茶話 04 大正七(一九一八)年 / 薄田泣菫
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。千鳥の声の聞える一夜、私達はそこから出て、岡崎を南に、知恩院の境内を通りぬけ、絃歌の雨のやうに降り注ぐ祇園を
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天龍寺の峨山和尚が、ある時食後の腹ごなしに境内の池の畔をぶらぶらして
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その儘東大寺の宝蔵に納められた稀代の沈香で、正倉院の目録によると、重量二貫五百目、長さ五尺二寸、本口周り
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前の月大阪市で米騒動が持上る少し前、それに気づいた市内のある米屋は、持
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上人にしたものがあつた。上人は言ふ迄もなく越後国上山の五合庵に棲むでゐた名高い禅僧である。
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不昧公は千家へ往く途中で、急にその日は大徳寺に宝物の虫干がある事を思ひ出した。
と、不昧公は先きに大徳寺の方へ廻る事にした。虫干には色々珍らしい物があつたので
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ある秋、徳川家達公が夫人と一緒に関西旅行をしてゐた時の事、某新聞の婦人記者が、汽車訪問に
ポプ天の関西旅行10・21(夕)
ろひのポプ天倶楽部の連中が、この間からひよつくり関西へ顔を出して、つい昨日まであつちこつちで、庭球の競技をやつてゐ
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滋賀の森知事は、これまでの近江八景が、新時代の風景としては
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茶話記者がある時大和の久米寺に詣つたことがあつた。本堂の蔀格子につかまつて内陣を覗き込む
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名古屋に近江八景の見物を年頃の志願にしてゐる団体がある。旅費と閑暇とはかなり
新しい近江八景を選ぶのもいゝが、何処かに一つ宛雁や雨やを配つて
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今はむかし、米国のアイオワ州、パノラの町のさる銀行支店に給仕を勤めてゐた十五歳ばかしの少年
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洋行から帰つて来ると、氏は牛込の喜久井町に自分の家を新築した。その頃氏は新築といふ
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雀右衛門に次いで、尾上多見蔵の襲名があり、春の道頓堀では嵐徳三郎が、亡父の二十五年忌を機に、四代目璃寛の名跡を
呼吸が合ふといふ事が何よりも大事である。先年道頓堀で仁左衛門と鴈治郎との顔合せ興行があつた。両優とも若盛りで人気を争
十二日から道頓堀の浪花座に名人会といふのが開かれてゐる。長唄の孝次郎、勝四郎
今道頓堀の中座で演つてゐる『故郷飾錦伊達織』、伊達家奥御殿の場に
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、幾千円か幾万円かとばかし思ひ込んでゐる大阪の実業家達は、こんな話を聞くと、鼻の上に皺をよせて、
の“Camouflage”といふ語を口に出すと、居合せた大阪の洋画家連は、いづれも初耳らしく、兎のやうに耳を引つ立てて
日本薬学大会に大阪に来てゐた長井長義博士には、妙な癖がある。それはどんな
「大阪に深い馴染のある方やないとあきまへんな。」
「さうだすとも、大阪に深い馴染のある方やないとあきまへん。」
仁左衛門が大阪に乗込んだのと、擦れ違ひざま、岡山へ発つた鴈治郎梅玉一座は、中国
勝田蔵相が最近大阪に乗込んで来た時、その旅館は御機嫌伺ひに頭を下げに往つた実業家
を下げに往つた実業家で一杯になつたが、なかに大阪の某銀行の頭取だといふ爺さんが交つてゐた。
「閣下、大阪も結構ですが、神戸にもお出掛けが願へますまいか、つい眼と鼻の
が、仕合せな事には、紐育生れのこの商人は、大阪生れの商人と同じやうに涙はほんの三粒程しか持合はさなかつた。
年来の志願にしてゐる男があつた。その男は大阪生れだつたが、ある時東京へ出た尋でに、紅葉氏を訪ねて
言はなかつた。でも、何かの話の拍子に大阪の雀鮨が好きだと、つい浮かり口を滑らしたので、その男は
大阪へ帰つて来ると、直ぐ小包で雀鮨を小説家あてに送り届けた。すると、
には、氏は神戸から信濃丸に乗込んだ。その前日大阪に来てその頃南本町にあつた船場館といふ旅屋に泊つた。その
があつた当時、清荒神から大勢の贔屓客と一緒に、大阪帰りの電車に乗込んだ事があつた。電車が十三と三国との間
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東京駿河台に前田珍男子といふ眼医者がある。アメリカ帰りの男で、現代人の多くは
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聞える一夜、私達はそこから出て、岡崎を南に、知恩院の境内を通りぬけ、絃歌の雨のやうに降り注ぐ祇園を西に、四条大橋の
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」の武部源蔵は、あの浄瑠璃の作者が、同じ時代に江戸に武部源内といつた、名高い寺子屋の師匠があつたので、それから思ひ
その翌る年、不昧公は江戸の邸へ宗左を招いた。宗左は名高い大名の折角のお招きだといふ
不昧公は江戸の邸で遙にその噂を聞き伝へた。胃の腑はいつぞやの復讐の
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「親切だな、芥川君は。鎌倉からわざわざ柿を送つてくれるなんて。」
に相違なからうと思つて、会ふ人ごとにそれとなく鎌倉の名物を訊いてみた。
「さうさなあ、鎌倉の名物といへば、水の悪いのと、大仏と、宗演さんの嘘と
鎌倉の円覚寺に誠拙和尚といふ坊さんが居た。ある時三門を
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になつて、七代目のアンドリウ・ジヤクソンになると、またワシントン並に肉刀で皿を啄つき出した。
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公使を勤めてゐた珍田拾巳子を、わざ/\アムステルダムから、呼び寄せて日本式の晩餐会を開いた。
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指折りの釣りの名人ださうで、日本へ来る早々日光の中禅寺湖へ鱒釣に出かけて往つた。中禅寺では夏のうちは鱒は釣れない
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、仏蘭西から瑞西に旅をした事があつた。ベルンの市街を歩きながら、氏は瑞西製の懐中時計が世界に名高い事を思ひ出し
漸と安心をした内田氏は、ベルン一番の時計屋に入つて往つた。そして色々時計を持ち出させた上、
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歳の秋から冬にかけて、かなり長い間京都三本木の信楽に泊つてゐた。その室は上田敏氏や、平田禿木氏や、与謝野
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名古屋に近江八景の見物を年頃の志願にしてゐる団体がある。旅費と閑暇
瘡蓋のやうな雪がちよつぴり残つてゐた。名古屋生れの見物衆は、
一番困つたのは唐崎の夜の雨だつた。名古屋を雨の日に立つと唐崎の夜はいつも霽れてゐた。思ひ立つて
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擦れ違ひざま、岡山へ発つた鴈治郎梅玉一座は、中国から九州各地を打つて廻つて、最後に鹿児島へ入るさうだが、その鹿児島の興行
いつだつたかの九州行きに、うつかり鹿児島乗込の事をこの老人に話した事があつた。
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神さんのお力たら偉いもんだすなあ、伏見にゐて下関まで目が届くんだすよつてな。」
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最近匈牙利のブダペストで珍しい事件があつた。それはある寡婦さんが自分に結婚を申し込んだ男
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事、英国のリ※アプウルからボストン通ひの汽船に、ボストンで名高い牧師のフイリツプス・ブルツクスとダクタア・エリスとブルツク・ヘルフオウドの三人が不思議
腕を三人の鼻先でふり廻した。「船が無事にボストンに着くか怎かは、唯私のこの腕に頼る外はありませんぞ
船は無事にボストンに着いた。三人の牧師は乗客のなかに紛れて、船から桟橋へ
方々で今盛に遣欧軍隊の調練をやつてゐる。先日もボストンの市街を大勢の軍隊が業々しく練り歩いた。すると、両側の家々の窓
米国にゼエムス・リレエといふ詩人がゐる。ある時ボストンへ出掛けて行つてホテルへ泊ると、すぐ電話が懸つて来た。出て
婦人記者は美しい声で、この文人がボストンに来た用向きから、その最近の作物や生活方迄こまめに聞き訊した。
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と、豆腐に定めてしまつた。そして横浜で豆腐を拵へる機械一式を調へて船に積込んだものだ。
に往くと、博士は自分の切符の外に、神戸から横浜までの切符を一枚持ち添へてゐた。
船は横浜に着いた。夫人はこの時程日本の陸地を有難いと思つた事はなかつ
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洋行から帰つて来ると、氏は牛込の喜久井町に自分の家を新築した。その頃氏は新築といふ事にかなり興味
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いつだつたか女史がミシガン州のある市に演奏に出掛けた事があつた。何しろ名高い高調子の歌手が顔出し
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遣欧米軍の司令官パアシング将軍の舅は、今米国のワイオミング州にゐる地方切つての富豪である。州の首府シヤイエンにだけでも四十六軒
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独帝はぶつぶつ呟きながら宮城に引きかへした。そして侍医の鼻先に血だらけな拳骨をぐつと突き出し
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派遣軍の司令官、パーシング将軍が、最近軍事上の要務で倫敦を訪れて往つた事があつた。将軍を自動車でその旅館まで送りとどけたの
かひがひしい働き風に心から感心した。で、倫敦に居るうちは同じ事なら、かうした美しく、加之に気の利いた運転手
船が倫敦に着くと、風谷は直ぐと郵船会社の支店に、その頃支店長を勤めて
、僮は両手でボウル箱を抱へ込んで、人通りの多い倫敦の町を、おつかな吃驚でそろ/\歩いて往つた。――だ
こんな事があつた。それはグラツドストオンが何かの用事で倫敦からエデインバラに出掛けた旅行中の事で、その折はどういふものか新聞記者
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法隆寺の覆蔵10・6(夕)
世界で保険の一番古くあつた国は日本で、大和の法隆寺といふお寺へ往けば、今だにそれが残つてゐる。」といふ
幸福を思つたが、それにしてもそんな古い保険が法隆寺のどこに残つてゐるのだらうか、少しも知らなかつた。
法隆寺の金堂の片隅に漆喰で固めた覆蔵がある。案内者といふ案内者は、それ
「法隆寺に火がついたら、こゝを開けるのや、と太子様が言やはりました
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給仕は首をふつて承知しなかつた。その人こそシカゴの有名な銀行家ジオヂ・レイノルヅ氏で、今では紐育の銀行を除いては
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の軍隊が、仏蘭西の国境深く入り込んでゐるにつけて、巴里つ子は、何ぞと言つては大ナポレオンを想ひ出してゐる。ナポレオンを想ひ
、独軍の砲弾の破片に撃たれた仏蘭西娘の一人が巴里の病院に収容された。傷は程なく癒えたが、困つた事
西部戦線の聯合軍を援けに、最近本国から巴里へ渡つた米国青年士官の二人があつた。仏蘭西の婦人達は持前の
米国人にとつて、巴里はある意味において天国で、仏蘭西娘はまた羽の生えた天使で
メリー・ガアデン嬢といへば、今は巴里に住んでる、米国で名うての首歌妓だが、ある時劇場の稽古場で
「御免遊ばせよ、宿はながく巴里に居ましたので、つい彼地の癖がつきましてね。」
同じ時分、巴里の「フイガロ」新聞に次のやうな広告が載つてゐた。
、米国留学から帰つて来る途中仏蘭西へ廻つて、その頃巴里で絵を習つてゐた弟の生馬氏を訪れた事があつた。
ある用事で読売新聞社に五来氏を訪ねた。五来氏は巴里の料理屋で見たやうに、慌しく応接室に入つて来た。そしてしげしげ有島
有馬氏は巴里このかたそんなに齢を取つた覚えはなかつたので、かう言はれると、
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近く孟買に栄転する筈の、神戸駐紮仏国領事などもその一人で、この人は今だに領事館に電話を
そこへひよつくりと顔を出したのは、神戸の山下亀三郎氏だつた。戦時利得税をうんと背負はなければならない
「閣下、大阪も結構ですが、神戸にもお出掛けが願へますまいか、つい眼と鼻の先の間でござい
先日の茶話で神戸の山下亀三郎氏が勝田蔵相にうつかり「犬馬の労を取つて欲しい」と
、小林氏は阪神急行電車の重役である。電車は大阪神戸といつたやうな、二つの都市の最も速い交通機関であるのみならず
今年の三月頃の事、神戸女学院出のある婦人が、広岡浅子女史を訪問した事があつた
の埠頭に往くと、博士は自分の切符の外に、神戸から横浜までの切符を一枚持ち添へてゐた。
夫人が博士の洋行を見送りに神戸の埠頭に往くと、博士は自分の切符の外に、神戸から横浜まで
洋行をする折には、氏は神戸から信濃丸に乗込んだ。その前日大阪に来てその頃南本町にあつた
洋行中ずつと被古したらしい、古い麦稈帽でひよつくり神戸に帰つて来た島村氏は、以前と同じやうな質素な身装だつた
確か神戸の聚楽館で芸術座が『モンナ・※ンナ』を上演した当時だ
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京都の富岡鉄斎氏のところへ、先日宮内省の属官某といふ男がひよ
十六日京都に入つて来た三浦観樹老人が、一代の狸爺たるは知らぬ
この前観樹老人がこつそり京都へやつて来た時、ある通信社の記者が、それを嗅ぎ出して寝起きを
今京都に泊つて、山県公や西園寺侯を訪ねては、持前の無駄口を利いて
美術批評家の坂井犀水氏が、京都へ来て、竹内栖鳳氏を訪ねた事があつた。夫人と二人で
はつたのは。実際東京で購つた靴の手入が、京都でも出来ますでせうか知ら。」
で、破けた背広だけは幾らか気が咎めた。「京都の靴屋でも立派に手入れは出来ますよ。恰ど学問の仕入が京都大学
から古びた手帳を取り出した。そして学生の言ふ通りに、京都の目星しい靴屋の名前を一々克明に書き取つて、最後にアメリカ大陸発見に
肉弾』の著者桜井忠温氏は、今も達者で深草の京都聯隊区司令部に少佐として勤めてゐる。
の振袖にも包まれさうな小さな石碑である。ある時京都の出水辺に住んでゐる物好きな男が、この石碑を女房に見せ
京都の嵯峨に俳人去来の墓がある。尖つた三角型の洒落た石で
むかし松平不昧公が、京都に上つた時、ある日の事、茶人千宗左を訪れようとして、
その内田博士が、ある時京都の洗湯へ出掛けて往つて湯槽のなかで泳ぎ廻つてゐた事があつ
この頃二科会の展覧で京都に来てゐる有島生馬氏が、先月末の事、米国通ひの伏見丸
。」と吉兵衛氏は唸るやうな声を立てた。そして京都で煙草屋をやつてゐた当時、台所の井戸で釣瓶からがぶがぶ牛のやう
ためにある歳の秋から冬にかけて、かなり長い間京都三本木の信楽に泊つてゐた。その室は上田敏氏や、平田禿木
救つて新生命を点じたやうに、それ程深く奈良や京都の自然と古芸術とが、氏を感化したとは思はれなかつ
思へば九月二十日、京都南座で氏に会つたのが最後であつた。私達は長田秀雄
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打つて廻つて、最後に鹿児島へ入るさうだが、その鹿児島の興行だけは、俳優には内証で、今だに談話が伏せてある。
一座は、中国から九州各地を打つて廻つて、最後に鹿児島へ入るさうだが、その鹿児島の興行だけは、俳優には内証で、
尤も俳優の誰彼は、夙くに鹿児島行きを聞き込んで、楽みにしてゐるらしいが、たつた一人梅玉だけは
いつだつたかの九州行きに、うつかり鹿児島乗込の事をこの老人に話した事があつた。すると老人は
「鹿児島へ往くんだすか、そやつたら勝手を言うて済みまへんが、
「いや、鹿児島やつたらお断りしまんね。」梅玉の返事には膠も艶もなかつ
「なんで、そない鹿児島がお嫌ひだんね。」興行師はよなひで済む事なら、済ませたい
「そやかて見なはれ、鹿児島には桜島がおまつしやろ。」梅玉は肩を揺ぶつて義歯を
ても、梅玉は桜島が恐いと言つて、いつかな鹿児島行を肯き入れなかつた。
てゐる。梅玉が今度の巡業に、何う言ひ賺されて鹿児島へ乗込むかは一寸見物である。悪戯好きな桜島は、相手が老人だから
桜島は今だに鹿児島湾のなかに突立つて、暢気坊のやうにすぱり/\と煙を吹い
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仁左衛門が大阪に乗込んだのと、擦れ違ひざま、岡山へ発つた鴈治郎梅玉一座は、中国から九州各地を打つて廻つて、最後
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、楽みにしてゐるらしいが、たつた一人梅玉だけは熊本の興行を打ち留めに、真つ直に帰つて来るものだと思つてゐる
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茶道に、岸玄知といふ坊主が居た。ある時、松江の市街外れをぶらついてゐると、穢い小百姓の垣根に花を持つた梅
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について、奈良地方に行軍した事があつた。奈良では遊女町を通つた。何も知らない間にひよつくりそんな町
その桜井氏が最近ある歩兵大隊について、奈良地方に行軍した事があつた。奈良では遊女町を通つた
村にあつたのを去年の秋何うした訳か、奈良の古物商が買ひ取り、幾らか持て余し気味だつたのを、それを聞込ん
大学教授は、かねて顔馴染の奈良の女子高等師範にゐる水木要太郎氏に手紙を書いて訊きにやつた。
この大内山こそ、名高い奈良東大寺正倉院の蘭奢待と同じ香木なのである。蘭奢待といへば
ゲエテを救つて新生命を点じたやうに、それ程深く奈良や京都の自然と古芸術とが、氏を感化したとは思はれ
その頃氏はよく奈良へも往つた。そしてかなりの熱心をもつて、この古い都に残され
石崎爺さんは丁髷頭を気軽に掉つて奈良から出て来た。そして一目病人の容体を見ると、手もなく風土病
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市内の福島辺に動物好きの夫人が居る。この頃の日盛りに近所の問屋へ荷役に
ものに徳川家康がゐる。ある時何かの席で、福島正則が家康にお追従を言つた事があつた。あの武骨者にお
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小説を書いた。そしてこの小説は自分が秘蔵してゐる長崎耶蘇教会出版の『れげんだ・おれあ』といふ西教徒が勇猛精進
いつ頃だつたか、一寸はつきり判りかねるが、長崎に素行といふ俳人があつた。ひどい行脚好きで閑さへあれば暢気に
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先日東京美術倶楽部で行はれた水戸家の売立会には、色々好者の眼を聳てさせる物が、
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東京のある大きな私立図書館に老人の管理者があつた。先日職をやめて書肆
その小林氏が最近東京へ往つた折、知合の結婚式に招かれた事があつた。来合
東京駿河台に前田珍男子といふ眼医者がある。アメリカ帰りの男で、現代人の
浪花節の雲右衛門がまだ全盛を極めてゐた頃、ある時東京の実業家Kの座敷で、鴈治郎、延若、福助と一緒になつた事が
が、その少女歌劇の創始者の一人、小林一三氏が最近東京へ往つた折、こんな失策をした事があつた。
宝塚の少女歌劇は、東京の初舞台で、素晴しい人気を呼んでゐるらしいが、その少女歌劇の創始者の
にとつて必要なものは無いと信じてゐる。で、東京へ往つても、自動車や俥やには乗らないで、大抵電車に乗る
「東京の靴屋へ送りたいと思つて……」内田氏は包みかけた小包を
「それにしても、何だつて態々東京までお送りになるんです。」
「何だつて、貴方、東京で購つた靴ですから東京へ送り返すのです。製へた店でなくつちや、直しやうがないぢやありませ
「何だつて、貴方、東京で購つた靴ですから東京へ送り返すのです。製へた店でなくつちや、
の事なんですか、唯今承はつたのは。実際東京で購つた靴の手入が、京都でも出来ますでせうか知ら。」
があつた。その男は大阪生れだつたが、ある時東京へ出た尋でに、紅葉氏を訪ねて見た。いろ/\と
東京は赤坂一つ木の高橋義雄氏の邸を、表口から入つて右に
先日の事、東京新橋の料亭花月でKといふ実業家が、客を待合はせる暫くの間を
さて愈々東京を出発しようといふ事になると、肝腎の満谷氏が渋くり出した。
先日東京美術倶楽部で行はれた水戸家の売立会には、色々好者の眼を
もう新年が眼の前に見えるので、東京の各雑誌社では原稿の奪ひ取り合ひに血眼になつてゐる。とりわけ
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博士はかう思ひきめて、ポケツトを膨ましながら銀座へ出て往つた。
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電車は赤坂見附で停まつた。小林氏は車掌に催促されて、慌ててまた飛び下り
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先日の事、東京新橋の料亭花月でKといふ実業家が、客を待合はせる暫くの間を、
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ある日の事、豊後守は自分の同僚大久保忠成が大きな弁当箱を持つて来てゐるのに気がついた。
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公は用人を呼んで何か知ら言ひつけた。用人は急いで品川の宿まで出掛けて往つて、茶人の一行を待ち受ける事にした。
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「あなたも知つて居るだらうが、麹町に金尾文淵堂といふ書肆が居る。あすこの主人に娘さんを娶さない
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しないで言つた。文淵堂の主人といふのは、浅草の観音様を自分の恋人として毎夜お詣りをする外には、
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その後徳富氏が両国橋を通ると、橋詰の書肆の店で、見覚えの女商人は客を相手