獄中への手紙 06 一九三九年(昭和十四年) / 宮本百合子

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東照宮

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出てね、日光着が一時すぎ。それからブラブラ歩いて東照宮など見て、バスで中禅寺に行きました。馬返しというところまで大形バスで

横浜

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ましたか。私がお話の趣つたえたときには横浜へ行ったという留守でしたが。

軽井沢

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の中で、まともにあつかわれなければいけないものでしょう。軽井沢の秋の高原のそぞろあるきのうちに衰弱するのは、康成その他で

伊豆

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墓参には私も出るつもりです。寿江子もこれをすまして伊豆へゆくと云ってまだこちらに居ます。伊豆と云えば、「生活の探求

をすまして伊豆へゆくと云ってまだこちらに居ます。伊豆と云えば、「生活の探求」は「正月の騒ぎがすんでから」伊豆

「生活の探求」は「正月の騒ぎがすんでから」伊豆の温泉へ川端、深田等々氏と出かけて、出京、中央公論社の用事を

、六月十三日は母の命日なので寿江子それまで伊豆にはゆかぬ由。七月九日ごろ咲枝が赤子チャンなるものをうみます

小石川

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お手紙について。これは妙ね、どうして、小石川と吉祥寺とのスタンプが押してあるのでしょう。珍しいこと。十日の午後四

あるのでしょう。珍しいこと。十日の午後四―八が小石川で十一日の前〇―八時が吉祥寺。吉祥寺と云えばあの吉祥寺でしょう?

箱根

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稲ちゃんは今箱根の湯本温泉へものをかきに行って居ります。大変珍しく、新鮮な心持で

アルプス

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しっかり科学の上に立ちきれないのでしょう。そして、チンダルがアルプスの氷河や旅について書くようにかけないのでしょうね。変にロマンティックに

教えたのですって、西沢、宮木みんな驢馬。このロバはアルプスにかくれ住んだ詩人(名を堂わすれてしまいましたホラ――どうも出

靖国神社

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早朝つきたいと私一流のよくばりから考えたのですが、靖国神社の特別大祭のバスがどっさり出て、汽車は大いに混むので、やはり座席の

赤坂

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いう奥さんの息子、だから私の又いとこ、が八日に赤坂に入営しました。召集です。挨拶が来ました。その家は男の子三

三省堂

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大阪ビルから電車で三省堂へゆき、そこで和英コンサイズを二冊買って、速達に出せるように包んで

)見つけ出して、それもうれしさの一つに加えて、三省堂へよって、国男さんの誕生日祝の白テブクロ(登山用)を半ダース買い

宮城

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いう顔ぶれみたら気が重くなって行きませんでした。宮城という人の箏はきいてよいものの由です。こういう会でもね

きいてよいものの由です。こういう会でもね、宮城という人は自分のうちで開かせますが、自分はひかない。挨拶だけ

能登半島

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お送りした方の白いの着ていらっしゃるでしょう。あれは能登半島の方で織る上布です。ああいう織物も来年はなくなります。

九州

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の「幽鬼の街」と「村」の批評をかいて九州へ送り、郵便局からかえって来たら、いろいろの人が珍しく来ました。いやに

』にしろ。この人は夫妻とも知っています。九州の出身の人ですが。

ボストン

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アメリカへゆくそうです。アメリカでも見ないより(博物館等ボストンなど)ましでしょう。が、率直に云わせると淳さんコンマーシャライズしないかと些か

音羽

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又よく考えて、御相談いたします。護国寺のところから、音羽へ曲らないでずっと雑司ヶ谷へぬけて日の出の裏を通って池袋へ出る市電が

ロンドン

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私は飛行機は駄目です。パリとロンドンとの間を翔んだけれど。普通に酔うのではなくて、脳の貧血

○ロンドンの本やセッカア・アンド・ワーブルグ Secker & Warburg からカタログが来ました。又写し

出せば申し分はありません。ずっと昔、エチオピアに、今ロンドンにいる王が暮していた時分、日本人のクックが行っていて、その

。さぞ、と思われますね。その王様の娘さんはロンドンの或病院で看護婦として働いていられます。王妃はこの間、大層

王妃はこの間、大層悲しそうにハンカチーフを手にしてロンドンから去ってどこかへ行きました。

は和歌をよみます。この人は又バチェラーにつれられてロンドンにも行ったことがあります。

関東

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のよこの大黒屋という有名な鰻やへ行きました。関東からかえって来た豊寿さんという倉知の従弟をもてなしに。私は面倒くさいので

番町

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の御感想はいかがですか。大したことありませんね。番町皿やしきで侍女お菊は、一枚二枚と皿をかぞえて、やがて化け

大阪

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ので一人で二つの座席をおとれになりました。大阪の午前八時に私のとなりがあきました。大阪では克ちゃんがプラットフォーム

。大阪の午前八時に私のとなりがあきました。大阪では克ちゃんがプラットフォームまで出ていて、お茶や弁当の世話をし

大味とでもいうか、可笑しい。この間自分のにせものが大阪にあらわれて宿やでかっぱらいして逃げたのですって。それをプリプリ怒って

一、『朝日経済年史』これは目下親切な人が大阪の社へ問合せ中です。大観堂の方はまだ。

花をあげた細君は大阪へ行ったのですって。義弟のひとが事務所をこしらえて、そこにつとめるよう

戸塚

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神田から十二月以来初めて戸塚へゆきました。実にこんなことは珍しい! おひな様でね、たあ坊に

昨夜は、それでもお婆さん御満足でした。戸塚では締切り間に合わず、やっと旦那さんだけ。この紳士がたは年よりを中心に話す

さんの親のところに(日本橋辺)います。細君は戸塚の家に暮していたことのあるひと、一緒に。もしかその人が

湯河原

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が、バスが一時間以上ですから無理だし、熱海、湯河原は気に合わずですから。かえって、又例の十時就眠を実行すれば

ストックホルム

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大分寂寥を感じた由。二十年も(一八八〇年以後)ストックホルムの民衆大学でスエデン文明史の講義をしていた由です。彼女がもの

周南町

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四月一日から島田村が周南町と改名になります。

をはじき(母上)私ペンを握って大仕事がはじまり。周南町になったので、特別税(所得)の申告があるのです。いろいろ商売

出しているようで。上島田の町並はちっとも変りません。周南町とはなっても。もう一度こちらへ手紙頂けるでしょうか。

です。ひどい砂風の由。日中百三十度ぐらいだそうです。周南町(市の方らしい)出身の人が二人いるそうです。隆ちゃんもやはりめきめき

ロッキー山脈

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でもあって、細君と二人天幕をもって何年もロッキー山脈のあなたこなたを旅して暮したのですって。書くものはともかく、そういう暮しはわるく

武蔵嵐山

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に寿江子が哀れな犢になったあと、電車にのって武蔵嵐山というところまで当てずっぽに出かけ、そこに畠山重忠の館趾の梅林というの

ベルリン

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のイルマさんが子供をお母さんに見せに八年ぶりで一寸ベルリンにかえってゆくそうです、八ヵ月の予定で。八年の年月は、実

根本的な現実の姿として面白い。ブリューゲルの絵を、ベルリンの画廊で見て、あの時代の画家の中では目について離れない

川崎

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)そうです。間代の高さより家がないのね。川崎辺のことです。目白の家は今ではやすい、いい家ということに

ニューヨーク

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って。この四日(明日)立って、四月一日にニューヨークにつくそうです。エイプリル・フールにつくのね、要心なさい、とからかったら、光子さん

からこれは実に可笑しい。英語で電話かけようとして、ニューヨークのホテルの電話口で「イフ if イフ」と云ったというのも、笑わ

札幌

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昔にね、私がアイヌの生活をかきたいと思って札幌のバチェラーの家にいたことがありました。そのときバチェラーの養女になっ

富士見町

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今夕はこれから御飯たべて、富士見町へ行きます。そして、かえったらおふろに入ってグースーねるのがたのしみ。で

のハガキ、御覧になりましたか、もう。あの日は富士見町、四谷の病院とおせいぼやお礼にまわって、島田のお母さんのものを買ったり

は十六日にかいて居ります、むろんついているでしょう。富士見町は、いつからか云っていらしただけです。先生へのお礼も同じだけ。

根岸

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小さい実の房などがささって居ります。きのう、アボチンは根岸のおばちゃん(春江。咲の姉)と、よしという女中さんにつれられ

宇品

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でちっともいつもとちがったことないし安心です。お母さん二十一日に宇品へいらっしゃりたいらしいが、あぶないし、隆ちゃんもきっといらっしゃらないという約束をおさ

。晴天。二十一日にお墓詣りいたしました。隆ちゃんが宇品を立つ二時二十分ごろ。きれいになっていて、ぐるりの林の中

四国

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、ソラそこにいると云って歩いたことがあった。四国に――小豆島にそういう蛙いないのですって。

名古屋

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ひさは四月一杯いられるかと思ったら、名古屋の姉が出産しこもち肥立ちがよくなかったらそちらへ行くことになっている

桜の花を眺めて往った東海道は、かえりは新緑。名古屋辺まで実に奇麗でした。静岡をすぎるともう瑞々しさが不足でしたが

浜松

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その人にあっては、そういうあらわれをするのでしょう。浜松の旦那さんにははっきり話したと云って居りました。ひとによるのね

鎌倉

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よりもうすこしちがったもの、ね)すみませんでした。鎌倉のことは大笑いね。私が、改めて徹夜はしない云々と書くのは、

お母さんがフランス人で鎌倉に住んでいるのだそうです。だからすこしは日常の日本もわかっている

旭川

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けれども。四月の初旬までいるそうです。四月に旭川の技師の細君になっている娘が(妹娘。)赤ちゃんを生むのでその

竹橋

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それから日比谷へ行く途中、気象台の下のところ、竹橋の角で、大体あすこは事故の多いところですが、木材をしこたま積んだトラック

四谷

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、御覧になりましたか、もう。あの日は富士見町、四谷の病院とおせいぼやお礼にまわって、島田のお母さんのものを買ったりして

本郷

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点から、家のこと、考えなければならず。もし、本郷に動くとして、その電車が通るようになったの、何とうれしいでしょう

で教則本やっていてあとでピアノを買って貰った。本郷切通しの青野という店で、旅順の落ちたときロシアの将校がおいて行っ

北海道

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は夜という夜が蛙の声で溢れるようですから。北海道へ旅行してアイヌ村の真暗な夜、谷地で(湿地で葦のような

牛をテーマにして特殊な勉強をして居る由。北海道というところは、その道の人が見ると、牧場の経営が古風で、

でないところとの差が甚しくておどろく程の由です。北海道は、いい、いいと云うので行って見たがよくなかった。これは

駒場

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ぶつかりそうになって隆二さんの一番下の弟さん、駒場出た人に会いました。何年ぶりかで。うちへ来たのだ

パリ

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私は飛行機は駄目です。パリとロンドンとの間を翔んだけれど。普通に酔うのではなくて、脳

ことがあるでしょうか、母のかたみだということを。パリで母の誕生日十月十日の記念に父が買ったものです。大切に

、単にそれを説明しただけであった」ところが、パリの一科学者が燃素が分離したりするのではなくて、新しいこの光素

」を読み終りました。なかなか面白いし落着いた作品です。パリの女仕立屋の生涯と縫女の様々な生きかたと雰囲気とが、女仕立屋

この小説は、パリのありふれた町のどこかを思い出させます。歩道に向って、下は雑貨屋

アパートにしろ、パリの古いアパートは階段が暗くて狭くてぐるぐるまわっていて、何百年前に

たことがありました。随分びっくりしたのを思い出す。パリの真中の、こういう長い長い歴史。コウカサスの山の中でやっぱりこれと同じ

なく遊覧なら来られるのにと思って自分をのせているパリの自動車運転手の黒い皮の丸帽を眺めました。思い出していたことがこんがらかっ

がへると作家は生存難になる。きょう山田菊子というパリ住居の女のひとが中心になったお茶の会があり、そこで鉄兵

日常の日本もわかっているでしょう。日本へ来てお客、パリでお客、どちらでもエトランゼ。一つの女の生活ね、こういう女の

スウィス時代親しくした唯一の日本人で、フランス語が専門で、パリでマルチネの家へつれて行ってくれたりした人ですが、アランの紹介

オックスフォード

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阿部知二は法政の教師ですが、『中公』にオックスフォードの十二人の学生が、「われは戦うか?」という題でそれぞれ執筆

の学生は時局認識がうすいというようなことを云い、オックスフォードのお歴々の息子たちが、それぞれ自分の現実の問題として「ウッド・アイ

琉球

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なじみの茶ダンス。奥の棚の上の青い葉は、琉球の「虎の尾」、うしろの絵は『冬を越す蕾』の扉絵です。

若松市

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ます。そこからも原因がある。いろいろの世事。葦平が若松市の高額納税の第六位で一万何千とかをおさめるとか。古谷綱武と

弁護士会館

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きょうはあれから電話をかけて、弁護士会館へ行き、話の趣わかりました。あなたのおっしゃったことを、只手足と

きょうは午すこし過までそちらで、かえりました。かえりに弁護士会館へまわって、いつぞやの人の方すっかり話がつきました。自分から

浅草寺

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、上落合に暮していた節分の夜、風呂の中で浅草寺の豆まきのラジオをきいて、そのこと手紙にかいたのを思い出しました。

青山

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由。林町で神官をよんで式をして、それから青山へお詣りにゆくでしょう。この式や墓参には私も出るつもりです。寿江子

、林町へゆく前に一寸まわりたいけれども、儀式だの青山へ行くことだのでもし疲れそうならばやめて、予定どおり三十一日にお

広東省

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年後日本は無癩としたいという目標の由。広東省辺に非常に多い由。インドにも多いよし。伝染だから隔離がなければ

豪徳寺

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いるところで、急速にぐるりが変って来かかっています。豪徳寺というお寺を散歩しました。ここに井伊直弼の墓があります。

ワルシャワ

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来るやらですね。緑郎、大戦始るか始らぬかで、ワルシャワにはドイツのボムが落されているなかでどうしているでしょう。丁度お金

両国

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等々氏と出かけて、出京、中央公論社の用事をすませて両国の某という料理店へ車を駆る、というような日記をかいて居ます。作家の日

日比谷公園

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いる女の心持の問題について)、夜、寿江子と日比谷公園を珍しく散歩して、林町へゆきとまり、けさ、寿江子をかり出して、夜着

上野の動物園

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或日、上野の動物園で鳥どもが大さわぎしている。行って見ると、沢山のとりどもが

青森

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汁の食べられる果物リンゴと思いつきが一致するらしいのです。青森のリンゴ、赤いの青いの、ゴールデン・デリシャス、レッド・デリシャスと、リンゴの

広島

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、お母さんも。電報はやはり後についたそうです。すぐ広島へ送った由。ところで克子さんが二十五日に結婚します。どうか

大してそれでもつかれず。すこし体を休めたかったので広島からは二等にしました。ずっと真直かけたっきりで脚が切なかった

、空気枕など買うために又福やへ戻りました。(広島ではメーターの基本が60銭ね。東京の倍です。東京は30から

花見。のんだくれて歌をうたっている。すぐ下りて、ずっと広島市街の見晴せるところへ来て、みよし野という茶屋のはり出しに休んでお菓子

あちら麦ばかり故。どうもお花見だし日曜日だし、広島の狭苦しい通りは縁日のような人出で、ゆっくり歩けもしない。すこし静か

いいように雨合羽を着て、下駄に雨傘といういで立ち。広島の相生橋というところで降りて、桜の咲いている一寸した

いけないと思い、時々こわい声して、それでも無事広島から五時二十五分のにのりました。

につきましたがそれはもう夜でね、母上と広島に行っていた留守。十時二十分かにかえって来て拝見し

て歩けず一日野原の家にいました。十六日に広島で非常に歩いたもので。

二十日は、朝六時五十五分で出て、広島の連隊へゆき、十時半まで三十分ぐらい話し、私共買物、昼食に

ちゃんもきっといらっしゃらないという約束をおさせ申しました。広島は新緑でね。西練兵場のあたりの緑は実に美しい色です。

日に来られ、私たちは二十五日の夜こちらを立ち、広島で「桜」にのりかえ(午後一時何分か)二十六日の午後四時

早おきは大丈夫で、午前二時半までくり上りました。(広島へ出かける日。そしたらね、汽車の時刻を午前と午後とお間違え

つ生みます。麦は今年はきれいにのびていて、広島の方は穂がでて居りますが、こちらはまだ。河村さんのうち

夜は八時二十五分に島田の駅を立ちました。広島で一時三十二分のサクラにのり、相当こんではいたが姫路でお母さん

金沢

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予定日だそうですが、重治さんはまだ一本田です。お父さんを金沢の病院に入れるためにいろいろやっているそうです、病気は老年との関係

甲府

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誰かと思ったら、いつか手紙に書いたことのある甲府のひと、盛に鶏の毛をむしっている。柳瀬さん中野さんの祝い

秋田

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二人で家さがしをしてここを見つけた由。来るとき、秋田のどことかとどことかとへよって九日間の切符ギリギリについた

松山

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松山へ行ったら何とかいう川へ行こう、松山には少年時代の苦しい思い出しかないというようなの。その同じ年の

松山へ行ったら何とかいう川へ行こう、松山には少年時代の苦しい思い出

。松山さんの奥さん、息子をはじめ。松山さんの息子は松山さんと奥さんとに似ているのですが、その特徴を合わされた小さい

は可笑しゅうございました。松山さんの奥さん、息子をはじめ。松山さんの息子は松山さんと奥さんとに似ているのですが、その特徴

た。いやに母子づれが多いのは可笑しゅうございました。松山さんの奥さん、息子をはじめ。松山さんの息子は松山さんと奥さんとに

長崎

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か完訳か、広告が出て居ります。これは日本の長崎や日本人や、日本に留学している中国人やらが出るのですって。バック

静岡

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は、かえりは新緑。名古屋辺まで実に奇麗でした。静岡をすぎるともう瑞々しさが不足でしたが。お母さんも私も、予想より

熊本

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一人は昭和に入ってから大学を出て博士をとって熊本の同様のところで活動している林という少壮。その二人を主と

岡山

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で『婦人公論』が一つの座談会をやりました。岡山に国立の癩療院があって、そこの院長光田という先生は、日本

なでてやって。そしてまことに奇妙な手紙よみました。岡山の一人の女のひとが、お金を三十円かりたいのですって。いる

から御通知いたしましょう。克ちゃんの御良人、十日に岡山へ応召した由、ふと克ちゃん、もしやお母さんになるのではなかろう

福島

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久しぶりで来て、いろいろの話。旦那さんはつとめのため福島の方へ行っている由。桜木町の家には女学校五年と一年

仙台

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お大切に。てっちゃんのところではおくさんと赤ちゃんが仙台で、猫とさし向いの暮の由。ハガキ貰いましたから、あなたからお

山形

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。可愛い女の子よ。家のしるしで、やっぱりくっきりとこういう山形の上唇をして。体重は七百六十匁。すこし軽めです。けれども実に

巴里

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もなくなっているそうですが。この前のチェコのとき、巴里では多くの人が都会から逃げ、緑郎も「デンジャー、金オクレ」と

鳥取

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て下すってありがとう。あれはね、いいあんばいに今夜四俵鳥取の佐々木さんというひとが故郷からのをわけてくれたところへ、佐藤

新潟

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かに弱視児童の学級があるそうです。しかしこの母子は新潟へ住むのです。学齢になれば、又栄さんがあずかるなり何なりし

豊島区

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ているのですって。浮足が立っているから。アパートは豊島区内にさがしたいと考えています、かわって、初めてのところへなど行く

信濃町

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〔豊島区西巣鴨一ノ三二七七巣鴨拘置所の宮本顕治宛 四谷区西信濃町慶応義塾大学病院内い号の下より(封書)〕

(一)この門が信濃町に面した正門。つき当りの自動車のとまっているところが病棟の正面玄関です。

して大きいことね。校舎、研究室皆あるから。そして、信濃町の通りのソバや洋食やすしや、皆この一ブロックのおかげで御繁昌

ですね。大きく見える玄関は外来の玄関で、その左奥に信濃町に面して、私たちの入口があるがはっきりしないこと。外苑から出て

にこれまで私たちが持った家から家、例えば動坂から信濃町へのうつりかたとは、ずっと内容的に深化して居り、それにふれ

てよかったこと。この前(昭和九年のとき)は信濃町で、私はいず、お風呂も満足にお入りにならなかったの

お迎えしなかったし、二度目は国府津にいてお母さんは信濃町だけ。全体から云って、些かいとまある心で、御滞逗になったの

あるのですから、おやめにいたしました。きょうの午後信濃町の先生かえられました。すぐ都合問い合わせておきました。電話かけたらね

巣鴨

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一月一日 〔豊島区西巣鴨一ノ三二七七巣鴨拘置所の宮本顕治宛 四谷区西信濃町慶応義塾大学病院内い号の下より(

一月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 慶応大学病院より(封書)〕

一月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 慶応大学病院より(絵はがき三枚 (一)同病院正門

一月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 慶応大学病院より(封書)〕

一月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 慶応大学病院より(封書)〕

一月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 豊島区目白三ノ三五七〇より(封書)〕

一月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

一月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき 速達)〕

一月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

一月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

一月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

一月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(自宅茶の間の水彩画の絵はがき)〕

二月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

二月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

二時というところ。それではどうせ出るのだから私巣鴨へまわるから、寿江子原さんのところへまわるようにと云って出たわけ

おや、御褒美があった! と云ったら、私が巣鴨へ出たあと程なく来たのですって。寿江子曰ク「よっぽど持ってこうか

二月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

二月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

二月十六日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(自宅の玄関付近の絵はがき)〕

二月十六日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(絨毯の絵はがき)〕

二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

二月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

二月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

二月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

四月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

四月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

四月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

四月八日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

四月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

四月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県熊毛郡周南町上島田より(封書)〕

四月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 広島駅より(はがき)〕

四月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕

四月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕

四月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 日光中禅寺湖歌ヶ浜のいづみや旅館より(男体山の絵はがき

五月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

五月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

五月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

五月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

五月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき)〕

五月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

五月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

五月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

五月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

五月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

五月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月七日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月二十二日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月二十六日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

七月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

七月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

七月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

七月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

七月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 本郷区林町二一中條方より(封書)〕

七月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

七月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(はがき 速達)〕

七月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(はがき 速達)〕

八月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書 速達)〕

八月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月十七日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月十八日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十六日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

九月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

九月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

九月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕

十月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十月十二日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十月二十八日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十一月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十一月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十一月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十一月十一日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(自宅庭の絵はがき)〕

十一月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十一月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十一月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十一月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき)〕

十二月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕

十二月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕

目白

地名をクリックすると地図が表示されます

目白はおひささんが二十六日にかえりました。二十八日までという約束で

毎日湿布をしたりしなくてよくなる迄いるつもりです。目白から省線で立ったりして通って来るのはいやだから。それにし

ないだろうと思います。というのは、国府津へ行ったって目白より入浴が不自由だったり食事が自分の負担になるし(としよりの女一人

一月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

一月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき 速達)〕

一月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

林町は家じゅう電気時計で、停電すればそれっきり。目白のはボンボン時計ですから。周囲の一般のレベルをぬきにして一つ

をしてしまいました。きっと今に「今何時でしょうって目白へききに来るんだろう」。だって林町は家じゅう電気時計で、

。林町のうちは水道が凍って風呂がたてられず、目白へ風呂を貰いに来る由。大笑いをしてしまいました。きっと今に

一月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

一月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

からもなくなって来て居ります。二十七日には往きは目白の往来で拾って乗りましたが、かえりは大通りまで歩いて、バスと

一月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(自宅茶の間の水彩画の絵はがき)〕

二月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

二月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

二月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

二月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

二月十六日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(自宅の玄関付近の絵はがき)〕

二月十六日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(絨毯の絵はがき)〕

二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

二月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

二月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

が歩くきりだったら出られませんでしたね。きっと。目白タクシーというのが表通りにあって呼ぶと角まで入ったから。

二月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

も、もう五十銭ではないかもしれませんね。目白新橋間のバスはずっと豊島園の方まで延長しているのですが、このごろ

三月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

三月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

ポチがね、さきほど死にました。目白の駅のプラットフォームから犬猫病院の札が出ているの、覚えていらっしゃるでしょう

三月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

四月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

市場へ(目白の角の)買物に出てかえって来かけたらポツポツおちて来て、今

四月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

四月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

四月八日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

四月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

五月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

決して東京では手に入りません)、ういろう(太郎と目白に下さる由)、それにこのかっぽう着。なかなかやっぱり気づかわれます。でもまあ

ていてくれたのは思いがけぬよろこびでした。省線で目白まで。なかなか御節約でしょう? 東京駅のプラットフォームで、ひさがかえったときい

手筈になりましたから、追って御目にかけましょう。目白の家だといいのですが、太郎がはしかのなおりかけで外出出来ない

五月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

五月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

五月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

女学院を見ました。川村女学院というのは本当は、目白の大通りにあるのですが、その夢では林の間の芝生の横

五月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき)〕

五月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

五月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

とき、やはりこの茂樹がいろいろ世話をした由。孫が目白で顔をつき合わしてホウと云っているとは、いかな先生たちでも思い及ば

五月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

五月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

五月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

池へでも行こうというところですからそれはちがいます。目白の家で、寿江子が三つとってくれましたが(お母さんと私)

五月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月七日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月二十二日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月二十六日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

六月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

七月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

七月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

七月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

をつけますから御心配ないように。八月に入れば目白で暮せます。八月は派出婦でも雇います。そして、私の留守

七月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

ねえ。咲枝のおなか一日二日大丈夫とすれば明日は目白にかえります、日比谷から。私たちきりになりたいの、大変に。これも

、そのかえり目白によってすっかり指図して、或は明晩は目白へ泊るかもしれません。肝心のお産婦さんがフラフラなので、

ですが、明日は伊勢さんに会いに出るから、そのかえり目白によってすっかり指図して、或は明晩は目白へ泊るかもしれません

七月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

それからね、金曜日は全く悲観したの。あれから目白へかえって出来ている布団をお送りしようとしたら、どうしたとんま

いずれにせよ、八月中旬ごろには目白へかえれるでしょう。今もうこちらに本その他もって来ているから、そして

、汗でズクズクになっておきますから。ここの家は目白とちがって、どの窓も開けっぱなしは出来ません。だからわずかに雨戸

にささっています。こういう面で考えると、私が目白で一人で暮している暮しが、こまごました日常のなかで与えないもの

から)くたびれがどっと体じゅうに出た気持で、いかにも目白迄まわるのが重荷でしたが、エイヤとまわって五時頃林町へかえり

も余りさせません。その点いろいろ面白い。私はいつ頃目白にかえるか、一寸不明です。十日までこちらにいることは確実ですが

低くなって、又あわてて甲高い音になったりして。目白の方はよその家、子供がいないというのでもないのに

やるようにして、私は今夜通夜という次第です。目白の方は明日一杯家主にたのんでしめっぱなしです。致し方がないから。

もう昏睡でした。けさ死去のしらせ。おミヤさんという目白の方にいた人は、中條の祖母の実家の娘で本田さんと

目白へは十二日にかえります。どっちみち、おミヤさんを留守番としてたのん

より高くは出来ないことになったからようございますが。目白の家賃はずっと同じです。只、今度の改正税率で私たちの職業、弁護士

高さより家がないのね。川崎辺のことです。目白の家は今ではやすい、いい家ということになったわけです。

九月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

九月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

九月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

九月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕

十月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十月十二日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

そのお礼にハオリを一枚買ってやらねばならず、目白の先の呉服屋へ出かけ、その表地、裏地買って、あなたの着物の裏

か? 私の方は殆どやめです。市場(あすこの目白の角の)で午前中うりますが(一人に百匁)黄味があのいい

十月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十月二十八日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十一月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十一月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十一月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十一月十一日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(自宅庭の絵はがき)〕

十一月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十一月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十一月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

日かに盲腸をやって病院にかつぎこまれたとき、偶然目白へ来たと云ってすぐあとから追って来て、私のベッドのわき

十一月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき)〕

十二月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

をたべてかえるというので一緒にたべて、大いそぎで目白の駅まで出かけて、東京駅へ。案外すいた汽車の窓の中にチラリ

尾張町から新橋まで夜店まで見ながら歩いて、新橋からバスで目白まで。この頃の木炭バスは小日向のあの坂ね、大きい、あれをのぼるの

十二月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

十二月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕

十二月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕

東京

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。風がきついらしいけれども、実に実に青い空。東京の正月はじめの空の色も澄んでいますが、モスク※の一月

私のための恢復薬は特別品があるのだから、東京なんか離れるよりその薬をよくよく眺めて、聴いた方がずっと利くこと確実です

で、今度は都会文学というもののグループをつくって、東京の情操にうるおいを与えるそうです。顔ぶれは秋声、和郎、武麟、丹羽

秋から寿江子が東京に落付くについて林町はどうしてもいやだというし、ここ

の支那地名人名字典、まだ出版しませんで、と東京堂の番頭君恐縮していました。まさか紙がないというので

あれから電車で東京堂へ。もう十二月から出来たら出来たらと云っているタイムズの支那地名

独特の匂いがあって、豊かで、冬に雪の少い東京は味がないとさえ思います。何も冬は雪にとじこめられて育っ

。それで三人の食費はあるそうです。(何と東京とちがうでしょう!)それにいくらか月給をとることが出来れば嫁さんをとっ

或はあるかもしれませんね。七丁目となると東京パンのあたりでずっと遠いし。大体見当はついたから、これからそちらから

三笠の目録も『科学知識』、もありました。『東京堂月報』、とりあえず、家に来ているのをお送りしておきます

確であるし。八円です。片上全集の内容目録は東京堂にもおいてない。おかしいことね。そして第一巻はありますが

の話、本当に真率でいい心持だし面白い。本当は東京にいたいのですって。しかしもし万一のとき心配だからと云って、

いる様です、あちらにいると夜九時に眠ります。東京へかえって来ると眠れなくなる由、寝ないのではなくて。それ

ではメーターの基本が60銭ね。東京の倍です。東京は30からはじまる。)そこで買物が不足。空気枕なし。本通りという人ごみ

ました。(広島ではメーターの基本が60銭ね。東京の倍です。東京は30からはじまる。)そこで買物が不足。空気枕なし

の林の間の亭に腰かけて、お母さんは隆ちゃんに東京からの御餞別をおやりになり、私たちのもやり、隆ちゃんがこれ

方がやすくつく」そうで、めばる売りも来ません。東京の生活の気分と全然ちがう。一体この辺が、何か、目前の金

隆ちゃんが出発したら四五日に立ちとうございます。お母さん東京にいらっしゃるならばゆっくりいて頂いていいから。早くかえったって同じですから。

たら私の方が、唇が震えて来るようでした。東京へ行ってあなたに会って来よう、そういうお気持、十分十分わかるでしょう?

隆ちゃんの方があなたに余計似ています。お母さんの東京行を隆ちゃんもよろこんで、「ゆっくりあそーでおいでたがええ」

(午後一時何分か)二十六日の午後四時四十分東京着です。何とかして二十六日の早朝つきたいと私一流のよくばり

『大阪朝日』へは『東京朝日』へ出る『中公』の公広など二十二日になって出るのですね

ね。写真、あなたの方へは送ってよこしますか。東京へと思うと何か気おくれがする(写真)と書いてあるので笑い

みやげを心配なさるから、こちらの例のいりこ(これは決して東京では手に入りません)、ういろう(太郎と目白に下さる由)、

一枚ずつ頂くことになりました。一枚、1.30。東京に木綿のはなくて皆ほとほと閉口していますから。お母さんおみやげを

不足でしたが。お母さんも私も、予想よりずっと疲れず東京に着きました。雨が降っていたので傘をもって寿江子と

、共通の話の種が殖えてようございます。島田で、東京へ行こうと思うとおっしゃったとき、私は飾りなく云えば、さてと困っ

と仰云る。それを私がひっぱり出してね。「東京へいらしたのによそを見もしないでおかえりになるなんて、そんな

なって、やはりようございます。二人で手をとって、東京の街や日光の杉の間を歩き、「私は一人二役だから

に入り風呂に入り今手紙を書いています。お母様は東京へ御一緒ですかと、あなたによろしくをつたえて居ります。夜は寒い

今日では同じ火事ながら大ちがいのわけですね。志村には東京で初めての女校長のいる小学校があります。江戸っ子でね、大層肥った

東京では十万戸の家が不足しているそうです。稲ちゃんたちの家

の此上の御心くばりはいりません。安心なすって大丈夫です。東京迄行ったのにというようなお気持は決して決してありません。やっぱり

のです、うちでのお話でも。それはもとより珍しく東京に出ていらっしゃるのですから、もしやという希望も万更もたないわけ

よくお眠りになるでしょうか。可笑しい夢を見て、東京市内遊覧でモスク※の博物館の前を通ってこんなに雑作なく遊覧なら来

きょうはあれからすぐ東京堂へまわりました。ヘラルド社の本は和英対訳で、部分訳であり

のです、本当の生活を考えれば。そこをとび出して、東京で働いていて、結婚したのだから。

居ります。寿江子は十三日の母の命日が終るまでは東京に居りますが、あのこも緊縮で、夏着るものを林町のミシンで

としている小説はね、姉と弟です。田舎から東京へ出て来ている。姉の側からの心持。姉は二十一。弟

行ってしまった。そしたらその女いたたまらないで東京へ働きに出たのですが、身重になっていることが段々わかって

につかおうというわけです。大分先達ってうちは、このまま東京にいてしまおうという気もおこしたらしいが。何か本ひっくりかえして「

どてらが入用なのに、普通の仕立物をするとこは、東京では綿入れをしませんから、とことわられ、いつも困っていた。

[自注22]日比谷は休みになります――東京刑事地方裁判所のこと。公判をふくめて。

も降ったのならよかったと思いますけれども、これは東京近傍だけだったのでしょうね。本当にあやういところをかえって来たと話し合い

ということにしました。旅行中の人は第二東京弁護士会所属です。山口さんという人のことも、すこし分らせようと思い

一、第一東京弁護士会「手数料及謝金」左の通りです。

第二東京弁護士会規則

ましょうか。わるくないでしょう。砂洲はいけないかしら。でも東京だってデルタでしたからね。それから『新潮』の新年に短篇をかき

の一つの形としてのそういうもの、それは東京だけで何十万というサラリーマンの胸底にあるものでしょう。それは文学の中

歩いていて、地下道(駅)の中でだけいつもの東京人らしい表情と足どりとで歩いている。そのちがいが何だか印象的でし

年卒業した小学生が先生につれられて集団となって東京エキや上野駅につきます。そのこと。それはそういう題材ですが、作者

で、眼鏡をかければ弱視の程度にはゆく由です。東京には芝かどこかに弱視児童の学級があるそうです。しかしこの母子

になったのではないのでしょうからね。弟さんが東京へ来たときからそうなのでしょうからね。女の使かわれようとはこう

二十三日のお手紙、きょうは東京市内らしく二十四日のけさつきました。すこし私は豊年らしい気持になり

。私に「こけんとおいで」と云った男。「東京は遠うて、こけてもようおこしてあげられんで」と云った男

。負けん気なのねえ。ここの家の雰囲気にもなれ、東京というところにも馴れ、何となし口をきくのも楽になって

日本橋

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只今寿江子がそちらに出かけ。榊原さんとおひささんは、日本橋の方へ、おひささんのお年玉の呉服ものを買いに出かけました。

あれから私たちは、日本橋の方へ出ました。毎日のことは、一々お母さんのお話で伝え

その細君、赤ちゃんつれて今筧さんの親のところに(日本橋辺)います。細君は戸塚の家に暮していたことのあるひと

日本橋の東洋ケイザイへ行ってハンケチ忘れて行って、フーフーになってかえって来たら

吉祥寺

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日の前〇―八時が吉祥寺。吉祥寺と云えばあの吉祥寺でしょう? あっちへ廻ったの? 本当に珍しいこと。

八が小石川で十一日の前〇―八時が吉祥寺。吉祥寺と云えばあの吉祥寺でしょう? あっちへ廻ったの? 本当に珍しいこと

四―八が小石川で十一日の前〇―八時が吉祥寺。吉祥寺と云えばあの吉祥寺でしょう? あっちへ廻ったの? 本当に

について。これは妙ね、どうして、小石川と吉祥寺とのスタンプが押してあるのでしょう。珍しいこと。十日の午後四―

渋谷

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(銀行員だった人)ポツンとそこにいるよりは実家が渋谷にあるからその近くに住んだ方がよいということになりそうで、

て。私は十年の間五十円ずつ月賦はらって、渋谷の奥に自分の家というようなもの持つ心は、ちっとも湧きません

で集合住宅をつくるのですって。十五坪ぐらいで三千円。渋谷のどこか奥の由。そのカン誘です。隆二さんの親友だが顔

西巣鴨

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が出ました。大塚の終点からすぐのところの由、西巣鴨何丁目でしょう。その人の親類で、老夫人とその子息の未亡人(子供

そのひとの話で、本年の秋ぐらいになったら、西巣鴨に一つ家があるようになるかもしれない話が出ました。

きのうは、西巣鴨一の三〇四六というところへ貸家を見に出かけました。辻町のところ

をよく知っているので、一緒に来て貰って、西巣鴨二、三丁目を随分隈なく歩きました。そして、何と皆それぞれ納って

さん(榊原)が来たので、あのひとは大塚から西巣鴨にかけての地理をよく知っているので、一緒に来て貰って

。六、二ぐらいの家である由、あの界隈は。西巣鴨二丁目という辺はきっとバタやさんが多く甚しいくねくね小路で空巣もある

大塚

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があるようになるかもしれない話が出ました。大塚の終点からすぐのところの由、西巣鴨何丁目でしょう。その人の親類で

必要とする摂護腺肥大で癌のおそれある由。泉子さんは大塚の病院で生むことにしてあるそうですから安心です。おそい初産ですから

大塚の方へ家が出来るかもしれないというのは秋からのことです

きのうは、林町へ出かけるついでに、大塚病院の原さんを見舞って、神田の本やへよるつもりでそろそろ仕度し

するバラさん(榊原)が来たので、あのひとは大塚から西巣鴨にかけての地理をよく知っているので、一緒に来て

お話にならないので悲観しているところです。あと大塚よりに見るしかない。池袋よりは女と云えば女給さんその他コンキューで

神田

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、寿江子のことで林町へ行かなければなりませんから、神田へまわって送るものとりそろえ発送しましょう。三人の兄弟の上にも歴史

林町へ出かけるついでに、大塚病院の原さんを見舞って、神田の本やへよるつもりでそろそろ仕度しかけていたところへ電報でした

神田から十二月以来初めて戸塚へゆきました。実にこんなことは珍しい!

きのうは、神田の本やへまわって思いがけないいい本(仕事用)見つけ出して、それも

点でどんなにか便利でしょう。今いい古本やなくて、神田の稲田にたのむのです、主に。

浅草

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、上落合に暮していた節分の夜、風呂の中で浅草寺の豆まきのラジオをきいて、そのこと手紙にかいたのを思い出しまし

『文春』の芥川賞に「浅草の子供」あり。これは不良じみた下層の子供の生活を小学校教師で

池袋

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停留場の棒が立っていたりして居ります。こっち側と池袋の駅よりの方歩きました。自分で大体の当りをつけておかない

にあって独特の眺めでした。護国寺の方から市電が池袋までのびるところで、いかにも新開地らしく、古い餌差町という停留場の棒が立っ

です片道。家から上り屋敷まで歩き(二丁)そこから池袋まで電車。それからバス。バスからそこの四角の二辺をぐるりと歩く

へ曲らないでずっと雑司ヶ谷へぬけて日の出の裏を通って池袋へ出る市電が四月一日から開通します。日の出の三丁目あたりからそちら

すいて朝のキューというような圧し合いがなくなりました。池袋の方はまだ試乗しませんが、表門のすぐわきへ出られて便利

女軍が相当ですが。池袋の方へ市電が通じたら、池袋辻町のバスが大層すいて朝のキューというような圧し合いがなくなりました

あります。まだ肱の力のつよい女軍が相当ですが。池袋の方へ市電が通じたら、池袋辻町のバスが大層すいて朝のキュー

悲観しているところです。あと大塚よりに見るしかない。池袋よりは女と云えば女給さんその他コンキューで、保安のおとくいでしょうから

それからうちへかえり(池袋までのろのろ市電で、新橋―池袋です)すこし休んで髪を洗い、涼風に吹かれたというわけでした

それからうちへかえり(池袋までのろのろ市電で、新橋―池袋です)すこし休んで髪を洗い、涼風に

そちらへ行くのに、ひどい風当りの中を歩かず池袋の方から横通りぬけて行けますから大丈夫です。でも本年の冬は

護国寺

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は雪が落葉の上にあって独特の眺めでした。護国寺の方から市電が池袋までのびるところで、いかにも新開地らしく、古い餌差町と

でしょう。そしたら又よく考えて、御相談いたします。護国寺のところから、音羽へ曲らないでずっと雑司ヶ谷へぬけて日の出の裏を通っ

新橋

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、もう五十銭ではないかもしれませんね。目白新橋間のバスはずっと豊島園の方まで延長しているのですが、このごろいくつ

それからうちへかえり(池袋までのろのろ市電で、新橋―池袋です)すこし休んで髪を洗い、涼風に吹かれたというわけ

なります。省線に近いということだけで。黄バスの新橋行で大変便利して居りますが、それが半分に台数へっても、

景色になった尾張町から新橋まで夜店まで見ながら歩いて、新橋からバスで目白まで。この頃の木炭バスは小日向のあの坂ね、大きい、

もう五時というのに夜の景色になった尾張町から新橋まで夜店まで見ながら歩いて、新橋からバスで目白まで。この頃の木炭バス

上野

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二三日でかえる由。かえる迄にもし天気がちゃんとしたら上野か溜池三宅坂の桜を見せにつれて行こうかと思って居ります。

も揃い、もうあとは岩本の小母さんへのお土産を明日上野の松坂屋辺で見ればいいことになりました。

の楽譜(オタマジャクシの大きいの)があり、小学三年から上野の音楽学校の幼児課へ通えます。それだけ水準がたかまって来て、

やっと出すような重さであったとか、土蔵にこもって上野の山の鉄砲の玉をさけていたら窓から流弾が入って、一人息子

今は大変珍しいところでこれを書いて居ります、上野。図書館の婦人閲覧室。これからすこし明治二十何年という時代の婦人

思うのですけれども。二十一歳の姉娘はもう相当具体的に上野のプラットフォームに立ったりするのにまだ名がありません。弟の方も

或日、上野の動物園で鳥どもが大さわぎしている。行って見ると、沢山のとり

妙な、いい気なこと云っています。多分明日は上野、図書館。ではお大切に。女中さん二十円は出しきれませんね

さて、きょうは又この手紙を上野の大きい埃っぽい机の上でかきます。少し風があってしのぎよいよう

の郵便局から速達にしてお送りしました。それから上野へ来たわけ。着物待ち遠しくていらしたでしょう御免なさい。その代り今召して

。本当にあやういところをかえって来たと話し合いました。上野の山の中であれに会ってはテムペスト的風景すぎて、きっとこわかった

だったのでこわいよりも見事でした。丁度八時すぎ上野からおなかぺこでかえって来て、夕飯たべていると、はじまりました。けさ

きのう長い時間上野でねばっていたので、きょうは少々出足がしぶります。どうしようか

でしょうか、けさは国男さんの出るとき一緒に出かけて今まで上野でした。おべん当をもって行くのを忘れたので、おひる

助かりますから省線で。林町なんかおそろしいのよ、この頃は。上野、団子坂、東京駅と循環していたのが全廃になってしまいまし

向島

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いう、いかにも明治初年の向島あたりらしい話もある。この向島の家は、築地の家の隠居所であった由。私が五つ

云ったらそれは青蛙だったという、いかにも明治初年の向島あたりらしい話もある。この向島の家は、築地の家の隠居所で

東中野

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をして。きのう、栄さんのところへ一寸行って、東中野のところで萩を三株買って来ました、六七寸の芽の出

新宿

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弁護人のひとたちのところを訪ね、用向きを果し、それから新宿までまわってひさのお祝いにやる帯の仕立てのことをたのみ、島田へお

きょうはそれから新宿へ行って島田へお送りするものを注文して発送させ、達ちゃん

はゆきにくいし、これから先は一層時間がないから。新宿へまわって中村屋でアイスクリームを買って下げて。上原の駅からすぐのところ

のに、あなたから『中公』を買うことたのまれて、新宿でさがして、雪ですべってころんだこと、思い出します。あのムク犬靴は

ている。複雑なのでしょうと思われます。市子さんは新宿ハウスというアパートにいる由。ユリの読書はこんな式があるところです

雨のなかを、昨夕は真くらで、新宿辺は珍しい光景でした。通行人は皆傘をさして、傘をさして

それから新宿へ出て用を足して、それから慶応へ行って、眼科の部長の

お茶の水

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、春のようだねと云っていらした冬の晩、お茶の水の手前歩いていて、その辺は暗いところへ、左手からサーとヘッドライト

日比谷

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安心下さい。それがもう二時すぎ。おなか大ぺこで、日比谷の中の更科でおそばかきこみ。そこから林町へ電話かけました、昨日

明日は一日日比谷です。そして明後日そちらへ行って見ましょう。あなたのお体に感じられて

一日二日大丈夫とすれば明日は目白にかえります、日比谷から。私たちきりになりたいの、大変に。これも分るでしょう? 私たち

明日は、又一日日比谷。翌日はどういたしましょうね、栗林さんが出かけると云って居ますから、

大体大丈夫です。先週はひどく気をもんでずっと毎日そちら、日比谷、そちら、とやっていたので、幾分こたえて足が苦しくなったり

、げんのしょうこをのんで。そしたら、きのうは大分よくて日比谷に出かけ、もう今は普通です。ほんの一寸した当り。でもそちら

十五日から休みというのは、今のことだけで、日比谷全体のことではないのです、何しろ司法省が真先に夏休み廃止を提案

きょうから十五日まで日比谷は休みになります[自注22]。あなたが十月三日といって

[自注22]日比谷は休みになります――東京刑事地方裁判所のこと。公判をふくめて。

湯をあびたところへ頂きました。栗林氏は、きょう日比谷へ見えませんでしたから、帰途宅へまわりおことづけをして来た

林町でなければありませんですね。速達を夕刻。日比谷からかえって来てお湯をあびたところへ頂きました。栗林氏は、

昨日は、朝、日比谷へゆきがけに、お話の弁護士のところを訪ねました。承諾いたしまし

それから日比谷へ行く途中、気象台の下のところ、竹橋の角で、大体あすこは事故

日比谷では午後四時まで。きげんよい笑顔でした。さっぱりした物云いでし

明日一日日比谷ですから、どうしてもきょうのうちに片づける必要のものがあって。

きょうも雨。きょうは又日比谷休みですから、一日机に向う仕事します。『婦人公論』で十二

―いかが? 月曜はゆきません。火曜日に参ります。日比谷からのかえりに、午後早く。私はそこに一つの点を見て

駒込

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七月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(はがき 速達)〕

七月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(はがき 速達)〕

八月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書 速達)〕

八月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月十七日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月十八日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十六日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

目黒

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福沢桃介が目黒の方に、洒落た丸木小舎の外見の小劇場をもっていて、そこ

代々木

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一、弁護士のこと、代々木の方はハガキで申上げました通り。伊勢氏はまだ行かないそうです。

大久保

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きょうはもしかしたら太郎が来るかもしれません。大久保の方へ外套の下縫いにゆくのですって。アカコをやきもちやいて、「

銀座

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がうすいからひきつれて、こわいこわい顔になるわ。それから銀座へ出て、野原へお送りするのり。その他お義理の買いものして