茶話 05 大正八(一九一九)年 / 薄田泣菫
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近頃の大阪市の道路ほどひどいものを自分はまだ見た事がない。少し雨でも降り
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は『風流懺法』の続きを書くために、先日ぢゆう比叡山の宿院に来て泊つてゐたが、原稿が出来あがると、山を下りて
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文学博士狩野直喜氏は洛東田中町に住んでゐる。田中町は以前お玉杓子や二十日鼠が棲んでゐた頃は村といつたものだ
約束があるので、俥に乗つて家を出た。田中町から塔の段へ往くのには、学者の生活のやうな寂しい一筋道を
。そして頭のなかでまた孟子と掴み合ひをしながら田中町へ帰つて来た。
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、維也納の市街は見違へる程立派になつた。大阪の市街に困つてゐる人達よ、一度雨降りの日に自動車の窓から池上
「いや、善いにも悪いにも、大阪にはてんで道路といふものが無いのだ。」
か東京へ来た事はあつたが、そんな折には大阪の事ばかり考へてゐたので、東京に道路があるといふ事すら、
「御挨拶痛み入りますね。ぢや、大阪には道路らしい道路があるんですか。」
「いや、大阪もひどいにはひどいが……」岩田氏は鼻の先の汗を邪慳に
先を撫下した。「しかし僕の見た所では大阪よりはましのやうです。」
「それぢや伺ひますが、君はいつ大阪の道路を見ました。」おとなしい岩田氏は幾らか喧嘩腰になつて心持顔
「僕も大阪の市街を歩いてみましたよ。去年の暮で丁度今日のやうなどし
それからといふもの、契月氏は頻りとスケツチを取りに大阪の方へ出かけて来た。
「あれで大阪は案外いゝところだね。大阪の作家があれを取扱はないなんて、嘘です
「あれで大阪は案外いゝところだね。大阪の作家があれを取扱はないなんて、嘘ですよ。」
を出る時にはいつもかう言つて言ひわけをした。実際大阪はいい土地だ。商人の都で、側目もふらず、いつも忙しく暮してゐる
だけに、日本の女としては大柄であるが、大阪から帰つて来る日にかぎつて、いつもよりはずつと大きく契月氏の眼に
てその中の粒のいゝのを手に入れようとする。大阪の住友総本店では今年も例のやうに五六人手に入れたが、それが
いつだつたか大阪に来た事のある露西亜の提琴弾きピアストロ氏は、十万円の提琴を持つ
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があつた。その時自分は京役者の坂田藤十郎が、江戸の舞台を踏む時、あちらの水は不味くて飲めないからといつて、態々
に呼び出してみた。一人は徳川の四天王、一人は江戸の国学者、一人は幕末の剣術使ひで、新村氏とはみんな深い昵懇で
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解つたのは、せん女さんがある日の事、淀橋に俳人長谷川零余子を訪ねてからで、
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て近々巴里へ出掛ける筈の西園寺侯が、いつだつたか相国寺の橋本独山和尚に書を頼んだ事があつた。
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美術』を経営してゐる田口掬汀氏がこなひだ京都の衣笠村に画家の土田麦僊氏を訪ねた事があつた。田口氏はそのむかし小説
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七日の正午頃藤原中央気象台大阪出張所長は梅田の通運会社の二階で、額の上に巻雲のやうな皺を寄せて
つた新聞記者は、その後の模様を訊かうとして、梅田の気象台出張所を訪ねた。室には所員が七八人詰めてゐたが、
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てゐた。尤も宮川経輝氏の話によると、一度軽井沢で実の兄と碁を打つて、折角の信仰がめちやめちやになつ
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好都合なのは、京都画家の多くがしげしげ祇園へ遊びに来る事なので、瓢六は画家のお座敷だと聞くと、
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野尻氏は晩餐がすむと、毎晩のやうに奈良公園へ散歩に出た。ある晩の事、いつものやうに女子教育の事を
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してゐる男が、東京と京都とに二三人宛と名古屋に一人居る。番附といふのは、相撲や万年青のそれと同じやうに
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、中之島の公会堂で作品展覧会をする児島虎次郎氏には、倉敷の大原孫三郎氏といふ保護者があるので、その暢気な生活ぶりは、貧乏人
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この十四日から三日間、中之島の公会堂で作品展覧会をする児島虎次郎氏には、倉敷の大原孫三郎氏といふ
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漱石が生前仲のよかつた大塚保治博士と一緒に、横浜の富豪原富太郎氏を訪ねた事があつた。原氏は名高い美術骨董好き
船が横浜を発つ二三日前、宮嶋氏の玄関へ、つひぞ見知らぬ男が訪ねて来
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をする。芸者の言つた「ムツゴロウ」とは、肥前の有明の海にしか棲まない、鯊に似た小魚で、知事と同じやうに色黒
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の山に出でし月かもといふからには、ちやんと三笠山のてつぺんに出なければならぬ筈ぢやないか。それにあんな方角から出る
と、月は飛んでもない方角から出てゐた。三笠山は何か後暗い事でもしたやうに黛ずんだ春日の杜影に
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氏はそれから間もなく英国へ渡つたが、ある日倫敦の場末で活動写真を見た。すると、そのなかに恋人同士が一寸耳
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てゐた頃、今の文相中橋徳五郎氏の許へ、神戸にゐるお医者さんの桂田富士郎氏から一本の電報が飛込んで来た
。そして宅へ帰りつくと、直ぐ電報用紙を取りよせて、神戸の桂田氏宛に次のやうな電報を打つた。
の味ひは解らうともしなかつた。自分は須磨子が神戸の大黒座でサロメを上演する当時、頼まれて講演に往つた事が
の内田銀蔵博士は、四五日あとに欧米漫遊からぶらりと神戸に帰つて来た。そして自分が不在の間に、日本の土地が護謨
いつだつたか、有島武郎氏が、招かれて神戸女学院へ文芸の講演に出かけて往つた事があつた。
神戸女学院といへば人も知つてゐる通り、亜米利加生れの女伝道師が
下宿住ひもしてゐられなかつた。家を畳むで神戸に引越さうとする段になると、江戸ツ子の夫人が承知しなかつ
の田舎に引越すのは否です。」俳人の夫人は、神戸なぞ田舎の漁師町か何ぞのやうに言ひ貶した。「東京に居ませ
「幾らお金になるか知りませんが、私神戸なぞの田舎に引越すのは否です。」俳人の夫人は、神戸なぞ田舎
零余子もとうと神戸の方を思ひ切る事にした。
食へなかつたら心中するまでである。江戸ツ子の女は、神戸よりも心中の方を選ぶに相違ない。
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かういふわけから挙国一致で講和大使として近々巴里へ出掛ける筈の西園寺侯が、いつだつたか相国寺の橋本独山和尚
講和特使として巴里に出かける西園寺侯に勧める。会議の席上では、まさかの時の用意と
脚を踏み出さうとしてゐた。ある時友達と二人巴里の大通りを歩きながらこんな話をした。
を両手で抱へて、じつと考へ込んだ。アメリカの女が巴里を自分達の天国と思ひ込んでゐるやうに、市長の天国は東京に
文学史の教授をしてゐた。そして閑があると、巴里の新聞へ米国だよりを通信したものだ。
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につくなりかう言つて、侯爵の顔を見た。そして京都中の「専門家」といふ階級を代表して、お公家様に直訴で
京都文科大学の教授桑原隲蔵氏は、大きい声では言へないが、一寸そそ
京都の祇園新地に花の家瓢六といふ幇間が居る。他人の座敷で
好都合なのは、京都画家の多くがしげしげ祇園へ遊びに来る事なので、瓢六は画家
舞妓をきやつきやつ言はせる事の好きな人に、京都の画家山元春挙氏がある。
、この頃ではすつかりそんな遊びを止して一週に一度京都絵画専門学校へ出て来る外は、おとなしく江州膳所の別荘に引籠つて
しないのが残念で堪らなかつた。で、思ひ立つて京都にやつて来て栖鳳氏に会つてみる事にした。
多くの京都派の画家のなかに、文展で毎年特選続きで、近頃めつきりと
西山氏は遊び好きの多い京都画家のなかでも、一番の遊び好きである。近頃氏の画が評判が
泊つてゐたが、原稿が出来あがると、山を下りて京都の俳人王城氏の家に足をとめてゐた。
それを聞き伝へた京都の俳人達は、早速氏を迎へて運座をする事にした。運座
ほんとの画かきが幾人あるかわからなくなるが、兎に角京都には絵をかく人がたんとゐる。
たものだ。この蕭白の言草に従つたら、今の京都画家に、ほんとの画かきが幾人あるかわからなくなるが、兎に角京都
京都には絵をかく人がたんと居る。むかし/\曾我蕭白は、応挙なんて
に、その画かきを食ひ物にして暮してゐる者も京都にはたんと居る。骨董屋もその一つだが、外にまた薄つぺら
『中央美術』を経営してゐる田口掬汀氏がこなひだ京都の衣笠村に画家の土田麦僊氏を訪ねた事があつた。田口氏
番附といふものを発行してゐる男が、東京と京都とに二三人宛と名古屋に一人居る。番附といふのは、相撲
その番附発行人の一人が先日の事京都の野長瀬晩花氏を訪ねて往つた。
て西の宮の方を見た。箕面の方を見た。京都の方を見た。築港の方を見た。見は見たが、
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頃にはさうも思はなかつたが、住むでみると奈良は景色がよく、景色がよくないところには定つて古蹟があつて、
野尻精一氏は奈良女子高等師範の校長である。東京にゐる頃にはさうも思はなかつ
野尻氏は晩餐がすむと、毎晩のやうに奈良公園へ散歩に出た。ある晩の事、いつものやうに女子教育の
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から、よく断つておくが、私のいふ香川氏は今岡山県知事を勤めてゐる。
今の岡山県知事は香川輝氏である。一体役人といふものは、蜻蛉や鴉など
分通り鞭をすてて徒歩であるくに定つてゐる。岡山県知事香川氏の如きも、馬の前に立ちどまつて、お辞儀をする
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、口は案外なところに転がつてゐた。それは仙台にある東北学院で、そこの英語教員が一人欠員になつてゐるから岩野
岩野氏は急いで仙台へ下つた。そしてその頃学院の院長をしてゐる押川方義氏に
「欠員は卒業前の四年級にあります。君もわざわざ仙台までやつて来たのだから、何なら四年級に入学したらどうです
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つけて、自分にこんな結構な地位をあてがつて呉れた福岡の市民を、何だかこのまゝでは打拾つて置かれないやう
「日本生命保険」の社員から、郷里福岡の市長になつた久世庸夫氏は、市長の椅子が居心地がいいにつけ
のする方を振りかへつた。そこには自分と昔馴染の福岡鉱務署長三井米松氏が立つてゐた。
事で評判がよくなるのだつたら、一日に一人づつ福岡市民の頭を撲つたつて少しの差支もない。詫をいふのには
千葉県知事折原己一郎氏が、以前福岡県知事を勤めてゐた頃、ある宴会で目もとの可愛らしい芸者が側目もふら
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千葉県知事折原己一郎氏が、以前福岡県知事を勤めてゐた頃、ある宴会
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今度東京の玄文社では家庭小説の募集について五千円の懸賞をすると
達の天国と思ひ込んでゐるやうに、市長の天国は東京にあつた。
「やつぱり東京かな。さうだ、東京と決めておかう。ところで視察には誰をやつたものだらうて。
「やつぱり東京かな。さうだ、東京と決めておかう。ところで視察には誰を
そんな折には大阪の事ばかり考へてゐたので、東京に道路があるといふ事すら、少しも思ひ浮ばなかつた。
急いだ。実をいふと、岩田氏はこれまで幾度か東京へ来た事はあつたが、そんな折には大阪の事ばかり考へて
岩田氏は汽車に乗つて東京に急いだ。実をいふと、岩田氏はこれまで幾度か東京へ来
かつてゐた。岩田氏はそのなかを泳ぐやうにして東京市役所に同じ土木課長の樺島正義氏を訪ねた。そして顔を見ると
た日は、その前の晩からのどしや降りで、東京の市街は沼田のやうにぬかつてゐた。岩田氏はそのなかを泳ぐ
岩田氏が東京に着いた日は、その前の晩からのどしや降りで、東京の
「どうしたんです、この道路の態は。東京には全で道路らしい道路はないんですね。」
の汗を邪慳に手帛で押し拭つた。「しかし、東京よりはましのやうです。」
「イヤ、違ふ、違ひます。成程東京のもひどいにはひどいが……」樺島氏は同じやうな事を言つ
顔を赤めて言つた。「私は現に今日の雨降りに東京の市街を歩いて来たんぢやありませんか。」
その麦僊氏が、こなひだ急用で京都駅から東京行きの汽車に乗込んだ事があつた。二等車の寝台はあひにく
東京の或雑誌に美術記者を勤めてゐて、かなり評判のいゝ男がある
野尻精一氏は奈良女子高等師範の校長である。東京にゐる頃にはさうも思はなかつたが、住むでみると奈良は
「東京の連中はどうです。」麦僊氏は暫くして訊いた。「随分盛
香川氏は以前東京にゐた頃、友達と二人馬に乗つて先輩某氏の邸を訪ね
日本画家番附といふものを発行してゐる男が、東京と京都とに二三人宛と名古屋に一人居る。番附といふのは
たが、やはり藤村の羊羹が一等いいと言つて、いつも東京から取寄せては食つてゐた。
にもいろ/\あるが、世間での通り相場は、東京の帝国大学を巣立したのが一番評判がよい。
で、重役は三四人寄集まつて、その席で東京から呼びよせた新入の社員に会つてみる事にした。ちよつぴり
ならどこへも出掛けたくありません。相成るべくなら、東京の支店で勤めさせていたゞきたいものです。」
若い社員は投身をするにも、同じ事なら東京の水溜りでしたいやうな口ぶりで言つた。
居たいか。あんな土地にね。」今ひとりの重役は東京ツ子全体に烏金でも貸してゐるやうに蔑みきつて言つた。そして次ぎ
「そんなに東京に居たいか。あんな土地にね。」今ひとりの重役は東京ツ子全体
「私も出来るなら東京に居たいと存じまして。」
「何だつて、そんなに東京にばかし居たがるんだね。」
「私達はみんな東京ツ子か、あの近くの生れかなので、色々宅の都合もござい
のやうに言ひ貶した。「東京に居ませうよ、東京に住むでさへ居られる事なら、幾ら貧乏したつてね。」
なぞ田舎の漁師町か何ぞのやうに言ひ貶した。「東京に居ませうよ、東京に住むでさへ居られる事なら、幾ら貧乏し
「さうだなあ。やつぱり東京に居るかな。」
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夏目漱石が生前仲のよかつた大塚保治博士と一緒に、横浜の富豪原富太郎氏を訪ねた事があつた
まあさ、辛抱して貰ひたい。さもないと羞恥家の大塚博士が顔を赧くして極りを悪がるかも知れないから。
なかには実際世にも珍しい逸品が少くはない。夏目大塚の二博士はそれが見せて貰ひたさに態々訪ねて往つたのだ。
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に両手を拱むで、哲学者のやうにじつと頭を下げて銀座通りを歩いてゐる自分の姿を想像してみたりした。
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汽車が東京駅につくと、プラツトホームには関雪氏が馴染の新橋のある女将が、芸者を三四人つれて、この画家を出迎へに来て
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最近大杉氏は田端に住んでゐた。儒者の荻生惣右衛門の隣りに、俳人宝井其角が棲ん
こなひだ大杉栄氏が田端の家をまる焼にされて、家主から受取る筈の百円をふい
田端の家が焼けると、大杉氏は、
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いつだつたか、福田徳三博士が神田の神保町をぶらついてゐた事があつた。その日はいつになくお天気が
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いつだつたか、福田徳三博士が神田の神保町をぶらついてゐた事があつた。その日はいつになくお
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友達と一緒に電車に乗つた事があつた。車が日比谷まで来ると、車掌は乗換切符に剪刀を入れようとして、自分の腕時計