家なき子 01 (上) / 楠山正雄 マロエクトール・アンリ
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て来たのだ。わたしはその男が王さまだったナポリの宮殿で知り合いになったのだ」
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は石工であったが、このへんのたいていの労働者と同様パリへ仕事に行っていて、わたしが物心ついてこのかた、つい一度も帰って
このご亭主のバルブレンがいつまでもパリへ行っているというので、おかみさんと仲が悪いのだと思って
いるのは、なにも気まずいことがあるためではない。パリに滞在しているのは仕事に引き留められているためで、やがて年を取れ
「パリからことづかって来たが」と男は言った。
バルブレンのおっかあは、パリまで出かけて行こうかと思った。でも、それはずいぶんたいへんなことだった
「まあ、パリへ出て、おまえさんもずいぶん人が変わったねえ。おまえさん、行くまえに
「そうだったかもしれない。だが、パリへ行っておれの人が変わったかしれないが、そこはおれを半殺しに
たことをお聞きだったろう。あの人がおまえをある日パリのブルチュイー町の並木通りで拾って来たのだよ。二月の朝早く
親方の目的は少しでも早くパリへ行き着くことであった。それは冬のあいだ芝居をして回れるのはパリ
あった。それは冬のあいだ芝居をして回れるのはパリだけであった。わたしたちはもうごくわずかの金しか得られなかったので、
パリ入り
まだパリからはよほどはなれていた。
パリに近づくにしたがって、いなか道がだんだん美しくなくなるのが、きみょうに思われた
ないし、かがやいてもいなかった。わたしはどんなにかパリをふしぎな国のように言い聞かされていたことであろう。そしてなにかとっぴ
われわれのようなびんぼう人がパリへ行って、いったいなにができるのであろう。わたしはしじゅうそれが気になり
わたしたちの身の上も変わってくるよ。もう四時間もすればパリだから」と言った。
「へえ、ではあすこに遠く見えるのが、パリなんですか」とわたしは問うた。
「わたしたちはパリへ行ったら別れようと思う」とかれはとつぜん言った。
「でもあなたはわたしをたった一人パリへ捨てて行くのではないでしょう」とわたしはこわごわたずねた。
。カピのほかみんないなくなってしまった一座では、パリにいてもなにができよう」
「わたしはパリでは顔を知られている。たびたびこちらへは来ていたことがある
がある。このまえおまえの村へ行ったときも、パリから行ったのだ。大道でハープやヴァイオリンをひくイタリアの子どもらにけいこを
「パリだよ」
人たちが。これが見たい見たいとあこがれていたパリであったか。わたしはこんな場所で、親方に別れて……カピに別れ
パリの町の中に深くはいればはいるほど、見るものごとにわたしの幼い夢想とだんだん
のガラス戸に厚板のようにへばりついていた。確かにパリはボルドーにもおよばなかった。
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わたしたちは何週間もリヨンに滞在していた。そのあいだひまさえあればいく度もわたしはローヌ川
わたしたちはとうとうリヨンを去らなければならなかった。そしてディジョンに向かった。それでわたしはもうミリガン
二度と会う希望を捨てなければならなかった。それはリヨンでフランス全国の地図を調べてみたが、どうしても白鳥号がロアール
家が建てこんでいた。それもボルドーや、ツールーズや、リヨンなどに比べては、ずっとびんぼうらしいあわれな小家ばかりであった。
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わたしたちが、パスチードとボルドーを通じている橋の所へ来るまでに、親方はわたしが聞きたいと思っ
しかし、ボルドーは大都会である。見物は容易に入れかわったし、場所さえ変えると毎日三、
ボルドーを打ち上げてから、わたしたちはポーへ行かなければならなかった。そのとちゅうでは
とちゅうでは大きなさばくをこえなければならなかった。さばくはボルドーの町の門からピレネーの連山まで続いていて、『ランド』という名
わたしたちは七、八日のちボルドーを出発した。ガロンヌ川沿岸の土地を回ったのち、ランゴンで川をはなれ
。両側には見わたすかぎり家が建てこんでいた。それもボルドーや、ツールーズや、リヨンなどに比べては、ずっとびんぼうらしいあわれな小家ばかりであっ
戸に厚板のようにへばりついていた。確かにパリはボルドーにもおよばなかった。
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を出発した。ガロンヌ川沿岸の土地を回ったのち、ランゴンで川をはなれて、モン・ド・マルサンへ行く道をとった。その道