猟奇の果 / 江戸川乱歩
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そこでは、考え得るあらゆる奇怪なる遊戯が行われた。パリのグランギニョルにならった、血みどろで淫猥な小劇、各種の試胆会風な
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一寸余談に亙るが、彼はこの九段坂というものに、変な興味を抱いていた。と云うのは、
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ナニ、東京は東京だがね。少し場末なんだ。本所の宝来館という活動小屋なんだ」益々意外な返事である。
そこで二人は、品川の呼んだタクシーに乗って、本所の宝来館に向ったのだが、車中で左の様な会話が取交さ
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併しやっぱり大滝の様に水の落ちている箇所がある。武蔵野の西から流れて来た小川が、そこで滝になって、昔は桜
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秋、招魂祭で九段の靖国神社が、テント張りの見世物で充満している、ある昼過ぎのことであった。
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牛込の江戸川公園の西のはずれに、俗称大滝という、現在では殺風景のコンクリート
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物思いに耽りながら(というのは許嫁の俊一氏が当時関西の方へ旅行をしていたからで)うっとり窓の外を眺めている
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の、まだ何となく疑念が残っていたので、名古屋へ帰る前に、一度品川を訪ねて見た。
なかった。うやむやの内にいとまを告げて、間もなく名古屋へ帰った。
経験してから約一ヶ月の後、(その間に一度名古屋へ帰っている)彼がフラフラと品川四郎を訪ねた所から、お話が
で、三月のある日、それは青木愛之助の住む名古屋での出来事だが、すっかり忘れていた怪人物が、又々彼の前に
。大丈夫ですよ。決して感づきゃしませんよ。先生僕が名古屋へ来ているなんて、まるで知らないのですからね。それに今夜は帰りが
が起った。というのは、ある晩青木愛之助が、名古屋の鶴舞公園で、そのもう一人の品川が、どこかの奥さんとひそひそ話を
冗談を云い合う程の間柄になっている。品川の方で名古屋の彼の住居を訪ねたことも二三度はある。だから、もう一人の
。月の内十日程も東京へ行っていたり、名古屋にいる時でも、多くは外で夜更かしをして、細君とむつみ語る機会
差出人の所も名も書いてないけれど、消印が確かに名古屋だ。……オヤ、君どうかしたのかい」
た。青木という男はひどく気まぐれで、それに本宅は名古屋だものですから、黙って帰ってしまったのかも知れない位に考えて
ところが昨日、問合わせてあった名古屋の実家から、まだ帰らぬという返事を受けとる、その今朝、例の新聞記事
僕が奥さんをどうかしていたということだろう。名古屋の鶴舞公園の闇の中の囁き、それから君の奥さんが僕宛てに送っ
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「もう三年にもなるかな、大阪の道頓堀でね、人にもまれて歩いていると、うしろから肩を叩く
は日本人にも有名な独逸の科学者、旅行の途中上海から大阪を経て今朝東京へ着いたのだ。今晩講演会があると書いてある。
其翌日、美禰子さんの許婚の俊一氏が大阪のホテルで奇怪な死をとげた。無論これも白蝙蝠団の魔手が伸び
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この物語の主人公は、名古屋市のある資産家の次男で、名を青木愛之助と云う、当時三十歳になるや
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「もう三年にもなるかな、大阪の道頓堀でね、人にもまれて歩いていると、うしろから肩を叩く奴が
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御尋ねの場面は、京都四条通りです。撮影日附は八月二十三日です。これは撮影日記によって
『怪紳士』のある場面が、八月二十三日に、京都四条通りで撮影されたことが、確実になった訳だ」
だ。アア、それから念の為に云って置くが、京都東京間を一番早く走る汽車は特急だね、それが十時間以上かかると
もしなかった。筋を見ないで画面を見た。京都四条通りの風景が現われるのを、今か今かとかたずを呑んだ。
ルパン追撃の場面である。二台の自動車が京都の町を疾駆した。ルパンが自動車を飛降りて刑事をまこうとした
が両都の間には特急十時間の距離がある。京都市街の撮影を見物して、同じ日の昼飯を東京で食うなんて、全然
とも間違いはない。すると品川四郎は、同日に東京と京都と両方にいたことになる。だが両都の間には特急十
その場面は八月二十三日京都四条通で撮影されたことが分っている。と同時に、その同じ
京都四条までの道のりを考えると、とても同じ日中同一人物が京都に現われる可能性はない。まして、愛之助と品川とがホテルで会食したの
したとしても、帝国ホテルから立川まで、大阪築港から京都四条までの道のりを考えると、とても同じ日中同一人物が京都に現われる可能性は
では帝国ホテルで食事しながら、その同じ日、同じ男が京都の四条通を歩くなんて神変不思議の芸当が人間に出来るものでない。飛行機
に頼んで、ああいう手紙を書かせたのさ。態々京都へ行って群集に混って映画に入ったのは別の日なんだ
ホテルで君と昼飯を食っていた僕が、同じ日京都で活動写真に撮られていたというのも嘘だよ。あれは
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ませんが、閣下は多分寛政以前に飛行機を製作した岡山の表具師幸吉のことを御聞及びでございましょう。彼は鳥の真似をし
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青木愛之助は東京に別宅を持っていて、月に一度位ずつ、交友や芝居や
先ず最初は東京での出来事である。
、何の気か、ほこりを吸って、上気して、東京中の人間が、ウロウロ蠢いているのである。
「ナニ、東京は東京だがね。少し場末なんだ。本所の宝来館という活動小屋な
「ナニ、東京は東京だがね。少し場末なんだ。本所の宝来館という活動
度いのだが、今年の八月二十三日に君は東京にいた筈だね」品川は次々と奇妙なことを云い出すので
確か十日ばかりいた筈だから、二十三日は、無論東京にいた訳だよ」
は二十日まで弁天島にいた。弁天島を引上げると同時に東京へ来た。そして確か十日ばかりいた筈だから、二十三日は、
。アア、それから念の為に云って置くが、京都東京間を一番早く走る汽車は特急だね、それが十時間以上かかるという
。京都市街の撮影を見物して、同じ日の昼飯を東京で食うなんて、全然不可能な事だ。
。両方とも間違いはない。すると品川四郎は、同日に東京と京都と両方にいたことになる。だが両都の間には
と同時に、その同じ日に、品川と愛之助とは、東京の帝国ホテルで一緒に昼飯を食った。両方とも間違いはない。すると品川
踏んだけれど、虫が知らすというのか、何となく東京の空が恋しくて、つい上京してしまった。その滞京中の出来事で
どこで寝たって、どこで寝る筈がないじゃないか、東京にいれば家で寝るに極っている」
青木愛之助はそれから一週間ばかり東京にいたが、もう一人の品川四郎の正体については、あやふやの
「では暫くお別れです。今夜東京へ帰れば当分来られませんから」
だろう。どう考えても有夫姦だ。それに、男は東京から態々逢いに来ている。
ハッキリ分った。それが、何という意外なことだ。東京にいるとばかり思っていた、かの品川四郎の顔ではないか。
だ。時計を出して見ると、彼の乗るに相違ない東京行急行の発車までには、やっと駈けつける時間を余すばかりだ。迚も一度帰宅
極まっている。流石の猟奇者も、このままの姿で東京まで尾行する勇気はなかった。それに懐中も乏しいのだ。時計を出し
だが、考えて見るとこの男は東京へ帰るのだ。停車場へ行くに極まっている。流石の猟奇者も、
彼は月々の東京行きに、三度に一度位の割合で細君を同伴しているの
無視して暮して来た。月の内十日程も東京へ行っていたり、名古屋にいる時でも、多くは外で夜更かしを
「品川四郎さん? 東京の?」
天気のよい日であったが、愛之助は芳江と同行で東京行きの特急に乗った。午後の汽車は、ほこりっぽく、むしむしと暑くて
な独逸の科学者、旅行の途中上海から大阪を経て今朝東京へ着いたのだ。今晩講演会があると書いてある。愛之助は白髪の
沼津で東京の夕刊を買った。二面の大きな写真版。東京駅に着いたS博士
東京に着くと、愛之助は駅からS博士講演会場へ電話をかけ、品川に
「そうだ。今度に限ってあいつが東京へ一緒に行くと云い出した訳が分った。あいつはこちらで、君
誰さんのピアノが一番聴きものだとか、女の癖に東京風の牛鍋が早くたべたいとか、とか、とか、とか、
の様な盛り場には、時々こんな不思議がある。浅草は東京という都会の皮膚に開いた毒々しい腫物の花だからだ。そこには
彼は、次々と行先を変えて、二時間ばかり、殆ど東京中を乗り廻した。しまいには運転手の方がへこたれて、「もう勘弁し
です。ネ、お分りでしょう。この間云った奇蹟。この東京のどっかでね。罪人を無罪にしたり、死人を生き返らせたり、
一猟奇者の身の上話という丈けではなく、一時は東京中を、いや日本中をさえ湧き立たせた所の、非常に大きな犯罪事件
そこで芳江は、東京では夫君の最も親しくしている品川四郎を訪ねて相談して見ようと
見出しをつけた。つまり片腕を切落された美婦人が、東京のどこかに、まだ生きているという、誠に奇怪な空想をほのめかし
屋敷町を歩いていた。A新聞では当時「大東京の深夜」という興味記事を連載していて、この二人の記者は
攻撃の的は警察だ。中にも、白蝙蝠の本拠東京の警視庁だ。
東京のホテルで君と昼飯を食っていた僕が、同じ日京都で活動
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写真が映り始めた。浅草の本場へは、二週間も前に出た、時期おくれの写真である
友達を訪ねた上、倶楽部へ行って球を撞いたり、浅草公園の群集に混って、活動街を行ったり来たりして見たり、
その時愛之助は、歩き疲れて、浅草公園の池に面した藤棚の下の柱に凭れて、ボンヤリ池に映る
注意を惹いた。そう云えば、愛之助にしたって、ちっとも浅草人種ではなかった。ましてそんな藤棚の下などに、ぼんやり佇んでいるの
とは際立って立派な風采の青年が混っていた。浅草青年というよりは寧ろ銀座青年という風采が、愛之助の注意を惹いた
やっと二月に一度位の程度で、彼の足を浅草へ向けさせた。
浮浪者群と、そしてこのストリート・ボーイ達とが、僅かに浅草の奇怪なる魅力の名残りをとどめているのだ、そういうものの醸し出す空気
階を失い、江川娘玉乗りを失い、いやにだだっ広くなった浅草には、さして興味を持たなかった。強いて云うならば、廃頽安来節と
愛之助はハッと当惑した。浅草ウルニングの誘いには、一度こりていたからだ。
浅草の様な盛り場には、時々こんな不思議がある。浅草は東京という都会の皮膚に開いた毒々しい腫物の花だからだ。そこ
浅草の様な盛り場には、時々こんな不思議がある。浅草は東京という都会
たのを見たことがない。それに品川四郎が今時分浅草を歩いているなんて変だ。てっきり彼奴に違いない。と思うと、愛之助
、記憶を呼起している内に、ハッと思い出した。いつか浅草公園の藤棚の下で出逢った、美しい若者だ。この辺を根城にし
ず取押えてしまった。その内の一人は、嘗つて、屡々浅草公園に現われた、お面の様な美しい顔の青年であった。
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の映画を見物した翌十二月、青木愛之助が、ふと銀座裏のある陰気なカフェに立寄ったことから始まる。
歳末の飾り美々しい銀座街の夜を一巡歩いて、
も似つかわしくなかった。と云う訳で、この二人、愛之助と銀座型青年とは、期せずしてお互の存在を意識し合ったの
の青年が混っていた。浅草青年というよりは寧ろ銀座青年という風采が、愛之助の注意を惹いた。そう云えば、愛之助に
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、もう目的の場所についた。案外にもそれは、麹町区のとあるひっそりとした住宅街だ。二丁も手前で車を降りて
青木はまだ疑わしそうに「それじゃ聞くがね、君は麹町の三浦って云う家を知らないかね。そこの屋根裏の赤い部屋を」
そんなことをクドクド考えるまでもない。愛之助は現に、例の麹町の赤い部屋で、品川四郎と、このもう一人の幽霊男とが、三
青木の日記帳で分った池袋の怪屋を検べたり、麹町の例の淫売宿の主婦を叩いて見たり、出来る限りの捜査を続けた
社会部の記者と写真部員とが、肩を並べて、麹町区の淋しい屋敷町を歩いていた。A新聞では当時「大東京
麹町の例の覗き一件は、僕の最大の力作だった。最初君が
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編輯所には神田区の東亜ビルの三階の数室を借りていたが、品川社長
午後一時、波越警部は、神田区東亜ビル三階の科学雑誌編輯部のドアをノックした。
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も自動車の追っ駈けだ。だが、今度はいつかの赤坂見附みたいなヘマはしないぞ。と彼は前の車の鋭い監視を続け
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殆ど一時間近くも走って、男の自動車は、郊外池袋の、駅から十丁もある淋しい広っぱで止った、車を降りたの
て来た。車は確かに先夜と同じ町を通って池袋に向っている。もう停車場が向うに見える。
ところが、そこには、池袋の怪屋のことも、幽霊男の死骸のことも、一行も出て
ませんよ。実は麻雀の手合わせがありましてね、池袋のある家に居続けなんです。僕も昨夜はそこで泊ったのです
まさか本物の品川がそんな真似をする筈はない。青木が池袋にいるなんて嘘を云う理由がない。では、ここにいる男は、
をおびき出そうとしているのだろうか。行先は池袋だ。池袋と云えば例のラスト・マーダラアの跳梁した怪屋の所在地だ。この
て、芳江をおびき出そうとしているのだろうか。行先は池袋だ。池袋と云えば例のラスト・マーダラアの跳梁した怪屋の所在地
途中何のお話もなく、車は池袋のとある一軒家に着いた。案の定それは例の怪屋であったが、
そこで、青木の日記帳で分った池袋の怪屋を検べたり、麹町の例の淫売宿の主婦を叩いて見
「では、では、池袋の空家での婦人惨殺事件は? 青木の行方不明は? 大滝の片腕
時は宮崎邸のまわりをうろつき、又或時は例の池袋の怪屋の附近を歩き廻った。目ざすは品川四郎とそっくりの幽霊男
、警視庁を出発し、明智の指図に従って、郊外池袋に疾駆した。
池袋の怪屋、これがクライマックスだったね。あれはただの空家にすぎない
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の名所であった江戸川となり、大曲を曲って、飯田橋の所で外堀に流れ込んでいるのだ。