夜の靴 ――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師) / 横光利一

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地名一覧

平泉

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低まっていく山懐の村である。義経が京の白河から平泉へ落ちて行く途中も、多分ここを通って、一夜をここの山堂の

名古屋

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ちゃ、笑わざるを得ないでしょうからね。アメリカの俘虜に名古屋の一番大きな工場を見せたら、これは工業じゃない手工業だと云ったとも

東京地方

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いる。しかし、それもしばらくだ。午後からの暴風は、東京地方から富山県下を廻り、日本海に添ってこの庄内地方へも廻って来た

堂島

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での出来事もふとまた私は思い出したりした。それは堂島の橋の手前で、朝日の前あたりだったが、私が歩いていると

チロル

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自慢の形になったが、その実、チロルの草原でこのような所に鈴を首につけた牛がひとり歩いてい

満洲

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ことだったが、あるとき謎が解けた。その男は満洲を渡っているとき、人知れず苦力の背に封じ手を使ってみて、

本州

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外国から帰って来たとき、下関から上陸して、ずっと本州を汽車で縦断し、東京から上越線で新潟県を通過して、山形県の庄内

鎌倉

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汽車に乗っているところとある。胸に灯火をかかげ、鎌倉へ向って進行していく夜汽車が眼に泛ぶ。だんだん灯の点いていく

出羽三山

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背に跨がった感じの眺望で、右手に平野を越して出羽三山、羽黒、湯殿、月山が笠形に連なり、前方に鳥海山が聳えている。そして

伊賀

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のそこがいやだったんじゃないかなア。あの人は伊賀の柘植の人だから、おれと同じ村だ。それだから、おれには

横浜

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から松浦正吉君について和尚に訊ねた。正吉青年は横浜の工場から帰国後、村の因循姑息な風習を見て慨歎し、何とか

八幡山

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で歩き廻ったある日のこと、むかしの神社の跡で八幡山という小高い丘の前へ立った。

最上川

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向うに、煙筒のかすかに並んだ岬の見えるのが、最上川の河口である。そこが酒田だ。捕虜収容所もあの煙筒の下の方

余目から最上川に添って新庄まで行く。最上川の紅葉はつきる所がない。万灯の列の中を過ぎ行くように明るい。傍

下関

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外国から帰って来たとき、下関から上陸して、ずっと本州を汽車で縦断し、東京から上越線で新潟県を

樺太

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別家の久左衛門の主婦は今日はめっきり心配顔だ。長女が樺太に嫁いでいる折、引上げ家族を乗せた船を、国籍不明の潜水艦が撃沈

来たからだが、本家の参右衛門の家の長男も樺太にいる。両家の今日の憂鬱さはひとしおふかい。

、これはまたいつも黙っていて、心配を顕さない。樺太へ出征している長男が、帰れるものやら、奥の陸地へ連れて行かれ

と、参右衛門は云う。彼も一度は樺太へ出稼ぎに行って、石炭を掘ったこともあり、そこの景色は直ちに泛ん

に聞かせた。清江の長男のこと、音信のまったくない樺太に出征中の長男は、八月に負傷して今病院に入院中だが

。ところが、本家のここの参右衛門の家では、樺太出征中の長男の帰りがいまだに分らぬので、嫁は実家へ帰りきり

にぶつぶつとついている。家を飲み潰し、妻子を残して樺太へ出稼ぎに十年、浮き上ろうにもすでに遅い、五十に手の届いた私と

富山県

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、それもしばらくだ。午後からの暴風は、東京地方から富山県下を廻り、日本海に添ってこの庄内地方へも廻って来たと、

ローマ

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と二人で湯に浸りつつペトロニユスの死んでゆくときのあのローマも、このような湯の中の美しさはなかったであろうと感慨も豊か

大阪

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ということだった。運悪くその前夜久左衛門が来て、大阪の商人で一俵千円で村の米を買ったという話のあった

云ってからAはまた、ある堕落派の天才で一人、大阪で誰からとも分らず斬り殺されたもののあったことを話した。それ

新潟

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版の衛藤氏編中のものだが、この衛藤氏は新潟在に疎開中で、そこからときおり夫人が菅井和尚の寺まで見えるとの

焼け出されて新潟の水原在の実家に疎開していた石塚友二君から葉書が来る。

福島

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していた石塚友二君から葉書が来る。発信地は福島の郡山からだが、川端康成から鎌倉文庫へ入社の奨めをうけ、目前

京都

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だけ私は云っただけで、何の反対もされず京都の山科から行李を一つ持って出てしまった。思うに私の父

疑いを抱かぬまめまめしい身動きは、なるほど、こんな仏像は奈良や京都の寺でよく私は見たことがある。炉に対いあっている間も

奈良

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て、疑いを抱かぬまめまめしい身動きは、なるほど、こんな仏像は奈良や京都の寺でよく私は見たことがある。炉に対いあっている

東京

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「東京にいたときのことを思いなさい。あれよりはまだましだ。」と

たということは、何より結構じゃないか。あの大きな東京は、もうないのだからね。お前は見ていないから、知らない

よく見てみなさい。紋服でも着せて出そうものなら、東京のどこの式場へ出したって、じっと底光りして来るよ。」と私は

何の用もない、ただ遊びに来るだけだ。私は東京にいても、この朝の時間を潰されることほど苦しいことはない。

の銀行へ移管させたのが、四月以来いまだに東京から返送して来ないことだった。四月から九月まで、一銭

の銀行の預金帳を、銀行焼失のためこちらで他の東京の銀行へ移管させたのが、四月以来いまだに東京から返送し

思うのだが、一つはそのためもあって、早く東京へ戻ろうという気持ちは起って来ない。

恩を与えたものの美しさだろう。間もなく私は東京へ戻り、忘恩の徒となり、そしてますます彼らに感謝することだろう。

いる。しかし、それもしばらくだ。午後からの暴風は、東京地方から富山県下を廻り、日本海に添ってこの庄内地方へも廻って

について、日夜耳を聳立てている農民に、こんな東京の話は聞かされたものではない。十円でびっくりしているもの

働きたくて仕方のないのがいることも事実である。東京からの通信では、米一升が六十円になったという。誰

、下関から上陸して、ずっと本州を汽車で縦断し、東京から上越線で新潟県を通過して、山形県の庄内平野へ這入って来た

「先生、東京へ帰るのか。もうちっといてくれエ。ぼた餅やるよう。」と云っ

「僕これで東京へ帰るんだよ。早く帰って、ピアノ弾きたいなア。いいでしょう、さき

「明日東京へ行ったらいい。」

「お母アさん、パパ東京へ明日行けって、いい、行っても?」まるでまだ子供だ。

も聞きもしなかった。そして出発の前の日母に、明日東京へ行きます、とただそれだけ私は云っただけで、何の反対も

私の十九のときは、私もその年初めて東京へ出て来たのだが、父にはそれまでひと言も行きたい学校

ときから米価は鰻のぼりに騰って来たが、まだ東京の値など村のものには話せない。

ていること、ここで新妻を貰ったこと、沢山あった東京の彼の持ち家が全部焼けたことなどA君は語ったが、いつか

夜、家人がみな寝てしまったころ、長男がひょっこり東京から帰って来た。自家の畑で採れたさつま芋をリュックに一杯つめて

「どうだった東京。」妻は起きてきて子供に訊ねた。

「つまらないこと、東京のお話たったそれだけね。」

私と妻は、東京から来た客ということだけで、子供まで別人になったように見

疎開者らしくない気持ちの起ることだ。事実、私はまだ東京の所帯主でここでは私の妻が所帯主になっている。妻と子供

をすませ、私でも町会から十円の賞を貰って東京を立った。立つときも留守居のHとIとに依頼し、炭焼

た供出係りは全国に一人もなかったことは、これは東京の新聞も報じて有名なことだが、私のいるこの村も、それ

「東京へは日露戦争のとき、出征するので一度通ったきりだ。」

とこういう久左衛門には、私のする東京の話も興味をひくのも尤もなことにちがいない。中でも東条

も恐らくこのような気持ちだったであろうと思われて、東京の空が千里の遠きに見え、帰心しきりに起ることがある。しかし、

遅遅としている。私は農家の収穫を見おさめれば東京へ帰ろうと思っているが、雁が空を渡っていく夕暮どきなど、

も風も少くて光線はうらうらとして柔かい。冬の東京を思うと私はもうたまらなく懐しいが、こんなとき久左衛門はやってくると

で繰り返されたこんな言葉も、終生つづいたことだろう。また東京の冬は一年のうちでも一番良く、雨も風も少くて光線

私は東京から一冊の本も、一枚の原稿用紙も持って来てい

出す。清江は笑っているだけだ。由良の漁場では東京の網元が焼失してしまっており、網の修繕が出来ず、油も

。一升が四十円ほどになって来たのだ。東京からの通信では六十円から七十円になっている。一升五円

師が、先日からこの村へ潜入して来ている。東京までトラックで運ぶということ、そんなことは出来るものではないという結論

「もうこんなになっちゃ、東京へ帰って隣組の人達と一緒に、餓え死する方がよござんすわ

横から、東京へ嫁入して手伝いに戻っている娘が聞いていて、妻の持っ

。落葉の静かな池辺によく似合った曲で、晩秋の東京の美しさがこういう所へ移って来ているのを感じた。

の年月を必要とすることだろう。先日、佐藤正彰君が東京から見えた折の話だが、同君の父君は漢学の大家の正範

無事に着いた。四月から半年以上も行衛不明で、東京の銀行の方を調べて貰うと、銀行の女事務員が今まで握り潰してい

「先日も岩波茂雄君が東京から私のところへ来ましたが、君のその話は面白いから、是非

「こっそり一つ譲ってくれないものかしら、東京にだって、こんなのないわ。」

。文明を支えている青年というべきだ。間もなく東京へ帰ろうとしている私には何よりの土産である。私がもし

の男が、参右衛門の所へ薪買いに来て、東京へ貨車を買切りで帰るのだが、荷の噸数が不足して貨車

突然のことだが、意外なことが起って来た。東京から農具を買い集めに来た見知らぬ一人の男が、参右衛門の所へ

「これから東京への土産に荷車を買いに行くんですよ。それから羽黒へ行って

へ行ってたものだから、まア、こんなことはね。東京へ帰って百姓をしなくちゃならんものだから、農具を買い集めている

「私は荷と一緒に東京へ帰りますが、またすぐ、もう一ぺん引き返して来るんですよ。」

「荷物が東京へ着いてから、私の家まで運送するのが面倒で、それに困っ

それだけだ。一つ東京の住所をここへ書いて貰いたいと私は云って手帖を出した。

私のも預けてもらえませんか。それでないと、東京の方の運搬事情は、終戦後どうなっているか、さっぱり僕には

「荷の着くころ私は東京へ行ってるつもりですが、ひと先ずあなたのお宅へ私のも預けてもらえ

た薪を取りに山へ清江と二人で出かけて行く。東京の留守宅から手紙が来た。食い物の入手の困難なこと、強盗が

「いやね。東京強盗ばかりですって。」

東京から来ているということで、火燧崎まで強盗に見え出して来るの

農会の人の集りのようでもあれば、強盗横行の東京のようでもあり、そのどちらでもない、荒れ狂った濁流の世の若

のいる縁側へ現れ籠をどさりと降ろした。妻が今夜東京へ発つ長男に持たせるために魚を買っているところへ、火燧崎が

水が流れ底から小石がむき出ている。五六日は東京へ帰る準備で私は日を費していたが、さて身を起して

渋谷

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を私は思い出す。それは晴れた冬の日のこと、渋谷の帝都線のプラットで群衆と一緒に電車を待っているとき、空襲の

銀座

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私は戦争中のある日、銀座のある洋食店で夕食を摂ろうとして、料理の出るまで一人ぼんやり壁

上野

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明日一日中私は汽車の中で、夜十二時に上野へ着くとすると、朝までそこで夜明しだ。そして、私が自宅の