新帰朝者日記 / 永井荷風
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わが身は昔の人の云囃せし日本の三景、松島、嚴島、天の橋立を見ずとも、左程殘念に存ぜず候へども、人
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父はもう悉皆健康になつた。相模灣の暖い日和に葉山の別莊から長者岬近くまで散歩した位だと手紙にも書いてある
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ても起らない。起らないばかりか此れから今日の一夜を箱根なぞで費すのが餘りに馬鹿々々しく思はれる。日本人の亂雜無禮な
見事なものだ。さう云ふ風習を有する國民が羨ましい。あの箱根が瑞西の山間か湖の畔であつたなら、どんなに自分の心は
中だけは全く忘れて居たが、彈き終ると又直ぐ箱根の事が思返されて來る。何ぼ厭でも此儘無斷で行かない
すると思ふともなく比較するのは、今日の午後、箱根から歸り道に見た相模灘、酒匂川、馬入川、箱根の連山、其の上に
底に蟠つてゐるやうで、大方昨夜眠られなかつた箱根のつかれでもあらう。何を彈いて見たいのやら、彈くべき曲が指先
去年箱根で胸中を談じた宇田流水が長い手紙を寄越した。恭賀新年の語を聞く毎
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日本も最う直き西洋の通になつてしまひます。丸の内に國立劇場が出來るぢやありませんか。」と云つた。
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し上は、いかにもして一度は折を得て、アルプスの山と地中海の水の色とを見たく存じ候。それ等のお話うけたまはる
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國の首府らしい美麗と威嚴を保つて居るところは、宮城を初めとして皆江戸の人の建設したものばかりだ。僕は時々
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嚴を保つて居るところは、宮城を初めとして皆江戸の人の建設したものばかりだ。僕は時々、眞正の野蠻と云ふ事
。一時歐化主義の盛な時代に花柳界がなかつたなら、江戸の音樂演劇は全く絶滅してしまつたであらう。此の點に於て
の音樂、さういふものは皆醜業婦を中心とした江戸の下層社會から生れたものだ。そもそもの根本がさう云ふ次第なんだ
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下車したものも多かつた。自分も大船で乘換へて鎌倉の別莊に兩親を訪ねやうかとも思つたが、たつた一晩外泊
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比較すれば甚だ卑俗に、甚だ女々しく、要するに甚だ人間らしきワシントンやユウゴウの傳記に打れたる結果に御座候。
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默つてゐた。日本人に生れたからには最一度あの富士山を子供の時のやうな心持で神々しく打仰いで見たいと思ひながらそれが
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こんな午後に折よくも、巴里で懇意になつた高佐文學士が來訪された。自分よりは一箇月
な公園の橡の葉が眞白な石像の肩に散りかゝる巴里の十一月、咽び泣く噴水のほとりの冷い腰掛けに、悲しい顏した詩人が
交つてゐる。其れ等の人達が自分を相手に巴里の料理屋では贋金を掴ませられたとか、獨逸では汽車を乘り
して、しみ/″\自分の過去を思返した。巴里の大學では往々にして學生と教師との間に學理の爭論
泰西の偉人物の上に注がれるのである。自分は巴里の 〔Panthe'on〕 を見物に行つた時、一人の老人が
傳説から神聖視して居た富士の靈山は、丁度巴里の大道から其の端れに望むマドレーンの寺院の三角形をなす屋根位にしか高く
云ふ處は非常に昔臭い國だ。歴史臭い國だ。巴里は新しく地下鐵道や空中飛行船を作つたばかりでない。〔Sacre' Coe
して居る問題で、今に始つた事ではない。巴里に居た時留學して居る畫家某氏の云つた議論が今だに思出さ
大きく出て居る。「市街美論」としてある。巴里にゐた頃高佐君は自分に向つて、日本人の歐米旅行記、觀察
味はつたり解剖したりして行く人であつた。巴里の七月塔の下では革命と云ふ語は其の發音が音樂的
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上に聳えた富士の山の景色であつた。自分は神戸に上陸して其の夜の汽車で東京に歸つて來たなり、今日まで
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田を作らうと企てたものは一人もない。自分は日比谷に立つて居る帝國議會を目に見ても、日本の社會が過去
して中には心地よく居眠つてゐるものさへあつた。日比谷の乘換場で車掌が田舍ものゝ老婆を捕へて、切符に指定
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しやうと云出して、その第一囘をこの夏の初め向島の料理屋で催した處が非常の好結果を得た。そこで第二
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快感に人を陷入れる。香風會の箱根行は三時半新橋停車場に會合の筈である。自分は已に洋服の仕度まですましながら唯
やうな事があつては其れこそ申譯がない。とにかく新橋の停車場まで行つて見るつもりで、自分は命じた車に乘つて急い
此儘無斷で行かないのは好くない。友達はさぞ新橋で今頃は自分を待つてゐる事であらう………あゝ到底もう
ひ入口の階段にも待合室にも、嘗て自分の歸朝を新橋に迎へて呉れた見覺えのある友人の顏は一ツも見えなか
苦しめられた昨夜の旅よりも更にもどかしく思つた。で、新橋へ下りると、前夜を語り明した宇田流水が何處かで晩餐を共に
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ばよかつたと後悔した。丁度夕日の悲しく照す品川の入海と水田の間々に冬枯れした雜木の林をば、自分は遣瀬の
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惡を極めたものになつたのだ。一番近い例は東京の電車であらう。電車は電氣の學問を學んだ日本人が立派にあの
の汽車で東京に歸つて來たなり、今日まで一度も東京を離れた事がなかつたので、冬の日光に見た道中の景色
あつた。自分は神戸に上陸して其の夜の汽車で東京に歸つて來たなり、今日まで一度も東京を離れた事がなかつた
「お花、お前、家は東京かね。」
ない。一時病氣危篤であつた自分の父は今もつて東京の本邸に居ない事を、世間の人も既に知つて居ると見え
の美を保つて居る。堀割ばかりではない。要するに東京の市街が今日一國の首府らしい美麗と威嚴を保つて居るところは
「僕は堀割の景色が大好だ、東京も此れあるが爲めにやつと市街の美を保つて居る。堀割ばかりで
「………雜然たる東京の市街の外觀は云ふ迄もなく國民一般の思想の混惑を示す
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書物を註文しに、丸善書店に出掛けた。その歸り道日本橋通りは電柱の行列と道普請と兩側の粗惡な建築物とで豫想
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だ。」と一笑せしめた。此の興味に引かれて銀座通を新橋邊までも歩いて行かうと思つたが、京橋の河岸通
とう/\尾張町まで歩いて、銀座通を左右に流水と別れ、自分は電車の來るのを待つた。電車
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の第一頁に筆を下して見た。其れは「隅田川」と題して梅若丸の事蹟を仕組まうとするので、水の流れ、
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通を新橋邊までも歩いて行かうと思つたが、京橋の河岸通から吹いて來る折からの風と共に目も開けない砂煙を
置いてある停車場の裏手のやうに見えた。然し流水は京橋を渡りかけた時、荷船の灯が見える靜な堀割の水を眺めて