若き日の摂津守 / 山本周五郎

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地名一覧

伊部村

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に告白した。おたきは吉田屋の娘ではない、伊部村の貧しい百姓の家に生れ、十二のときから吉田屋に奉公していた。

「川辺が鴨猟のお止め場になって、この伊部村へ追われてから気が狂ったんです」と老婆は云った、「自分

は他へ移住したが、残りの四十余戸はこの伊部村へ仮小屋を建て、その日ぐらしの生活を始めた。そこは瑠璃光寺の

始めようとしたとき、光辰は無意識に鼻唄をうたった。伊部村のあの狂老人のうたった唄である。おたきは自分の褥の中で

いや、今日聞いたのだ」と光辰は云った、「伊部村というところで、気の狂った老人がうたっているのを聞いて、節

私はすぐにそれと気づき、他の者たちと別れるなり伊部村へまいりました、殿が伊部村の小屋へおたちよりになったことを、

の者たちと別れるなり伊部村へまいりました、殿が伊部村の小屋へおたちよりになったことを、私は存じております」

し始めた。そして初入部をし、鴨猟のことや、伊部村の老婆の話などで、「自分のしなければならないこと」の方向が

江戸

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ない。――このことは職制にもあらわれていた。江戸、国許ともに、重職は世襲の交代制で、四十年ちかいあいだ、左に掲げる

子供だ」と重太夫は望月吉太夫に囁いた、「江戸で大城へあがっても、片刻として眼を放せません、まことにしんの

、槍の稽古では指南役が手をやいていた。江戸で槍を教えたのは介原小藤次という者であるが、国許へ

」と光辰は云った、「これと殆んど同じ訴状を、江戸でもひそかに受取ったことがあるし、その中の幾つかは、おれに

江戸で密訴の書状を受取ってから、光辰はそれとなく藩内の事情に注意し

ない、それでおまえの思案を訊いたのだ、――江戸で受取った訴状は、読んだことを悟られないように、元あった場所

力なくかぶりを振った、「わたくしにもわかりませんけれど、江戸でなすったようになさるほうが無事ではございませんでしょうか」

ては大きいほうだし、塩焼も鱠も極めてうまかった。江戸とは違って捕ったばかりだから、肉も緊っているし、骨は軟らかく

罪は死に当ると思うが、一命は助けてやる、江戸へ帰ったら父上にも申上げ、改めてその罪の詮議をしよう、――医者

松山

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その教育に当ったのは松山という老女であるが、幼い光辰に向って、「そうすることがあなた

は十歳で世子に直されたが、そのとき初めて、松山の教えたことの意味がわかったし、積極的におろか者になろうと努め

と習字の稽古を続けた。これは内密である、と松山は繰り返しさとした。決して人に云ってはならないし、気づかれても

深夜の勉強もそのときからの習慣であった。これも松山の指導で、初めは一日おきに半刻ずつ、夜半に起こして素読を

だ」と光辰は囁き声で続けた、「その臨終に、松山はおれにこういうことを云った、――あなたにもやがて、自分が

「松山はおととし死んだ」と光辰は囁き声で続けた、「その臨終に、松山

「松山の遺言のとおり、おれは決していそがないつもりだ」と光辰は云った、

「おろかに育ったことが力になるだろう、と松山は云った、そのとおりだ、おれがなにか始めるとしたら、このおろかし