ぐうたら道中記 / 佐々木邦

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地名一覧

本郷

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「おや、本郷でございますの? 私達は池之端でございますわ」

「本郷は何の辺でございますの?」

梅田

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さて、昨日の夕方梅田に着くと、一行は予定通り散り/″\になった。団さんは道修町

浜松

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の者が江戸へ下ります。与五郎丈けは四五日後れて浜松へ差しかゝりますと、この人真に色の白い好男子で年輩も若かった所為か

浜松の花屋本店で夜が明けた。雨滴の音が聞える。昨夜はあんなに晴れ

「それは然うとお上さん、何か一つ浜松の話をお客さん達にしてやって呉れないか?」

「一体浜松の名物は何だろう?」

と村田さんは畳の上で浜松の案内を終って最早三州へ入っていた。そうして、

御案内しよう。お嬢さんは西洋音楽がお好きでしょう? 浜松は楽器が名産です。一つ山葉風琴の製作所を見ていらっしゃい。しかし団君

広隆寺

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「否、これは太秦の広隆寺といって、何でも支那の帰化人に関係のあるところですよ。昔

四条

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日本橋通りのような四条へ出て大橋を渡り、祇園へ折れて歌舞練場へ入った。待って

大徳寺

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いうのさ。『長崎の七不思議、寺もないのに大徳寺、平地なところを丸山と、古いお宮を若宮と、北にあるのを

はカルルス桜に菊人形、夜は丸山、寺もないのに大徳寺……」

大徳寺で一休みした。稍※高台だから見晴らしが好い。

九州

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既に下関が近い。闇の間に走った中国筋は先ず九州を一周してから帰途にゆっくり拝見という寸法。団さんの設計は例

「中国や九州へ来て田舎漢扱いをされる次第もなかろうじゃないか?」

ないんだよ。住めば都だからね。中国でも九州でも皆自分のところが世界の中心だと思っている。彼処に田の

「偶然も斯うなると神秘に属しますね。九州で親戚といってはあなたのところ一軒きりなのに、そのあなたとこの

九州で大きいのは福岡、町の綺麗なのは長崎、繁華なのは博多―

車屋の乙が虹の松原の彼方の山を指さした。九州は深く入るにつれてラ行の発音が怪しくなって来る。

「九州では何処でも一里八合とか一里五合とかと言うよ

「九州は黄櫨の多いところですが、当県下は殊に然うです。昔殿様の御

「イヨ/\、九州相良だね」

宮城

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と僕は宮城の空を指さした。

奈良県

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、内米の消費節約は代々組織的にやっている結果、奈良県は一般に壮丁の体格が悪いという評判です。何うもこゝの人は妙

白川

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「清正は熊本城を築いたばかりでなく、白川の治水工事をやりましたから、市の為めには恩人です。五高の

奥津城

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小さな自然石の立ち並んだ様は如何にも没落した人達の奥津城らしく、何とはなしに哀れを誘う。

知恩院

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間もなく知恩院に着いた。本堂は見上げるほど大きなものだ。田舎から来たらしい善男善女の

岡崎

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ても雨は止まなかった。今日の予定は弁天島も岡崎も悉皆流れてしまいそうだ。お上さんの勧誘によると弁天島は静岡名古屋間

も尚お僕の興味を惹くのは藤吉郎の昔を偲ぶ岡崎の矢矧橋だ。がこの天気では何も彼も諦めなければならない。

ものはありませんよ。豊川稲荷という迷信の本場と岡崎の八丁味噌が多少知れているぐらいのもんです」

丹波

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女中が引いてきた。して見ると高等学校の教員は丹波の篠山出身の女中よりも馬鹿にされているんだね」

お台場

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「この真正面にお台場見たいな青草の島があるでしょう? あれを袴腰といいます」

東本願寺

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停車場へ一時間も早く着いたので、又引返して東本願寺に寄った。遠国から態※参詣に来るのに偶然時間が余ったから入って

だが、家の宗旨は門徒だと言った。門徒って東本願寺かね西本願寺かね?」

府中

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と修身講話もどきになった。府中丈けあって車屋まで徳川家康のようなことを言う。

駒場

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県下へ出張するから、この地方のことに頗る明るい。駒場出だと言ったから、産業の方の技師だろうと推測していた通り

関西

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「関西では皆斯うさ。これ丈けは東京でも真似をすると宜いね」

福岡市

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「さあ、まあ同じようなものですな。正確にいうと福岡市は福岡及び博多の両区より成り立ちます。この故に博多は福岡市の一部分です。

は福岡及び博多の両区より成り立ちます。この故に博多は福岡市の一部分です。然るに停車場は御承知の通り博多にありますから、鉄道方面から

名古屋

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? 行こうよ。君の郷里へも寄るよ。君は名古屋辺だったね」

「名古屋さ。名古屋も市中だ」

「名古屋さ。名古屋も市中だ」

軒置いて二軒置いて三軒目』だろう? 『名古屋へ入りゃあたら寄て頂戴も』は何うだい?」

でしたな。何処かで見たような顔ですが、名古屋産じゃありませんか?」

「名古屋の勢力範囲ですから三河の人は皆我利々々亡者です」

「成程、君は名古屋だったね。名古屋人同様皆勤倹力行の精神に富んでいます。人物は

「いきなり名古屋へ行ってしまうのかい?」

一つ山葉風琴の製作所を見ていらっしゃい。しかし団君、名古屋で降られるのも此処で降られるのも同じことじゃないか? 落つき

有難い! 昨日とは打って代った日本晴れだ。名古屋では団さんの兄さんの家に泊るのが出発前からの条件だったの

さて「名古屋へいりゃあたら寄て頂戴も」という註文は果したが、団さんの発祥地

て、歌のことさ。その歌は伊勢の歌でも名古屋の歌でもない。『石は釣って持つ釣って持つ石は、尾張名古屋

「同時に名古屋の築城当時の光景を歌っているじゃないか?」

「否、名古屋に関係はないさ。石が主題になっているもの。附録の方は『

、金助が悪心を起したのも無理はありません。名古屋の人は今日でも金に詰まるとこの鯱のことを考えます。目は

を一周して練兵の坂というのを上った。名古屋は完全に平坦な市で坂というほどのは此処ばかりだそうだ。再び

中で実力競争の最も赤裸々に行われているところは恐らく名古屋だろうと僕は思っている。万事実力即ち金力で情実が些っともない。看板より

「この辺が名古屋の銀座なんでしょうね? ナカ/\賑かだわ」

「あら、名古屋にも松坂屋があるの?」

で拵えるそうだから甚だ実質的だ。昼には姪達が名古屋特有のものばかり差上げる積りで仕度をしているよ」

「成程、名古屋の城の石を運ぶ歌を借用するんだね」

ている。団さんは宿屋へ泊ったそうだったが、名古屋で御賢兄の家へ皆を引っ張り込んでいるから、強い主張は出来なかった

大須

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「あんた、大須の観音さんは賑かでなも。東京なら浅草のようだも。活動写真が

熊野神社

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と今がた味を覚えたその生のを沢山買い込んで、熊野神社前の停留場へ来ると人群りがしていた。

宝塚

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「宜いさ。宝塚へ行けば少女歌劇を見るんだもの」

加藤神社

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あぎゃんした豪いお方じゃけん、この本妙寺ばかりか、加藤神社にも祀ってあります」

大阪市

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を占めていますからね。他の坑を合せると丁度大阪市ぐらいになります」

天王寺

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「天王寺行って何だね?」

「天王寺に狂人病院があるのさ」

「天王寺は此処から直ぐのようでしたね?」

と奥さんは逆さ竹だの飛ばない雀だのという天王寺の七不思議からお城の濠の底にある丸石のことを話し始めた。

太秦

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「否、これは太秦の広隆寺といって、何でも支那の帰化人に関係のあるところです

太秦から嵐山までは間もなかった。途すがら、

東京市

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「好いところさ。東京市内には迚もこんなところはない。しかし厭に寒いね。京都は底冷えがする

天満宮

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意気込みで団さんが自動車を急がせたこと! 北野の天満宮へ差しかゝっても、

奈良市

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「田鶴子さん、今の奈良市をその頃の都と思っていらっしゃると大間違よ。私、講義をして

巣を食いましたが、これが追々発達して今日の奈良市になったのでございます。斯ういう風に先祖代々観光客のお賽銭の零れ

箱根

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子供の時の修学旅行以外一切東京を離れたことがないから箱根から彼方には生蕃がいると心得ている。

重んじる必要がある。そこでピックウィック君の予定に則って先ず箱根の彼方から始めて二週間で行けるところまで行くというのを大体の方針と

「此処が箱根よ」

「あの箱根は元箱根で蘆ノ湖のある方よ。真正に八里の山道で迚も汽車

「女学校でもなんて酷いわね。けれども箱根から彼方は知らないんですから楽みですわ。早く沼津に着きたいものね」

。今度通行の邪魔をしたら引致する積りと見えた。箱根を越すとこれくらい世間が違って来るから面白い。それはそうと僕達は

を拵えました。汽車のない時分でしたで、此方が箱根を越えて東京へ着く間に偽物の方はおとましく大きな儲けをして

言うかも知れないぜ。団君、旧道を通って田舎箱根を越す勇気はないかね?」

田舎箱根は車屋の誇張通り嶮しい坂道だった。しかし団さんは何とも言わずに

嵐山

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嵐山への途中太秦寺というのに寄った。

も好いというが、やはり花で人を呼ぶ積りらしく、嵐山では桜の花を塩漬にして売っている。三輪さんがそれをし

阿蘇

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「それじゃイヨ/\明日お立ちですか? 阿蘇へは私が御案内申し上げようと思っていましたに真に残念です」

と隣室では三輪さんの兄さんが到頭勧誘を諦めた。阿蘇は多少期待していたが、お流れになるらしい。団さんのような

日本アルプス

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「日本アルプス、薩摩富士、肥後西郷なんてのは人間の泥棒根性を能く現している」

十津川

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「それからもっと奥へ入って十津川までお出になると山又山で一寸別世界の観がありますよ。

銀閣寺

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義政公に召されて京へ上りました。そうして銀閣寺で例の茶法道を立てたのだそうでございます」

興福寺

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「昔、十三になる興福寺のお小僧さんが春日様の鹿を殺して、鹿の死骸と一緒に此処

から失業問題を起すでもなく、この見物客を目的に興福寺や東大寺の周囲に巣を食いましたが、これが追々発達して今日の

千日前

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ならこの道頓堀には芝居小屋が並んでいるし背中合せの千日前には楽天地なんていう興行物のデパートメント・ストアがある。低級高級ともにこの

千日前は流石に昔からの遊楽地丈けあって京都の新京極を凌ぐ盛況だったが

横浜

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勉強家で終始トルストイか何かを手にしていた。横浜に着いた時、客が大分乗り込んで、僕達の近辺では西蔵婦人が

「そうでございます。石垣苺と申して皆東京や横浜へ出ます。あんな口も碌に利けない草木を瞞して毎年二千三千と

頃のことを考えていたところです。何しろまだ汽車が横浜までしかなかった時分でしたから随分困難しました。しかし伊勢詣りは能く/

「それじゃ君は迚も洋行なんか出来ないね。横浜を立って神戸へ着くと最早下りたくなる方だろう」

薩摩

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「然うでしょうな。要するに薩摩と大隅丈けで日本中を向うに廻した勘定になりますからね」

南禅寺

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南禅寺を一見して黒谷まで歩いた。あの山門に匿れていたという縁故で

東大寺

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を起すでもなく、この見物客を目的に興福寺や東大寺の周囲に巣を食いましたが、これが追々発達して今日の奈良市に

桜島

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「桜島さ、先ず。小川君のお説に従ってね。桜島、溶岩が流れて

甲州

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ことですよ。私が釣魚に連れて行く男ですが、甲州の山の中のもので、鯛のかゝる度に『これなら女房は離縁しても

西本願寺

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家の宗旨は門徒だと言った。門徒って東本願寺かね西本願寺かね?」

叡山

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「叡山に鱧を献ずというから京都人は昔から鱧を利用したもんだ

関東

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東海道の目ぼしいところに一々泊りますし、奥州のズウ/\関東のダンベイ北陸の権助共とも一緒になります。そうして関から彼方では

ような粥腹でしょう。小便が出ざるを得ませんや。関東の連れ小便といいますが、実は伊賀の連れ小便です。中学生等も登校

大浦

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居留地を見なければ貿易港気分は味わえないとあって、先ず大浦へと志した。電車道へ出ると間もなく洋館の並んだ海岸を一直線

から八尺炭層と申します。十分の一傾斜ですから大浦を遠ざかるに従って深くなります。宮浦からは皆竪坑で、宮浦坑が深

菊川

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菊川の里というのを谷底に望んでから、道が爪先下りになると程

「それが本当です。道は悪くても此処へ来て菊川を通らないじゃお話になりませんからね」

小石姫だのがあって溜るもんか。月小夜姫は菊川で殺された俊基朝臣の娘さ。蛇身鳥だってあの坊主のは間違って

坂を下り切ると菊川の里だった。鉄道開通のお蔭で東海道筋には却ってこの通り淋れて

亀山

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亀山を通ったとき老人は、

、電報は昨晩確に戴きましたが、気を利かして亀山までお迎えに出掛けたのがソモ/\間違の因でした」

は今日もその小便で思わぬ不覚を取ったのです。亀山までお出迎えに参りましたが、時間があったので一寸親戚へ寄り

八幡

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その代り煤煙で家があんなに真黒になってしまいます。八幡は雀まで黒いと申しますからね。桜だって満足な色には咲きませ

浄光明寺

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山を下りると直ぐに浄光明寺へ駈けつけた。西郷、桐野、篠原、村田と悲劇の主人公の墓が高台から

江戸

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イヨ/\仇討の機運が熟して大石初め一味の者が江戸へ下ります。与五郎丈けは四五日後れて浜松へ差しかゝりますと、この人真

「長崎ばってん江戸べらぼうか。ばってんは英語の but and の詰まったものだというが、巧い抉

「江戸長崎の国々といったり江戸の仇を長崎で討つといったりするから、兎に角昔から日本の果だった

金峰山

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「荒尾山や金峰山が海から来る風を扼していますので、熊本はこの通り夏暑くて冬

観音寺

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た身の胎内から男の子が丸々と生れ出ました。ところへ観音寺の住職が通りかゝりまして、泣いている赤子を拾い上げ、この山の上の

「さて、観音寺の住職に育てられました男の子は十五歳の折に母親の仇を討ちたい

その刀で仇討を果しました。この刀はこの上の観音寺に今でも飾ってあります」

豊川稲荷

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「三河には別に見るものはありませんよ。豊川稲荷という迷信の本場と岡崎の八丁味噌が多少知れているぐらいのもんです」

相国寺

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「学校騒動と財政困難で有名な同志社は直ぐこの向うで相国寺の隣りです」

奥州

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をする中には東海道の目ぼしいところに一々泊りますし、奥州のズウ/\関東のダンベイ北陸の権助共とも一緒になります。そうして

安倍川

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横幅があると思ったが、俥で通り抜けても町外れの安倍川までは大分乗りでがある。

伊賀

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二見の浦は翌日廻しにすると一番手順が宜いよ。伊賀の上野へは未だ日の高い中に着くから町を見物しても友忠で

予定の時刻に伊賀の上野に着いたが、迎えに出てくれる筈だった三輪さんのお弟子

が僕達を宿屋まで案内してくれることになった。伊賀の人は親切で強情だと僕は思った。何うでも宜い問題だけれど

もなかろうと高を括ってブラ/\歩き始めたが、伊賀の上野はそのお手本の東京の上野よりか余程広い。成り上りのひょろ長町で

失策ですよ。その次第は後刻ゆっくり申上げますが、要するに伊賀の国風が悪いのですな」

た。これは草臥れた時に至って便利だ。「今日伊賀の上野見物、余は後便にて」で充分用が足りる。殊に絵ハガキを使うと

「尾籠なことを申して甚だ恐れ入りますが、この伊賀の国ほど小便の出るところは天下にありませんな。実は今日もその小便で

「寒いの何のと申して、『伊賀の上野は高丘で寒い』と昔から歌にもなっているくらいで、随分

ませんや。関東の連れ小便といいますが、実は伊賀の連れ小便です。中学生等も登校の途中、『おい、小便しようか?』

此方の人の色の白いのに驚くそうですが、実際伊賀はこれで美人系ですからね。この町にも随分綺麗な女がいます

ばかりするようですが、この土地は有名な妾宅地です。伊賀では上野に妾宅を構えていないものは紳士といえないことになって

名のものとあの辻の飲食店で腹拵えを致しました。伊賀の人でしたが、この日は特に茶粥を控えました。切合最中に

と言った。この筆法に従うと伊賀の上野もそれより大きな町を悉皆除ければ間違いなく日本一の都会になる。物産

「伊賀の『関取』と来たら何しろ東京の鮨屋がこれでないと夜も明けない

煙草取ってだあこ』とやります。伊勢の『お母さん』伊賀の『いたゞこ』といって有名なものです」

てあるお茶の間へ案内してくれた。距離から言うと伊賀の上野の茶粥以来大和の奈良まで一口も喰べないのだから実際空腹だった

伊勢

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「鯱が益※大きくなって来たぜ。『伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ』というが

大きくなって来たぜ。『伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ』というが、城全体があの鍍金の

鯱の問題でなくて、歌のことさ。その歌は伊勢の歌でも名古屋の歌でもない。『石は釣って持つ釣って持つ

「恐れ入った解釈だね。すると『伊勢は津で持つ』という歌はこの土地じゃ謡わないんだね?」

な。然う承ればこの頃は交通が便利になった割合に伊勢を知らない者が多いようですよ。現に私達も皆初めてですからね」

ありますから、私も帰途に寄って見る積りです。『伊勢の松坂女郎衆の名所迷わさんすな帰らんせ』といって、こゝは昔から

「鳥羽は朝の海が何とも言えないそうで、伊勢へ行ったら鳥羽に限ると教えられて参りましてね、宿屋まで最早定めて

者が総出になって材木を曳くのでございます。『伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ、あれやいせ

を曳くのでございます。『伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ、あれやいせ、これやいせ』と歌い

て恐縮です。これからはもっと綺麗なところを申上げましょう。伊勢からお出になると何誰もまず此方の人の色の白いのに驚く

「私のは東京の影響です。これでも伊勢の人よりは白いのです。私の姉婿は伊勢から来ましたが、私

でも伊勢の人よりは白いのです。私の姉婿は伊勢から来ましたが、私ほどの色になるのに五年かゝりましたよ

言います。『その煙草取ってだあこ』とやります。伊勢の『お母さん』伊賀の『いたゞこ』といって有名なものです」

実に崇高なものだ。三輪さんは大木崇拝家だから伊勢では大喜びをして、「忝なさに涙こぼるゝ」というのは

博多

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中に門司に移りますよ。豪いもんですぜ。門司から博多まで五十哩というもの殆ど町続きになりました」

さんの甥の大学生が定義的に教えて呉れた通り、博多は実際賑かだ。

「福岡と博多は違うんですか?」

同じようなものですな。正確にいうと福岡市は福岡及び博多の両区より成り立ちます。この故に博多は福岡市の一部分です。然るに停車場は

と福岡市は福岡及び博多の両区より成り立ちます。この故に博多は福岡市の一部分です。然るに停車場は御承知の通り博多にありますから、鉄道

に博多は福岡市の一部分です。然るに停車場は御承知の通り博多にありますから、鉄道方面からいうと博多即ち福岡市です」

心得を今から練習しているのらしい。それは然うと博多も殊に僕達の宿の附近は芝居小屋等があって目貫のところと見え

と団さんが言った。間もなく博多の水野旅館から差して寄越した新馬場の松本屋というのに着いた。

例によって見物に出掛けたが、博多で懇意になった秀夫さんと下男の徳さんが案内に立って呉れた。

金閣寺

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間もなく金閣寺に着いた。大木好きの三輪さんは一位の木というのに感心し

浦上

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彼れ此れする中に田圃に出て間もなく浦上の天主堂に着いた。折から礼拝が終ったところで信徒がゾロ/\出

長崎市

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三通りの仮髪を順繰りに十日毎に被り換えるから、長崎市全体が瞞着されている。独り僕丈けは蛇の道は蛇で大将が

鶴見

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虎が再び棚に納まってしまうと、僕は鶴見辺りまでは花月園に来て知っているから余り興味がないので、旅行日程

舞鶴城

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と車屋の甲が舞鶴城の由来を説明して呉れた。

熊谷

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黒谷では、「熊谷鎧掛の松」というのが枯れていた。妙に強いのが鉢合せ

鴨川

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綺麗な川だとばかり思っていた鴨川は案外だった。それに量も至って少ない。

伊豆

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に考えられる。あれから汽車で三十里も走り、千本浜から伊豆の三島を見物し、又引返して来て今漸く晩御飯か? 家に

「もう少し時間の余裕があると伊豆の方をもっと紹介するのだが、無暗に急ぐから仕様がない。一日

以上のは片手の指を折るほどしかありません。殊に伊豆からこの辺へかけて薄志弱行の本場です。早い話が東京へ修業に出掛け

一本マストのは皆遠洋漁業船でございます。遠州から伊豆の漁業船が残らず寄りますから、魚の集まること清水港は蛙の小便

「田鶴子さん、何うです? 伊豆の三島を思い出すでしょう?」

弁天島

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も悉皆流れてしまいそうだ。お上さんの勧誘によると弁天島は静岡名古屋間唯一の遊覧地だから、もう一日逗留しても見て

宇治

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日程によると宇治を見物する筈だが、秘書役二人の不在中に何う模様が変ったの

堺市

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。尚お話によるとこの親父さんというのは現に堺市指折りの成功者だそうだ。そうして、或日息子の一人が木から落ち

栄町

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「栄町までブラ/\歩こう。何も見物だ」

「栄町が銀座でございます。この向うが伊藤松坂屋のあるところでございます」

と栄町から本町へ折れると間もなく三輪さんが訊いた。

富士山

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た沼津に着いたのは田鶴子さんが御殿場で凸凹した富士山を写真機に収めてから少時後だった。お父さんのお友達の仙夢さんが

「それさ。『三島女郎衆の化粧の水』さ。富士山に降った白雪が朝日で解けてこの辺の地底を流れていますから三島

さんは沼津で見た時よりも両脚の長くなっている富士山を指さして、

』でお馴染の松は沖合の鼻にありまして、富士山の眺望は全国一、日本新三景の一つとして元帥東郷閣下様御

「成程、昨日も車屋が富士山のことをお山/\と言っていた。駿河の国に来ればお

ていた。駿河の国に来ればお山というと富士山、半紙というと駿河半紙か。それでは美濃へゆくと美濃紙のことを

は生憎と霞んでいますが、好く晴れた日には富士山が一間半に見えます」

なかった。鳥羽の人は日の山公園は東洋一、富士山は一間半と確信している。

桑名

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「あの折は何でもこの川を舟で下りて桑名へ着きましたよ。然う/\、津島から乗り込んだのです。この辺は

間もなく遙に玩具のような城が見えて、桑名に着いた。成程、

「一の鳥居は桑名にあると申してな、跛足を引き/\こゝまで来ると、ホッと一息つい

下関

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大阪から下関とは三輪さんの帽子諸共旅程が急に飛ぶようだが、僕達は前回

ある中に通り、神戸辺から寝て目が覚めると既に下関が近い。闇の間に走った中国筋は先ず九州を一周してから

他所の人は中央の消息に通じない田舎漢さ。例えば下関で大阪屋を知らないと言って見給え、撲られないまでも文明人とし

「下関文化生活の中心さ」

漸く下関に着いた時、田鶴子さんと僕は例によって家への通信を果し

は主として山口県人と対州人だ。この故に下関で朝鮮へお帰りかと訊くのは彼地で成功しているという意味

大井川

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大井川を越すと間もなく僕達は金谷で下りた。静岡から一時間と少し

「天狗の火というのは燐か何かでしょうな。大井川へ時稀現れるそうです。龍燈だという説もありますが、何方に

愛鷹山

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た。のたり/\の波の長閑な春の海面を愛鷹山の上から富士が覗いている。

心斎橋筋

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余程閑だったと見えて夏帽子を一つ買うのに心斎橋筋の唐物屋を端から端まで冷かして歩いたんだそうだ。何軒訊い

川越

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と車屋は仲間のものに相談をかけた。しかし川越の子孫共は、乞食小屋のような溜りに坐ったまゝ、

大阪

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から工場を持ってくる。砲兵工廠の如きは東京からも大阪からも此処へ支庁を置いて現にこの間までは向い合って仕事をしていた

とも一緒になります。そうして関から彼方では京大阪は無論中国西国の連中が交りますから、確に見聞は広くなりましたな

の地蔵さんに参詣して別れました。参宮でなくて大阪へ行くのだそうでした。危難を救って貰ったのですから後日の為め

山のは特に名材だそうだ。現に先年倒れたのは大阪の商人が四万六千五百十二円に入札したと先刻から僕達の前になったり後

京都へ都踊りを見に行ったのさ。尤も京都や大阪へは何の用で行っても病家へは往診と触れ込む。繁栄策さ」

「さあ、余り名物もないね。『京の着倒れ大阪の食い倒れ』というほどだから、此処へ来たら食う方は諦めるんだね

「大阪へ土産に持って行くのさ」

為め今日はナカ/\忙しかった。朝早く宿屋を引き払い午後大阪へ立つまでの時間を最も有効に利用しようとあって、案内役も星野さんと

満員の電車が喧しい警笛を鳴らして頻繁に通る。大阪は郊外生活が東京よりも早く発達したと小川さんが力説したが、

が三四本あると言った。今この慌しい鈴実り連中も大阪発展の一縮図だ。彼等は皆金さえあれば何処も住吉とばかりに

といった調子で、大阪会話篇は必ずぼろいことで始まってぼろいことで終る。随って全く金の欲しく

てぼろいことで終る。随って全く金の欲しくない人は大阪には居たゝまれない。尤も今のところ然ういう篤志家は滅多にない

行だね。然う/\、京都は岩倉行だった。大阪は天王寺行か。こいつは面白い」

「何処でも宜いさ。大阪らしい気分さえ味わえればね」

と蝮蛇屋が蜷局を巻いている。すべて大阪では廉くて利きが早いとなれば蛇や鰻の干物が斯ういう霊場で

「それは紳士の場合さ。大阪にだって教育家はあるぜ」

自慢の公会堂と市庁を拝見して四ツ橋で下りた。大阪は川と橋の都だそうだが、殊に此処は川が十文字に打っ

「実際人口稠密だろう? この筋が大阪では代表的さ。昔のまゝだから少し狭いけれどもね」

物のデパートメント・ストアがある。低級高級ともにこの辺が大阪趣味の中心地だね」

「大阪へ来て義太夫を聞かないでしまうのは残念だね」

「坊ちゃん、新世界の方が此処よりも大規模です。大阪中の見える通天閣という素晴らしい塔がありますぜ。今夜家内が坊ちゃんを御

大阪から下関とは三輪さんの帽子諸共旅程が急に飛ぶようだが、僕達

た僕達だ。春の旅行は僕の不覚の為めに大阪でさゝほうさになってしまった。まさか小川さんの義太夫に中てられ

丈けは蛇の道は蛇で大将がその仮髪を註文する大阪の店まで知っているから可笑しくて仕様がない」

中之島

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さて、中之島では御自慢の公会堂と市庁を拝見して四ツ橋で下りた。大阪は

道頓堀

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然う歩きもしないが兎に角立ち詰めだったから道頓堀で休んだ時は寛いだ。

「低級娯楽で満足するならこの道頓堀には芝居小屋が並んでいるし背中合せの千日前には楽天地なんていう興行

水前寺

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通り抜け丈けにして、町へ出ると直ぐに乗合自動車で水前寺へ駈けつけた。池の畔の料亭へ上り込んで思うさま涼を入れた。

久能山

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間もなく僕達は久能山へと志した。左手に海が見えた時、僕の車屋は前の俥

夜更かしで懲りていたから、僕達は昨日はあれから久能山丈けで切り上げて、清水から電車で静岡に着くとすぐに宿を取った。

「昨日の久能山には俺も弱ったよ。何しろ千五十何段という石段だから、脂肪質

古道具が済んでから義元公の墓へ来た。昨日の久能山の家康公の神廟に較べると全然お話にならない。辻堂のような粗末

の蕾が大分赤くなっていた。団さんは昨日の久能山に懲りて、

と団さんは昨日の久能山がまだ余程応えていると見えた。

日比谷公園

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の大公園、何かというと市民が此処に集まること丁度日比谷公園の格だけれど、田舎だから警視庁はない。尤も一足飛びに監獄が

上野公園

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の主人公の墓が高台から例の桜島を見晴らしている。上野公園で馴染みの銅像と寸分違わない木像がこれも桜島の方を向いて立っ

熊本

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「時に君は熊本だったが、熊本は余程まだ人文の進まないところだね」

「時に君は熊本だったが、熊本は余程まだ人文の進まないところだね」

横手の五郎? 知っているさ。しかし君は妙に熊本のことが明るいね!」

「熊本のことなら僕の親父が詳しいから、何でも訊いてやる。しかし何

に重きを置くんじゃない。今のは偶※君が熊本だから、研究の一端を発表して度胆を抜いたまでの話さ。

「書く支度さ。別に熊本に重きを置くんじゃない。今のは偶※君が熊本だから、

方々を歩いているようだが、三輪さんは御郷里の熊本へ両三回行った丈けで、それも途中は少しも見ていない

「君、熊本には散髪屋があるかい?」

「否、実は私の郷里の熊本にも水前寺公園といって先刻の池と同じような水の名所があるん

が主題になっているもの。附録の方は『肥後の熊本の城へ持つ』と直してもその儘通用する。物理の原則を歌っ

「又熊本でお目にかゝります」

と三輪さんは熊本生れ丈けにこの辺の消息に通じている。

や金峰山が海から来る風を扼していますので、熊本はこの通り夏暑くて冬寒いのです。気候と交通を改善する第一

が、土地の事情に通じるには家庭に限る。お蔭で熊本の話は三輪さんの叔父さんが神風連に加わったことまで承った。

「福岡が元寇で持っているように熊本は清正公と西南の役で持っています。斯う見えても徳さん

「――さ、矢っ張り熊本人の不器用なところが現れている」

熊本弁が引き続いて話題を占有した。

「此処にも『おてもやん』といって熊本言葉を読み込んだ歌があります。徳さん、君の十八番じゃないか?

「これは街路樹です。昔から街路樹のある都会は恐らく熊本丈けでしょうな。東京辺でもこの頃頻りに此処の真似をして植え

と覚束ない熊本弁さえ使っている。

「熊本へ帰ると言うよ」

「熊本は分っているが、普通名詞ならさ?」

静岡

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酷く見括りましたな。尤も僕等の子供の頃は静岡から牛肉の来た日には沼津でも『今日牛肉あり』という赤旗

「否、あれは静岡産です。浜勇といってこの土地切っての流行妓ですよ。お

伊豆方面は頼朝と義経で持ち切っています。これから静岡へ行くと家康公でなければ夜が明けません。舞台は此方のもの

昨日はあれから久能山丈けで切り上げて、清水から電車で静岡に着くとすぐに宿を取った。それでも夕飯後沼津へ帰る仙

「水の綺麗な沢で出来ます。静岡は滅法界もなく水の好いところで、大東館のあの水も掘抜で

「これから通ります西草深町は役人町でありまして、静岡の高位高官の方々が住まっておられます」

静岡は可なりの都会だ。賤機山の上から見晴らした時も随分横幅があると

「俺も東京へ行きましたが、静岡を見ているだあもの、些っとも怯じにゃあでがんしたよ」

引き返して静岡へ近づいた時、

大井川を越すと間もなく僕達は金谷で下りた。静岡から一時間と少しだったけれどもう遠州だ。そうして言葉が大分変っ

「成程、沼津でも静岡でも西の風が名物だと言っていましたよ。あれが此方

流れてしまいそうだ。お上さんの勧誘によると弁天島は静岡名古屋間唯一の遊覧地だから、もう一日逗留しても見て行く

神戸

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/\不忠に生れついていると見えまして、船が神戸に着かない中に殿様には病毒が脳に上って、御発狂次いで薨去

日曜へかけて京から役人や会社員が息抜きに来る、大阪神戸辺から女学校の修学旅行も来るという有様でした」

旅行で見知り越しの土地丈けは日のある中に通り、神戸辺から寝て目が覚めると既に下関が近い。闇の間に走った

十万と号してその実七八万しかない証拠に上等の食パンは神戸から取り寄せると言っていたよ」

それじゃ君は迚も洋行なんか出来ないね。横浜を立って神戸へ着くと最早下りたくなる方だろう」

奈良

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地蔵さんのある関です。『関の地蔵に振袖着せて奈良の大仏婿に取る』という歌がありますよ。浅草の観音様同様

で未だ手間を取っているのよ、彼処は、『ひだり奈良道』でしたかね?」

「ひだり奈良道ですよ」

昨日休んでいないと今日は何うにか都合をつけて奈良までお供をするのですがね」

程なく奈良に着いた。田鶴子さんのお友達の清瀬さんがプラットホームに出迎えていて

「奈良の案内は此処から始めるのよ。遊覧地ですから毎月のようにお客さまが

奈良には鹿がいると聞いて来たが、実に沢山いる。最初は

の角細工を買って行くほど気が早いに相違ない。兎に角奈良は調法だと思った。一箇所で悉皆用が足りてしまうところはデパートメント

くれた。距離から言うと伊賀の上野の茶粥以来大和の奈良まで一口も喰べないのだから実際空腹だったが、お蔭であれから二

談話は当然の順序でお互の身の上から奈良のことに移った。常子さんのお父さんはお役人で始終県下へ出張する

違よ。私、講義をして差上げますわ。昔の奈良は今の停車場の彼方から郡山の一角へかゝっていて、京都に劣ら

ながら京阪へ出て行きますから、自然春日様の棟木で奈良人形を刻んだりする躄のようなものばかり居残るのだと申します。よく

の零れを目的にして生計を立てゝいますから、奈良の人はそれは/\消極的ですわ。多少企業心のあるのは遷都

「奈良は常子の悪口通り引っ込み思案が勝っていて活動的でない所為か、茶の湯

「奈良へ行ったら南君を担いでやろう」

昨日とは方面が違う。これで奈良の両側が見られると思っていると、俥はところ/″\に崩れ

せる。何のことはない。三輪さんとお父さんは東京から奈良の高畑くんだりまで空しく医者の玄関に坐りに来ているのだと僕が

「吃の又平の作ウ、奈良朝御所の図ウ!」

ない。蝙蝠傘なんか掏る奴があるもんか。あれは君が奈良の停車場の待合室へ置き忘れて来たんだよ」

へ出るから目を突かれそうで危くて仕方がない。奈良以来不思議に苦労がなくなったと思っていたら品物がなくなっていたん

京都

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です。近郷近在から雲霞と人が出てその盛んなこと京都の祇園祭を除ければ恐らく日本一です」

相棒に渡すまで荷を揺り通しです。笠置から新手がまた京都まで揺って行きます。昔なら早駕籠というところですな。阿漕からも参り

「雲出川の鮎を京都へ持って行くのだそうでした。鮎という奴は家つきの娘

「そんなにして京都まで行ったら嘸高いものにつきましょうな?」

「二十銭の鮎が京都に着くと一円五十銭になるそうです。全くそれぐらい取らなければ引き合い

今の停車場の彼方から郡山の一角へかゝっていて、京都に劣らないくらいの大都会でございましたのよ」

嘸驚くだろうと頻りに肝胆を砕いていたが、今朝京都へ立つ前に愈※その神算鬼謀を実行することになった。団さん

過に来る積りでホテルから電話をかけたんだが、京都へ往診に出て帰宅は晩いというもんだから、ついこう出発間際

「京都へ都踊りを見に行ったのさ。尤も京都や大阪へは何の用で行っても病家へは往診と触れ込む。繁栄

「京都へ都踊りを見に行ったのさ。尤も京都や大阪へは何の

「京都まで案内ながら行きたいんだが、生憎丁度今夜あたり危い患者が一人あるん

中に何う模様が変ったのか、僕達は驀地に京都へと志した。

京都に着くと自動車が待っている――柊屋へ乗りつける――支度の出来て

。東京なら田舎漢といって馬鹿にするところだけれど、京都の人は打算的だから大切にする。お上りさんは大財源だからね。こんな

から僕達は清水のダラ/\坂を登り始めた。京都の名所は初対面でも皆古馴染のような気がする。この清水の観音

が、国家安康で家康が因縁をつけた代物ですよ。京都にいると始終斯ういうお相手を勤めるから案内の順序をすっかり覚えてしまう。

「京都は何うだね? 住み心地は」

とお父さんは依然京都の住み心地を気にしていた。

。日光の入らないところへは医者が入るという通り、京都は肺病が多いよ」

「坊ちゃん、あれが京都のドンですよ」

で軍隊に時間を支配されていないところは独り我が京都あるばかりさ。この点丈けでも洛陽は誇るに足りるよ」

と星野さんは京都に帰化したと言っている丈けに頗る西京贔負だ。

。実際然うさ。便宜上の問題だけれど、結果から言うと京都では芸術の権威が武力を沮み止めていることになるだろう」

「京都は鱧が名物と見えるね? 鱧ばかり食わせる」

「叡山に鱧を献ずというから京都人は昔から鱧を利用したもんだね」

「鱧はこれでナカ/\うまいよ。しかし京都の名物は一体何だい?」

「京都へ来てこんなものに一々敬意を表していた日には一月かゝっ

「京都もこの辺は草深いね。竹藪ばかりじゃないか?」

此処らは最早在所だもの。竹藪は多い筈さ――京都は団扇や扇子の産額が日本一だからね。藪が大財源だから枯らさ

内には迚もこんなところはない。しかし厭に寒いね。京都は底冷えがするといったが真正だ」

「信者でも夫婦喧嘩をするのかなあ。しかし京都の電車はナカ/\来ないね」

「京都にも三輪君のような人がいて、『安全地帯』を『帯地全く

とお父さんが同情した。いくら東京贔負でも京都を植民地と一緒にするのは酷い。

。動物園の獅子さえ子を生むそうだから僕のところも京都へ越して来ようか知ら」

「京都は実際子供が能く出来る。星野君のところなんかは信者の出来ない年は

をして穏便に問題を解決してしまった。流石に京都は悠長だと思った刹那、車掌がその場へ地響きのするほど叩き倒され

「京都の学生はナカ/\荒っぽいね」

に限らず車掌でもあの通りだ。演説会なんかでも京都ぐらい弥次の多いところはない」

予定になっていたところを見ると、「すき焼」は京都の名物らしい。こんな大仕掛の店構えが何軒となく単に牛の肉を

「ふうむ、東京なら松沢行だね。然う/\、京都は岩倉行だった。大阪は天王寺行か。こいつは面白い」

千日前は流石に昔からの遊楽地丈けあって京都の新京極を凌ぐ盛況だったが、案内者が高級だから悉皆素通りをして

「何うです? 此処の学生も京都の連中のように遊びますか?」

「京都の連中見たいにノートを質に入れたりその質札を又抵当に置いたり

「何でも昔京都の四条河原とかで切支丹を刑に処した時のことだと言った

この通り四通八達の市街になっていまして、丁度京都全体ぐらいの大きさです。太い線になっているのが謂わば目貫の往来

「あんな暑い思いをしたことはない。京都のようだと言うから入る気になったが、あの昇降機を見た時

新潟

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で拵えた太縄が蜷局を巻いている。「越後国新潟信徒献納、長サ二十二丈八尺、廻リ一尺一寸、コノ外

「新潟ではこんなに大勢尼さんになったのでしょうかね?」

福岡

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ます。女郎の参拝というのがありまして、これは福岡辺からは素より京阪から見物に参ります」

九州で大きいのは福岡、町の綺麗なのは長崎、繁華なのは博多――と昨夜散歩

「福岡と博多は違うんですか?」

、まあ同じようなものですな。正確にいうと福岡市は福岡及び博多の両区より成り立ちます。この故に博多は福岡市の一部分です。然る

「福岡が元寇で持っているように熊本は清正公と西南の役で持って

広島

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「旦那方は広島でございますか?」

長崎

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九州で大きいのは福岡、町の綺麗なのは長崎、繁華なのは博多――と昨夜散歩をしながら、三輪さんの甥

昨日は一日雨に降られた。唐津からこの長崎までの間車窓の景色さえも碌々楽むことが叶わなかった。物事が

三国一だった。現金なものだ。朝御飯中団さんは長崎日日新聞というのを翻しながら、

と渡辺さんは長崎の消息にはこんな微細な人事にまで通じている。

と間もなく洋館の並んだ海岸を一直線に走って、長崎ホテルのところから又直ぐに引き返した。

長崎も居留地を見なければ貿易港気分は味わえないとあって、先ず大浦へと

「あれが『玉はあれども大砲なし』という長崎七不思議の一つさ」

、此処の名所の歌だよ。斯ういうのさ。『長崎の七不思議、寺もないのに大徳寺、平地なところを丸山と、

「長崎の褌という奴だね。もう一遍言って呉れ給え。途中で迷子に

「七不思議じゃない。七矛盾だ。長崎の七矛盾渡辺の親孝行、安心で毛が白い……」

「この向う岸が稲佐だよ。長崎は船着き場だから宜しくないところが発達しているが、稲佐は殊に宜しくない

「長崎三馬鹿の一つになっています。上海あたりから西洋人が態※

山の上からは長崎中が一目に見える。

て此処の名物の話に花が咲いた。渡辺さんは長崎カステラを葡萄牙の語源まで引用して推奨した。何処へ行っても

もなくお昼御飯になった。豚の角煮という奴から長崎料理を初めとして此処の名物の話に花が咲いた。渡辺さん

「長崎名物だね。もう一遍歌わないか知ら」

「何だ、『長崎の山から出たる月はよか、こんげん月はえっとなかばい』か

、彦山の峰では地方的で世間へ通じが悪いから長崎の山と改めたらしい」

「長崎ばってん江戸べらぼうか。ばってんは英語の but and の詰まったものだ

「江戸長崎の国々といったり江戸の仇を長崎で討つといったりするから、兎に角昔から日本の果だったんだね

「江戸長崎の国々といったり江戸の仇を長崎で討つといったりするから、兎に角

早朝長崎を立って、一昨日は雨で見られなかった沿道の景色を賞しながら

「長崎よりも遠い筈だのに一向そんな心持がしませんよ」

「成功者の町は何となく明るいですな。長崎も明るいですが、あすこは奮闘者の町で何うもこんな風に落ちつきが

「この軽羹というのが此処の名物で、長崎のカステラに匹敵するお国自慢です。しかし惜しいことに長持ちがしません

佐賀

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られる覚悟で大層早目に佐賀に着いてしまった。ところが佐賀は晴天で埃が立つほどだった。何だか狐にでも摘まれ

あって割愛することになり、降り込められる覚悟で大層早目に佐賀に着いてしまった。ところが佐賀は晴天で埃が立つほどだった。

昔話に聞いてどんなものだろうかと思っていたが、佐賀にはその実物がノコ/\歩いている。旅行は確かに見聞を広める

「生粋の佐賀っ子だと言ったが、皆あんな風なら佐賀の女も豪いものさ」

「生粋の佐賀っ子だと言ったが、皆あんな風なら佐賀の女も豪いものさ」

「冗談は措いて、僕達は佐賀のことを調べに態※東京からやって来たんだからね、お

「佐賀弁でね」

「佐賀人ぐらい郷党心の強いものはないね。君は北古賀を知っているだろう

怒らして歩く。鹿児島人が右の肩を聳やかせるに対して佐賀人は左の肩を聳やかせるものだと言っていたぜ。犬の尻尾

「あの男なんか標本的佐賀人だろうね。未だに書生の時の通り左の肩を怒らして歩く。

「いうなかばんた。佐賀の人の通った跡は草も生えんとでしょう?」

「呆気でも佐賀のもん、腐っても鯛の魚でござッす」

「女も佐賀はお芳さんのような別嬪が多いんだろうね」

「佐賀の女はマルボーロのごた味がするばんた」

「佐賀の女はマルボーロのごたッばんた。情が深うして何時まで

「夏凧を揚げるのは佐賀ばかりでござッす」

「佐賀言葉を教えて上げましょうか? にゃごとこくきゃ、こんちくしょう、あらい

。軌道車で一時間です。困難はござッせん。佐賀へお出になって川上を御覧にならなくてはお話になりませ

鹿児島

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未だに書生の時の通り左の肩を怒らして歩く。鹿児島人が右の肩を聳やかせるに対して佐賀人は左の肩を聳やかせるもの

したいという註文だから無理だろう? 随って此処から鹿児島までは全速力で行かなけりゃならない」

鹿児島に着くと、団さんの友人の小林さんの案内で直ぐに明治館へ

とお父さんは急に鹿児島贔負になった。

と団さんは早速鹿児島の年上風を吹かせた。

先ず小林さんの勤め先の県庁のところへ出た。鹿児島は妙に几帳面なところで、学校や官衙が同じ町に悉く軒を並べ

でも誂え向きらしいです。実際あの桜島山を取り除けてしまった鹿児島は一寸想像がつきませんからね」

ている。矢っ張り小林さんの説の通り桜島を除去した鹿児島は此処の人には有り得ない。墓にも像にも桜島山を

て来るという評判が僕の小学校時代にあったが、鹿児島へ来て見ると実際生きている以上の感化だね」

石垣島

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、『さあ、出て行け!』と突き出されても、石垣島の低気圧が俄然方向を変えたんだと言われゝばそれ迄だから

岡山

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日本国中を流浪して歩くから精しいものさ。今は岡山にいるが、彼処は十万と号してその実七八万しかない証拠に上等の

、あれが日本の基督教史に一頁を占めている花岡山だよ」

東京

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ないらしい。お父さんに至っては子供の時の修学旅行以外一切東京を離れたことがないから箱根から彼方には生蕃がいると心得ている

て初めて発見した。今斯うして旅人になって既に東京を離れた心持で見渡すに、僕の生れたところは決して日頃受けている

があるが、それは東京にいる時の話で、当然東京が頭脳の中に入っているから、自分の家で自分の家の人

は省線の電車に度々乗ったことがあるが、それは東京にいる時の話で、当然東京が頭脳の中に入っているから、

は初めて第三者の地位に立って自分の生れ故郷の東京を眺める機会に接した。品川までは省線の電車に度々乗ったことが

「綺麗ですわね、東京も、ナカ/\」

に、子供を抱いた若い奥さんが坐った。こゝまでは東京の場末の延長のようなもので別に目新しいこともなかったが、程

「どうも危くて仕様がない。東京でこんなに速力を出したらすぐに捉りますよ」

は冬暖かく夏涼しい。避寒避暑二つながらの好適地ですから、東京からの客が四時踵を接し、それが悉く諸君のように沼津で

祝したものですが、昨今は兵営も出来て、物価は東京よりも高いという評判です」

言って、僕達は又々自動車に乗った。何だか東京の場末みたいなところを通ると思っていたら、間もなく田圃へ出

と三輪さんがいった。東郷さんの書は東京でも珍重されている。元帥もこういう手合にかゝっては溜らない

からこの辺へかけて薄志弱行の本場です。早い話が東京へ修業に出掛けても物になって帰るのは極く少数です。僕も

「皆東京へ出てしまいまさあ。去年の冬は鰤が三万本捕れました。旦那

「そうでございます。石垣苺と申して皆東京や横浜へ出ます。あんな口も碌に利けない草木を瞞して毎年二千

「俺も東京へ行きましたが、静岡を見ているだあもの、些っとも怯じにゃあで

は一刻を争うと申しますからね。愚図々々していて東京の病院で手後れになる間に此方へ駆けつけることですよ。彼処の敷居を

「汚い家で迚も東京の旦那方のお口には向きませんよ。宿から茶わんと箸と

「丸橋殿が東京で失敗せられたと気がつくとすぐに此処の梅屋町で自殺をせ

。汽車のない時分でしたで、此方が箱根を越えて東京へ着く間に偽物の方はおとましく大きな儲けをしていました

相談を致しました。ところが生馬の目を抜くという東京の野師がこの評判を聞きつけまして、中へ人が入って泣けるような

に土地の人達が一儲けしようという肚でこの石を東京の浅草へ見世物に出す相談を致しました。ところが生馬の目を抜く

というもんさ。しかし交通不便の時代にこんな大きなものを東京まで持っていったんだから、確信は豪いもんだ」

まあ、弥生町? 真正にお近いのね。それでは東京でお目にかゝったことがあるのでございましょうよ。何だかお

ない方が参詣致すと不思議にも覿面に授かりますで、東京や京大阪から遙々とお出になります」

との間に緊密な関係があるから面白いでしょう。空っ風も東京のとは較べものになりません。冬になると橋から馬力が馬ぐるみ

「あんた、大須の観音さんは賑かでなも。東京なら浅草のようだも。活動写真が仰山あって、店の小僧が毎晩

「然う/\、君は二度も東京へ逃げて行ったから標準語を研究して来たろうね」

「これが東京の馬場先御門です。明治四十三年にこの離宮へ移したのです」

「否、確に四十三年です。私が初めて東京へ……」

「此処は東京なら日蔭町か柳原です」

と徳さんが言った。度々逃げて行っただけに東京のことをよく知っている。

。自然物価が廉くならざるを得ないじゃないか? 東京みたいに高い/\と言いながら買っているのとは違うのさ」

随って方々から工場を持ってくる。砲兵工廠の如きは東京からも大阪からも此処へ支庁を置いて現にこの間までは向い合って仕事を

精神に従って遠からん席にも聞えるぐらいの声で、東京市日本橋区の住人という風に屹度名乗りを揚げる。

、この奥ん坊め』と言ったのです。此方は東京も日本橋の出身でしょう? 黙っちゃいませんや。『人を見損うな

「東京も結構でございましょうが、男としては何と申してもやはりこの

/\歩き始めたが、伊賀の上野はそのお手本の東京の上野よりか余程広い。成り上りのひょろ長町ではなくて、人間同様栄養

で、『何うぞお願い致します。私の家は今は東京で商売をやっていますが、先祖は代々近江にいて、清和源氏

「さあ、東京の下宿屋の味噌汁と同じ関係ですかね?」

「私のは東京の影響です。これでも伊勢の人よりは白いのです。私の姉婿

「成程、東京でも結局其処へ帰着しますね。あなたは未だ紳士の資格がありませ

「伊賀の『関取』と来たら何しろ東京の鮨屋がこれでないと夜も明けない日も暮れないと言うのです

「東京で鮨を喰べるときには必ずあなたのことを思い出しますよ。何卒御健在

清瀬さんはお父さんの転任と共に東京から当地の女学校へ転じ、田鶴子さん同様つい先月卒業したのらしい。

「成程、東京からでは浮塵子から説明を要しますね? 浮塵子というのは稲に

に待たせる。何のことはない。三輪さんとお父さんは東京から奈良の高畑くんだりまで空しく医者の玄関に坐りに来ているのだと

「坊ちゃん、こんな断片ばかりですけれど、これでも東京へ持って帰ってその道の人に見せると涎を流しますよ。『

「また会うさ。東京へ診察に来た時には是非寄り給え」

「地方から見物に来る人のことさ。東京なら田舎漢といって馬鹿にするところだけれど、京都の人は打算的だ

「僕は東京で生れて東京で育ったんだから、東京以外の生活は生活の模倣のような気がして些っとも身に沁みない

「僕は東京で生れて東京で育ったんだから、東京以外の生活は生活の模倣のような気

「僕は東京で生れて東京で育ったんだから、東京以外の生活は生活の模倣

「同じことさ――東京以外ならね」

「それ程までに思うなら早く東京へ帰って来ることだね」

「店並は東京と異らないが、住宅が妙だね。入口が馬鹿に小さい。君の

「正にペテンだね。国家的大ペテンだ。僕は東京へ帰って新聞社へ入る。然うしてこのペテンを広く天下に訴える積りだ

「井浚いがイスラエルか? 東京には伊皿子というところがあるぜ。始終説教をやっている丈けあって

「好いところさ。東京市内には迚もこんなところはない。しかし厭に寒いね。京都は底冷え

「東京と同じさ。従業員に碌な俸給を呉れていないからね」

「動物園は何うです? 此処のは東京のよりも設備が好くて獅子が子を産みますよ」

星野君には始終笑われるが、実際模擬生活だよ。東京へ帰ろう/\と思っているもんだから、世帯道具にしても永久

とお父さんが同情した。いくら東京贔負でも京都を植民地と一緒にするのは酷い。

を追求して腕のところへ手を掛けた。これが東京なら本人は素より傍の者が黙っていない。然るに大学生は険悪な

「関西では皆斯うさ。これ丈けは東京でも真似をすると宜いね」

が喧しい警笛を鳴らして頻繁に通る。大阪は郊外生活が東京よりも早く発達したと小川さんが力説したが、成程盛んなもの

「ふうむ、東京なら松沢行だね。然う/\、京都は岩倉行だった。大阪は

からね。往来が雑沓するんで市内電車にしても東京見たいに鈴ぐらいでは人が避けないから、そのポーッポーッと空気ラッパ

「込むとも。東京のよりも込む。東京よりも賑かだと言うと妙だけれど実際此方の方が人口稠密だから

「込むとも。東京のよりも込む。東京よりも賑かだと言うと妙だけれど実際此方の

「へえ、東京の三輪さんだっか?」

「へえ、お変りおまへん。東京の三輪さんだっしゃろ?」

又候田鶴子さんの相役を承って罷り出た。朝特急で東京を立って春の旅行で見知り越しの土地丈けは日のある中に通り

ようだが、僕達は前回の僕達でなくて又東京から出直して来た僕達だ。春の旅行は僕の不覚の為めに

「兎に角東京から来たから敬意を表して貪るんだと思っていると大間違だ

此方では。京阪や中国の人は借銀と言います。東京は絶対的に借金です、借金借銀借銭と中央から遠退くに従って相場が低下

は措いて、僕達は佐賀のことを調べに態※東京からやって来たんだからね、お給仕をしながら一つゆっくりと

「東京の気象台だって中らない方が多いよ。而も的中率は世界の何処のに

も御覧なさい。あの山の上のは海星学校といって東京の暁星と同じような西洋人の学校です。あの辺から海岸までが一帯

「上海まで一昼夜半とは近いもんだね。東京へ行くのと余り変らないじゃないか?」

しまえば後は世話がないから、此方では上海よりも東京の方を外国と思っている。支那朝鮮への出稼人の多いこと、

来るところは一寸奇観だね。爺さんも大勢いる。東京では教会といえば青年の行くところに定っているようだが」

「此処のは東京辺の温室作りの教会員とは違うよ。命がけで信仰を持ち続けた連中

は何ともいえないと此処の人は言っている。東京のはパク/\していて宛然食パンのようだよ」

です。昔から街路樹のある都会は恐らく熊本丈けでしょうな。東京辺でもこの頃頻りに此処の真似をして植えていますね」

た。電車も通っていて、山形屋呉服店のある辺は東京の下町を歩いているようだ。

東京の影響を受けますから、割合に田舎らしくないです。東京へ出て成功している連中の多いことは維新以来芋蔓の関係で此処

「此処は直接東京の影響を受けますから、割合に田舎らしくないです。東京へ出て成功

「真正に浴衣の柄でも着こなしでも東京その儘ですわ」

「夏は東京から大勢帰って来ていますから、その儘でなくて真物です」

とお父さんは東京が郷里だから自分では比較が取れない。

品川

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立って自分の生れ故郷の東京を眺める機会に接した。品川までは省線の電車に度々乗ったことがあるが、それは東京にいる

新橋

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大人連中は最初から話し続けていたが、汽車が新橋で停った時、三輪さんは窓から首を出して見て、

日本橋

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「繁華でがんすとも。銀座でも日本橋でも早あ話が此処の呉服町を広くして家を大くしたよう

従って遠からん席にも聞えるぐらいの声で、東京市日本橋区の住人という風に屹度名乗りを揚げる。

「日本橋は何の辺でございますか?」

奥ん坊め』と言ったのです。此方は東京も日本橋の出身でしょう? 黙っちゃいませんや。『人を見損うな』と

哉! お母さんへも三輪さんの家へも発明序に日本橋の鬼瓦のところへも後便で御機嫌を伺って、後便は最良の方法だ

日本橋通りのような四条へ出て大橋を渡り、祇園へ折れて歌舞練場

「成程、人出は銀座や日本橋以上だ。この筋だね、榊原君の親父さんが若い時夏帽子を

銀座

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「繁華でがんすとも。銀座でも日本橋でも早あ話が此処の呉服町を広くして家を大く

「この辺が名古屋の銀座なんでしょうね? ナカ/\賑かだわ」

「栄町が銀座でございます。この向うが伊藤松坂屋のあるところでございます」

「二三年前の花の日に団君が銀座で何処かの若い令夫人から造花を買ったと思い給え。するとその場

「成程、人出は銀座や日本橋以上だ。この筋だね、榊原君の親父さんが若い時夏

は芝居小屋等があって目貫のところと見えた。田舎銀座の呉服町まで行って、帰途は参考の為めとあって電車に乗ったが

浅草

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の人達が一儲けしようという肚でこの石を東京の浅草へ見世物に出す相談を致しました。ところが生馬の目を抜くという

「あんた、大須の観音さんは賑かでなも。東京なら浅草のようだも。活動写真が仰山あって、店の小僧が毎晩行って

奈良の大仏婿に取る』という歌がありますよ。浅草の観音様同様小さいので評判の地蔵様のあるところです」

上野

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浦は翌日廻しにすると一番手順が宜いよ。伊賀の上野へは未だ日の高い中に着くから町を見物しても友忠でゆっくり

予定の時刻に伊賀の上野に着いたが、迎えに出てくれる筈だった三輪さんのお弟子の

「斯うやって待っていても始まらない。兎に角上野へ行って宿屋へ落ちつくとしようじゃないか?」

「上野へ行くって、此処が上野だろう? 伊賀上野とちゃんと書いてある」

「上野へ行くって、此処が上野だろう? 伊賀上野とちゃんと書いてある」

「上野へ行くって、此処が上野だろう? 伊賀上野とちゃんと書いてある」

「否、真正の上野はもっと先だ。此処で乗り替えるんだよ」

「今の上野は偽物の上野かね?」

「今の上野は偽物の上野かね?」

と三輪さんはまだ上野を気にしていた。

「偽物という次第でもないけれど、上野の町はこの先さ。駅が田圃の中にあって町は一里も

したんだね。駅から大分遠いところを見ると、上野もこの頃になって後悔している組だぜ」

歩き始めたが、伊賀の上野はそのお手本の東京の上野よりか余程広い。成り上りのひょろ長町ではなくて、人間同様栄養の好い

と高を括ってブラ/\歩き始めたが、伊賀の上野はそのお手本の東京の上野よりか余程広い。成り上りのひょろ長町では

これは草臥れた時に至って便利だ。「今日伊賀の上野見物、余は後便にて」で充分用が足りる。殊に絵ハガキを使うと余白

「寒いの何のと申して、『伊賀の上野は高丘で寒い』と昔から歌にもなっているくらいで、随分底冷え

ですが、この土地は有名な妾宅地です。伊賀では上野に妾宅を構えていないものは紳士といえないことになっています

「その美人系もこの上野が中心です。妙なお話ばかりするようですが、この土地は有名な

「彼処は上野一番の名所です。白鳳城を知らなくても鍵屋の辻を知らない

と言った。この筆法に従うと伊賀の上野もそれより大きな町を悉皆除ければ間違いなく日本一の都会になる。物産論

「何うも種々有難うございました。お蔭で上野は頗る材料豊富になりました」

お茶の間へ案内してくれた。距離から言うと伊賀の上野の茶粥以来大和の奈良まで一口も喰べないのだから実際空腹だったが

住吉

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の一縮図だ。彼等は皆金さえあれば何処も住吉とばかりに巣を郊外に食っていて、夜の明けるのを合図に

?』と僕が咎める。『下りるところを忘れてしまって住吉まで行ったんだよ。それから一停留場毎に下りて探して来た

神田

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家も生薬屋ですけれど、向う三軒両隣り皆生薬屋よ。神田の古本屋よりも激しいわ。全く軒並みよ。道修町って妙なところでしょう?」

稲荷町

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矢っ張り女郎の参拝です。生き残った平家の女子達が今の稲荷町の基を開いたというので昔からの為来りです」

隅田川

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「けれども隅田川のようなことはないわ」