茶話 03 大正六(一九一七)年 / 薄田泣菫
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な二人に贈つた。酒井家が貰つたのは「飛鳥川」と銘の入つた茶入、井伊家のは宗祇の歌だつた。
「飛鳥川」の茶入は、遠州がまだ若い頃京都で掘り出したものだが、その時分
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高野山といへば、古美術や古文書などの多く残つてゐるので聞えた山だ
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「いつぞや越前が早生の果物なぞは侈奢の沙汰だといふので、差し止めたやうには
越前の没落はその後間もなくであつた。若芽薑の噛られなかつた
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には悪いもので、妓は何かの用事で筑前の博多に旅をしてゐるといふ事が判つた。無論博士の心の臓
に相違なかつたが、博士は直ぐその後を慕つて、遙々博多まで下つて往つた。
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石黒忠悳氏が方々で乃木将軍の記念講演をするために関西へ出掛けて来た。
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京都の知恩寺といへば、断わる迄もなく浄土宗の大本山である。そこの三十九代目の
あるものが、寺方の床下に無いといふ法は無い。知恩寺の床下からは、つい先日食べ荒したばかりの魚の骨がどつさり出た。
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支店で棉花部長を勤めてゐる児玉一造氏が、まだ滋賀の商業学校にゐた頃、ある時実習のため彦根地方へ行商に出掛けて
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侯爵夫人の考へでは、早稲田から神楽坂へかけて牛込一体は、自分の下着の蔭に、小さくなつてゐなければ
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侯爵夫人の考へでは、早稲田から神楽坂へかけて牛込一体は、自分の下着の蔭に、小さくなつてゐなければならぬ筈だ
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光琳と、三井家の主人八郎右衛門とが連立つて、加茂の葵祭を見に出掛けた事があつた。いつの時代でも富豪といふ
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近頃満洲では鄭家屯事件も無事に片付いたので、督軍張作霖が頻と
丁度満洲で守備隊の機動演習があつた。中将は早速新調のそれを着込んで視察
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いふ一種の気風さへ出来たが、その気質にも東京と大阪とでは、大分色彩が異ふところが面白い。
大金を投じては、いか様な茶器を集めてゐるが、大阪の成金には、そんな道楽は薬にしたくも無い。
大阪の成金は咽喉の渇いた折には、番茶を飲む事を知つてゐる
「お前、大阪で厄介になつてゐる家が幾軒程あるな。」
先日養子の信常氏が九州へ往つた帰途にも、態々大阪へ寄途をしてまで照子を訪ねさせた。
下田歌子女史が最近大阪のある講演会で言つた所によると、最も理想的な衣服は、日本服で
山水画を描いて出品した事があつた。すると、大阪見物に出て来た、雲州辺の百姓がそれを見て熟々感心した
「大阪には偉い画家がゐるて、こんなのを持つて居たら、後になつて
先日大阪のある会社が、大勢の東京商人を堺卯で御馳走した事があつた
今大阪に来てゐる箏曲家の鈴木鼓村氏は掘りかへされた何処かの
だが大蛇は大阪の実業家のやうに、土木技師に賄賂を使ふ事を知らないので、
一向通じないかも知れない。物は試しだ。先日中大阪に来てゐた尾崎愕堂氏を取つ掴まへて、
またある生命保険の勧誘員が、大阪の弁護士日野国明氏を訪ねて往つた事があつた。その男は例の
近頃補助貨がめつきり乏しくなつて、大阪の諸工場では、これに代用させる積りで、仕払証明書といつたやう
飛青磁の香炉は、もと大阪の平瀬家に伝はつて同家名物の一つとして聞えてゐたもの
阪神電車で大阪に通つてゐる私は、初めての不通の折は読み古しの夕刊を、
「お仙大変やぜ、英吉利はお前、大阪と東京との二十倍も三十倍も遠方やぜ。」
場合でも反抗的、もしくは偶像破壊的な新運動を起すものは大阪である。典型的な文展に対して、大阪が同情し、後援すべき画風が
を起すものは大阪である。典型的な文展に対して、大阪が同情し、後援すべき画風がありとすれば、それは独創を尚び、
「結構な出来だつたね。大阪にはあんな結構な舞があるのに、何だつて花柳とか、藤間と
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東京神田の駿河台に大きな病院を持つてゐる広川和一氏といふ医学博士がある。芸者の噂
広川氏は停車場から一息に駿河台の自宅へ帰つて来た。そして窮屈な洋服を褞袍に脱ぎかへるなり、二
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侯爵夫人の考へでは、早稲田から神楽坂へかけて牛込一体は、自分の下着の蔭に、小さくなつてゐ
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た。それは、三島郡の三宅村鶴野といふところに不思議な浮島があるといふ事だ。そこの田地は皆で一二反もあらうか、平素
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なげに言つてゐる。そのむかし京役者の坂田藤十郎は江戸の水は不味くて飲めないといつて東下をする時には、京の水
大層好きだつたからで、この悪物喰ひは徳川の末頃江戸に住んでゐた男だつたが、一日犬を食はなければ気分が
それと同じ頃に、江戸に大久保八右衛門といふ士が住んでゐた。この男の下郎にひどく煙草の
な珍しい事を人間に教へて呉れるもので、ずつと往昔は江戸の両国川には鯰といふものは一尾も棲むでゐなかつたの
むかし宝暦の頃、江戸に菅大助といふ書肆が居た。ひどい歴史好きで、自分でも書を
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宝塚の婦人博覧会を色々見て往くうち、林某といふ女が出品した鋏
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女史は毎週、土曜日の午後、定つたやうに鎌倉の別荘へ出掛けるが、そんな折にも鐚銭一つ持合さないのが何より
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船頭は大阪府のランチが後藤内相を送るやうに、おつかな吃驚に鼓村氏を乗せて
この秋の大阪府の洪水も、色々の事を吾々に教へてくれた。平常は知つたか
これには屹度何か理由がある事だらう、凡そ大阪府に転がつてゐる事に、理由の無いのは一つもない、大阪府は
つてゐる事に、理由の無いのは一つもない、大阪府は神様が御覧になつてゐる外に、大久保知事が仕事をしてゐる
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その真野博士が去年の夏、樺太へ往つた事があつた。知合の男に二頭立の馬車を周旋し
馬車馬の喧嘩は樺太でも珍らしい事なので、さうかうする間に其辺は見物人で一杯に
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日頃、随員と一緒に舞鶴へ乗込み、十一日には加佐郡和江村の和江神社で清祓式を挙げた。そして式が済むと、鉄瓶
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いへば、誰もが知つてゐる通り、亜米利加の開祖ワシントンが長く住んでゐたところで、タルボツト氏の友達は何でもその直ぐ近く
「ちよいと坊や、お前ワシントンのお家を知つてるかい。」
「これを真直にお往きよ、さうすると自然にワシントンのお家の前へ出ら。」
笑ひを見せて馬に一鞭あてた。馬は急にワシントンとは昔馴染だつたやうな顔をして、勢よく駆け出さうとした。
だ。「そんなに急がないで、緩くりお往きよ、ワシントンはもう死んぢやつてるんだよ。」
に忙がしい風であつた。マツキンレイはこんな結構な日は、ワシントンの治政中にも滅多になかつたらうと思つた。
た田舎政治家があつた。その政治家が召集されて初めてワシントンへ出掛ける時、夫人は叮嚀に襟飾の歪んだのを直してやりながら子供
代議士はワシントンで田舎の町では見られなかつた色々の珍らしいものを知ることが出来た
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名物切を集めてゐる人も少くはないが、加賀の前田侯ほどどつさり持つてゐる家は二つとは有るまい。加賀侯の
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摂津の蘆屋に老人の夫婦者が住むでゐる。神戸に居る息子の仕送りで気楽
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今度の総選挙に堺市から打つて出た大井卜新氏は数多い議員のなかで、唯一人しか
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に気が注いたが、何喰はぬ顔をして、伊豆の素振を見てゐた。すべて将軍家とか、大家の檀那方とか
かう言つて、伊豆は掌を拡げて畳の上の小粒金を拾ひ集めた。小粒金は
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有つてゐるが、その中で一番鼻が高いのは、相国寺の独山和尚を弟子に持つてゐるといふ事で、相手が相手だけに
「これはな、相国寺の独山和尚で俺の弟子や……」
相国寺の橋本独山和尚は、道楽にちよいちよい画を描く事を知つて
京都の大通岡本橘仙氏が、友達と一緒に和尚を相国寺に訪ねた事があつた。用事が済むと、和尚は待ち兼ねてゐた
。そしてその日の夕方漸とそれを思ひ出したので、態々相国寺の方へ向いて、声を出して笑つた。
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つたものだ。其家へは色々の訪問客と一緒に祇園の芸妓もちよいちよい遊びに来た。漱石氏は小説家として余り女
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を置かなければならぬ。」と、博士は八九年前本郷の洋服屋で拵へたフロツクコートの隠しから手巾を引張り出しながら言つた。「諸君
「美味い牛飯屋が一軒あるんです、御存じですか、本郷の中央会堂の横丁に。」
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先日奈良へやつて来た戸川残花氏は、奈良公園の太い杉の樹蔭に立つて、鹿の遊んでゐるのを見て非常な
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はないが、親切な大隈侯は先日養子の信常氏が九州へ往つた帰途にも、態々大阪へ寄途をしてまで照子を訪ねさせた
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堂島の仲買人曾我某氏がいつぞや帝国飛行協会に一万円を寄附した事が
あつた。その縁故で、ある時飛行熱心の長岡中将が堂島の仲買業者を集めて、一寸した話をした事があつた。
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悪い時には悪いもので、妓は何かの用事で筑前の博多に旅をしてゐるといふ事が判つた。無論博士の心
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世話をさせられる筈になつてゐた属官は、現に四国の某地で郡長を勤めてゐる。そして世の中に官吏ほど結構なものはないやう
弘法大師や谷本梨庵博士を産んだ四国の土は、今一つ宗教家や学者にも劣らない立派な職業者を生ん
猿廻しが、色々の芸を教へ込むには、一番四国生れが記憶がいいといふ事だ。この一事は四国出身の人達が、
四国の猟師が猿を捕るには、枢仕掛の一寸した戸棚を山の
忘れてゐたが、鳴雪翁も猿きちと同じやうに四国生れである)新派か旧派かどつち附かずの顔をにこにこさせて、
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と降るなかを、セルロイド製のやうな頭を掉り/\三条へ出て、橋詰の万屋で一寸小休みする。これが一年中押つ通し
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文学博士黒板勝美氏は、職業柄よく奈良へ出掛けて来る。秋篠寺の伎芸天女や、薬師寺の吉祥天といつたやうな結構な美術品は幾度と
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でも独逸でも無い、伯の生れ在所は霧の多い倫敦だが、生れ在所だからと言つて、今更倫敦へ往く事も出来まい。
の多い倫敦だが、生れ在所だからと言つて、今更倫敦へ往く事も出来まい。
叩く事で、この道にかけての陛下の手際は、倫敦で名うてのタイピストに比べても決して負は取られない。
芳賀博士はこの頃倫敦で重い眼病にかゝつて、何うやら盲目になつたらしいが、知辺の
二つある。一つはオツクスフオード大学に、今一つは倫敦の考古博物館に秘蔵せられてゐる事は、いつぞや書いたことがあつ
女流声楽家三浦環女史が倫敦に居る頃、女史の周囲には医者や、銀行員や、外交官や、大学の
た。それは恰ど今東北医科大学にゐる加藤豊治郎博士が倫敦の下宿を立つて大陸漫遊に出かゝつた朝の出来事で、見送りに来
倫敦で仇討12・9(夕)
児玉氏が倫敦で一つぱしの英国通になつた頃、大道氏は鉄道院から派遣せ
た頃、大道氏は鉄道院から派遣せられて、初めて倫敦へやつて来た。知合の誰彼が発起で、ある晩歓迎会が催された
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光村利藻氏がまだ全盛を極めてゐた頃、その須磨の別荘には、色々な骨董物が沢山置かれてあつた。だが、
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それを知つてゐる堺の医者連は、卜新氏が戸別訪問にやつて来て、
と言つて、大事に蔵ひ込んで置いて、後に堺に来てから取り出して見て、
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た事があつた。(東京の文士にとつて千葉や銚子は安物の天国である。)
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それから博士はシカゴへ往つた。そして大威張りで土地一番のブラツクストンホテルへ泊つた。土地不案内な博士
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洪水に押し流されて、河に陥ち込んだのが、流れ流れて両国川に入つて来たのだといふ事だ。
い事を人間に教へて呉れるもので、ずつと往昔は江戸の両国川には鯰といふものは一尾も棲むでゐなかつたのを、いつの年か大水が出て
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一緒に房州に往つたことがあつた。亜米利加の女が巴里を天国だと思つてゐるやうに、東京の画家や文学者は、天国は
つたか、亜米利加の女は死んで天国へ往く代りに、巴里に生れ変りたいと思つてると言つたが、浅子夫人だつたら、そんな時に
の結構な美術家だと信じてゐた。正直なところ、巴里仕立の美術家にしては、岩村男は全く画が下手だつた。
頃日亡くなつた岩村透男は、平素から自分を巴里仕立の結構な美術家だと信じてゐた。正直なところ、巴里仕立の
のは、もと亜米利加生れで、今は香料師として巴里に名を馳せてゐる娘である。花畑のなかの一軒屋に生れたの
事を見て取つた。で、色々と勧めて、巴里に連れて帰る事にした。
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福岡医科大学の眼科教授大西克知博士が、人並すぐれた疳癪持であるのは
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、可愛い夫人や令嬢と一緒に、関門を西へ郷里の熊本をさして発つた。令嬢といふのは、阿父さんそつくりの顔をし
「今度熊本へ寄るのは表向き墓参といふ事になつてゐるが、実をいふと
主人は屹度秀れた家来を連れて出るものなのだ。熊本の名君細川霊感公の家来に堀勝名が居たのも恰どそれ
それまで熊本には罪人を取扱ふのに、死刑と追放と、この二つしか無
叩いていいものか見当がつかなかつた。その時分熊本の城下には叩しつけていい尻はどつさり有つたかも知れないが
熊本といふところは、海と市街との間に屏風のやうな山がぬ
ある夏の事、熊本の県会議事堂で釈宗演師の提唱があつた。名高い禅師の事だ、
皆は襟を寛げて扇をばたばたさせた。そして広い熊本で難しい、理窟つぽい事の解るのは、先づここに集まつた自分
幸福を思つた。――だが、さう思つても矢張熊本の夏は暑かつた。皆はその暑さを調節するのに、有難い
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神戸の船成金勝田氏は国民党の立場を気の毒に思つて、三十万円も
神戸の榎本謙七郎氏といへば、時局が産んだ大成金の一人だが
摂津の蘆屋に老人の夫婦者が住むでゐる。神戸に居る息子の仕送りで気楽に日を送つてゐるが、先日からふとし
その成金の一人に、神戸に上西亀之助氏がゐる。懐加減が宜いだけに金の蒐るものなら
四郎といふ老船長があつた。今は船から出て神戸の町外れとかに住んでゐるさうだが、日本人で一万噸以上の船
良い証拠がある。世間も知つてゐる通り秋濤は晩年神戸の仏蘭西語学校に教師を勤めてゐた。尤も秋濤の事だから語
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大分以前京都のある呉服屋が栖鳳、香※、芳文、華香の四人に半截を一
猫のやうな京都画家のなかで、唯一人吼える事を知つてゐる華香氏は、番頭
やうな妓達と一緒に自動車に乗つて、春先の京都を乗廻したといふ噂が立つた。
の長次郎氏が、何う気が変つたものか、近頃京都の岡崎辺へ立派な別荘を新築した。そして神戸中検の梅幸、奈良
「俺かの、俺は京都から来たものぢやが、この村にSといふ男が居るかの。
といふ事をする。(亡くなつた夏目漱石なぞも、京都で初めてそれを見て甚く感心したといふ事だ。)大雅堂が
と、内々は広い京都中でこの羽織の似合ふのは、富豪の自分を差措いては外に誰
今道心中馬甚斎が先日京都の武徳殿で大暴れに暴れて、居合せた巡査八人を手古摺らせた事
京都に陶器を取扱つてゐる男は随分ゐるが、そのなかで、近頃たんまり
から何か貰ひ受けたいやうな折には、努めて京都訛りを押し隠さうとする。
は自分の有を他人に取られまいとする時には京都弁を使ふが、他人から何か貰ひ受けたいやうな折には
店員は精々京都訛りを出さないやうにして、詳しく新案の談話をした。この店員
て、立ち上つた。この場合店員が露き出しの京都訛りを使つたのは上出来だつた。何故といつて、これ以上自分
と、何かきつと拾ひ物があるものだ。富尾木氏が京都に来たのは決して悪い事ではなかつた。
の講義をしてゐる人に五十嵐力氏がある。初めて京都へ来てみて、加茂川が自分の想像と大層違つてゐるのを
その邦楽調査会の用事で、富尾木氏が京都にやつて来た事があつた。早稲田大学で国文学の講義をしてゐる
「飛鳥川」の茶入は、遠州がまだ若い頃京都で掘り出したものだが、その時分には、
京都の真葛ヶ原西行庵に小文さんといふ風流人がゐる。セルロイド製のやうな
何うして暮してゐるかは誰にも判らないが、京都にはさういふ生活を仕てゐる人はざらにあるのだから格別気
と、鳩は京都訛りでいつ迄も呟いてゐるらしかつた。だが、肝腎の鸚哥は
京都の知恩寺といへば、断わる迄もなく浄土宗の大本山である。そこ
漱石氏は京都へ来ると、いつも木屋町の大嘉へ泊つたものだ。其家へは色々
になるものなら、金銭にしないでは置かないのは京都人の持つて生れた気質で、さういふ所から和尚は色々な展覧会で
倹約な京都人は、他の描いてくれたものを、自分で観て娯しむやうな
の禅僧と同じやうに酒が大好きだ。先日の晩、京都の大通岡本橘仙氏が、友達と一緒に和尚を相国寺に訪ねた
京都と偉人12・16(夕)
京都大学の学生監山本良吉氏は、以前京都第二中学の教頭で、倫理の教師を勤めてゐた事があつた
饑いと言つた。そしてこれらの偉い人物は、誰一人京都から出はしなかつたぢやないか。」
氏は一段と声を張りあげた。「その証拠には、京都からは偉い人物といつては少しも出て居らん。奈翁は百戦百
「どうも京都人は意気地が無くつて可かん。」山本氏は一段と声を張りあげた。
に奈翁やミレエが仏蘭西へ逃げ出したやうに言つて、京都生れの生徒を責め立てた。生徒達は済まなかつたやうに、そつと溜息
山本氏は京都人の饗応が悪かつた許りに奈翁やミレエが仏蘭西へ逃げ出したやう
「それとも京都から出た人にもつと偉い人があるとでも思つてゐるのか
なつた。そして泣き出しさうな声で言つた。「成程京都からもお偉い方が出てゐられる。」
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へ立派な別荘を新築した。そして神戸中検の梅幸、奈良米、千代、国子……といつたやうな妓達と一緒に
文学博士黒板勝美氏は、職業柄よく奈良へ出掛けて来る。秋篠寺の伎芸天女や、薬師寺の吉祥天といつた
た。無論博士の心の臓は化粧箱に入れた儘、奈良の屋形に残してゐるに相違なかつたが、博士は直ぐその後を慕つて
月日の経つのは早かつた。博士は今度又奈良へ出張して来たので、旅龍へ着くと直ぐその妓に口
その脚で直ぐ史料編纂局の田中義成博士を訪ねて、奈良土産を鞄のなかから取り出した。土産には霰酒や奈良漬などがあつ
二三日すると、博士はにこにこものでこつそり奈良に入つた。そして幾日かの調査を済ませて、また東京に帰つ
、矢張り新しい事が載つてゐた。実をいふと、奈良には滅多に新しい事が無く、偶に有つてもそれは面白くも無かつ
であつた新聞紙を手に取つて見た。新聞紙は奈良のものだつたが、矢張り新しい事が載つてゐた。実をいふと
往つた始末が詳しく載つてゐた。博士は霰酒と奈良潰とを一緒くたに鵜呑にしたやうに、耳も鼻も頸窩
先日奈良へやつて来た戸川残花氏は、奈良公園の太い杉の樹蔭に立つて、鹿の遊んでゐるのを見て
先日奈良へやつて来た戸川残花氏は、奈良公園の太い杉の樹蔭に立つ
「公園は奈良式が一番善いやうだ。近頃ちよい/\公園に銅像などを建てるが
「奈良の公園に鹿が飼ひ放しにしてあるのは気持が良い。吾々
が、そのなかで狸ほどの愛嬌ものは少い。自分は奈良公園に鹿と一緒に狸をも飼つてみたいと思ふものである
戸川氏の発明といふのは、他でもない、奈良公園で狸を飼へといふ事なのだ。成程立派な発明で、
戸川氏は一頻り狸の飼養を奈良公園の当局者に勧めて置いて、急に親戚にでも耳打をするやう
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ところが、この頃になつて唯一つ半江の密画山水が岡山の多額納税議員星島謹一郎氏の手にある事が判つた。
備前の新太郎少将が、ある時お微行で岡山の町を通つた事があつた。普魯西のフレデリツク大王は忍び歩きの時で
に要らぬ智慧が一つ巣をくつてゐるやうに、岡山の家といふ家には、瓦の葺き合せに名も判らぬ草が
に尻を端折つて屋根を這ひ廻つてゐた。岡山人の頭に要らぬ智慧が一つ巣をくつてゐるやうに、岡山
面白いものだ。むかし備前少将光政が、旅芸人の手品師が岡山の城下に来たのを召し出して手品を見た事があつた。
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つてゐるやうな言葉ではない。諸君のは山口や和歌山の訛言葉で、生一本の日本語といつたら、先づ私の遣つてゐる
和歌山の光明寺の開山に、円通といつて、草書に巧な和尚が居た
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「はい、私は鳥取生れで御座います。」
ない程掌面は硬いらしかつた。「ぢや訊くが、鳥取では米は幾らしてるね。」
「鳥取か。」山岡氏は両手を卓子の上に支ひ棒にして、
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が前任地広東から奉天への赴任途中久し振に郷里の鹿児島へ廻り道をした事があつた。
鹿児島には名物の藷焼酎がある。そして藷焼酎を飲むためにこの世へ生れ
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をした事があつた。(東京の文士にとつて千葉や銚子は安物の天国である。)
その芥川氏がある時急ぎの原稿を書くために、暫く千葉に旅をした事があつた。(東京の文士にとつて千葉や
ので、芥川氏は東京に帰つて来た。すると千葉の旅籠屋宛に出した漱石氏の手紙が、後から追つ駈けて入つて
女流声楽家三浦環と今は故人の千葉秀浦との関係は一頻り喧しい取沙汰になつたので、世間には今
その千葉秀浦が推也納の旅籠屋で病死した時、環女史は多くの日本留学生
千葉が亡くなつた事は、留学生の仲間には旋風のやうに伝はつて
「千葉め、とうと亡くなつたつてな。」
のべそを掻くのを見るのが怖さに、誰一人千葉の事を言ひ出さうとしなかつた。
「維也納で客死した日本人があります、名前は確か千葉とか言ひましたつけ。」
「えゝ千葉ですつて……」
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紹巴が松島を見に仙台へ下つた事があつた。仙台のお城では目つかちの政宗公が、夏の日の長いの
むかし連歌師の紹巴が松島を見に仙台へ下つた事があつた。仙台のお城では目つかちの政宗
で、床屋は仲の善い友達から、絽の紋附羽織と仙台平の袴を借りる事が出来た。床屋はそれを着けて幾度か姿見
帰つて来た。可哀さうに床屋の耳には世界中が仙台平の袴になつたやうに、其辺がきゆう/\喧しく鳴り出し
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たら、猫のやうにころころ咽喉を鳴らす事が出来た。水戸には今だに東湖の模倣者も少くない事だから、さういふ人達
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むかし長崎の訳官に、深見新右衛門といふ男が居た。怖しい能書で、一度
と大阪医科大学の一室で客を相手に医学博士長崎仙太郎氏は言つた。博士は目薬の瓶のやうに小柄で、加之に
と言つた事があつた。長崎博士もそんな一人に相違なかつた。
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。そこの三十九代目の住職に、万霊上人といふ、大津生れの名高い僧侶さんが居た。何でも三十八年の間引続いて住職
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亜米利加の女が巴里を天国だと思つてゐるやうに、東京の画家や文学者は、天国は房州にあるとでも思つてゐると見え
を見ても知らぬ顔なので、博士は急に東京の宅が恋しくなつて泣き出しさうな顔を歪めてゐた。気短な
気質といふ一種の気風さへ出来たが、その気質にも東京と大阪とでは、大分色彩が異ふところが面白い。
東京の成金は、資金が出来ると、誰に勧められたともなく、直ぐ
かういふ訳で、東京の成金といへば、茶人と言はれるのが何よりの自慢で、誰
は自分で薄茶を啜らうためではなくて、物好きな東京の成金に売りつけようとするからだ。
東京美術学校で西洋美術史を受持つてゐる森田亀之助といふ人がゐる。一体美術史
東京神田の駿河台に大きな病院を持つてゐる広川和一氏といふ医学博士がある
東京市の政友会新候補者添田増男氏に対して、鳩山春子夫人が伜一郎
鞆音、川合玉堂、結城素明、鏑木清方、平福百穂などいふ東京の画家は、近頃呉服屋が画家に対して、随分得手勝手な真似をするの
の関係上、上方の栖鳳や春挙の作に比べると、東京側の作家のものを、幾らか値段を低くつける傾向があるにも依る
呉服屋に教へる。東京画家のもこの秘伝で往つたら、大抵円く納まらうといふものだ。
先日大阪のある会社が、大勢の東京商人を堺卯で御馳走した事があつた。その折洒落た塗盆の
「いい事がある、今朝の新聞に大久保君が東京へ転任するといふ噂が出てゐたよ。」
に、暫く千葉に旅をした事があつた。(東京の文士にとつて千葉や銚子は安物の天国である。)
漸と原稿も出来上つたので、芥川氏は東京に帰つて来た。すると千葉の旅籠屋宛に出した漱石氏の手紙
この頃東京の芸術家仲間で女神様が流行つてゐる事は以前言つたやうに記憶
文学士富尾木知佳氏は東京音楽学校の教授で、兼てまた邦楽調査会の委員である。
軍服はまた胸を反らして東京行の汽車に乗り込んだ。
の心の臓を妓の掌面に置き忘れたまんまで東京に帰つて往つた。
入つた。そして幾日かの調査を済ませて、また東京に帰つて来ると、その脚で直ぐ史料編纂局の田中義成博士を訪ね
「お仙大変やぜ、英吉利はお前、大阪と東京との二十倍も三十倍も遠方やぜ。」
「止めるとも、私な英吉利いふたら、東京の少し向うかと思うてた。」
東京が代表する官僚的思想に対して、いつの場合でも反抗的、もしくは偶像破壊的
があるのに、何だつて花柳とか、藤間とか東京風の真似ばかりするんだね。」
「山村は陰気くさいよつて、何か、ぱつとした東京風の派手な踊が見たい/\言ははりますさかいな。つまり私ら
お客さんは、東京の学校を出やはるもんやさかい、みんな東京贔屓だんがな。」
「そやかて、先生、今時のお客さんは、東京の学校を出やはるもんやさかい、みんな東京贔屓だんがな。」
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九州帝国大学総長真野文二博士は、先年日比谷で電車に衝突つた事があつた。その折総長は小鰕のやうに
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富士見軒、第二回は上野の精養軒、第三回は日本橋の東洋軒で食べたのだが、その後では何時でも極つたやう
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第一回は麹町の富士見軒、第二回は上野の精養軒、第三回は日本橋の東洋軒で食べたのだが、その後
色づくやうになつた。――柿といへば、例の上野寛永寺の開山天海僧正が、ある時将軍家光の御前へ出た時、
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第一回は麹町の富士見軒、第二回は上野の精養軒、第三回は日本橋の東洋
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た。塔といふからには高い建築物です。恰ど浅草の十二階のやうな……」
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東京神田の駿河台に大きな病院を持つてゐる広川和一氏といふ医学博士がある。
明治二十五年の一月十日、神田一橋の高等商業では、時の校長矢野二郎氏を排斥しようといふ団体
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序に今少しく頭に余裕があつたら、大久保大阪府知事の相婿である事も記憶してゐて貰ひ度い。
浜口夫人は姉さんの大久保夫人と同じやうに良妻賢母を理想としてゐる。良妻賢母に無くて
「いい事がある、今朝の新聞に大久保君が東京へ転任するといふ噂が出てゐたよ。」
「真実にさうだつたら、大久保の姉さんに連れて来て戴かうぢやありませんか。それは山出し
大久保知事の転任は、とうと沙汰止みとなつた。その後浜口家の女中が何う
に、幾度か鼻先で小踊りをしてみせたが、大久保氏はそんな物に頓着もなく、洋傘をついた儘じつと立ち通してゐる
は外でもない、府知事の大久保利武氏であつた。大久保氏は吊革にもぶら下らないで、左腋には読みさしの『十九世紀
その男は外でもない、府知事の大久保利武氏であつた。大久保氏は吊革にもぶら下らないで、左腋に
度にお客は横へけし飛びさうになつたが、唯一人大久保氏のみは、変もない顔で衝立つてゐる。
実をいふと、大久保氏は電車に乗つて吊革にぶら下らないのが自慢なのだ。その
つ持つてゐるのさへ自慢する者がある世の中だから、大久保知事が電車で鷺のやうに衝立つてゐるのを自慢したつて少し
、同じやうに新気分の会得である。――それに大久保氏には美しい夫人がある。吊革は夫人をして安心させる事が
それと同じ頃に、江戸に大久保八右衛門といふ士が住んでゐた。この男の下郎にひどく煙草の脂
大久保伊勢守といふのは、ひどく蜘蛛を怖れた。邸の植込を※※
ない、大阪府は神様が御覧になつてゐる外に、大久保知事が仕事をしてゐるところだから。
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な不思議を行ふ事が出来ると言つてゐる。現に先日も銀座のある停留場で終電車を待つてゐた事があつた。無学で加之に
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むかし有馬侯の下屋敷が品川にあつた。海に臨んだ結構な普請で、欄干なども朱塗の気
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小山内薫氏が大塚教会の女神様を信心して、終電車を引留めた話は前に言つた
が来てお腹を撫つて呉れた。そして「私は大塚教会の小山内といふ者だ。」と言つてその儘消えてなくなつた
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読書会といふものが起された。場所としては京橋の清新軒などが利用されてゐた。皿の物をかちかち突つきながら
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いふ事だから、其角といふ男は、閑さへあれば両国橋の上をうろ/\してゐたものと見える。
、其角が煤竹売の大高源吾に出会つたのも矢張り両国橋の上だつたといふ事だから、其角といふ男は、閑さへあれ
気をつけてゐたが、ある日の事間が悪く両国橋の上でばつたりと行き会つた。講談師の話によると、其角