陰獣 / 江戸川乱歩
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約四年以前、社用を帯びて欧洲に旅行をし、ロンドンを主として、其他二三の都市に二年間滞在していたの
でありましょう。(私は碌々商会の社員から、彼のロンドンでの情事の噂を洩れ聞いて居ります)そして、一昨年九月、帰朝と
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と、段々品の悪い所へ移って行って、最後の須崎町などはバラック同然の、工場と工場にはさまれた汚らしい一軒建ちの借家で
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も大抵は長屋だったが)転々として移り歩いた。牛込の喜久井町、根岸、谷中初音町、日暮里金杉等々、本田はそうして春泥の
、幼稚なものだけれど。ところが、僕はいつか、牛込の江戸川橋ね。あの橋を護国寺の方へ渡った角の所の空地で
これは春泥の大変な失策だったのですよ。池袋と牛込が離れているのは、春泥の文名が上って、訪問記者などがおしかけ始め
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分った所によると、春泥は桜木町を引払ってから、本所区柳島町、向島須崎町と、段々品の悪い所へ移って行って、最後の
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若いお神さんが、千住へ用達しに行く為に、吾妻橋の汽船発着所へ来て、船を待合せる間に、今の便所へ入った
何故にあの奇妙な鬘を冠り、真裸体になって、吾妻橋下に漂っていたのであるか。彼の背中の突傷は何者の仕業
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たが)転々として移り歩いた。牛込の喜久井町、根岸、谷中初音町、日暮里金杉等々、本田はそうして春泥の約二年間に転居
二年間に転居した場所を七つ程列挙した。根岸へ移り住んだ頃から、春泥は漸くはやりっ子となり、雑誌記者などが随分おしかけた
て覚えているが、それは、池袋、牛込喜久井町、根岸、谷中初音町、日暮里金杉、神田末広町、上野桜木町、本所柳島町、向島須崎町と、
ことを思いついたのです。あなたは平田一郎の名前で、根岸に家を借りた。その前の池袋と牛込とはただ手紙の受取場所を
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フーワリと腰をおろしていたが、洋風の調度と、江戸好みな彼女の姿とが、ましてその場所が薄暗い土蔵の二階なので
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、彼女の身の上をごく簡単に記すと、彼女の郷里は静岡であったが、そこで彼女は女学校を卒業するという間際まで、至極
私は又、人を頼んで、平田一郎の故郷である静岡の町を検べて貰ったけれど、彼が全く架空の人物であってくれれ
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雇人小林茂三(二三)ノ家出保護願ノ郵書ヲ受理シタル大津警察署ニ於テハ、偶々其人相着衣ト本件被害者ノ夫ト符合スル点アルヲ
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ことであった。私は古い仏像が見たくなって、上野の帝室博物館の、薄暗くガランとした部屋部屋を、足音を忍ばせて歩き
なって、それから博物館を一巡して、そこを出て上野の山内を山下へ通り抜けるまでの長い間、道づれとなってポッツリポッツリと、
、少しも態とらしくなく、それを隠していたけれど、上野の山内を歩いている間に、私はチラと見てしまった。彼女
荷物を運搬した運送店を発見して(それは同じ上野でもずっと隔った黒門町辺の小さな運送店であったが)それからそれ
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。小山田氏は母親と共に、花嫁の静子を伴って東京の邸に帰った。それから七年の歳月が流れた。彼等が
なかった筈はない。とすると、彼は今も尚東京のどこかに潜伏していて、じっと静子殺害の機会を窺っている
の七ヶ所は、こうして地図の上で見ると、東京の東北の隅の狭い地域に集っている。これは春泥の大変な失策
地図がある」私はポケットから用意して来た簡単な東京地図を取出して、指で指し示しながら「僕は大江春泥の転々として
で、一つは時間的な一致なんだけれど、ここに東京の地図がある」私はポケットから用意して来た簡単な東京地図を
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、彼はよく小説の中で云っていた様に、浅草あたりのゴミゴミした裏町に巣を喰って、彼の妄想を実行し始め
人嫌いで、しょっちゅう寝ている男が、時々変装なんかして浅草辺をぶらつくっていう噂ですからね。しかもそれが極って夜中なんです
「浅草公園ですよ。僕その時実は朝帰りの途中で、酔がさめ切ってい
な、不愉快な気持になって来た。そして、彼が浅草公園で、とんがり帽と道化服をつけて立っていたと聞いた時
関係があるのか私には分らなかったが(本田が浅草で春泥に会ったのは、丁度第一回の脅迫状が来た時分らしかった
というのではないが、私は直様承諾して、浅草山の宿にある彼女の家を訪ねた。小山田家は商家と商家の
三月二十日の朝八時頃、浅草仲店の商家の若いお神さんが、千住へ用達しに行く為に、
ものに相違ない。時間の点から云っても、春泥が浅草辺にうろうろしていたという本田の言葉から推しても、いや現に
ことには、それらの広告屋では忙しい時には、浅草公園あたりの浮浪人を、臨時に傭って、衣裳を着せて一日丈け使う
先ず、嘗つて春泥が広告ビラを配っていたことから、浅草附近の広告屋を、二三軒歩き廻って、春泥らしい男を傭った店はない
男だものだから、非常に乗気になってしまって、浅草公園で一度春泥に合ったのを元にして、原稿取りの仕事
そこで、本田は今度は、深夜の浅草公園をさまよって、暗い木蔭のベンチなどを一つ一つ覗き廻って見
、例の鬘に着眼して、その出所がどうやら、浅草附近らしく思われたので、その辺の鬘師を探し廻った結果、千束町
公園の浮浪人だったとしか考えられないんだ。春泥が浅草公園の浮浪人の中に混っていたなんて、まるでスチブンソンの『ジーキル博士と
、春泥がとんがり帽に道化服という変な姿で、浅草公園にうろついていたというんだ。しかも、それが広告屋で聞いて
行ってしまうのだ。ある作家は、夜女装をし、浅草をぶらついた。そして、男と恋の真似事さえやった」
どこだ。この地図を見て下さい。あなたの家だ。浅草山の宿だ。皆あなたの家から自動車で十分以内のところばかりだ。
には、まるで架空の人物ではごまかせないものだから、浅草公園の浮浪人を傭って、座敷に寝かして置いたんだ。春泥が道化
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して移り歩いた。牛込の喜久井町、根岸、谷中初音町、日暮里金杉等々、本田はそうして春泥の約二年間に転居した場所を
、それは、池袋、牛込喜久井町、根岸、谷中初音町、日暮里金杉、神田末広町、上野桜木町、本所柳島町、向島須崎町と、大体こんな風だっ
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によると、春泥は小説を書き始めた頃は郊外の池袋の小さな借家に住んでいたが、それから文名が上り、収入が増す
いる。これは春泥の大変な失策だったのですよ。池袋と牛込が離れているのは、春泥の文名が上って、訪問記者など
本所柳島町、向島須崎町と、大体こんな風だった。この内池袋と、牛込喜久井町丈けは大変離れているけれど、あとの七ヶ所は、
象潟署の署長から聞いて覚えているが、それは、池袋、牛込喜久井町、根岸、谷中初音町、日暮里金杉、神田末広町、上野桜木町、
一郎の名前で、根岸に家を借りた。その前の池袋と牛込とはただ手紙の受取場所を造って置いた丈けでしょう。そして、
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はいつもの様に、散歩旁々、吾妻橋を迂回して、向島の土手を歩いて行った。そして、小梅の友人の家に十二時頃
よると、春泥は桜木町を引払ってから、本所区柳島町、向島須崎町と、段々品の悪い所へ移って行って、最後の須崎町などは
して、訪問者を避けようとしたか、おしまいには、向島須崎町の家を、無駄な費用をかけて、なぜ借りっぱなしにして置い
谷中初音町、日暮里金杉、神田末広町、上野桜木町、本所柳島町、向島須崎町と、大体こんな風だった。この内池袋と、牛込喜久井町丈けは
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、少し北へ行って、土手をおりた所に、吾妻橋千住大橋間を往復している、乗合汽船の発着所がある。一銭蒸汽
八時頃、浅草仲店の商家の若いお神さんが、千住へ用達しに行く為に、吾妻橋の汽船発着所へ来て、船を
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、僕はいつか、牛込の江戸川橋ね。あの橋を護国寺の方へ渡った角の所の空地で、その首なしの見世物を見
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なものだけれど。ところが、僕はいつか、牛込の江戸川橋ね。あの橋を護国寺の方へ渡った角の所の空地で、その
「そこで、僕は早速江戸川橋の所へ行って見たんですが、仕合せとその見世物はまだありまし
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はその手袋を持って行って、市内でも一流の銀座の泉屋洋物店で鑑定して貰った結果、それは内地では余り見かけ
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池袋、牛込喜久井町、根岸、谷中初音町、日暮里金杉、神田末広町、上野桜木町、本所柳島町、向島須崎町と、大体こんな風だった。この内
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、池袋、牛込喜久井町、根岸、谷中初音町、日暮里金杉、神田末広町、上野桜木町、本所柳島町、向島須崎町と、大体こんな風だった。この
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古めかしい味がたまらなく好もしいからだ。その汽船発着所は、隅田川の水の上に浮んでいる、四角な船の様なもので、待合
の発着所がある。一銭蒸汽と云った時代からの隅田川の名物で、私はよく、用もないのに、あの発動機船に乗っ
だ。四十前後の立派な人品だし、まさかこの陽気に隅田川で泳いでいたとも受取れぬので、変だと思って尚よく
というのは、隅田川に沿った細長い町で、そこの隅田川寄りにある小山田家は、当然大川の流れに接していなければならない
を思いついた。それは、山の宿というのは、隅田川に沿った細長い町で、そこの隅田川寄りにある小山田家は、当然大川
から、くだくだしい描写は省くことに致しますが、その窓は隅田川に面していて、外は殆ど軒下程の空地もなく、すぐ例の
ていました。そして、小山田家の洋館の外はすぐ隅田川であり、そこは吾妻橋よりも上流に当ることをも知っていました
私は最初、隅田川の流れというものに思い当った時から、死体が投込まれた現場に止っ
でいなかったのですし、それに夜中の一時頃、隅田川を汽船が通ることは滅多にないのですから。
に遠いこと、又仮令水音が聞えたとしても、隅田川は時々徹夜の泥舟などが通るので、その水棹の音と混同され
足を踏みはずし、塀にぶっつかって、致命傷を受け、その上隅田川に墜落し、流れと共に吾妻橋汽船発着所の便所の下へ漂いつき
の水死をとげたのである。運命の恐ろしさは、隅田川の流れ方が一定している為に起ったことではあろうけれど、彼女
恐らくは、あの洋館の二階から、小山田六郎氏と同じ隅田川に身を投じて、覚悟の水死をとげたのである。運命の恐ろし