旅愁 / 横光利一

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地名一覧

目黒富士

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塩野は庭下駄を穿いて飛石の上を渡り、目黒富士の傍へ近よっていった。薄闇の忍んでいる三角形の築山全体に杉が

よりも杉の繁みの方が量面が大きく、そのため目黒富士の苦心の形もありふれた平凡な森に見えた。しかし矢代は廊下に立っ

吹き靡いて来るような新鮮な幻影を立て、広重の描いた目黒富士の直立した杉の静けさも、自分の持つ歴史に一閃光を当てられるよう

サンジェルマン

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河を下って見た。またバンセンヌの森へも行き、サンジェルマンの城にも出かけた。モンモランシイやフォンテンブロウの森などとパリの郊外遠くまで出かけ

少し汗ばむほどの日であったが、矢代は千鶴子とサンジェルマンのお寺の壁画を見てから、ルクサンブールの公園の中へ入って来て

西本願寺

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嵯峨一帯の寺寺から、修学院、大徳寺境内、西本願寺の飛雲閣、それから醍醐寺までとのびた巡拝の径路に、三日にし

須磨

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が関西の財閥の出で、病身のためいつも夫人附きの須磨の別宅に寝んだきり東京へは殆ど出て来ないとのことで、三

「何んですか、昨日あわてて須磨へお帰りになりましたの。」

間、矢代の友人たちの間にも変化があった。須磨で療養中の東野夫人が亡くなった。由吉が再度の渡欧に旅立っていったの

ロンドン

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は矢代の云うことなど聞いていなかった。彼は明日ロンドンから来る千鶴子の処置について考えているのである。二人は橋の上

「明日千鶴子さんがロンドンから来るんだよ。君、知ってるのか。」

には若い婦人も混っていた。久慈の方にはロンドンの兄の所へ行くという千鶴子がいた。今一方の組の中に

に、マルセーユで降りたいんですけれども、やはり、このままロンドンまで行くことに決めましたの、あら、まアあんなにお日さま大きくなりまし

「千鶴子さんは、わたしと一緒にロンドンまで行きましょう。若い人たちをここで降ろして、老人とよたよた行くのも、

「でも、ロンドンへもいらっしゃるんじゃありません。」

ある午後、矢代は久慈と歩いているとき、千鶴子がいよいよロンドンから来ると告げられたのである。久慈と矢代は今までとて船中の客の

ロンドンから千鶴子がいよいよ来るというときに、こういう心配を久慈が矢代にもらすの

矢代と久慈がブールジエ飛行場まで来たときは、ロンドンから千鶴子の来る時間に間もなかった。晴れ渡った芝生の広場に建って

「ロンドンへもそのうち、一度行こうじゃないか。ね、君。」

「ロンドンも良いが、それよりそろそろ僕は日本へ帰りたくなったね。」

の。何んて優雅なところでしょう。あたし、これじゃもうロンドンへ帰れないわ。」

「じゃ、あなたはロンドンの宇佐美君の妹さんですか。」と驚いて訊ねた。

「あたしね、ロンドンへ一寸帰ろうかと思うのよ。またすぐ来てもいいんだけれど、それ

二通手紙が久慈に来ていた。アンリエットは千鶴子がロンドンへ廻っている間に久慈と親密になった間だったから、特に理窟を

「ロンドンのお兄さんから、何かお便りあったんですか。」

「ロンドンにいらっしゃる事だけは聞いていましたが。帰られれば千鶴子さん、どなたか

でしょう。欲しいもの何も手に這入らないんですのよ。ロンドンだと男の方の欲しいものばかりだけど。――女のものはやはりここ

と思って出て来たのにもう幾月になるかしら。ロンドンの兄からしきりに手紙が来るの。早く来なければ置いてきぼりにして帰って

「ロンドンへはそのうち僕も行ってみたいと思っているんだが――その

からね。君がパリ祭を見たくなきゃ、千鶴子さんとロンドンへ行けよ。後でヒステリ起されちゃ、お相手するのかなわないぞ。」

大学の政治学の教授で、特にこのパリ祭を見たくてロンドンから渡って来たのである。この人は闊達明朗な笑顔のうちにも

「ロンドンに暫くまたいらっしゃるようだったら、ときどき手紙を下さい、もっとも僕もすぐここを立つ

を※咐けた。ソファに向い合ってから、急に千鶴子はロンドンの兄のところへ電話をかけてみようかと矢代に相談した。

「ロンドンを出るとき電報を上げますから、そしたらあなたも船へ下さるんですの

ないそうだから、今日はもうここで失礼すると云い、ロンドンへ行ったら君の兄さんに宜敷くと告げた。

と思ったが、それにしても、千鶴子は来るときロンドンから飛行機で来ており、帰途も自分からこれにすると云い出したところを

帰っているところを想像したりしているうちに、もうロンドンから来たらしい飛行機が芝生の上へ降りて来た。

「そういう人は、ロンドンにもいなかった。」

は物にこだわらない穏やかな良い方だと云うことや、ロンドンにいるときでも夫人と一緒に自動車を自分で運転して、パリまで出

たと見えて、千鶴子や矢代にも会わず、そのままロンドンへ帰ったらしい形跡のあったことも暗示した。

「わたしも十六のときから二十六のときまでロンドンにおりましたが、どうも外国を知らぬ先代の方が、わたしより豪い

「ええ、いつも御一緒でした。何んでもロンドンへいらしたらしい消息が知人からありましたが。」

にゴルフを教えたのですがね。そうですか。今ロンドンですか、あの人。」

。侯爵、何んとか一言いいなさいよ。あなただってロンドンじゃそう道徳派でもなかったんだからなア。」

夕暮どきを思い出したりした。そのときは、千鶴子が明日ロンドンから来るという日で、二人は彼女の宿の選定に悩んでいたとき

兄の由吉の噂を中心にして拡がった。今ごろはロンドンへ着いたばかりであろうとか、枕木嬢とその許婚の伯爵との間に

ナポリ

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しかし、まア、幸いにこれほどで何よりでしたよ。ナポリへ船の寄らないのが残念ですが。――」

九州

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ていることが感じられた。滝川家と遠く離れている九州を郷里としている父が、どうしてこの保守を何より貴ぶ地方の

いうと矢代の家も最上義光と同時代に、彼の九州の先祖の城はカソリックの大友宗麟によって、日本で最初に用いられた

千五百八十二年、信長が殺された天正十年の正月に、九州のキリシタン大名の使節がローマに初めて出発して、八年後に持って帰っ

ていたが、同じ行くなら春になるのを待って九州まで行き先祖の城のあとも見直したくなった。こんなことは前には思っ

「マリヤ観音というのが当時の九州にありますが、あの観音像は幕府の眼を昏ますためのマリヤ像か、

ころから桜が咲いた。分骨にした父の骨を九州の郷里の寺と京都の本願寺に納めたいという母の意に随い、矢代

「京都までなら良いだろうが、しかし、九州までとなるとまだ危いよ。」

そこは君の郷里の九州地方とは違うんだよ。九州は、あそこは妙なところだ、いくら悪事をなそうとも過去を問わぬ。

「僕は母が東北で父が九州ですから、あまり美点を持ちすぎて苦しいですよ。」

行けと駄駄をこねられましてね、京都までならともかく、九州の方へも行くとなると、僕も承諾しかねてるのです。」

九時の夜行で矢代は九州へ発った。

察した兄への同情であった。矢代は京都へは九州からの帰りに寄りたかったが、間もなく欧洲へ出発するという由吉の

「それから九州のお寺の方にも宜敷くね。」

膝が眼につくと、翌日また別れてひとり旅だつ自分の九州行きが怪しまれ、今夜東京から集って来る塩野たちの賑やかさを脱すのも

「九州行きも、何んなら、あなたを誘惑して行くべきなんだが、まア

戻ってからも、翌朝の出発を今夜の夜行にすれば九州からの戻りも一日早くなり、それなら帰途京都へ着くときもまだ一行

ぬ矢代の膝を老婆はまたしつこく打った。この故郷の九州の地よりも、母の実家の東北地方の人のいぶきをよく浴びて来

「とにかくあの九州という所は妙なところだ。僕らの東北地方はたった一度悪事を

をしても、もう受けつけないが、そこへ行くと、九州は過去を問わぬ。あれだから大西郷なんて人物が出たのだね。

宿へ帰る自動車の中で、矢代は、九州からの車中の重苦しさも溶け気軽くなって、こう傍の千鶴子に云った。

昨日、九州の村道で故郷の山が、彼に京都の方を顎でさし、そう云っ

香取

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というものがあった。矢代は見ると、小さな香取が船尾を動かし、静かに体を曲げ、何の未練気もなくさっぱりとし

渥美半島

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、二銭五厘のときだ。それでも、日本の渥美半島の酒が、フランスから註文を受けたので、びっくりしたりしている。

碓氷峠

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「そうだなア。自慢の出来るのは碓氷峠と逢坂山だ。今の逢坂山はあれは誰がしても失敗した

横浜

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「横浜のへいちんろまだあって。」

「あたし、横浜へ行ってみたいわ。」

「あたしたち横浜へ着くの三十日ほどかかるんですから、もしあなたがシベリヤ廻りでお帰りに

繰ってみてもおよそ千鶴子の船は十日も前に横浜へ着いているころだった。

「東野君とわたしは一度、横浜から大阪まで船で旅行したことがあるんですよ。そのときは四五日

矢代は東野が横浜へ着くという報せを千鶴子から受けたのは、このようなころであった

船の着く日、矢代は正午から横浜まで出かけていった。この日は田辺侯爵邸で会った人たちもそれぞれ出かけ

矢代に生活のことを考えさせる原因となって、今も横浜まで行く電車の中でも、学校で歴史の時間を受け持ちながらする会社勤めに

横浜の埠頭へ着いたときは、塩野はもう臨海食堂の窓際のテーブルで食事を

の話題で豊かだったが、しかし、真紀子だけは実家が横浜にある関係上、話の途中にも電話がしきりにかかって来て場を

に灯が港に点いていった。薄明りのころの横浜は遠い沖が瑠璃色に傾き、船の赤い横線が首環のように水面に眼

匂いの強いセロリの茎をぽきりと折って、「ああ、横浜へ行きたい。」と嘆息を洩した夕暮どきを思い出したりした。そのとき

「ああ、横浜へ行きたい。」

はそれから再びなごやかな風に変って来た。食事も横浜の支社ですませて来たと云う久木男爵は、葡萄酒だけ少量唇につけ、

今夜は千鶴子の家まで送ろうと、横浜でそう云い出したのは矢代自身だったが、それも中へ入るつもりの

矢代は横浜で東野らの船の入港を待つ間に聞いた、千鶴子が槙三から依頼

、アメリカを廻って来た東野が、入港して来て横浜へ降りるなり、スペイン反乱の有様をそう云った日のことなど、矢代は思い出し

が、それにつけても思い出すのは、いつか塩野が横浜の埠頭で、小父から持ち出された縁談の処置に苦しんださまを矢代に話し

龍安寺

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に対い質問に熱心であった。やはり誰も問題にする龍安寺の石庭に関することが多く、越尾は、近代庭園の専門家がひそかにその庭

長方形の中に、十五ばかりの石を浮かせただけの龍安寺の庭を、矢代も二度ほど見たことがあった。寺の方丈の

を頂点として堕落期に入ったことなどを思い合せ、龍安寺の石庭は、極めて暗示に富んだ文明の表情だと考えたりした。

卓越した遺伝が蓄積されているということを、龍安寺の石庭からの暗示として、由吉は云いたかったものだろうが、それと

「数学の専門家はどうですか、龍安寺の庭について、別の意見があるでしょう。」

「しかし、龍安寺が禅寺だといったところで、そのころ、近代数学がそんな発達をして

氏と、両方から来いと引っ張り廻されたんだから、龍安寺の石も、そんな定律の苦しみをひそめているかもしれないなア。」

イスタンブール

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「そうそう、今イスタンブールを廻っているよ。」とか、「グラスから手紙が来た。」と

インスブルック

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た。こうして、日の暮れかかる前にようやくチロルのインスブルックへ著いたときは、矢代はがっかりと疲れてしまった。

マニラ

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、展望車の椅子にそのままうとうとした。彼の横にマニラから帰って来た青年が二人、十年ぶりだといって、窓から故郷

て眠らなかった。矢代にも向うから話しかけて来て、マニラの状況を報らせたり、どこから来てどこへ行くのかと訊ねたりし

大阪

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「初めてよ、あたしね、東京から京都、大阪と、今度は随分いろいろな所を見て来たわ。でも、神戸が

の中で、活気のもっとも旺溢しているのは東京と大阪だと彼は帰ってから思ったが、その中でも特に旺んな場所の

「東野君とわたしは一度、横浜から大阪まで船で旅行したことがあるんですよ。そのときは四五日一緒でし

というのを見て一寸驚いたね。何もあそこは大阪と変らないじゃないか。暖簾の懸った銭湯もあれば、床屋へ入れば

、一番愉しそうににこにこして生活している所は、大阪だと僕は思ったが、あそこはまったく特殊国だね。」矢代は塩野

「にこにこしている大阪か。救うのは。」と由吉は間を脱さずひやかしたので、また

唐招提寺

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ところがそのころの日本にだって、天平六年に、唐招提寺を興した鑑真などという中国の坊さんは、如宝という建築彫刻の名人

コロンボ

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いたずらに伸び繁っていった無聊さを思い出した。ピナン、コロンボ、アデンと進むその船の中では、千鶴子と久慈がいつも手を取り合わん

セーヌ

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千鶴子と並んで河を見降ろした。この観台から真下のセーヌの両岸を眺めたとき、河そのものの石の側壁がすでに壮麗な一つ

東京市

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だと云って、まるで戦場のような空気の漲っている東京市中の話をした。嘘か真事か一同には分り難かったが、話半分

逢坂山

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「そうだなア。自慢の出来るのは碓氷峠と逢坂山だ。今の逢坂山はあれは誰がしても失敗したもんだが

。自慢の出来るのは碓氷峠と逢坂山だ。今の逢坂山はあれは誰がしても失敗したもんだが、とうとう最後にわしが

にちがいない。しかし、その中でも、父の残した逢坂山のトンネルだけは、以後これで、基経の名と共に子孫の頭の中

「お前さんを連れてったら、逢坂山のトンネルを這入った途端、また泣かれるね。」

すると、少くとも石山あたりで起きていなければ、すぐ逢坂山にさしかかる。父の成就させたそのトンネルだけは、どうしても父の

まに、流れ込む水のように轟きをたてて、車窓は逢坂山のトンネルに入っていった。矢代は臭気の籠った煙のまい込む生温さに

大徳寺

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由吉は大徳寺の一行物の床軸を見上げてから、またあたりを尊大そうな身振りで眺め廻し

嵯峨一帯の寺寺から、修学院、大徳寺境内、西本願寺の飛雲閣、それから醍醐寺までとのびた巡拝の径路に

島原

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「仏閣庭園はさることながら、祇園と島原、僕は、あんなところは世界にないと思ったね。一力、すみ屋なんて

アデン

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蜜柑って生れて初めてよ。ああ蜜柑を食べたい。――アデンも良かったわ。塩の山があって、駱駝に乗った隊商が風に

浴びて帰ったときの彼女の靨を思い出した。また、アデンの崩れた城壁の下の、焦げ石の間で、ジャスミンの花を見つけて

ボストン

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「蝶二つ一途に飛ばん波もがな――これはボストンでの作だったかな。勢いあまって悲しさ優れりというところだ。

。しかし、婦人たちは矢代の挨拶を真紀子たち双蝶のボストンに於ける睦しさの返礼と解したと見えて、急に笑い出した

リスボン

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から、誰もそこだけは見せたくなかったと見えて、リスボンの博物館からつい近年出て来たばかりの原稿なんだよ。僕はそれ

草津

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草津の駅を越したころ矢代はもう眼を醒した。すぐ石山にかかると、

東北地方

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んだか一度、滝川の家へも行きたくってね。東北地方が一番見たいんですよ。」

と矢代は云った。母の実家の滝川家のある東北地方を見ることは、帰って彼のするべき計画の第一歩のように思わ

彼の母の郷里は、東京から十時間もかかる東北地方の日本海よりに面していた。矢代の行った温泉場はその地方でも

た。この故郷の九州の地よりも、母の実家の東北地方の人のいぶきをよく浴びて来た矢代は、見たところ、父の里

とにかくあの九州という所は妙なところだ。僕らの東北地方はたった一度悪事をすると、後は山ほど良いことをしても、

ミュンヘン

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てもらいましたが、もうそろそろお別れしましょう。僕はミュンヘンからウィーンの方へ行かなくちゃならんのですよ。」

松濤

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に行く客の先方に与える迷惑を考え、その近くにある松濤の公園で待ち合せてからにしたいとの事だったので、白い標示札

の問を隔いたある日の午後、彼女と、また松濤の公園で東野の宅へ行く前に待ち合せた。二人が公園の木椅子に

ジャパン

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、漆塗の黒い寿司台に電球の傘が映っていた。ジャパンという英語は漆という意味だということを、ふと矢代は思い出した。

ニューヨーク

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「大丈夫ですよ。あなたがニューヨークへ着いたころは、僕はベルリンあたりにいると思うな。」

の二疋の獅子が絡み合っている模様のレタアペイパには、ニューヨークの埠頭の壮観さや、船の中で知人になった人人のことや、

で、つい船も延びちゃったのだよ。ところが、ニューヨークへ着いたら枕木が来てるんだよ。どうして来たものやら分らない

臨むとなかなか見上げたところがあると思ったね。僕はニューヨークで枕木がパリへ帰るというから、船まで送っていったんだよ。

カンヌ

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「傍まで行ったんだが、折れてカンヌからグラスへ出てみた。あそこはコティの薔薇畠があってね、紹介状

小石川

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矢代は小石川の貞吉の家から帰るときすぐバスには乗らず桜の下を歩いた。

伊豆石

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手釣りの黒鯛を沖で叩いて締めた刺身、つづいて丸い伊豆石を敷いた大鉢の中には鮎が見えた。しかし、一同の客たちに

ユーゴスラビア

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一番そんなことよく御存知だと思うの。去年だったかしら、ユーゴスラビアの皇帝がマルセーユで暗殺なされた事があったでしょう。あのときも大使館で

ベルリン

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でもうパリにいない筈だったし、三島も同様にベルリンへ機械の視察に行っただけだったから、この二度目の会合はむしろ奇遇

沖はベルリンから戻った三島ともホテルで偶然一緒になり、明日の船のノルマンディもまた

でいる外人たちの中で、二人の日本人だけがしきりにベルリンとパリについて激論していた。一人はベルリン党と見え、ドイツの

は疲れる様子もなく、ついにはパリのマロニエの美しさとベルリンの菩提樹の美しさとの云い合いまでに及んで来ると、マロニエの下で飲む

生物学の勉強に通っている画家で、もう一人の方はベルリンの特派員で日本へこれから帰るところだったとのことだった。東野と画家

「明日がすんだらもう僕もベルリンの方へ行くつもりだよ。」と矢代は云った。

「僕ももうじきベルリンへ行こうと思ってます。また向うでお会いしましよう。」

「中田さん、見たでしょう。明日ベルリンへ行くのに、いい土産になりましたね。何よりのお土産だ。ベルリン

、いい土産になりましたね。何よりのお土産だ。ベルリンはまた違うからな。」

「いよいよ困った土産だ。とにかく、ベルリンの郊外へでも行ってから、ひとつゆっくりと考えよう。」

「中田さん、もうベルリンへお発ちになったかしら?」

「そうね、でも、あなたあまり永くベルリンにいらっしゃらないでね。」

こう云って矢代は自分もベルリンへは飛行機にしてみようと思ったり、不意に千鶴子より先に日本へ帰っ

北京へ行くというフランス人の骨董商が一人、その隣りがベルリンから東京へ行くナチスの外交官が二人、その次ぎには、二十歳前後の中国の

。パリを発ったのが七月の終りで、それからベルリンへ行った一ヵ月の間に、またいろいろの事情でイタリアまで飛行機で飛んだり

は宿の定まらぬ千鶴子に手紙の出しようがなかった。ベルリンでは沢山な日本人と彼は新しく知り合になった。そのうちにはマルセーユ

矢代たちの国際列車がベルリンのゾウ駅を動き始めると同時に、戸を叩いて入って来て、誰から

ベルリンのオリンピック競技がまだ後四日も残っているという日だから、そんな途中

矢代には口惜しかった。こんな口惜しさが嵩じて来ると、ベルリンにいるときどきでも、その夜はもう彼は眠りがたかった。

、荷物の底に入れていたものですから、――ベルリンでお土産に買ったものです。」

の中へ洗面の道具を詰め込んだ。車中の不便を思いベルリンから持ち込んだ角砂糖の残りも、ボーイに皆ここで遣ろうと相談して、二人

、シベリヤのどこかとまた訊ねた。乗車したのはベルリンからだと答えると、急に二人は他人行儀な冷淡な顔つきになって窓の

チロル

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ようだから、僕らもどっかへ行こうじゃないか。チロルへ行ってヨーロッパ第一の景色を見ながら議論をするのも、また格別だ

てから矢代は南ドイツに入り小都会や地方を廻ってチロルの方へ出て来た。

、ドイツ、イタリア、スイスに跨った山岳地方一帯の地名をチロルと呼ぶが、矢代は東京を出て以来、日本人から全く放れて一人になっ

気持ちがないのか。君との約束のように僕もチロルへ行くつもりでいたのだが、千鶴子さんと君との間を疎遠に

頭を倒して巻き込まれているような自分だったが、チロルの山中で氷河の断層を渡ってからは、ヨーロッパで拾い集めたその破片を袋

チロルの山の上での夜も、急に見えなくなった彼女を探しに行く

「今日はチロルの氷河の写真と、巴里祭の写真を持って来たんですよ。」

と努めた。が、ふとその緊張がゆるむ後からまた強くチロルの峯峯、南仏の海の色、イタリアの湖と、繰り代り色めき立っ

で月が鳴り出しそうに光っていた。矢代はふとチロルの山の上で、氷河に対い祈りを上げていた千鶴子のことを思い出し

ローマ帝国

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矢代はローマ帝国がキリスト教に示した大迫害と匹敵する、当時の日本の大弾圧の様を

箱根

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毛を思い出した。思いにつれて、ある春の日、箱根の浴槽で自分の横に浸った芸者らしい婦人の堂堂とした白い肌が

箱根の山の見える海ぎわに、夕日のさしている風景が矢代の頭に浮んだ

「あんな所より箱根の方が良さそうなものだけれどね。何が面白いの。あんなところ。」

箱根をぬけ沼津へかかったころから彼は眠くなった。しかし、彼はうつらうつらと

パリ

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「千鶴子さん、長くパリにいるのかね。」

「あのう、失礼ですが、パリのほうへいらっしゃるんでございますか。」

矢代は踊っている久慈の姿を見ていると、パリへ行ってもこの人と友人になっていれば、定めし日日が愉快に過せる

はまだ船の中でございますが、明日は皆さま、パリへお立ちになる方が多うございますから。」

「パリの屋根の下。」

て喜んだ。千鶴子は真紀子に一寸会釈をしてからパリの屋根の下を唄い出した。

上機嫌になって、間もなく眼の前に現れて来るパリの実物に接した思いで、それぞれ首を振り振り唄うのであった。この唄

の荷物の方へ去っていった。後のサロンではパリへ行く船客たちが一団となって、今夜もう一度船へ帰って泊めて貰い

今夜もう一度船へ帰って泊めて貰い、明朝早く揃ってパリへ行こうという相談が一致しかけていた。このような時でも沖

あなたに御厄介かけようとは思いませんでしたね。今度パリへいらしったら、僕が御案内役いっさい引き受けますから、いらっしゃるときはぜひ報らせて

「あたし、なるだけ早くパリへ行きますわ。日本へは今年の秋の終りごろまでに帰ればいいんです

でもなかったが、しかしそれより今千鶴子と別れ彼女がパリへ来る日を待っている方が、それまでに変っているにちがいない千鶴子

「やはり、僕はパリに行きますよ。その方があなたの変って来られるところが見られますから

ことばかり頭に浮んで来て困りましたよ。これでパリへ行ったらどんなに自分がなるのか、想像がつかなくなって来ました

埠頭ではやがて船の荷積も終ろうとしていた。パリへ出発する一団のものは、眠そうな顔でそれぞれ船室からサロンへ集って

「またパリでお逢いしましょう。」

「ええ、もうこれで、ただ乗ってらっしゃれば、パリまで行きます。」

感じたらしく、皆矢代の方を向いた途端に汽車はパリへ向って出発した。

に綺麗だと、見る気もしないや。これじゃ、パリはどんなに美しいのかね。」

「あッ、これや、もうパリだ。」

「こんなパリがあるものか。田舎じゃないか。」

で時計をそれぞれ取り出すと、たしかに誰の時計も時間はパリ著のころあいだった。それじゃもう荷物をそろそろ降ろしておこうと云うので棚

「ほんとにこれがパリかなア。」

から、分らないじゃないか。日本じゃないよ。ここはパリだよ。」

一行は暗い汚い街街をごとごと自動車に揺られていった。パリだというのにどこまで行っても一行の前にはパリらしいものは現れ

だというのにどこまで行っても一行の前にはパリらしいものは現れて来なかった。そのうちに隅田川を小さくしたような

じゃ、これがパリの真中だと一同は二の句も出ない有様だった。

まだ日数も立っていないのに、パリへ著いたその夜のことを思うと、矢代はすでに遠いむかしの日のこと

へ散ってしまった船中の友だちからの便りもなく、ただパリに残った久慈と会うだけだった。著いたときは夜のためよく見えなく

。著いたときは夜のためよく見えなく薄暗がりのままパリを予想に脱れた田舎だと思ったのも、夜があけて次の日になっ

の強い地帯に住んで来た日本人の矢代の皮膚も、パリの乾ききった空気にあうと、毛孔の塞がった思いで感覚が日に日

「いいね、パリは。」

「東京とパリのこの深い断層が眼に見えぬのか。この断層を伝ってそのまま一度

。それもやむなくいつの間にかそこを飛び越して、先ずパリに自分がいるのを知り、鼻の頭の乾いた犬のような自分の

、久慈のように電柱の蛙といった恰好で下からパリを見上げているものと、何んの飛びつく足場もなく喘ぎ悩みつつふらふらして

この日あたりから、矢代はパリの静かな動かぬ美しさが少しずつ頭に沁み入って来たといって良い

サンジェルマンの城にも出かけた。モンモランシイやフォンテンブロウの森などとパリの郊外遠くまで出かけてもいった。一度パリからこのように外へ出かけ、

森などとパリの郊外遠くまで出かけてもいった。一度パリからこのように外へ出かけ、そうしてパリへ戻って来る度びに、

た。一度パリからこのように外へ出かけ、そうしてパリへ戻って来る度びに、この古い仏閣のような街の隅隅から今までかすか

矢代は久慈がパリへ著いて以来、性急に外人らしくなることに専念している様子を見るの

「今日は君、もう勘弁してくれ。今夜はパリの礼儀に従おうじゃないか。」

にだけはフランス語で、自分は支那料理が好きだが、パリではどこのが一番美味かと訊ねた。

菓物棚からオレンジが出て来ると、また、アンリエットはパリの料理屋の質を知るためには、菓物棚に並んだ菓物を見るのが

「君、君はパリへ来て一番何に困ったかね。」

「あーあ、どうして僕はパリへ生れて来なかったんだろう。」

んだね。へとへとにさせて阿呆以上だ。僕のパリへ来た土産はそれだけだ。こんな所へ来て嬉しがってる人間は、

「そんなことは君の知ったことじゃないよ。君はパリの丁髷と裃とを著てれば、文句はないじゃないか。」

「日本の丁髷よりや、パリの丁髷の方がまだいいや。今ごろ二本さして歩けるかというのだ

「そんなことはパリに聞け。俺に感心した奴は、もう死んでる奴だといってるじゃ

同じ番地に一つより家のないパリでは、番地を云えばすぐ建物が浮んで来るらしく、アンリエットも、「ああ

晴れ渡った芝生の広場に建っているホールの待合室で、パリを中心に光線のように放射している無数の航空路の地図を眺め二人は

「イギリスの飛行機に乗って来ないところを見ると、よほどパリへ来たかったのだね。降りるぞ。」

、飛行館のバスには乗らず別にタクシを呼んでパリまで走らせた。

は絶えず日本風の淋しい顔のまま黙っていた。パリがだんだん近よって来ると、千鶴子は窓から外を覗きながら、

「もうここパリなの。何んて優雅なところでしょう。あたし、これじゃもうロンドンへ帰れない

「こちらにいなさいよ。女の人はパリじゃなくちゃ駄目ですよ。フロウレンスへ行くって、いつ行くんです。行くなら僕

「千鶴子さんがパリへ来て下すったので、僕もほっとしましたよ。もう毎日毎日久慈

、それは日本人の考えるヨーロッパ的なものだよ。君がパリを熱愛することだってまア久慈という日本人が愛しているのだ。誰も

のまま、いつの間にか三人を乗せた自動車はパリの市中へ突き進んでいた。それでも久慈の興奮は静まらなかった。

を無視すれば、どんな暴論だって平気に云えるよ。もしパリに科学を重んじる精神がなかったら、これほどパリは立派になっていなかった

よ。もしパリに科学を重んじる精神がなかったら、これほどパリは立派になっていなかったし、これほど自由の観念も発達してい

「随分お変りになったのね。毎日パリでそんなことばかり云い合いしてらしたの。」

「しかし、パリの女と二人きりになるのは不便だね。何も云うことないじゃない

日本の男の方それや好きなの。あたし、住むならパリか東京よ。」

「僕はどういうものか、パリへ来てから日本のことが気にかかるんですよ。あなたは日本のこと

「あたしの発音法はこれでまだ完全じゃないのよ。パリの人の発音はたいていはまだ駄目。やはり、一度ギャストンバッチの女優学校へでも

このパリの高い文化でさえがそうなのかと矢代は驚いた。

ものばかりだった。一番物価の安い日本から一番高い物価のパリへ来た矢代は、街を歩いているだけで世界の二つのある極

「どうですか、パリの御感想は。僕は毎日、この矢代と喧嘩ばかりしてるんですよ、

「パリにいる日本の方、みな半気違いに見えるわ。それであなたがた何とも

考えれば誰も極めて単調な生活をしていた。殊にパリという所は来てしまえば、どこを見物しようとか、誰それに逢いたい

「あたし、この間からパリを見物して、フランスのいい所や恐ろしい所は、やはりこの国の伝統だ

も、それなら日本にだって有るんだと思うと、パリもそんなに恐くなくなって来たの、もしこれで日本に伝統がなくって

でだけあんなに仰言っていらっしゃるのよ、先日もあたしに、パリもいいけれども日本もいいなアって仰言ってから、こんなこと、矢代君には

「藤田嗣治はパリへ来てみると初めて豪いもんだと思いますね。よくあれだけこの都を

「そう、マルセーユより一と月パリの方が遅れていますね。」

は日本を出るとき面白いことを云いましたよ。君がパリへ行ったら何も勉強せずに、ただ遊べと云ったが、遊ぶという

矢代はこれで印度洋とアラビアとを廻って来て今パリでボートを漕いでいるのだと思うと、手にかかる一滴の水も

より恐るべき動物になる森を市街の中に造ってあるパリの深い企てを考え、も早や云うべからざる近代の寒けを感じ、なるほどこれは

馴れて来ると森はさまざまな匂いを放って来た。パリに永く生活している人で、闇夜に森の中を婦人と二人で歩く

「この森をパリの街の真ん中に是非残しておけと云ったのは、ナポレオン・ボナパルトだそう

て来た左手にある、大きなカフェーの一つである。パリの日本人で上流階級を意識に入れて活動しなければならぬ人人の多くは

、書記官の大石であった。いずれもこれらの人人はパリの上流階級のサロンへ出入しなければならぬ関係から、山の手の人人の中

眼もとで、紫陽花の上で輝く楽士のトランペットを眺めながら、パリの上流のサロンに出入している人物は、人前でも塩野のような流儀

言葉を聞いていると、塩野は写真学校の教授で、パリで開いた彼の個人展覧会も、パリの写真専門家の間では、なかなか好評

学校の教授で、パリで開いた彼の個人展覧会も、パリの写真専門家の間では、なかなか好評だったらしい様子であった。間も

広場を鏤ばめた宝玉となり植物となって、夜のパリの絢爛たる技術を象徴してあまりあった。

千鶴子とルクサンブールを歩いていたとき、千鶴子は楽しそうにパリの上流階級のサロンの話をした。千鶴子が自分たちより後から来た

「でも、パリの上流のお嬢さんにはあたし感心しましてよ。日本とはよほど違うと

の次女である千鶴子は金銭に不自由がないとはいえ、パリの最高級のサロンへ出入すれば予期しない贅沢な心も植えつけられるであろうが

一一もっともと頷いて聞いていた。これで眼にするパリのさまざまなものに感動するだけだって、相当激しい労働だと矢代には思わ

へ旅立たねばならぬと思っていた。またもう一度パリへ戻って来るとはいえ、そのときには千鶴子はここにいるかどうか

しかし、この五月の一番見事な季節になってから、パリの街街には左翼の波の色彩もだんだん色濃く揺れ始めて来た。

「しかし、兄さんも御心配じゃありませんでしたか。パリへあなた一人でいらっしゃるの。」

「千鶴子さんはわざわざパリまでいらしって、何か研究してらっしゃればいいでしょう。そんなおつもりなんですか。

ような気持ちになりたければこそ、騒いでるんでしょう。今パリがそうだ。」

の船と、シベリアを廻って来た汽車から新しい日本人がパリへ現れた。ドームにいても矢代は日日古参になって行く自分を感じ

しかし、総じて二、三年パリにいる人という者は、新参の日本人に一番冷淡でうるさがったし、

。このような考えが日に深まるにつれ、彼はいよいよパリをひとり放れてゆく決心もついて来たが、千鶴子という一個人にふと想い

「しかし、僕はパリがこのごろだんだん好きになって来たのは、ここには僕らの求めるもの

なんかは物の批評眼を養いに来たんですよ。パリなんてところは、僕らの生きている時代に、これ以上の文化が絶対に

パリを出発してから矢代は南ドイツに入り小都会や地方を廻ってチロルの

へ約束の電報を打っても良いと矢代は思った。パリを出発するときチロルへ著く日と宿とを報らせておいたから、あるいは

パリにいるときさまざまな議論をしたことなど考えると、久慈への懐しさは

「こんな恐しいところ、あたしいやだわ、早くパリへ帰りましょうよ。」

千鶴子が少しの懼れも感じず云い出すその無邪気さは、パリでの度び度びの二人の危険も見事に擦りぬけて来た美しさ

次の日、矢代たちがホテルへ戻って来たとき、パリの久慈から矢代あてに手紙が来ていた。

、もうインスブルックへ君は出たころであろう。あれ以来、パリには罷業が頻発して来た。これは有史以来の出来事のこととて、

が、ウィーンへ行った真紀子さんが突然僕を頼ってひとりパリへ現われたのだ。僕は真紀子さんの置き所に苦しんだ揚句、同じここの

僕にもいろいろの困難はあるが、何と云ってもパリは良いところだとつくづく思う。僕は実際どこへも旅行する気持ちはあまりなくなっ

してはいられないという気になってすぐ夜行でパリへ帰ろうかとも思った。彼はその手紙を千鶴子に見せずポケットへ捻じ込む

だった。欧洲文明の中心地をもって永く誇っていたパリに社会党の内閣の現れたことは、フランス革命以来なかったことであるだけ

修業のようになりかかっている時期の二人だった。殊にパリの政治が左翼に変ってからは、他人を見ればこの男は左か右

たら最後、後へ戻せぬ論理ばかりの世界にいるようなパリでの一時期とて、東野は一寸苦苦しい顔をしたが、丁度そのときボーイが

何アに、そう元気を無くしたもんでもないさ。パリは年齢なんて無いんだからな。ここには普遍性という論理の皮をひきむく

を、眼を放さず見詰めていた。女の亭主がパリで一旗あげる心算で、出版屋の片眼に妻を自由にさせているものか

必ず近い将来に於てスターリン派の行動と衝突を来し、パリの罷業は資本家に乗じられるであろうと主張していた。

のパンフレットを胸にかかえ、「これを買え、ここにはパリのブルジョア二百五十家の住所と家族が皆書いてある。いざ事が起ればすぐさま

。史跡保存で改築を許されぬ一角であるだけに、パリの冠った古帽子のこの中には何ものが棲んでいるのか分り難い

小窓があった。久慈はそこからふと覗くと、中はパリでほとんど見られぬ女給ばかりのカフェーだった。

て吐く息が頬に荒くかかった。それには流石のパリ贔屓の久慈も寒気を感じてもう我慢が出来なかった。

「このお寺を山の上へ建てるだけで、どんなにパリの人間馬鹿な苦労をしたか知れぬのだからね。毎晩機関銃ぐらいは

パリではモンマルトルの麓に一番高級な踊場が沢山ある。その中の一二を争う

は、そんなものなんか、ここで威張ってみたって、いったいこのパリで誰が真似してる。」

はもうないよ。実際ここは素敵だ。僕は自分がパリにいるんだと思うと、もうそのことだけで幸福だ。石の屋根の

云わない間だった。それがいつの間にかうかうかとパリに夢中になっている隙に、久慈は二人の結婚の斡旋を喜ぶ位置に

誰が誰とどんなになろうと、そうなればなっただけパリ生活の深まりを見る思いに染まっていたときとて、千鶴子のとやこうと気遣う

あんなに変えたのは君の責任も大いにあるね。このパリに来ていながらわざわざファッショになるというのは、だんだん日本人の君ばかりが

「いい気持ちだな。映画のパリの屋根の下じゃ、こういうときにどっかから手風琴が聞えて来たが

あった人物だった。しかし、久慈にしてみれば、パリでの婦人との恋愛に似た感情の動きのごときは一種の装飾のごとき

ごときものであったので、彼こそどちらかと云えばパリに恋愛を感じているものと云える。随ってまったくこういう久慈とは反対に

。あたし何も訊きもしないのに、あなたはここをパリだと思っちゃ間違いだ。こんなパリはない。もうパリは無くなったっていうの

に、あなたはここをパリだと思っちゃ間違いだ。こんなパリはない。もうパリは無くなったっていうのよ。よほど前は良かったらしいの

をパリだと思っちゃ間違いだ。こんなパリはない。もうパリは無くなったっていうのよ。よほど前は良かったらしいのね。何んで

とき、アメリカの軍隊がここへ駐屯してから、すっかりもうパリは駄目になったっていうの。どうしてでしょう。」

。それにも拘らず自分はまだ何も知らぬ。このパリ一つでさえが、眼に触れるもののすべての面に底知れぬ伝統の

と久慈は誰にも分らぬことを口走ると、パリへ来て以来初めて自然に還った瞼の閉じるような思いがするのだった

「ここにいる外人たち、みなパリへみいらを採りに来て、みいら採り皆みいらになって本国へ帰って

を久慈は考えてみたのである。たしかに自分はパリのみいらにいつの間にかなりかかっている。しかし、矢代は何んだ。

「中国人というのはこのパリを見ていても、みな人間の死んでしまった跡の空虚ばかりが眼

は船会社の社長を辞めて漫遊に来ただけでもうパリにいない筈だったし、三島も同様にベルリンへ機械の視察に行った

を悩ました沖の青春時代の思い出談の落ちが、今ごろパリのここで、こんなに淋しく終りを告げたのかと思うと、久慈は沖

「自分の青春をパリで送ったものは、極楽へいった男だ。わたしは遅すぎてパリへ

ものは、極楽へいった男だ。わたしは遅すぎてパリへ来た。いまいましいな。」

「これで日本の青年たちは、どんなにパリをあこがれているかも知れませんぜ。それを皆さんここまで来て、

「いや、かまわん。パリで坊さんしてやろう。」

外人たちの中で、二人の日本人だけがしきりにベルリンとパリについて激論していた。一人はベルリン党と見え、ドイツの団結力と

はベルリン党と見え、ドイツの団結力と綜合力とが、パリの自由性と分析力よりはるかに勝って次の時代を進めてゆくという主張

「このパリの自由さ、このパリ人の平和への人間愛。」

突然の天候のこの変化に歓声をあげて雀躍しているパリの石の心のように感じられた。今までとてときどき矢代は、パリの街

の心のように感じられた。今までとてときどき矢代は、パリの街に一度根柢から吹き上げる大地震を与えたい衝動にかられたことがあっ

破片を袋ごと投げ捨てて来た筈であったのに、パリへ戻るとまた袋は幽霊のような何物かで満ち始めているのだった

。パリ党とベルリン党とは疲れる様子もなく、ついにはパリのマロニエの美しさとベルリンの菩提樹の美しさとの云い合いまでに及んで来る

云っていたのを思うのであった。もしここがパリでなくて東京だったなら、或いは千鶴子に胸中の想いのままを伝えたか

天鵞絨の衣裳を着たマルグリットを中心に、十九世紀風のパリの紳士淑女が華やかなメロディの合唱をつづけている。

「ヴェルディはイタリアからパリへ出て来て、ここで椿姫の芝居を見てから、早速このトラビアタを

あのものの弾みの恐るべきひとときだった。そのとき幕がパリの郊外のブウジバルの美しい風景を泛べて上っていった。

「行きましよう。こんな美しい村はパリの郊外にはないって、デュウマが椿姫の中で書いてますよ。僕の

来たのは千鶴子にちがいなかったが、千鶴子も自分もパリに総がかりで攻めよられたことにもまた間違いはなかった。これが日本へ近よっ

もいいが、パンだけはあんまり食っちゃ困るぞ。明日からパリの食い物屋みな一斉にストライキだから、買い込んで来たんだ。」

「明日からは飯も食えなくなるのかね。花のパリもいよいよ餓鬼のパリか。」

も食えなくなるのかね。花のパリもいよいよ餓鬼のパリか。」

踏み応える砂から感じとった。よくもあのとき千鶴子を振り切ってパリをひとり旅立つことが出来たものだと、矢代はある疲れに似た思いで

「ここはパリじゃ一番美しいところだったんだけれど、もうナポレオンもジョセフィヌもいやしない。今

。いつも人のいたことはないんだ。この絵はパリの黄金期にいたモネーが描いたんですが、実に写実的な緻密な

「やはりこんなところをパリの人も欲しいのね。」

。「美しいところだなここは。こんな美しいところでももうパリの人間は、ここに美しさを感じなくなってるんだから、感覚の変化

てあるようなものだな。実際この森がなかったら、パリの人間、呼吸困難になるかもしれないですよ。」

て道をつけたのだと矢代は思った。それがパリの真ん中に人間の原動力の泉のように一点ここだけ残されているの

延ばした腕に頬をつけ、草の根をむしりながら低い声でパリの屋根の下を口誦んだ。

革命を見て来たものたちは忠実に働いたが、パリの風に馴染んだまだ若いものたちは、一家の裾を濡らすように下から

ここは先住民族のバリサイ人が棲んでいた理由で、パリの名称の起りをなすとともにまたパリ発祥の地でもある。ノートル・ダムは

た理由で、パリの名称の起りをなすとともにまたパリ発祥の地でもある。ノートル・ダムは最初一見したときには、方形の時計台

ね。それやまったく、ここの塔の屋根の上は、パリ第一等の眺めだ。」

たのだよ。門番の婆さんに、このお寺はパリの歴史そのものみたいなものだから、各国へこの燦然たる文化の象徴物を

「ああ、それか。それはなかなか難しいぞ。このノートル・ダムはパリの伝統を代表してるものだし、俳句は日本の伝統を代表したもの

ある。久慈は、塩野の脇腹からちらりと眼を開けたパリの歴史の首を見た思いで、瞬間ぞッと鬼気に襲われ我知らず周囲

の変態が、戯れた鬼のような容子で、のどかにパリの街を見降ろしながら遊んでいる。

「ここへ来たものは、パリの人間でも恐らく一人もいないだろうな。」

も感じられて来るのだった。真紀子は夕暮に近づいたパリの景色を眺めながらも、もう久慈から放れることが出来ないらしかった。

を二方から巻き包んだセーヌ河の流れや、その両側のパリの起伏を見降ろしつつ、いつの間にか欄干に両手をついた怪獣と同じ

「いいよ。僕だってお花ぐらい貰わなくちゃ、パリへ何しに来たんか分らない。」

倍はあったにちがいないとして、それなら今のパリへ来るみたいに随分これで堕落して帰ったのもいるんだよ。」

までずらりと長安に並んでたんだから、まるで今のパリみたいだ。ところがそのころの日本にだって、天平六年に、唐招提

「馬鹿な。お母さんパリにいる筈ないや。」

同情したのが始まりさ。だって、あんな危い日本人がパリでひとりふらふらしているのを見てられるものか。どこへ転げ込むか分った

と云うと彼の後からドアを閉めた。早く明けるパリの夜がそろそろ白みかかって来た。久慈は自分のホテルの方へ歩きながら

も、僕のような青年が田舎の日本からぽッとパリへ出て来ちゃ、当分は頭がいやにくるくるするんだよ。実際、

と誘ってみた。タバランというのはパリでは一頭地を抜いて優秀な踊場を兼ねたレビュー館である。みな

いる火消しか火点けかにちがいない客たちだったが、パリでもこのドームは特種に名高いところと見え、郊外遠くで拾った自動車もただ

「僕らがこうしてパリの街を歩いていて、ふと自分の考えていることに気がつくと

の団体が三十万四十万と、檻のようなパリの中へ続続くり込んで来ていた。夜になると、明日の朝まで

か、自分の故郷がどこだか分りません。お兄さんはパリに行かれ、東京を故郷と思われましたよし、まことに自分のことの

塊っていたが、これは政府党の警官ではなくパリ市直属の精鋭で、もっぱら市街の秩序の維持に当てられるものだった。駅夫

と塩野は建物の蔭の小路に固まっているパリ市直属の鉄甲の警官隊を指差して云った。「あれは軍隊から優秀な

「僕も二三日したらセヴィラの方へ行くよ。少しパリを離れてみなきア、何んだかよく分らなくなった。」

「パリの人間は見送りというものをしないそうだが、日本人は好きだなア。

「もうパリはこれで見おさめだから、よく見ときなさいよ。ここを発つときは誰だ

「あれで久慈はどういうものだか、まだパリを放れたことがないのだからな。パリを放れると損をすると思い込ん

か、まだパリを放れたことがないのだからな。パリを放れると損をすると思い込んでいるんだから、あの男にはスペイン行

パリ祭がすむと急に避暑に散ってしまう慣しらしいパリには、なるほど人が眼に見えて少くなった。そこへ千鶴子が帰って

「夏のパリは貧乏人ばかりでいいですね。のびのびしてゆっくり出来る。極楽浄土じゃ。」

隣室にはパリから北京へ行くというフランス人の骨董商が一人、その隣りがベルリンから東京へ

の重さを持ち応えているだけがやっとのことだった。パリを発ったのが七月の終りで、それからベルリンへ行った一ヵ月の

、一度ならずあった。新しく知人が出来て来ると、パリで出来た知人らの面影も、去るもの日に疎しというのが眼の

、寝るときなど矢代はよく眼に泛べた。しかし、総じてパリでの出来事も、移り行く旅の先では、過ぎ去った日のことだと思う

嫌いは、千鶴子を挟んで久慈との間で起りかけたパリでのある一事件の期間も、自分から身を引いたほどだった。また

これ一つ彼には不安だった。こんな不安は千鶴子とパリにいるときでも附き纏って放れなかったことだったが、今もなおそれ

た浦島太郎のように互いの姿を眺め、これがあのパリにいたときの二人だったのかと思うにちがいあるまい。――

、東京よりもどこより先ず帰れば温泉へ行きたいと、パリで友人らと話したことを思い出したりした。しかし、こうして帰って

「どうだったパリは?」

何がこのように変らしめたのか分らなかったが、パリにいたときの同じ思いを貫きつづけていても、水が氷になる

という妹にだけはすぐ彼は会いたかった。矢代がパリで幸子から受けとった手紙の中に、

素肌の感覚に戻り身を震わせて云った。彼はふとパリのノートル・ダムで繊細巧緻な稜線の複合した塔の姿を見たときに、

愉しんだと話した。ミラノで買った革製のハンドバッグや、パリの財布、ベニスのショールなど、矢代の出した土産物を手にとって妹は

「でもまア、あたしたちの面白そうなところよ、パリはいいでしょう?」

かしらなんて。別に心配するほどのことも無いんでしょう。パリまで行って――」

途中、反乱勃発のため引き返してスイスからイタリアへ行き、再びパリへ戻って来たばかりらしかった。またその手紙では、塩野がもう日本へ

もう日本へ出発し、東野がイギリスへ渡った後で、パリには早や彼の知人少く、マロニエの枯葉日毎に音立てて散る秋を迎え

で矢代は苦笑しつつも、すぐ返事を彼に書き、パリで絶えず論争しつづけた二人の争いを、また東京の自宅から彼に向け

云ってすぐ立ち上った。人が来たのではなく、パリが人の姿で不意に訪ねて来たような胸騒ぎを彼は感じ、弛ん

から、そこでまた一別以来の挨拶をした。どちらもパリにいるときは敬語を使わなかったのに、このときは妙に固くなり、

に紛らしながら、争われず塩野を見る眼も、さきからパリを懐しむ思いの方が遥かに強かった。そして、ともすると彼をただその

それも、もしこのまま千鶴子に会えば、一層拡がるばかりのパリの影が、今はその前兆のような不吉な尾を、ちらりと跳ね上げ冷笑

見付かった近くの煙草屋へ入り、余分の煙草を買った。パリで千鶴子と別れる際、帰ればすぐ会おうとあれほど約束しておいたに拘ら

た。そこへ箱の中から出て来た塩野の、パリで作ったらしい身についたダブルの洋服が、周囲の風物とかけ離れひどく頓狂

、争われず庭など落ちついて眺めていられなかった。パリで別れてから、大西洋へ出て、アメリカを廻って来た千鶴子の持ち込んで

を縮めてちょっと矢代を見ると眼を落した。それはパリで見たときよりも見違えるほどの美しさだった。そこへ塩野は気軽に

が出た後、それにつづいて由吉と塩野たちの、パリ、ロンドン間の交遊仲間の話ばかり懐しげに出揃った。それらの仲間は

話ばかり懐しげに出揃った。それらの仲間はみな、パリの「十六区」に棲んでいる日本の上流階級の者たちばかりの名前で

て来た千鶴子が、矢代に近づいていた不似合なパリでの一時期の交遊期を、今さら彼は訝しく奇特なことだと思わざるを

おいたんだが。あれだけの人物を、いつまでもパリで腐らしとく手はないと思うんだ。」

たところがあると思ったね。僕はニューヨークで枕木がパリへ帰るというから、船まで送っていったんだよ。ところが、いよいよ

と塩野は自分の出入していたパリの上流階級の風習や、また過ぎたそこでの自分のことも思い泛べたらしい

支える努力で、千鶴子は矢代を見るのだった。矢代もパリ以来の二人の緊張の弛み垂るんだ面を支えようとして、快活な

「やはり僕の云ったことも正しかったでしょう。パリにいるときの方が怪しいっていうことが。」

パリの夜の街の灯し火

は一寸心配そうに見て笑ったが、そのうち引き摺り込むパリの夜の灯の色に、すぎた日の旅の儚ないもの音を聞きとった

矢代もパリでの二人の日日が次から次へと思い出され、現にこうして旗本屋敷

まま、こちらでまで出来ないし、そんなこと、僕はもうパリでお別れのとき云った筈ですが、ところが、あのときはこんなにまで

思い、逆に不思議と元気にもなるのだった。実際パリで別れる前に、予め千鶴子に云うだけ云った用心の後、予想よりも大きく

と、ふとそんなに思ったりした。その久慈が今もパリから千鶴子にせっせと手紙を出している姿を思った。またそれから来る自然な

「パリでお別れのときも、そんなことを仰言ったわ。あのときのこと、気

小さな黒い帽子の後に下っている紅色のネットが、突然パリの匂いを吹き送って来た。彼はあのときの二人の夢のような調和

ときでも夫人と一緒に自動車を自分で運転して、パリまで出て来ては一泊し、また次の日同じ車を運転して帰る侯爵夫妻

などをした。そして、由吉もそのとき一緒の車でパリまで出て来ていたこともあるのに、枕木夫人のことなども重なっ

を御紹介しますわ。奥さんはそれはお美しい方。パリへ出ていらっしゃれば、サントノレの洋服屋が皆驚くんですのよ。お洋服

だけ明るく、地虫のかすかに鳴く声が耳に入った。パリで会った人物のうち、帰って来たものも今は塩野と千鶴子ただ二人

いる姿に寂しさを感じ、あの七月十四日に早やパリは秋立っていたのかと、首をかしげて写真に見入った。

中田という政治学の大学教授はよくパリで矢代にも、論理の大切さを何より主張してやまなかった合理主義者

ね。世界中が美意識の大乱闘をおっ始めるよ。僕はパリにいたときから、中田教授の説には必ずしも賛成しなかったんだ

、空を仰いでいると、ふと千鶴子が自分と別れてパリを去っていったときの、あの飛行機の消えた空の色を思い出した。

、日本へ帰ると一ヵ月東京にいたきり、すぐまたパリへ来てしまったのがいますがね。ところが、またそれとは反対

ところが、またそれとは反対のもいて、日本からパリへ着くと、次の日にもうパリがいやになって、半月目に日本へ戻っ

のもいて、日本からパリへ着くと、次の日にもうパリがいやになって、半月目に日本へ戻ってしまったのもいますよ

「あなたのプウレオウリ、思い出すわ。この方ね、パリで若鶏ばかし上ってらしたの。一度鶏供養なさらなきゃ、罰があたりましてよ

「ほんとに僕はパリで何百羽食べただろう。一度鶏供養をしよう。その供養でまた食べるか。

話したようなことを友人たちに云った結果は、丁度パリでの久慈とのようにいつの場合も悪かった。それを承知で槙三

「このかた、パリでピアノをやってらした、藤尾みち子さんです。」

や卓子が店頭高く積っていた。退屈をしたときパリでよく、家具店をこうして千鶴子と一緒に見て廻った矢代は、その

が続けられている最中だった。その中の一番最近にパリから帰って来たという若い外交官が、傍の佐佐という画家に突然云っ

千鶴子のことなどもう考えてはいられなかろうと思った。パリにいる当時、たとい嘘だったとはいえ、日本と中国とが戦争状態に

会話の進むにつれて、矢代は、パリの真紀子の部屋で中国人の高有明と議論をしたある一夜のことを思い出し

こういうことをパリで別れる際、ただ一言云った千鶴子の勝ち気のためかあるいはカソリックの仕業であろう

「私はパリにいたときも、友人と今夜のような問題で、いつも喧嘩ばかりして

「それはそうだ。僕は音楽を勉強しにパリへいったんだよ。」

「勉強しに、パリへ行ったものはごろごろしているが、遊びに行ったのは僕と侯爵

運ぶ会話に聞き惚れるようにしんと黙っていた。矢代もふとパリにいる久慈と真紀子の二人も今ごろは、眼の前の遊部とみち子のよう

「あれはパリのときの友達だ。」

パリにいるとき外務省にいた関係で、塩野は戦争に関しては以来誰より

咲き揃って来るのだった。しかし、このような二人が、パリで別れて東西の帰路をそれぞれ辿って来て、そして、今この港の埠頭

「ああ、あれはまだ子供で困ったものだ、パリで逍遙していたよ。」

「僕が帰ってからあなたはパリで講演をされたそうですね。誰だか云ってたが、あ、

こういう場合いつも彼女を活き活きさせて来るのは、まだパリ以来の真紀子の癖だと矢代は思った。家は明治の古い貿易商で、

田辺侯爵と同様に大名華族で、初めは社会学の研究にパリにいるうち、次第に農業経済の研究に入っていって、むかしの自分の

いるこのごろだった。二人の令嬢の中の妹の方がパリで生れたためか、父男爵の後ろの方で今もフランス語で戯れ合っている

横線が首環のように水面に眼立って来る。矢代はパリにいるとき、カルチエ・ラタンで久慈と食事中、傍にいたアンリエットが突然、匂い

。光りの廻って来るのを待っているうち、矢代がパリへ着いて間もないころ料理店の一隅で、偶然この幼い子たちを見た

「平尾さんのお嬢さんはパリでお生れになったのですか。」

ですよ。いろいろ教えこむのにこれからまたひと苦労です。何しろパリじゃ、子供の遊戯に、恋人から手紙の来るのを待つ遊びがあるもんです

と塩野は暖炉棚の上に懸ったパリの風景画をさして云った。

久しぶりに千鶴子と二人で自分の部屋に帰ったときの、パリのある夜の寛ぎに似たものを思い出し、そのときの灯の匂いを嗅ぎ出すよう

、それも悪くてやめちゃった。あの爺さんには、パリで千鶴子さんと僕と大石とは困らせられたんだからなア。」と

「ほら、あのパリの大蔵大臣邸で夜会があったでしょうが。あのときには、僕ら、

を聞いているうち、矢代は千鶴子とチロルを早く切り上げてパリへ戻った原因の一つも、塩野からその夜会へ出席を急がれてい

「食べ物のことで思い出しましたが、パリの罷業のときは千鶴子さんと二人で、コーヒー一ぱいを飲むのに、随分

どこかで見覚えのある親しみを感じ、ふと忘れていたパリのモネー館の楕円形の壁画を思い出した。それは周囲の壁面の全部に、

風景だと思っていたのに、それが反対に、パリのどこかで見たことのある景色だと思っている自分だった。あの

、日常坐臥の生活そのものが芸と見え、それにはパリ以来久慈や矢代の絶えず悩まされたものだった。しかし、二人は彼に

動かずじっとしているうち、硯の放つ光沢の中からパリのオーグスト・コント通りの街区が泛んで来た。あの通り全体ちょうどこんなだった

た。あの通り全体ちょうどこんなだったと思うと、千鶴子とパリで別れた最後の夜、雨の降る中をそこまで来て、ベンチへ倒れ込む

らしく、二人の間で何の挨拶もなかった。矢代はパリでは真紀子と宿が同じのせいもあって、会うとやはり懐しかった。それ

た日の挿話について語った。それによると、パリを発つ東野のことを聞いて来た久慈が、真紀子も一緒に連れて帰っ

パリで別れる際にそう千鶴子の云った言葉に対して、矢代が返事を与えね

にあなたとともに登り、雑草の中に伏して、あのパリの杜の中でのように土の匂いを嗅いでみたいと思います。

「中国はフランスと非常に似ているだろう。ね、パリなんて、あれは君、中国じゃないか。しかし、僕はフランスより中国の方

何らかの意味で、世界の誰も彼もひそかにパリと闘っているらしい風だった。

のは初めてであった。一見したとき、矢代は、パリのモンマルトルの丘上を仰いだ瞬間に眼に映ったサクレクールの寺を思い出した。

「ああ、どうして俺は、このパリへ生れて来なかったんだろう。」

は自分と千鶴子の間に横たわっている宗教の相違や、パリ以来、久慈と衝突しつづけた文明観の解釈の相違についてなど、いびつ

雲行き烈しい各国の目まぐるしさも、矢代は見てきた。パリでは、一時日華の戦争いよいよ開始という大見出しの記事さえ掲げられ、行き交う

君は忘れたかもしれないが、パリで僕らが、日華の戦争起る、という記事に欺かれた日、僕

へ安心を与える結婚のためだけで、それをすませばすぐパリへ戻る仕事の待っていることと、上海へ行くのもその仕事の一つ

よりも、彼から山登りの談を聞きたがった。大石はパリで久慈や矢代が見たとき、誰より眼光鋭く神経質に痩せていたの

ように肥っていて、絶えずにこにこ笑っていた。パリの上流のサロンを落す名人だったこの大石ほど風貌の急変した人はなく

「僕はパリじゃ、君にぽんぽん当り散らして失礼したが、もうあんなことはやらないよ。

久慈は真紀子とパリで別れるとき、特に別れ話を二人でしたわけではなく、また二人は争った

感じた。またもしもそれを良いことに、うっかりと、パリでの二人の生活の縒りを戻そうと、一歩を踏み出そうものなら、忽ち体を

さんからその後、何か便りがありましたか。一度パリの僕の宿へ訪ねて来られたことがあったが、――別に

パリにいるときも、じッとそうして一点をよく彼は瞶めたが、また

カイロ

地名をクリックすると地図が表示されます

「僕はカイロの回回教のお寺も忘れられないね。あれはここのヨーロッパに自然科学を

出る一昼夜の間に、カイロ行の団体は陸路沙漠を横切りカイロへ出て、ピラミッドを見物してからポートサイドに廻っている船まで、汽車で

香港

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ね、千鶴子さん。あのころは面白うござんしたわね。香港のロマンス・ロードで、春雨の降って来た中で、海を見てあたしたち

伊勢

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いつでも人が日本に一人もいなくて、はっきり、伊勢神宮だけが見えてくることだね。これやどういうもんだろう。」

ひどくこちらの心を突くように感じ、彼もその間ともかく伊勢の高い鳥居をじっと眼に泛べて心を鎮めるのだった。

いつも漠然としてしまうその最後に浮んで来る想念は、伊勢の大鳥居の姿と、エジプトで見たスフィンクスの微笑であった。信長も、

久しぶりで特に彼の微笑した眼差が懐しかった。昨日は伊勢から長谷寺へより、奈良から夜遅くこのホテルへ着いたことなども、彼の

「伊勢でしたね。タウトを読んだせいか、内宮は立派だと思いました。

一番単純な公理を信仰しようと決心しました。それは伊勢でですが。」

しようとも同じである。しかし、それを信じるからには伊勢にしたいと願った槙三の意気には、数学よりも幣帛に思いを

モンマルトル

地名をクリックすると地図が表示されます

パリではモンマルトルの麓に一番高級な踊場が沢山ある。その中の一二を争う家を選ん

が、どこでしょう。ボアの湖へ行くか。それともモンマルトルの山の上がいいかね。」

初めてであった。一見したとき、矢代は、パリのモンマルトルの丘上を仰いだ瞬間に眼に映ったサクレクールの寺を思い出した。そして、

駿河台

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矢代に簡単な速達が来た。それには、塩野が駿河台の病院へ入院したので、明日見舞いに行きたいと思うから、あなたも

駿河台の病院へ矢代の行ったときは応接室にもう千鶴子が来て待っていた

下関

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彼は昼間の内地を見たいと思っていたが、下関へ上ったのは夜の一時ごろになった。東京行の出るまでには

湯島

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みたりするやら、そうかと思うと、そうそう、たしか、湯島に数学会社というのが出来た年だよ。会員が九十名だ。医学

本能寺

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屋根瓦ばかり並んだ窓の外で、本能寺の樹木の方へ乱れ飛ぶ雀の羽が光って見える。乾いた空の色だっ

を水で冷やして出て来てから窓際へ立った。本能寺の上に出ている星が一つ強い光を放っていた。彼は

「あそこの家のすぐ裏に、本能寺があるんですよ。」

桶狭間の決戦にのぞみ信長の舞った敦盛の謡いが、本能寺を見ている矢代の口にも自然にのぼって来て、躊躇するものの

ローマ

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た天正十年の正月に、九州のキリシタン大名の使節がローマに初めて出発して、八年後に持って帰った印刷機から吐き出された信心録

ことに戻りますが、ヘルンというこの外国人は、ギリシアやローマの一番健康なころの精神が、地球上のどこに残っているかを自分

思って、ぞくぞくと平気で死んでいったものだから、ローマの法王庁はそれを聞いて、そんなことは当時の外国の例にはない

ルーアン

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を考えろ、と云ったフロオベルの剣先も、彼の故郷のルーアンを訪ねたころから折折に泛ぶ僕の物思いとはいえ、千鶴子さんの念じる神

名古屋

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んですよ。そのときは四五日一緒でしたが、途中名古屋のゴルフリンクで、わたしはあの人にゴルフを教えたのですがね。そうです

エッフェル塔

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見て近よって来ると云った。二人は河岸に添ってエッフェル塔の方へ歩いていった。

エッフェル塔の裾が裳のように拡がり張っている下まで来ると、対岸のトロカデロの

関西

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た。千鶴子の話では、東野の夫人は歌人だが関西の財閥の出で、病身のためいつも夫人附きの須磨の別宅に寝んだきり

靖国神社

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の墓があるので、丁度ここは東京で云えば、靖国神社をいただいた九段にあたるゆるやかな坂の下だったが、何事か街に

西インド

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酔の廻った体でイタリア人の腕を吊り上げた。矢代も西インドをつれて踊った。そこへ花売が薔薇を持って来ると、傍に

伊豆

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葱は上州から、人参は京都、海苔は大森、椎茸は伊豆、と一流品の出所まで精しく話した後、ここの鴨だけは芸術品になっ

伊賀

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江戸をたって、故郷の伊賀へ帰ろうとしたときに深川で作ったと云われる芭蕉のこんな句を、

江戸

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「秋十年却つて江戸をさす故郷」

江戸をたって、故郷の伊賀へ帰ろうとしたときに深川で作ったと云わ

こんな句を、ふと矢代は思い出したりした。十年も江戸にいると、芭蕉の眼にも逆に江戸が故郷に見えて来たの

十年も江戸にいると、芭蕉の眼にも逆に江戸が故郷に見えて来たのであろう。と、そう思うと、矢代は異国

カルチエ・ラタン

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に水面に眼立って来る。矢代はパリにいるとき、カルチエ・ラタンで久慈と食事中、傍にいたアンリエットが突然、匂いの強いセロリの茎

ウィーン

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いう千鶴子がいた。今一方の組の中には、ウィーンの良人の傍へ行くという、早坂真紀子が中心になっていた。矢代

いう曲を弾かれますから御清聴を願います。これはウィーンにいられる御主人のことを忍ばれた曲でありまして、いささか皆さま

「もしウィーンの方へでもいらっしゃることがございましたら、どうぞ、是非いらして下さいましな

ましたが、もうそろそろお別れしましょう。僕はミュンヘンからウィーンの方へ行かなくちゃならんのですよ。」

た。昨夜の雨でまだ濡れている日蔭の道を、ウィーン風の立派な白い髯の老紳士が、杖をつきつき衰えた歩みを運ん

次第に低く沈むに随い、横を流れる河が渓間に添いウィーンの平野の方へ徐徐に開けて行くのが見えた。終点の駅は旅宿をも

ことが起って来た。君も知っているだろうが、ウィーンへ行った真紀子さんが突然僕を頼ってひとりパリへ現われたのだ。僕

ながら訊ねた。ドイツを廻っていた矢代の留守中、ウィーンから突然出て来た真紀子の部屋を、矢代のホテルの部屋にしておい

ふと久慈は真紀子を見ると、ウィーンばかりにいたせいかまだ外国擦れのしない真紀子の馴馴しさが、日本の

「ウィーンって所は、ああいうところなんだわ。あたし、宅がいるもんだから

「でも、真紀子さんの御主人まだウィーンにいらっしゃるっていうお話よ。そんならやはり遠慮なさる方がいいと思うわ。

「あたし、真紀子さんはウィーンから御主人お迎いにいらっしゃるの、お待ちになってるんじゃないかと思う

「ウィーンから手紙来ることあるの。」

だと矢代は思った。家は明治の古い貿易商で、ウィーンに残っている彼女の別れて来た良人の早坂が養子であるうえに、

にあい、それに同情した自分の腕の中へ、ウィーンから漂って来た真紀子を、また東野へ送り届けた過ぎた日の、さざめくよう

宇治

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から、奈良、平安前期に至るその消化時代をへて、宇治の平等院に示された平安後期の日本化の完成という順序は、これを

比叡

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かかると、湖の上に曙色がさして来て、比叡の頂が薄靄の中に染って見えた。彼は洗面を急いですませて

両国

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あるよ。ところが、日本と中国の知識階級は、こういう両国の底の心というものをみな知らなくなってしまってる。僕だって君だってだ

二人はその夜両国のある鳥屋へ上った。鳥肌の煮え始めて来たころ、急に思い出したらしく、

上野の博物館

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上野の博物館が石造の建築に変ってから、矢代たち誰も中へ入るのは初めて

神戸

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いるのと視線が会った。その作家は矢代より少し早く神戸を発ったのを新聞で見たことがあったから、矢代も行けば

せてから目的地へ出発するという風だった。久慈が神戸を発つ日も暗剣殺が西にあるから、船中用心をせよとくれぐれも教え

しまうと、何んでもなく来れるように思えるのね。神戸で船の梯子を登れば、もうそれでいいんですもの。」

西洋から帰る多くのものが、船中から神戸を見て、思わず悲しさに泣き出すというもの狂わしい醜態がある。

は随分いろいろな所を見て来たわ。でも、神戸があたし一番好きだった。こんな美しい所が世の中にあったのかしらと思っ

「神戸が?」

「ええ、神戸にはあたしすっかり感心したわ。ですからあたし、平壌へ帰っても、

ヨーロッパから帰って来た青年の多くの者が、船中から神戸を見て、その貧しさに悲しさがこみ上げ、思わず泣き出すという

。高麗文化を伝える二十歳の歌の名手に絶望を与えた神戸に、何がいったいあったのだろうと、矢代はそのとき考えた。ヨーロッパ

ほど、西洋から帰って来た多くの青年が、船上から神戸を見て悲しみのあまり泣き出すという、弱まり崩れた心根もやはり同様に

、こんなに人を怒らしたのも、理由があった。神戸を船で発つまでは、船客たちの誰も、船に乗り得られた

奈良

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で、ぶち壊す資本主義がどこにあるというのだ。日本は奈良朝時代から円心主義ばかりで来た国だ。その資本主義のない国で、

の中にいるような気がするわ。よくこんなところ、奈良にあるじゃありませんか。」

「そうだ。奈良だここは。」

朝に出たなんか当然なんで、仏像にしても奈良朝の天平八年に菩提とか仏哲などという印度人が日本へ来

身体が善くなったら、こんな所であぷあぷしてずに一度奈良や京都でも廻って来るんだね。僕もそのうち行くつもりだ。

暗き声が空に響き透った。矢代は旅の納めに奈良から京都を廻って来たいと思っていたが、同じ行くなら春に

けれど先日あなたに云われたの利いたものか、今度は奈良や京都をよく一度見直して行くんだと云ってますのよ。そのとき

における支那朝鮮の建築そのままの直写時代から、奈良、平安前期に至るその消化時代をへて、宇治の平等院に示され

眺め、ふとむかしのある時代を思い出すのだった。それは奈良朝から平安前期へかけてのころだったが、そのときも、日の

した眼差が懐しかった。昨日は伊勢から長谷寺へより、奈良から夜遅くこのホテルへ着いたことなども、彼の話から推測するの

並んだ今みる一行の変化ある様子や、殊に、伊勢、奈良を廻って来た千鶴子に与えた古都の影響を察するとき、矢代は、

「四五日前から、奈良、京都を兄たちと廻りました。私のまだ知らなかったいろいろなこと初めて

巴里

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「もうどこもかしこも政治の話ばかりだが、これで巴里祭の右翼と左翼の衝突が見ものだな。君らの論争も良い加減

「もう少しいなさいよ。巴里祭までいなきゃつまらないな。また出て来るにしたってなかなか億劫だし

たというね。そのときは恐かったそうだ。今年の巴里祭はもう一層凄いということだが、あなたもそれまでいなさいよ。

「もうすぐ巴里祭ですが、あそこの無名戦士の墓の奪い合いで、左翼と右翼の衝突

こう云いながらも矢代は、巴里祭の日に、サンゼリゼの坂で中央の伝統派の一団と、そこへ

「あの巴里祭のとき、君が殴られながら撮った写真、あれどうしました。

いつも巴里祭の話になると、顔中ぽっと紅をさす塩野の癖がまた

「今日はチロルの氷河の写真と、巴里祭の写真を持って来たんですよ。」

塩野は横から、巴里祭の日に左翼とカソリックの右翼の波の間に挟まれ、ひどく殴ら

たいていはそうじゃないよ。僕はやはりそれが心配だ。巴里祭の日に君が殴られたのなんて、あれは君、それを知っ

福岡

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駅だった。彼は一路大連まで来てそこから飛行機で福岡まで飛ぶつもりだったのに、平壌まで来ると先きは雨がひどく不時着し

福岡まで大連から一飛びに飛ぶ筈だった飛行機が前方の風雨のため平壌で

京都

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「初めてよ、あたしね、東京から京都、大阪と、今度は随分いろいろな所を見て来たわ。でも

善くなったら、こんな所であぷあぷしてずに一度奈良や京都でも廻って来るんだね。僕もそのうち行くつもりだ。まだ僕

が空に響き透った。矢代は旅の納めに奈良から京都を廻って来たいと思っていたが、同じ行くなら春になるの

にした所は、そうそう、先日僕は、信長時代に京都へ耶蘇寺を建てたポルトガル人のフロイスという宣教師が、こっそり本国へ送った

あなたに云われたの利いたものか、今度は奈良や京都をよく一度見直して行くんだと云ってますのよ。そのときあたしも

引いた庭に見え、矢代はこうしているときにも京都へ早く行きたくなる誘いを感じて来るのだった。

。分骨にした父の骨を九州の郷里の寺と京都の本願寺に納めたいという母の意に随い、矢代は西へ旅立つ日

「京都までなら良いだろうが、しかし、九州までとなるとまだ危いよ。」

「じゃ京都まで。」

云った。そして、いつか病院へ見舞に行ったとき、京都の美しさもよく見るようにと奨めた彼の言葉を覚えていて

ば何ごとか今から感慨が起って来そうだった。また京都の街を見降す位置にある本願寺の納骨堂に父の骨を納めることは、

と、思いの他ぱッと浮き騒ぐ鮮やかさに、これでは京都の街の騒騒しさも想像の外であろうと、宿をとるのも怪しま

ある日、矢代は社長の叔父の所へ、京都へ行くまでに片附けて置きたい相続のことで相談に出かけた。叔父は

ことを云い出す考えでいたので、妹を一緒に京都へつれて行くこともひかえ、母の傍に残したくもあったのだ

「叔父さんはあたしも京都へ行くように仰言ったでしょう。」

方が重すぎた。千鶴子の手紙の返事が、自分の京都行きと一緒に千鶴子も由吉と出られそうな模様なら、今は幸子へ

「京都へはいつお発ちになって。」

の表情を窺うように云った。父の亡くなる前から一度京都へはともに行くのも、たしかに二人に勉強になることだという

妹にぜひ連れて行けと駄駄をこねられましてね、京都までならともかく、九州の方へも行くとなると、僕も承諾しかね

、場所には似合しからぬ唐突な笑顔だった。矢代は京都行きの決定についてはそのまま曖昧な気持ちを残し、それ以上はどちら

を話した。矢代はむかし幕府の将軍夫人が硯水を京都から取りよせる話を読んで、贅沢のたしなみ過ぎたるものと思っていたの

選定の厳格さを賞した。葱は上州から、人参は京都、海苔は大森、椎茸は伊豆、と一流品の出所まで精しく話した後

こととて、矢代ひとり日を狂わすことは出来なかった。また京都へは、由吉一行のみならず、塩野や佐佐、その他須磨の夫人の

で一泊している筈だった。自然に四人は京都で落ち合う順序になっていたが、それも矢代から云い出したことで

たかったが、間もなく欧洲へ出発するという由吉の京都勉強のため、彼と一緒に千鶴子と槙三とが昨日東京を発って

いることを察した兄への同情であった。矢代は京都へは九州からの帰りに寄りたかったが、間もなく欧洲へ出発する

もなかった。ただ彼は、いま少し母と妹との京都行きを自分からすすめるべきであったかと思われたのも、それを

昨夜は雨と見えて京都の街の瓦はまだ濡れていた。矢代が京都ホテルに着いてから名簿

「でも、ここなら京都へ来るたびに、お詣り出来ていいわ。来ましようよね、ときどき

「京都を見るのは早くて三日はかかるだろうが、明日からはまた賑やかな

すれば九州からの戻りも一日早くなり、それなら帰途京都へ着くときもまだ一行に会われそうな余裕もありそうだったの

、矢代だけは明日の別れもあり、また皆のものを京都へひき出したこの度びの責任の回避も覚えて、とかく沈みがちに気

の写真で活動を始めていた塩野は、明日からの京都の旧蹟を撮ることに、今から愉しみぶかい興奮を示して絶えず活溌に

がたい理由も少しはあった。一つは帰途に千鶴子と京都で落ち合う予定もその中の重要なことだったが、これで、さて親戚

彼はそう答えるにも、結納をすませて京都に待たせてある千鶴子のことをいま嫁と呼ぶべきかどうかあやふやな

かとも考えたが、この日を一日遅らすことは、京都で落ち合う筈の千鶴子たち一行との約束も脱すことだった。それを脱し

をし、今また郷里のわが家との別れにも、同じく京都で待つ彼女のために不義理を残して行くわが身を省み、矢代は、

母と別れて東京を発つときも、京都で先に待たせてあった千鶴子のことで、とかくに騒ぐ思いをし

「御親切はありがたいのですが、京都で友人が待っていてくれるものですから、遅らすと少し工合の悪いこと

山は黙ってそのときちょっと京都の空の方を見たように思った。矢代は、その山のいつも

車中では容易に眠られそうにもなかった。そして、京都で千鶴子と会ったとき、郷里の模様を多少は変形させて話さね

その夜、京都へ向う夜行にやっと矢代は間に合った。来るときもそうだったが、帰る

たくはないと思った気持ちの中には、たしかに、京都にいる千鶴子のことを、一つは頭に泛べたそのためもあった

「京都はどうでした。」食堂へ出る仕度をしながら彼は何げなく訊ね

が顔に出ていたが、彼の留守の間に京都から得た収穫の豊かさを語っている共通の笑顔で、その中に

劣らない見事な片鱗があるね。ばらばら散ってるんだよ京都は――」と塩野は云った。

方だと主張した。しかし、素人玄人に拘らず、京都研究をふかめる量につれて、そのものの文明観の質も変化して

美しさも忘れがたいものだと思い、一同に対って、京都旧跡の廻り方は玄人の行き方と素人のとに分れているらしいが

観念は、やはり僕らには分りませんよ。何しろ、京都文明の頂上が、あの石だといってもいいんですから。」

に河原の方を見た。矢代は月を仰ぎながら、京都文明の永い歴史の中に顕れた多くの月も、今みるこの山の

はあり得ないのです。しかし、あの庭の石が、京都文明の絶頂を示すものなら、勿論、この排中律という認識上の頂き

「京都はいいなア。」

は終ったからだとも思えなかった。また、旗亭で京都の舞いを見た興奮からでもなく、一つは、頭の芯に

昨日、九州の村道で故郷の山が、彼に京都の方を顎でさし、そう云ったように思われたあのときの感動

「四五日前から、奈良、京都を兄たちと廻りました。私のまだ知らなかったいろいろなこと初めて勉強し

京都から帰って来ても、矢代はまだそのまま旅先の姿勢を変えなかった

大津

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のは、碓氷峠だ。あれは難しかった。その次は大津から山科へぬける疏水で、その次は宇治川の水電だったね。

カーテンを締め降ろして、スーツから父の骨を出した。大津の街は湖に包まれ夜明けの白い湯気を立てていた。矢代は

福島

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というのは、随分仕上げて来ているんだぞ。福島から会津へぬけるトンネルがあるだろう。あれは難工事で、わしも初めてぶつかっ

福井

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た。近江の虎斑、甲州の雨端、長崎の若田、福井の紅渓、駿河の馬蹄と、東野の短い説明の仕方も要領の良い

長崎

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窺われるものだった。近江の虎斑、甲州の雨端、長崎の若田、福井の紅渓、駿河の馬蹄と、東野の短い説明の仕方

仙台

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、熊の掌の煮付に添えたひじき、鴨のロース、仙台産の味噌で包んだ京の人蔘、など、これらが織部の小皿に

港区

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明るい街から暗い港区へ這入ると埠頭はすぐだったが、車は門から中へは這入れなかっ

深川

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江戸をたって、故郷の伊賀へ帰ろうとしたときに深川で作ったと云われる芭蕉のこんな句を、ふと矢代は思い出したりした

上野

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は当分の見納めと、うす濁った造花の桜の花曇りも上野の花のように見えて来る。すると、食堂での騒ぎは間も

から暫く場内を廻ってから四人は外へ出て、上野博物館へ行った。これも四人は西洋のデパートや博物館と、日本の

車が上野の杜の中へ這入っていったところで四人は降りたが、降り

上野の博物館が石造の建築に変ってから、矢代たち誰も中へ入るの

東京

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ばかりで酋長の娘から初め出した。それがさくら音頭から東京音頭となり、野崎小唄となり、だんだん進んでいくに随って、とうとうあなた

「東京の友人たち、今ごろは定めし笑っとるだろうな。」

「東京とパリのこの深い断層が眼に見えぬのか。この断層を伝って

男の方それや好きなの。あたし、住むならパリか東京よ。」

どこにもないですよ。東京の者だって、つまりは東京の方言を使っているんですからね。」

にも日本語の完全な発音なんかどこにもないですよ。東京の者だって、つまりは東京の方言を使っているんですからね。

に触れるようにさっと横を向いたが、その中に東京で講演を聞いたことのある東野という前に作家をしていて

僕は一年ほど前にあなたが講演なすったのを、東京で聞いたことがあるんですよ。私はこう云うものです。」

代表的な紳士たちというべきであったが、永く帰らぬ東京の様子など懐しそうに訊ねられるまま、千鶴子や久慈が答えているうちに

久慈は茫然と立ち尽して云った。「これから見れば、東京のあの醜態は何事だ。僕はもう舌を噛みたくなるばかりだ。」

「僕が東京市長なら、東海道の松の大木を銀座の真中から、神田までぶっ通して

跨った山岳地方一帯の地名をチロルと呼ぶが、矢代は東京を出て以来、日本人から全く放れて一人になったのはこの旅行が

見えなかった。いつの間にか違う種族の人間も、東京の街角でバスの来るのを待ち合う顔と同じに見えている二人だった

しながら耳を立てていた久慈は、その音からふと東京の郊外の書斎で深夜よく聞き馴れた練兵の機関銃の音を思い起した。

だと云って、まるで戦場のような空気の漲っている東京市中の話をした。嘘か真事か一同には分り難かったが

のを思うのであった。もしここがパリでなくて東京だったなら、或いは千鶴子に胸中の想いのままを伝えたかもしれない

。高は上海の有名な支那銀行の頭取の息子で、東京帝大の経済を出た日本語の巧みな上品な青年だったが、どういうもの

した無名戦士たちの墓があるので、丁度ここは東京で云えば、靖国神社をいただいた九段にあたるゆるやかな坂の下だっ

東京にいるときでも友人たちは矢代によくこう云って迫り、叱り、忠告

米あるというんです。ここのお寺はこれで、東京の日本橋みたいにフランス全部の道路の中心標示になっていて、この下

高は東京にいたときの日本の挨拶を思い出したと見え少し遅れてこう云った

「そういうこともあるでしょうが、僕らは東京の学校で習ったのですから、やはり日本は懐しい思い出の国です。西洋

がどこだか分りません。お兄さんはパリに行かれ、東京を故郷と思われましたよし、まことに自分のことのように嬉しく思い

れ、御先祖のお墓参りをされました。わたくしは東京で生れたせいか、自分の故郷がどこだか分りません。お兄さんは

行くというフランス人の骨董商が一人、その隣りがベルリンから東京へ行くナチスの外交官が二人、その次ぎには、二十歳前後の中国の青年

「それは僕が東京へ着いてから、すぐ入用のお金です。返して下さい。」と手を

「東京滞在は幾日間ですか。」と検査官が訊ねた。

たので、彼は山陽ホテルで休息している間に東京の自宅へ電報を打った。そのついでに千鶴子へも打とうかと暫く茶

、下関へ上ったのは夜の一時ごろになった。東京行の出るまでには、まだ一時間半もあったので、彼は

所が面白いのか分らなかったが、この地が間違いなく東京だと思うことで、彼は心が落ちつけるのだった。車が帝国ホテルの

帰ってみれば、やはりどこより彼は東京が懐しかった。東京のどんな所が面白いのか分らなかったが、この地が間違いなく東京だ

しかし、こうして帰ってみれば、やはりどこより彼は東京が懐しかった。東京のどんな所が面白いのか分らなかったが、この地

といってもどこのもそれぞれ違うのだと思ったり、東京よりもどこより先ず帰れば温泉へ行きたいと、パリで友人らと話し

ある日のことを思い出した。その婦人の嫁ぎ先の主人が東京に出て大工をしていた関係から、矢代の家の破損の部分

彼の母の郷里は、東京から十時間もかかる東北地方の日本海よりに面していた。矢代の

結婚したかは疑問だったが、恐らく母の長兄の東京に遊学中、二人の間を結んだかと想像せられるのみで、両親

東京へ矢代の帰ったのはもう十月を越していた。彼はその

「お兄さんは東京を故郷だと発見されて羨ましいと思いますが、あたしは自分の故郷

に、お前の故郷はここの東京だと教えたとて、東京を故郷だと思えない心に向って何んと説くべきか、彼に

て離れたことのない妹に、お前の故郷はここの東京だと教えたとて、東京を故郷だと思えない心に向って何ん

気持ちを何より先ず慰めてやりたかったが、生れて以来東京で育って離れたことのない妹に、お前の故郷はここの東京だ

た美しい調子で暫く響いた。妓生の名は忘れたが東京へレコードの吹込みを頼まれて行ってから、帰ってまだ三日にも

「東京は初めて行ったの?」

矢代は自分も初めて外国から帰った当夜に、これも初めて東京から帰って来たばかりらしい妓生との巡り合せに興味を感じて訊ねてみ

「初めてよ、あたしね、東京から京都、大阪と、今度は随分いろいろな所を見て来たわ。

、パリで絶えず論争しつづけた二人の争いを、また東京の自宅から彼に向けたくなるのだった。実際、矢代は、久慈に

一緒に云って笑った。矢代は気軽くなったついでに、東京へ着いたその夜、千鶴子の家の前まで夢中で行ったことをつい

「僕は東京へ着いた夜、自宅へ帰る前にあなたのところへ行ったんですよ

な都会の中で、活気のもっとも旺溢しているのは東京と大阪だと彼は帰ってから思ったが、その中でも特に旺ん

晴れた日のお茶の水から有楽町まで行く間の高架線は、東京中で一番人を楽しませてくれる所だと、矢代は前から思って

「何しろ雪の中の手料理ですからね。東京で作ったのとは違うが、チロルの山小屋のときよりは少しはま

「僕の知人で一人、日本へ帰ると一ヵ月東京にいたきり、すぐまたパリへ来てしまったのがいますがね

の動きがつづくのだった。それにまた、千鶴子たちが東京へ戻ってから、いちいち自分のことを、母親に報告するにちがいない正直

つへだてた部屋の、潰れた汚い声の主だちだった。東京のどこか色街から来たと見える一行だったが、女将らしい六十近い肥っ

「東京へ着くのは幾時ごろです。」

東京へ帰る千鶴子らの汽車を送り出してから、矢代はひとり駅前の広場に立っ

矢代が東京へ戻ったときは、塵埃のかかる垣根から覗いた紅梅の蕾に粉雪が

と矢代は訊ね返した。東京へ戻ってから母に伝えた槙三の報告は恐らく芳しくないにちがいない

「ホテルはとってあるのかね。このまま東京へ帰るんじゃないだろう。」と遊部は由吉に訊ねた。

、病身のためいつも夫人附きの須磨の別宅に寝んだきり東京へは殆ど出て来ないとのことで、三人の子供たちも二人は

勉強のため、彼と一緒に千鶴子と槙三とが昨日東京を発って、途中伊勢の山田で一泊している筈だった。自然

翌日また別れてひとり旅だつ自分の九州行きが怪しまれ、今夜東京から集って来る塩野たちの賑やかさを脱すのも、約束甲斐のない無聊

夜になって塩野と佐佐が東京から着いた。その後一時間を隔いて東野がまた来た。矢代

千鶴子と彼の四人だけ先に早くホテルへ帰った。東京でもすでに海外版の写真で活動を始めていた塩野は、明日から

ひとり気をかねて砕けた主婦と対して、矢代は車中や東京の話をするのみだった。卓上には饂飩の小鍋を中に銚子が

母と別れて東京を発つときも、京都で先に待たせてあった千鶴子のことで、

の客だったと思った。自分にとって故郷はもう東京以外にはなく、そこへ向ってこれで刻刻近づき得られている自分だ

が分らぬだけらしいですね。」と附加してから、東京へ帰れば友人に数学の天才が一人いるから、一度その人物を連れて

会館からはね出てくる人の流れを眺め、今夜は東京から来た音楽家の演奏会があったその崩れだと告げた。矢代は結婚

来たのは、丁度こういうときであった。彼は東京の知人たち誰にも到着を報ぜず瓢然と戻って来たので

上海の周囲に火が飛んだ。久慈が印度洋廻りで東京へ帰って来たのは、丁度こういうときであった。彼は東京

神田

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東京市長なら、東海道の松の大木を銀座の真中から、神田までぶっ通してずっと植えるね。あの通りに松葉が散ればどんなに綺麗か

銀座

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「僕が東京市長なら、東海道の松の大木を銀座の真中から、神田までぶっ通してずっと植えるね。あの通りに松葉が散れ

道の、アベニュ・フォッシュにある家よ。下のホールが銀座の資生堂ほどもあって、別室にマキシムのコックが来ているんですの

黙って見ていると、子供の廻している豆自動車は銀座の夜店でよく見かけた日本製のものだった。

タクシに乗り込み途中で自分一人だけ銀座で降りるつもりだった。銀座の方へ動き出した車の中で、彼は、今は勝手気ままの

矢代は母にそう云ってタクシに乗り込み途中で自分一人だけ銀座で降りるつもりだった。銀座の方へ動き出した車の中で、彼

銀座裏で車を捨て矢代はひとり寿司屋を目あてに歩いた。通りや街の

ただ過去のキリストの形骸を信じているからさ。むかし恋しい銀座の柳だ。」と彼は面白そうに笑い出した。

日本橋

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というんです。ここのお寺はこれで、東京の日本橋みたいにフランス全部の道路の中心標示になっていて、この下の礎

の家の方を是非廻ってみたくなった。店が日本橋にあり本宅が目黒と聞いていたから、目黒の方なら廻りもそんな

目黒

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店が日本橋にあり本宅が目黒と聞いていたから、目黒の方なら廻りもそんなに遠くはなかった。しかし、彼は車の中

是非廻ってみたくなった。店が日本橋にあり本宅が目黒と聞いていたから、目黒の方なら廻りもそんなに遠くはなかった

の家から近い場所をというので、矢代たちは、目黒のある料亭を選び、そこからまた塩野が千鶴子に電話で報らせた。

「これは目黒富士といってね、これでも広重が絵に描いてるんだ。近藤

吹き靡いて来るような新鮮な幻影を立て、広重の描いた目黒富士の直立した杉の静けさも、自分の持つ歴史に一閃光を当て

よりも杉の繁みの方が量面が大きく、そのため目黒富士の苦心の形もありふれた平凡な森に見えた。しかし矢代は廊下

塩野は庭下駄を穿いて飛石の上を渡り、目黒富士の傍へ近よっていった。薄闇の忍んでいる三角形の築山全体に

目黒で千鶴子と会ってから二週間ほどたったある日、彼女から矢代に簡単な

渋谷

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渋谷からは路も暗かったが、ライトの中に泛き出される繁みや看板など

お茶の水

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ぬ方が良いと矢代は思い、二人は病院を出てお茶の水の傍の見晴しのよく利く喫茶店を選んで入った。

て聖橋を渡って行きかけたが、また急にひき返してお茶の水の駅の方へ歩いた。矢代がタクシを拾うまで待つようにひきとめて

たが、その中でも特に旺んな場所の一つはお茶の水から有楽町あたりまでだった。今そのあたりの屋根の上を踏み流れて行く

晴れた日のお茶の水から有楽町まで行く間の高架線は、東京中で一番人を楽しませてくれる

有楽町

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た切符を黙って一枚矢代に手渡した。その切符は有楽町行きになっていたが、二枚買ったところを見ると、まだふくれ

、その中でも特に旺んな場所の一つはお茶の水から有楽町あたりまでだった。今そのあたりの屋根の上を踏み流れて行くような

晴れた日のお茶の水から有楽町まで行く間の高架線は、東京中で一番人を楽しませてくれる所だ

電車が有楽町に着いたとき、矢代は階段を千鶴子と並んで降りながら、ふとまた侯爵

新橋

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は夕食を千鶴子と一緒に摂って、午後の九時ごろ新橋の駅で別れひとり家に帰って来た。すると、夜の明け初めるころ

新橋を渡ってから右に折れて、また二人は桜田本郷町を真直ぐに歩い

大宮

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それではちょうど千鶴子は大宮あたりで、鰻の駅弁の美しい鉢を眺め食慾を覚えているころだと

日比谷

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久慈の手紙を見てから三日後、東野の講演会が日比谷であるので、同夜久慈や大石の歓迎を兼ねて集りたいと、塩野

日も落ちてから矢代らは、あまり日比谷とへだたらぬ懐石店へ集った。世話係の塩野はもう見えていて、

「今夜の日比谷の講演は、それをやりなさいよ。」と久慈は途中で東野に云っ

日比谷からは拍手があがった。真紀子も愁眉を開いた。

隅田川

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にはパリらしいものは現れて来なかった。そのうちに隅田川を小さくしたような河を渡ったとき、

は東野の行きつけの相鴨を食べさす店だった。上げ潮の隅田川の水に灯の映って見える玄関の軒灯をくぐり、二階へ昇って