ガラマサどん / 佐々木邦
地名一覧
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「お宅は青山でしたね。会社まで何分かゝりますか?」
手落ちはない。しかし下町はもう何処も危いってので、青山まで逃げたよ。大将は途中で目が覚めたのだろうが、改めて気を
失ったと見える。何しろあの大騒ぎの最中だったからね。青山の病院に着いた頃は性がなかった」
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「熊野もこの頃少し増長している」
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「社長さんの熊谷は天下一品でございます」
私共が致しますと、幾ら大声を張り揚げても、熊谷になれません。下司は情けないものでございますよ」
「私共は熊谷ほど悟り切れませんから、彼処が迚もあゝ参りません。何うしても苦情
「その時の熊谷の心持になれば悟れるんだ」
「しかし実をいうと、我輩も熊谷じゃ少し食い足りない」
「兎に角、その人になり切ります。熊谷なら熊谷」
「兎に角、その人になり切ります。熊谷なら熊谷」
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見ると無理もない。当時世話になっていた弁護士が大阪へ移ってしまって、我輩は木賃宿を泊り歩いた果、その三四日全く路頭に
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「淀橋の方へ伺うのかね?」
なる。私は家へ帰って、夕食を認めてから、淀橋の新邸へ出頭する。そこでは滅多に邪魔が入らない代りに、社長は
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「東福寺の大道禅師についていたが、絵を描いてばかりいてお勤めを
「後に東福寺の殿司になって、兆殿司と号した。種々と逸話のある人
「その石の粉で描いた涅槃像が現に東福寺の宝物になっている」
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「学生時代の試験勉強にゼノア生れのコロンバスが伊予の国を発見したと覚えていました。電話番号式に申しますと一四九二
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「熊本の方言だそうです。大将は熊本の産です」
「熊本の方言だそうです。大将は熊本の産です」
「我輩が熊本をおっ走って東京へ出て来たのは明治十七年、二十一の時
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「我輩が熊本をおっ走って東京へ出て来たのは明治十七年、二十一の時だった。これは
「ところが我輩は田舎漢だったから、東京の紳士は実に豪いものを飲んでいると思って、悉皆敬服して
年の地震の時、二階から飛び下りたが、我輩は東京の真中にいながら、大正十二年の震災を些っとも知らなかったじゃないか
「ところで大将は東京の真中にいながら震災を知らなかったと言ったが、あれは本当か
の時、家財を悉皆売払って、お母さんを親類へ預けて東京へ出て来たと言うんだから、そんな銘刀を持っている筈が
据っていた。人間が図々しく出来ているんだね。東京の真中にいて震災を知らなかったんだから」
ものは英雄を崇拝する。我輩も明治十七年に二十一で東京へ出て来た頃、正に然うだった」
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「間もなく暇を取って、銀座の勧工場の唐物屋へ嫁に行ったよ」
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「浅草です」
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「あなたは昨日の夕方、社長とお二人で京橋のところで自動車からお下りになったでしょう?」
の大転機』はと考えて見るに、二十三の夏、京橋の共同便所で小用を足したのが正にそれだと思われる」
だよ。我輩の今日をそれからそれと手繰り戻ると、京橋際のあの共同便所に辿りつく」
『京橋はよして下さい』と我輩は頼んだ。如何にも京橋から拾われて来たようで具合が悪い。老人は全くの無筆だった
をつれて行く』と言って、いつもお供を仰せつける。『京橋はよして下さい』と我輩は頼んだ。如何にも京橋から拾われて来
手代が二人いたが、我輩が一番のお気に入りさ。『京橋のをつれて行く』と言って、いつもお供を仰せつける。『京橋はよし
「要するに、京橋際の便所から拾い上げられて請負人の手代におなりになったのが社長