茶話 12 初出未詳 / 薄田泣菫
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洋画家浅井忠氏の追善が、ある年東京の根岸で開かれたことがあつた。その折鈴木鼓村氏が箏を弾いた。
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のを拾つて帰るのを忘れなかつた。ある時奥州へ往つて勿来の関址を訪ねた事があつた。その折も大雅は
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五六の少年のころだつた。名士訪問を志して、ボストンに牧師として名高い Phillips Brooks を訪ねたことがあつた。牧師はその当時
「お前さんも、本が好きだと見えるな。何ならボストンへやつて来たときには、いつでも家へ来て、勝手にそこら
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亡くなつた丹波国何鹿郡安国寺の住持梅垣謙道師が、いろんな奇行に富んだ坊さんだつた事
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余り喧しいので、つい会つてみたく、わざわざ安国寺から綾部の大本教本部まで訪ねて行つた事があつた。
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それは髭を剃る以上に面倒くさいものであつた。伊勢の桑名に松平定綱といふ殿様があつた。気むづかしやで、思ふ存分我儘を振舞
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天龍寺は維新の当時、薩摩の村田新八に焼き捨てられたのを、その後峨山が再建に骨を折つて
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ある夏和尚は叡山の僧坊を借りて、夏季修養会を開いた事があつた。予て和尚の
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どうしたものか、大寺が嫌ひで、老つてからは大阪の烏鵲楼に引込んで、暢気に膝小僧を抱いて暮してゐた。
主人は直ぐに得意先の大阪の漬物問屋に電話をかけた。そして西瓜の奈良漬の飛切りなのを大急ぎに
暫くすると、三の間の水も着いた。大阪の漬物も着いた。八新の主人は三の間の水で茶を煎じ
東京の実業家S氏の令嬢が、大阪の実業家M氏の孫息子、今は大蔵省の役人を勤めてゐるY氏に嫁い
その披露の宴に、S氏は遙々大阪までやつて来た。M家では花嫁の父親として叮嚀に待遇を
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「私は京見物に参つた丹波の者でございますが……」
だ。よく見ると、お爺さんにはどこに一つ丹波のものらしい所がなかつた。衣服の着こなしといひ、態度といひ、気が
がないでもなかつた。主人は相手を言ふがままに丹波の田舎者としてもてなした。そして朝飯の出来る間、暫く休んでゐても
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が、それは髭を剃る以上に面倒くさいものであつた。伊勢の桑名に松平定綱といふ殿様があつた。気むづかしやで、思ふ存分我儘
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真言宗御室派では、管長の後任選挙について、高野山の法性宥鑁師と浦上隆応師との間に、かなり激しい対抗運動が持
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提督が乗込んでゐるアジア艦隊が、香港の港近く碇泊してゐるときには Fyffe 夫人はいつも軍艦から下りて、港
この省令は電報で香港にゐたアジア艦隊にも送られた。旗艦の甲板の上でそれを受取
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むかし、江戸に亀田鵬斎といふ学者がゐた。貧しい学者にしても夏はやはり金持
京役者の随一人坂田藤十郎は、江戸興業に行く時、江戸の水はまづくて迚も咽喉を越さないからと言つて、わざわざ京の水を
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宗風の森厳なので聞えた天龍寺の由利滴水が、死ぬる三四日前の事だつた。いつも自分の側で
「お前、天龍寺を再建して、どうしようと思つておいでなのだい。」
天龍寺は維新の当時、薩摩の村田新八に焼き捨てられたのを、その後峨山が再建
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寛永九年だつたかに、加藤忠広が罪あつて所領の肥後国を没収せられた。それから間もなく幕府で新国守の沙汰があつた
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で会つた事があつた。二人は夕飯を食べに、祇園の安井神社の境内にある「つるや」の支店に入つて行つた。
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が大統領に就任してから当分の間、田舎の自宅からワシントンへ汽車で通つてゐたことがあつた。ある日のこと、グラントは
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京都の工科大学教授N氏が、世界戦役当時、ある新聞記者との対談に
N氏は、その翌朝京都を発つて九州地方まで旅をしなければならなかつた。混み合つた
京都の八新が料理で名高かつた頃、(惜しい事には今はそれ
をかけた。そして西瓜の奈良漬の飛切りなのを大急ぎに京都の店まで届けて貰ふやうに頼んだ。店の若い者の一人は
水の味といつては、また格別のもので、京都には茶人が多かつた故で、水自慢の古い井戸が未だに方々
いつだつたか、京都の市会議事堂で、慈善音楽会が開かれた事があつた。托鉢の道すがら
のT氏と、藤本銀行のI氏とが、こなひだ京都で会つた事があつた。二人は夕飯を食べに、祇園の安井神社
二人は座敷に案内せられると、京都には久しい以前早稲田で自分達を教へてくれた文学博士F氏がゐる
大雅は京都へ帰る途中、深草の藤森神社へ参詣した。そして淇園に貰つたばかり
持伝へた安国寺肩衝の茶入を、家来に持たせてわざわざ京都に上せ、それを売払つてその金子で食物を買ひ取り、領内の
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たので、かうしてわざわざ使者を立てて、風外を高松に迎へようとしたのだ。だが、風外はどうしても肯か
藩から使の者がやつて来た事があつた。高松の藩主は、自分の領地が、猫の額ほどしかないので、誰
そこへ、ある時讃岐の高松藩から使の者がやつて来た事があつた。高松の藩主は
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色々儀式があつて、その選択は自由である。ここに千葉の片田舎に、Bといふ若い男があつて、ある娘と相思の仲
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巴里の安料理
てゐた時の事、氏は何でも一ぱしの巴里通にならうとして、いろんな所へ出入をした。そして人の知ら
O氏が、媾和全権大使西園寺侯のお供をして、巴里へ行つてゐた時の事、氏は何でも一ぱしの巴里通
。「それでゐて、うまく喰はせる事にかけたら、巴里一流のホテルや、料理屋も裸足といつた所ださうですよ。」
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洋画家浅井忠氏の追善が、ある年東京の根岸で開かれたことがあつた。その折鈴木鼓村氏が箏を
場所は東京丸の内の中央倶楽部だつた。新郎新婦とその親戚友人たちの顔が揃ふと
東京の実業家S氏の令嬢が、大阪の実業家M氏の孫息子、今は大蔵省
「今二階に、東京からSさんといふ人が来て居られるが、至つて浄瑠璃好きで、
「そんな気儘を言ふものぢやない、あの人は東京では名代の義太夫道楽なんだから。」
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工芸美術家のM氏が、麹町のR倶楽部でその作品展覧会を開いたことがあつた。三日目の