日記 04 一九一七年(大正六年) / 宮本百合子

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地名一覧

愛宕山

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廻って、一度宿へかえってお茶をのんでから、又愛宕山に行って索道を見て来る。なかなか眺望がいい。風が少し強いので落着か

午後から愛宕山のはずれの方からグルッと一廻り歩いて来る。六時すぎにお父様がおつき、夕方

名古屋

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二十日 父上名古屋へ御立ち

余丁町

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としてはかなり満足に近いものが出来たので、余丁町へ持って行ったら、まだ御帰りがなかった。明日の二時までにあがる

妹背山

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行って見る。福田会とかの慈善興行だそうだ。妹背山の第一が終りかけて居た。二幕目から見る。生れて始めて

本郷

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夕方っから、会田さんと、本郷の袴屋へ袴を命じに行く。袴の地などが、此頃の若い

館山

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であった。今日はよほど浪があれたと見えて、館山からの船がとまった。主人が、此の村の権力争いについて、話し

明治座

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左団次の会で、明治座へ行って見る。もうよっぽど前に、市村座へ行った限りなので、

桑野村

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十七日 桑野村に来る。

安積

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明日安積へ立ちたいと思う。まだ柏亭氏の表紙が出来ない。少し気になる。

ロンドン

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だと思う。バーナード・リーチ氏がずぼらだと云うこと、ロンドンの石橋は酒をのむこと、牧野氏の絵などを見せて下さる。が要する

両国

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両国を七時半に立って浜金谷に十時半頃つく。自動車一時間半、俥、ざっと二時

って居るのだから、気の毒である。汽車は行きより早く両国へついたように思う。電車にのって見ると、いかにも都会人の感じが、あざ

千葉

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千葉先生から葉書を下すって、三日に御在宅だと云う。

午後から千葉先生のところへ行く。中西屋で、一寸気の利いたギジョーとか

一兵卒の銃殺』を買って来る。『破戒』は此の間千葉先生のところで話に出たので買って見る。夜「ザクロの家

千葉先生があったが御留守、衿じ、丸善へ行く。とにかく、一人の

様は少し臆病になって被居っしゃる、お気の毒だ。千葉先生へ手紙をあげるのだが、気が落着かないので書けない、夜

母様が同級会でおるす。午後三時少しすぎから、千葉先生に御目にかかることになって居るので、出かける。どうかし

要するに彼女は善い人である。この感じは、とくにきのう千葉先生にお目にかかったために強められたものであることをも、

、師よ、師よと云うとき、言葉のかげに、千葉先生のあの光った顔が動いて居る。自分としてはかなり満足に

四日 千葉先生へ行くお留守。丸善、えり治によって買物、M来る。

七日 千葉先生に作楽館で御目にかかる。

千葉先生のところへあがる。今年の卒業生が来て居た。よく見れば皆見

すっかりやって、会話の材料も大抵はまとめて置いた。千葉先生の会。皆あんまり活気がない。何でもなく思うことを話すこと

十五日 千葉先生のところへあがる。

十九日 千葉先生の会へ出席

雨が降って居る。けれども、千葉先生のところへあがる。丁度御出かけのときだったが一時間ほど御家で御

千葉先生から早速手紙を下さる。桑木氏、上田氏、方々の研究法をきく

雨がふる。午後二時から千葉先生の十二日会がある。レオナルド・ダ・ヴィンチのことをおっしゃったが、私が大

。そこに種々な解釈は下されることと思う。先に千葉先生がおっしゃったこと――カーネギーがト翁に金の処置を相談した

千葉先生のところから、「禰宜様宮田」に対しての評を下さる。あれ

福島

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今夜十一時父上福島へ御出かけなさる。一寸一緒に行きたいような心持がした。かなり日中

十五日 父様福島へ御出立

買物のために早く出たら、十二時のに間に合った。福島へ着くと、自動車がなかなか出ない。四時すぎまで待たなければならない

おとうさま福島の式へいらっしゃる。家に居ても仕方がないから、午後から善義

た菓子や何かをやる。ステーションに来て見ると、福島高女の出身だと云う、柳沼、樋口と云う人が送りに来てくれる

高松

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時半から、国民美術の講演会へ行って見る。古田中夫人、高松、浜岡、君塚等に会う。田辺氏の西洋音楽の話は大変に面白かっ

神戸

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。夜西村の御祖母様が病気だと云うことを、神戸から知らせて来た。何だかよほど悪そうだ。随分喫驚した

仙台

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口実として。二時少しすぎの汽車で行く。かなり仙台まではあるので、暗くなってくると、こんなに遠いなら来なかった

ない。天気もかなりいい。そこでお祖母様は急に仙台行きを思い立った。有江の眉がなくなったことや、松尾の家のあく

仙台のステーションの前は広くて明るくて、一寸上野のような感じがある。

二十二日 仙台本田氏へ祖母君と行く。

東京

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圧迫される、愉快な感じはどこにもない。が、東京では、平常はどっちかと云えば、決して美くしいとは云われ

雪が降った。が、同じ白い雪にしても、東京の雪と、東北の雪の感じはまるで、違う。それは一方は、

なことを云って居た。かえりに、文房堂と、東京堂へよる。『ザクロの家』と、『破戒』と、『一兵卒

そうだ。行きに文房堂によって、万年筆を買い、東京堂で『オブローモフ』、と『迷信と科学』、『第二三太郎の日記

に消えのこって居て、北国らしい。かじかんだ景物がフト東京を恋しく思い出させた。郡山はかなりあったかだ。十六日には雪が降っ

しまった。それで帰るのは御中止。退屈なので東京へ手紙を書く。ノートを切って書いたのを見たら、自分ながら何

も純日本人らしい心持があの作を通して漲って居る。東京へ手紙を書く。家の、あの明るい、あったかな、美くしい

。風が少し強いので落着かないようでもあるが、東京に居て軒下ばかり通って暮したものには非常に快い。少しばかり急

十九日 道男東京へ帰る。

かえると非常にかゆくなって又おさえをかける。何だか東京へ行きたくなってしまった。夜町役場の人だと云うのを御いく

で、こまかい字が書けない。早くなおらないなら、あしたあたり東京へかえっちゃおうとまで思ったところが、夕方になるとすっかりよくなった。

に居たので、却って頭が重い。まだ何だか東京の空気になじまないような、心持もする。

四日 おとうさま東京へ御かえりなさる。この朝から右の目にものもらいが出来る。

の絵かきが此処に来て居ようとは思わなかった。夜東京から葉書が来る。赤ちゃんが口中発疹ではさぞ困って居るだろう。或る考え

はしみじみと気の毒な心持が起る。あしたかえるつもりにする。東京からボンボンとアイボリーと、雑誌二つ来る。「ト研究」の中の、

退屈に感じられる。俥夫が、あすこいらの山百合を浜や東京に買手があると話す。ぬけ目のないものだと思う。富士が始め

銀座

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銀座から、三越へ行って見る。格別面白いこともない。銀座のあのかたい、ペーブメントの上で、梯子乗りをして居るのを見ると、

同胞を連れて、銀座から、三越へ行って見る。格別面白いこともない。銀座のあのかたい、

ものなのだろう。帰りに竹葉によって夕食をすませ、銀座を歩いてかえる。何だか暗い四角で、美くしい花を売って

銀座へ菓子などを買いに行く。須田町で乗りかえた品川行きには、仕事が

上野

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仙台のステーションの前は広くて明るくて、一寸上野のような感じがある。フト暖かいような心持がした。俥で家

。どっからかながして来た新内が久し振りで珍らしい。上野から十二時頃家まで歩く。人に見られずに歩く快さを久

向島

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先向島に来て居た女中で房州のものを呼ぶ。種々期待して居た

大塚

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かえりに松岡夫人を見舞に廻る。大塚の宮下で降りて、街燈のない淋しい通りを行かなければならないのに

品川

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銀座へ菓子などを買いに行く。須田町で乗りかえた品川行きには、仕事がえりの土方が私のとなり一つへだててのって

隅田川

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場面をとりつくろって行こうとする努力が見えすいていやだった。隅田川の暗い川面に対岸の灯かげが淋しくゆらめいて居た。