安吾新日本風土記 02 第一回 高千穂に冬雨ふれり≪宮崎県の巻≫ / 坂口安吾
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はあと二時間半しかなかった。私はまだ明るいうちに阿蘇山麓を熊本県へでたいと思っており車窓からの眺めに期待をもってい
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て受けとる以外に仕方がないものであるが、この地方の霧島の一峯たる高千穂峯にも高天原の伝説があり、ここと高千穂町とで高天原
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阿蘇から日向に入る古い道筋に高千穂の町がある。ここには岩戸村があったり、天の岩戸があったり
三田井姓を名のって後ながくこの地の首領となり今も高千穂の中心は三田井を地名としているのである。
高千穂には穴居の土グモが住みついていたという。また熊襲は退治される
高千穂の人々はむしろ甚しく温和で素直で熊襲的な気風はないのである。熊襲
「ヒエツキ唄」で有名な椎葉は高千穂から山越えして十八里の隣村であるが、ここは女の里として
であるが、ここは女の里として名高いところ。高千穂の若い衆は神楽など見せに行って椎葉の娘を見そめると、往復三十六里の
おどりなどは想像できないようなところがおもしろい。この神楽は高千穂ばかりでなく、日向の山中の部落には所々に行われているのである
誕生の地と伝えられる狭野神社のあたり高原の地も、高千穂の村々もいずれも洪水の難がなく、しかし水利も悪くないようなわりに
どこへ行っても水害のあとが生々しいことであった。高千穂へ行く道などは特にひどくて自動車は難行に難行したが、山奥の高千穂
は特にひどくて自動車は難行に難行したが、山奥の高千穂へくると、ここにはもう水害がない。田畑はいかにもみのりゆたかな感じで
なんといっても、日向の旅では高千穂がおもしろかった。高天原の伝説のせいではなくて、そういう伝説の地に
阿蘇にちかい高千穂の町にしても、高千穂神社の祭神は高千穂太郎という郷土的な神
高千穂では竹の筒に酒を入れて焚火でわかして野天で酒をのむ。
ある。グラビヤの最初の写真はこの国見の丘から見おろした高千穂の長崎という部落の風景であるが、四方にこれに類似の山また山
少いので、と云って残念がっておったし、また高千穂の町では、この山中には古墳がたくさんあります、この奥の米良に
いるものを食べさせてくれるのが何よりのサービスだ。高千穂の山中へ行って都会なみの料理を食いたいとは誰も考えていない
あたりでもざらに見ることのできるタイプであった。概して高千穂の人々は山中の人たち同士で血族結婚的になりやすいので、純粋の
私たちが高千穂を出発するとき、この旅行ではじめての雨がふりだしていた。山中で
。私は濃霧にはじまって濃霧に終ったこの旅行が、高千穂の地の宿命かも知れないと思ったりしたのだ。霧のはれま
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私たちが宮崎から青島をへて鵜戸神宮にいたる間のタクシーには自動車会社がバスガールを同乗させて説明させて
日向の海岸は雄大で美しいが、鵜戸神宮が別して雄大だ。ウガヤフキアエズノミコトの誕生地と伝えられ、神社は海に面した岩窟の
していたという話である。そのお産の岩窟が鵜戸神宮という伝えになっているのだが、風光は類を絶して雄大であり
バスガールの説明によると、日向では結婚すると女房を鵜戸神宮へつれて行くのが習慣になっており、あの野郎まだ女房に鵜戸詣りを
鵜戸神宮が神々の伝説を幻想的な風光の中に生かし庶民の生活の中にも生き生き
私は鵜戸神宮の岩窟の中にチョロチョロと流れて溜っている神様の水をのんで以来
として親しまれるような愛され方であり、それは鵜戸神宮などの俗に徹した信仰の在り方なぞによく表されている。参道の
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ないようなわりに恵まれたところであり、それは大和の飛鳥などについても特に云えることであろう。
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朝廷の味方になったという記事はないらしいが、大隅薩摩の隼人族は古い昔のころから朝廷に招かれて遊芸に奉仕しており
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小林の奥だ。また碁石の最良のものは日向蛤に那智黒と云って、白石が日向の蛤でつくられ、黒石が那智の黒石でつくら
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巨石があってここには明かにヒツギの字を用い、赤城神社の神様の墓の石だろうと土地の人々は云い伝えている。破壊され
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ほど揃っている。しかし実際に土地の神様と目される高千穂神社は一応祭神が神武天皇の兄三毛入野命となっているけれども、実際は土地
ており、セの字に当る漢字は古老も知らない。高千穂神社の御神体は奈良朝以前の作とつたえられる素人の手づくりのような木彫で
阿蘇にちかい高千穂の町にしても、高千穂神社の祭神は高千穂太郎という郷土的な神であって、それがいわば高千穂族
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私たちが宮崎から青島をへて鵜戸神宮にいたる間のタクシーには自動車会社がバスガールを同乗させ
つけて廻っていたのは私たちだけではなかった。青島で三人づれがバスガールをつれて廻っているのを目撃したが、し
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そのうえ神社まで降りてゆく長い参道がちょうど江の島のように茶店が立ち並んでいて神宮なぞというモッタイぶったところがなく甚しく
というのが意外なことだ。大都会を近隣にひかえた江の島や日光などとちがって鵜戸は主として他県にまして人口のすくない郷土の
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ひらけてきたもので、神武天皇誕生の地と伝えられる狭野神社のあたり高原の地も、高千穂の村々もいずれも洪水の難がなく、しかし
高原の地まで車を急がせ神武天皇誕生の地という狭野神社の社務所に泊めてもらった。海辺の山々ではかなり高いところでもまだススキ
地方を旅行すると、たとえば神武天皇生誕の地とつたえられる狭野神社の宮司は、あいにくこのあたりには古墳が少いので、と云って残念がっ
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でカッポも一口しか味わうことができなかったが、観光客は国見の丘という風景のよいところでカッポ酒をのんで刈干切り唄という土地
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阿蘇から日向に入る古い道筋に高千穂の町がある。ここには岩戸村があっ
阿蘇にちかい高千穂の町にしても、高千穂神社の祭神は高千穂太郎という郷土
「阿蘇の方では雪かも知れません」
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は日本一だからヤマトタケルと名のりなさいと云って死ぬ。いまの九州にもこういう無邪気な豪傑が居そうな感じではないか。
いったいに九州は駅弁がすばらしいところで、私たちは駅弁を食うのが楽しみであった。宮崎
た。しかし日向的な顔というものも、大きく云えば九州的な顔として総括できるものであるし、それはまた日本的な顔と
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降臨の伝説の地。しかし日向の高千穂町を主張する宮崎県と霧島山の高千穂峯を主張する鹿児島県とが高天原の本家争いをしているのでも分る
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飛行機の離着陸ができないそうで、八時にでるはずの福岡直行便が十二時ちかくようやく飛びたった。しかし乗客一同出発をうながしたり怒ったりする
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に当る漢字は古老も知らない。高千穂神社の御神体は奈良朝以前の作とつたえられる素人の手づくりのような木彫で、女神の像
ば分ることだ。御神体(グラビヤ参照)は非常に古く奈良朝以前の作と考えられ、尚それよりも時代が古くてこわれたもの
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グラビヤの最初の写真はこの国見の丘から見おろした高千穂の長崎という部落の風景であるが、四方にこれに類似の山また山、
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さすがに寒い。私は下痢で悩んでいたので、熊本まで五時間のバスの中で便意を催したらどうしたらいいのかと
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なと思った。私はこのDC6型という飛行機で東京上空を旋回し、たった十分間で乗客全員がのびた経験があるのだ
が羽田をたつ日、東京は濃霧であった。私が東京で経験した最も深い霧。半マイルの視界がないと飛行機の離着陸が
私たちが羽田をたつ日、東京は濃霧であった。私が東京で経験した最も深い霧。半マイル
な顔はむしろ思わぬひらけたところにたとえば練馬のような東京近郊に小区域があったりするが、日本の顔はおしなべてほぼ完全な交流