無月物語 / 久生十蘭
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愛欲に特別な嗜好をもっていた。醍醐の花見や加茂の葵祭、勧学院の曲水の宴、仙院の五節舞、そういうありきたり
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も素直に勅を受け、二十騎ばかりの伴を連れて加茂川でひとしきり水馬をやってから、一糸纒わぬすッ裸で裸馬に乗り、京の
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つもりだったが、朝廷ではいたく激怒して、時政を鎌倉へ追いかえすのどうのというさわぎになった。そういう時世だから、死刑その
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の文雄は方略の論文を書いてかすかす試験に及第し、河内の国府の允になって任地へ発つ運びになったが、二男の国吉は
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犬養ノ善世はもとは鬼冠者といい、伊吹山にいた群盗の一味で、首の傷こそは、五年ほど前、山
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異様な行列をしたがえて入洛するなり、早乗りをして白川の邸に馳せ戻った。伜どもが連名し、法皇に不届な上書したこと
と思い、露見した場合の泰文の仕置も覚悟で、白川の邸で行なわれている浅間しい行態を日記にして上訴したが
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そのかみ忠文は将門追討の命を受けて武蔵国へ馳せ下ったが、途中で道草を食っているうちに将門が討ちしずめられ、
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女御と呼んでいたが、毎月、月始めの三日、清水寺の籠堂でお籠りをすることを聞きつけると、走水の黒鉄という鉢叩きに
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に乗り、京の大路小路を練りまわしたうえ、悠然と敦賀へ下って行った。
をつけぬよう、京に帰さず、このうえとも長く敦賀へとめおかれるようにという願文をつくり、兄弟三人の連名で上書した
、いいなりに赦免状を出したので、泰文はろくろく敦賀の景色も見ないうちに京に呼びかえされることになった。
そのころ新たな恋の悦楽にはまりこんでいた。相手は敦賀の国府にいた貧乏儒家、藤原経成の娘の公子という女歌人で
成の娘の公子という女歌人で、父について敦賀に下っていたが、急に京へ帰ることになり、敦賀ノ庄を
下っていたが、急に京へ帰ることになり、敦賀ノ庄を出た日から泰文の道連れになった。