獄中への手紙 03 一九三六年(昭和十一年) / 宮本百合子

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北海道

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から、どうかどうかその点を御注意下さい。バタ(北海道と指定して)をつけたパンは駄目ですか? 何とかして

戸塚

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よく分らないけれど早稲田南町辺はどうかしらなど考えて居ります。戸塚へも近いし。市外はおやめです。夜などの出入りに淋しくて困る

は最高の由。今夜は鈴子さんが国へかえるので戸塚の夜店を歩き鈴虫を買ってかえったところ、今もって鳴かぬ、雄で

日本アルプス

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。更に左手のこのハガキからはずれたところに雪をいただいた日本アルプス(北)が見えます。落日を受けて美しいのはこの遠くかすんだ山々です

パリ

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日本の植物の実と柿本人麿の和歌です。横光利一はパリにいて、一九二九年以来の花の散ったパリ[自注10]を見て

利一はパリにいて、一九二九年以来の花の散ったパリ[自注10]を見てつまらないと感じている由、面白いものね。見る

[自注10]花の散ったパリ――一九二九年のアメリカの恐慌の影響をうけたパリの生活。

たパリ――一九二九年のアメリカの恐慌の影響をうけたパリの生活。

一つの小さい箱に入れておいてある。その箱はパリで、母が誰かのおみやげにやると云って買ったのの残りで

軽井沢

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緑郎が今軽井沢の演奏会からかえって来ました。外国のひとが主に聴いたが、リズムの

上林

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とは全く違った雰囲気を要求するのでね。然し、上林へ行ったことは、あれだけ外気の中で山を歩いたことは実に

空気を吸いにゆくかもしれません。今頃ポツポツ私たちが上林や善光寺から書いたエハガキなど届き、私が上林へ又かえろうなどと云って

この間島田へ上林からお送りしたのは松葉の茶です。今度は少し沢山、野原の方

川中島

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十二日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より(川中島方面の写真の絵はがき)〕

アルプス

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錆びた緑金色の輝が庭に一杯になっている。アルプスの山の中の羊飼の男のヨーデルの合唱が聴え、日本の豆腐屋のラッパの

ベルリン

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これは遠視。国男も。緑郎も近視。全くこれではベルリンの小学生ではないが、支那人と日本人の違いはどこで判るか? 

国男連中は、まだラジオです。今頃がベルリンの午後三時四時です。オリムピックのドイツ語の放送が聞えてきています

鵠沼

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か、チッチャポッポが大好きです。スエ子は盲腸がどうやらおさまり。鵠沼の方にさむしくないところを一部屋かりて、当分暮すでしょう。この家も

スエ子は昨日から鵠沼へ住みました。小さい離れが小料理やの裏にあり、私がもと(四五

寿江子この頃鵠沼で、体も糖尿の方は大分よくなって居ります。だが、器楽を

明治座

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ナアーンダとあきらめ、いねちゃん、大笑い、帰りに盲滅法に歩いたら明治座の横のプラタナスの大変綺麗な並木のある新しい公園へ出て、震災後のこの

淀橋

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お話する必要なく感じて居たのでした。今度は淀橋にいた時から注意をそこに集めていましたが徐々に弱り、父

志賀

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て居ると思います。雪は上林で三四尺の由。志賀の上では七尺だそうです。冬の健康法を私は、雪の

林温泉

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十月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より(上林温泉から渋温泉を望む風景の絵はがき)〕

十月十二日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より(川中島方面の写真の絵はがき)〕

十月十二日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より(封書)〕

十月十四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より(長野市風景の絵はがき)〕

安積

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て面白かったし又いろいろの感想もありました。国男は安積へゆき、家は至ってしずかになりました。家へかえってからはじめて音の

善光寺

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中から出かけて、二人は毛襦子の大コウモリをつき、善光寺見物です。善光寺下という電鉄の駅でおりたら陸続として黄色の花飾り

、二人は毛襦子の大コウモリをつき、善光寺見物です。善光寺下という電鉄の駅でおりたら陸続として黄色の花飾りを胸につけ

志賀高原

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にやけ、足が達者になりました。スキーで有名な志賀高原へ一昨日行きました。新しいドライヴ・ウエイを二十分ばかりのぼると杉、松

は胸も苦しくせずに五千何尺(海抜)という志賀高原へのぼることも出来るのですが。戸外で山をながめ、引しまって新鮮で

の方に一米十円をかけたという一万メートルの志賀高原へのドライヴ・ウエイが通って居ると思います。雪は上林で三四尺の

ロンドン

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八月二十日。今日「夜明け前」の後篇とロンドンの「ホワイト・フアング」の訳とドーデエの「ジャック」を入れます。「白い

ロンドンのローヤル・ソサエティー・オヴ・ブリティッシュ・アカデミーから、父の閲歴について問い合わせが

両国

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くてたまらず、どっかへ行ってみようと私が云い出し、両国の河岸までのしてしまいました。何年ぶりかで夜の大河を眺め、なかなかい

青山の墓地

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今年のうちに青山の墓地の始末をして父の墓標も立てなければならないので、そのデザイン

千葉

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、重治さん夫婦は富士見の高原へゆき、健坊たちは千葉の海岸へ行ったが、今年はどこもまだ釘づけです。資金思わしからず

長野

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が終らず、二日に出発。上野から長野まで汽車。長野から湯田中まで電鉄。その後自動車でのぼり二十分ばかり来ると、桜並木のところ

。一日に仕事が終らず、二日に出発。上野から長野まで汽車。長野から湯田中まで電鉄。その後自動車でのぼり二十分ばかり来ると

千曲川に合します。この手前にやや濃い山の左手に長野がある。更に左手のこのハガキからはずれたところに雪をいただいた日本アルプス

のおそばをたべようというところです。寺はつまらぬ。長野という町は山々を背に何となく明るい雰囲気をもって居ます。

神戸

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は、何しろうんと長いものの登場ですから、ヨーロッパ旅行の途中神戸へついたようなものです。その部分としては満足です。じっと先

駒込

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五月二十五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 本郷区駒込林町二一中條咲枝より[自注1](正宗得三郎筆「四国風景」の

六月二十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(陳清※筆「榕園」の絵はがき)〕

七月十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

た。共産党員。一九三二年の文化団体に対する弾圧当時、駒込署に検挙され、拷問のビンタのために中耳炎を起し危篤におちいった

七月十九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月二十三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(有島生馬筆「ある種の肖像画」の絵はがき)〕

七月三十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月十日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(正宗得三郎筆「干潮」の絵はがき)〕

八月十八日夕 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(スキーの絵はがき)〕

八月二十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(十国峠(1)、熱海峠(2)の絵はがき)〕

八月三十日午後 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(山下新太郎筆「東山と萩」の絵はがき)〕

九月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(青鉛筆書き 封書)〕

九月十三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月十三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(はがき)〕

九月二十四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(鍋井克之筆「榛名湖」の絵はがき)〕

十月二十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(中村不折筆「芦の湖」の絵はがき)〕

十月二十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月十四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(朝井閑右衛門筆「丘の上」の絵はがき)〕

十一月二十二日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月二十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月十二日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月二十日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

市ヶ谷

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五月二十五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 本郷区駒込林町二一中條咲枝より[自注1](

精一郎が死去した。百合子は五日間仮出獄した。ふたたび市ヶ谷にかえり予審中、二・二六事件が起った。三月下旬、保釈と

は、十月下旬治安維持法によって起訴され、市ヶ谷刑務所未決に収容された。一九三六年一月三十日、父中條精一郎が

六月二十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

顕治は弔電をうつ金さえもっていなかった。百合子が市ヶ谷の女囚の面会所で家のものに会うたびに、あっちは大丈夫かしら。

七月九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(陳清※筆「榕園」の

七月十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月十九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

七月二十三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(有島生馬筆「ある種の肖像画」

七月三十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月十日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(正宗得三郎筆「干潮」の絵はがき)

八月十八日夕 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(スキーの絵はがき)〕

八月二十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

八月二十九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(十国峠(1)、熱海峠(2

八月三十日午後 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(山下新太郎筆「東山と萩」の

九月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(青鉛筆書き 封書)〕

九月十三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

九月十三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(はがき)〕

九月二十四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(鍋井克之筆「榛名湖」の絵はがき)

十月三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県下高井郡上林温泉せきや方より(地獄谷の写真の

十月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より(せきや旅館前の桜花の絵はがき)

十月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より(上林温泉から渋温泉を望む風景の

十月十二日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より(川中島方面の写真の絵はがき)〕

十月十二日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より(封書)〕

十月十四日夜 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より(中沢弘光筆「北信濃風景」の絵はがき

十月十四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県上林温泉より(長野市風景の絵はがき)〕

十月二十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(中村不折筆「芦の湖」の

十月二十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月十四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(朝井閑右衛門筆「丘の上」

十一月二十二日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十一月二十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月十二日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

十二月二十日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

東京

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しおたれ工合をお知らせ下さい。今年の夏、私はやはり東京を離れない予定です。何とかして、すこしはさっぱりした一夏を

へは椅子をお送り申しました。お気に入って東京からよこしたといってはお見せになっている由。私も大変うれしい

のドイツ語の放送が聞えてきています。一九四〇年に東京オリムピックが催される由、その賑やかさが今から思いやられます。武者小路、西條

でした。でも、私は、「七、八月は東京に居りません」というマンネリズムが我まん出来なかったのでね。御心配

心持はどういうのだろう。外部的な事情からではない、東京には私たちの生活があり、ここなどでは半分きりですからね、何

な心持です。その原因についていろいろ考える。結局ユリは東京で徹夜しないようにして働いているのが一番「うれしがって、

東京からスキーヤーが来るとき、土地の農民は山案内をしたり、千本で一

十月十四日の夜。あした一寸東京へかえるために栄さんとカバンつめを終ったところです。この間書いた

行っていらっしゃるなんて、何といい光景でしょう。そして、お父さんは東京から来た坐椅子だとか何だとか、たのしんで自慢したり、

四五年前)仕事部屋にしていたところ。半年ほど東京と半々に暮すそうです。太郎は相変らず。

上野

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でうれしがった由。私は太郎親子と一つ車で上野まで廻って其から、あなたのところへ出かけ、久しぶりでテッちゃんに会いまし

三日。一日に仕事が終らず、二日に出発。上野から長野まで汽車。長野から湯田中まで電鉄。その後自動車でのぼり二十分ばかり

いねちゃんが上野まで送ってくれました。汽車がカーブにかかるまで赤いジャケツが見えました

渋谷

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昨夜は若い友人を渋谷の第一高等学校の近くへ訪ねてゆき、珍しいものを見ました。Y・

向島

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月給が払えぬから。それで江井も大いに頭をしぼり、向島の西村の土地のがら空きのところへアパートを建てることになり、それで江井

江井のことについて心配して居ましたが、向島の西村(母の実家)の土地が空であったので、そこへ

千曲川

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この川が流れて千曲川に合します。この手前にやや濃い山の左手に長野がある。更に左手