家なき子 02 (下) / 楠山正雄 マロエクトール・アンリ
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でした。かれはナポリ、ローマ、ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ロンドン、それからパリでも歌いました。どこの大劇場もたいした成功でした。
夫が病院から手紙を寄こして、もしよくならなかったら、ロンドンのリンカーン・スクエアで、グレッス・アンド・ガリーといううちへあてて手紙を出す
「じゃあぼくたちはロンドンへ行かなければならない」とわたしが手紙を読んでしまうとマチアが言った
たとき、ふところには三十二フランあった。わたしたちはそのあくる日ロンドンへ行く貨物船に乗った。
を止めて、いかりづなはおかに投げられた。そしてわたしたちはロンドンに上陸した。
であることを確かめさせたので、かれはわたしに、ロンドンに住んでいるわたしの一家のあること、そしてさっそくそこへわたしを送りつけてやる
でいる大きな公園の名前にちがいなかった。長いあいだ馬車はロンドンのにぎやかな町を走って行った。それはずいぶん長かったから、そのやしきは
ておかなかったというわけは、わたしたちは冬のあいだだけロンドンにいるので、あとはずっとイギリスとスコットランドの地方を旅行して歩いている
かわからない。なにをわたしはおそれているのか。このロンドンのびんぼう町で馬車小屋の中にとまることがこわいのではない。これまで
父親はマチアとわたしをロンドンの町中へ連れて行った。きれいな家や、白いしき石道のあるりっぱな
どおりには運ばないで、深いきりがまる二日のあいだロンドンに垂れこめていた。そのきりの深いといっては、つい二足三足
春の来るのはおそかったが、とうとう一家がロンドンを去る日が来た。馬車がぬりかえられて、商品が積みこまれた。そこ
わたしたちがロンドンを立ってから数週間あとであった。父親は競馬のあるはずの町で、
ヴヴェーにはずいぶんたくさんのイギリス人がいた。その場所はほとんどロンドン近くの遊山場によく似ていた。いちばんいいしかたは、あの人たちが
「わたしにもその慈善事業のお手伝いをさせてください。ロンドンで開くはずのわたしの演奏会第一夜の収入は、どうぞカピのさらの中へ
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と言えばそのころでいちばん有名な歌うたいでした。かれはナポリ、ローマ、ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ロンドン、それからパリでも歌いました。
はありったけの高い声で歌を歌っていた。例のナポリの小唄の第一節を歌って第二節にかかろうとしていたとき
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は一銭の金も、一かけのパンもなしに、パリのどぶの中に捨てられている……おまえおなかがすいたろう」とかれは
いまわたしたちはパリの町の中をさまよい歩いていた。夜は暗かった。ちらちら風にまばたき
ば、夜になって宿をたのむこともできよう。けれどこうパリの近くでは……このへんで宿をたのむことはできない。さあ」
「パリへもどるのだ。巡査に出会ったら、警察へ連れて行ってもらうのだ。
「パリにだれか友だちか親類でもあるのかい」
「パリでかい。おまえさん、それよりかいなかのご両親の所へ帰ったほうが
はナポリ、ローマ、ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ロンドン、それからパリでも歌いました。どこの大劇場もたいした成功でした。やがてふとした
はラ・メーゾン・ブランシュとグラシエールの間にある土地で、パリの人にはあまり知られていなかった。このへんに小さな谷があると
その谷に注ぐ川はビエーヴル川であるから、この谷はパリの郊外ではいちばんきたない陰気な所だと言いもし、信じられもしてい
出さなければならないと思った。このごろはちょうどにおいあらせいとうがパリの市場に出始める季節であった。それには赤いのもあり、白いの
村で百姓の働くところを見たこともあるが、ついぞパリの近所の植木屋のような熱心なり勇気なり勤勉なりをもって働いていると
花作りの家に連れて行ったので、わたしもすこしずつパリがわかりかけてきた。そうしてそこはわたしが想像したように大理石
はただ目で見る物から受けただけではなかった。パリの町中を散歩したりかけ歩いたりするついでに、ぐうぜん覚えるだけではなかった
。それでたんすの中にあった書物のほかの本までパリからわざわざ買って来てくれた。その書物の選び方はでたらめか、さもなければ
言ったが、この花を作るのはわりあいに容易で、パリ近在の植木屋はこれで商売をする者が多かった。その草は短くって大きく
て、四、五月ごろになると、これがさかんにパリの市場に持ち出されるのであった。ただこの花でむずかしいのは、芽生えの
であった。これをレセンプラージュと言っていた。お父さんはパリではこの道にかけて熟練のほまれの高い一人であった。それでその
だから、この祝い日の前夜には、パリの通りは花でいっぱいになる。ふつうの店や市場だけではない。往来
やんだ。たぶん五、六分しか続かなかった、雲がパリのほうへ走って、わたしたちは避難所を出ることができた。ひょうが往来
カトリーヌおばさんはなかなかしっかりした婦人であった。もとはパリの街で乳母奉公をして、十年のあいだに五か所も勤めた。
「ぼくは奉公はしたくありません。奉公するとパリにじっとしていなければならないし、そうすると二度ともうあなたがた
わたしはそれでパリを去ることができるのであった。すぐわたしはそれをすることに決めた
十五分たつと、わたしたちはパリを後に見捨てた。
わたしがこの道を通ってパリを出るのは、バルブレンのおっかあに会いたいためであった。どんなにたびたびわたし
「パリからヴァルセまではずいぶんありましたよ」とわたしは笑い返しながら言った。
パリからヴァルセに来るとちゅう、わたしはマチアに読書と、初歩の楽典を授け始めた
はそれでもまだ勧めていた。そしていまにかれをパリの音楽学校へ出す方法を立てる、そうすればかれは確かにりっぱな音楽家に
「ああ、五、六年まえパリで災難に会った石工の家内だな。それも知っている。調べさせよう」
に向けられた質問のあいだに亭主のバルブレンがすこしまえパリに帰ってしまったことをも知った。これはわたしをゆかいにした。
わたしはパリからヴァルセまで、それからヴァルセからユッセルまで、一スー一スーとこれだけの金
「バルブレンのおっかあは生きているし、バルブレンはパリへ行っている」とわたしは言った。
「ではおまえさんたちはバルブレンさんがパリへ行ったことを知っていたにちがいないね」とかの女は言っ
取りに出て行ったあいだに、かの女はバルブレンがなぜパリへ行ったか話して聞かせた。
女はほとんど聞こえないほどの小声で言った。「バルブレンがパリへ出かけたのは、そのためなのだよ。あの人はおまえを探して
なまりのあることばで話をして、いく年かまえパリで拾った赤子はどうしたかとバルブレンにたずねたことを話した。する
お金持ちにちがいないと思うのだよ。それからジェロームはパリへ行って来ると言ってね」とかの女は続けた。「おまえさん
その晩すこししかねむらなかった。バルブレンのおっかあはわたしに、パリへ向けてたつこと、そして着いたらすぐにバルブレンを見つけて、せっかく少しでも
行かなければならない。それには運河に沿って行ってパリへ行けるのだから、してできないことはなかった。リーズのおじさんは
パリへ行くのを急ぎさえしなかったら、わたしはリーズの所にしばらく足を止め
者がわたしを探していることを話した。それがためパリへも急いで行かなければならないし、エチエネットの所へ会いに行くことが
わたしはパリへ行くのでいっしょうけんめいであったから、マチアのために食べ物を買うお金を
肩からはずさなければならないようにした。「だってパリへ行っても、すぐにバルブレンが見つかるかどうだかわからないからねえ。そう
かかっていたか、ぼくは忘れない。ああ、ぼくはパリで飢えて苦しむのだけはもうつくづくいやだよ」
、どんなになまけ者になるだろう」とマチアは言った。だんだんパリに近くなればなるほど、ますますわたしはゆかいになった。そうしてマチアは
しているのか、わたしはわからなかった。とうとうわたしたちはパリの大門に着いたとき、かれはいまでもどんなにガロフォリをこわがっている
「ははあ、お友だちがありますか。それはパリにいるの」
「ぼくたちはけさ初めてパリへ来たんです」
「まあ、考えてごらん。子どもが二人で、パリの町にうろうろしていたら、ろくなことはありはしないよ」
「早くお帰んなさいよ。パリは夜になると、子どもにはよくない場所だからね」とかの女
ず陰気に思われた。この光と音のあふれた大きなパリでは、わたしはまるっきり独りぼっちであることをしみじみ感じた。わたしはこんなふうで
パリからボローニュまで道みち主な町で足を止めて、八日がかりでやっとボローニュに
をぬすみ出して行った。わたしたちはほうぼうおまえを探したが、パリより遠くへはどうにも行けなかった。わたしたちはおまえが死んだものと思っ
だって、きみにだって、いいはずがないもの」「パリでガロフォリに会ったとして、あの人が無理にきみを連れ帰ろうとしたら
取るために、足を止めなければならなかったから、やがてパリの郊外へ着くまでは五日間かかった。
男はどういうふうにしてわたくしの赤んぼうをぬすみ出して、パリへ連れて行き、そこへ捨てたか、その一部始終を述べました。これ
「海上はなはだあらく、ひどくなやまされた。とちゅうパリに一泊。妹クリスチーナを同伴四時に行く。出むかえの馬車をたのむ。マチア
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通ってしまったのかもしれなかった。わたしたちはそれからルーアンへ行った。そこでもまた同じ問いをくり返したが、やはりいい結果は得
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わけは、この人たちはわたしどもの招待をすませると、ウェールズまで鉱山見物に出かけるはずになっていた。この青年のほうは鉱山の視察
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リヨンで、わたしたちは、白鳥号の便りを聞いた。それはほんの六週間わたしたちより
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がそのとき「タイムズ」新聞を一枚持って来て、ウィーンの通信記事を読めといって見せてくれた。それを見ると、いまは
になったマチアが、演奏会を一とおりすませたところで、とりわけウィーンでの大成功がかれをせつに引き止めているにかかわらず、あるやむにやまれ
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冬のあいだだけロンドンにいるので、あとはずっとイギリスとスコットランドの地方を旅行して歩いているのだからね。わたしたちの商売は旅商人な
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ばそのころでいちばん有名な歌うたいでした。かれはナポリ、ローマ、ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ロンドン、それからパリでも歌いました。どこの
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て言った。「もしミリガン夫人を追いかけて行くうちに、ルッカまで出たら、ぼくの小さいクリスチーナがどんなにうれしがるだろうな」