っているのは恐らくここだけだと

た通りばかりが、パリーを私に最もよく物語るのだ。東京で云えば薬研堀から人形町の裏町へかけた所である。私は東京

。皆ここのは仕事場だ。歓楽を仕事とする。もとより東京とて同じであるが、ここのは真面目な仕事であるから、一層歓楽が

鉄の椅子に腰かけ、暮れかかっていく空を見上げながら、東京のあれこれを考えていると、不意に婆さんが肩を叩いて、腰かけ

パリー出発。ストラスブルグへ。東京からパリーまでは一人旅と云っても連れは多い。しかしこの度の五

壮観、設備の整頓、道路の拡張、街路樹の美しさ、東京など面赤し。

東京市庁に芸術家をもっと入れるが良いと思う。ここの街では、彫刻家

てドイツ流に変ったとのことである。もしこれが東京で演ぜられたことであったなら、いかに政府は攻撃されたか分ら

大山氏、この人と私はこれから東京まで行くのである。オリンピックの水泳が後まだ四日も残っているとき

、最も汚いところがモスコウというわけだ。これは日本の東京も同様である。

街に土木工事の多いのも東京と匹敵している。この二つの国は今は新築の最中である

伝統に論理を持たなかったということも、モスコウと東京とはまた似ている。伝統に論理のない限りは何をどこから取り入れよう

ドヌウルをフランス政府から貰っているほどの人であるが、東京に帰ったとき、フランスの放送をして、ふと話がフランス人の悪い部分

銀座

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している。どこもかしこもつまりはるかに立派にした銀座ばかりのようなものだ。ふと上を仰ぐと建物の線や彫像の微妙

一二日違うのだが、逢った場所は揃いも揃って銀座のヱビスビールの前である。それも夜の群衆の中で通りすがりのこと

良い東洋的なものがあるとの答えであった。われわれが銀座で一番ヨーロッパ的だと信じていた物が、東洋的に見えるのだ。

外国で暮した吉田健一氏とよく会った。この人は銀座の資生堂がどこより好きな青年である。どうして君はそこが好き

そのままに書き得られぬという不便さ――ここの銀座には商店もカフェーもないのと同様だ。そんなものは不用なのだ

だ赤い広場の周囲一帯はアメリカ式の建築だ。モスコウの銀座を歩く。なるほど、ここは労働者の国だったのだと気がつく。

人形町

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私に最もよく物語るのだ。東京で云えば薬研堀から人形町の裏町へかけた所である。私は東京市中で純粋の東京の

日比谷

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資生堂どころではない。軽井沢も日比谷も、東洋的な良さである。日本の外人がすでに東洋的なのだから

浅草

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思う。前の広場の鳩の密集している様は、浅草寺の比ではない。差し延ばす腕に、身を擦りよせてとまる鳩の

大久保

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夜オートイユの塩谷氏、大久保氏から招待あって行く。帝大の矢部教授も一緒である。

夜になって、大久保氏の部屋で雑談中、上の部屋の松平男夫妻、鶴岡氏らが

大塚

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前大毎ベルリン特派員の大塚虎雄氏が隠れた馬占山を見破り、これを捕えて初めて彼の生死を