北京と巴里(覚書) / 横光利一
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に、北京と並んでしきりに泛んで来た都会は、パリとフロウレンスであった。フロウレンスにはまだ電気の発見のない時代の純粋物理学の
に秘め包んでいるがごときが形態をもった解析幾何のパリとは違っているが、それはそれのみとして完成された一つ
てわれわれの前に死のごとく現れたのだ。それは全くパリの老齢の静けさとは違っている。
私はパリを思い泛べ、北京を思うごとに二つの言葉がまた自然に私の頭の
少しもない、移り行く現実のままに積み上った都会である。パリは「われ想う」が如く脳中のままに建てられた都会であるが、
脳中のままに建てられた都会であるが、しかし、パリは「われ想うが故に」今は悩み多く、北京はわれ在るに非ざれ
て来たまでにすぎない。また同時にこのことは、パリは科学であり、北京は自然だということの反証ともなり変る性質を
北京に遊ぶ知識人はよく前から、ここは全くパリに似ているというのを私は聞いた。あるフランス人は北京はパリ以上
いるというのを私は聞いた。あるフランス人は北京はパリ以上だとも言ったという。私はパリにいるとき、ただぼんやりと街区
は北京はパリ以上だとも言ったという。私はパリにいるとき、ただぼんやりと街区を歩いているときでも、分相応の分析力を
。珊瑚礁を造った微生物と同じ微細な虫が、最初にパリを造ったと言われているだけに、このパリの街は石灰岩の塊から
最初にパリを造ったと言われているだけに、このパリの街は石灰岩の塊から成り立ったような街である。しかし、このように
は、どういう作用によるものであろう。電気の輝くところ、パリへ行ってもフロウレンスへ行っても、ああこれなら日本で見たと思う心理
日本で見たと思う心理ばかりが五月蠅くつきまとって、羽左衛門のパリ見物そのままにナポレオンも耶蘇かと突然言いたくなるのである。氏は大理石
のために何の不思議とも感じることが出来なかった。パリのエッフェル塔の横腹で、夜になるとシトロエンの自動車の広告塔の電気が輝く
なるとシトロエンの自動車の広告塔の電気が輝く度に、もうパリもデカルトも人の頭の中では、むかしの尊厳さを失っていると
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た一つの厳粛さであった。それは日本では鎌倉の素朴単純な端正さと精神を一つにしたがごとき美しさに感じ
ていた人物のごとくに思われてならぬ。私は鎌倉へ行く度に、ここには昔すでに電気を感じていた禅宗の僧侶が
でいたように感じられるが、しかし二十世紀の日本は鎌倉よりも東京の郊外に最もよく現れていると思う。
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に何の不思議とも感じることが出来なかった。パリのエッフェル塔の横腹で、夜になるとシトロエンの自動車の広告塔の電気が輝く度に、
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北京と巴里(覚書)
(附記――北京と巴里とへはもう一度行きたく思っているので、これらの地に関する
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ように感じられるが、しかし二十世紀の日本は鎌倉よりも東京の郊外に最もよく現れていると思う。