織田信長 / 坂口安吾
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熱田神宮に戦勝を祈って、さて出発という時に、信長は鞍によりかゝり、
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信長は京都、堺を見物していたが、雨降りの払暁、にわかに出立、昼夜兼行二十七里
れつ、おかげで奈良の大仏殿に放火して焼いたり、堺へ逃げて、あやまったり、さすがの老蝮も天下の政治をうッちゃらかし
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丹波の桑田郡穴太村の長谷の城守、赤沢加賀守が関東へ旅をして鷹を二羽もとめて、帰途に清洲の信長を訪ねて
清洲近在の天永寺の天沢という坊主が関東へ下向の途中、甲斐を通った。信長領地の坊主がきたときいて
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丹波の桑田郡穴太村の長谷の城守、赤沢加賀守が関東へ旅をして
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正月中旬というからまだ寒い季節であるが、安食村の又左衛門という者が暮方アカマ池の堤を歩いていると、一抱えほどの
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て朝廷の衰微を救ったという。このとき、信長が京都の町民に米を貸して、その利息米を朝廷の経済に当てる方法を
に気付くことができたから、信長は刺客の泊っている京都の宿屋へノコノコでかけて行って、汝ら、の分際でオレを殺せる
の年である。にわかに八十人の家来をつれて、京都へ旅行した。なんのための旅行だか、誰にも分らない。
信長は京都、堺を見物していたが、雨降りの払暁、にわかに出立、昼夜
を予想した老蝮は、自ら張本人となって信長を京都に手引きしていた。世に裏切りということがある。知らないうち
あったのだ。ついに信長の助力によって、義昭は京都を恢復し、老蝮の軍勢を蹴ちらした。彼は老蝮を八ツ
降参した老蝮は、さっそく信長を訪問して、京都の治安はこうされたらよろしかろう、などゝ色々献策した、が切支丹の
浪士の家に生れ、幼少の折、京都の妙覚寺へ坊主にだされた。花のような美童で、智慮かしこく
たゞちに京都奪還の軍備をたてゝ、シャニムニ進撃、たちまち京都へとびこんでしまった。
義昭をむかえて、西庄、立正寺で対面、たゞちに京都奪還の軍備をたてゝ、シャニムニ進撃、たちまち京都へとびこんでしまった。
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四隣はみんな敵である。よきカモよ、ござんなれ、と岐阜の斎藤が数十名の刺客に後を追わせた。たまたま、これに気付く
どうやら美濃を平げ、宿敵斎藤氏を岐阜から追っ払った。信長、ときに三十四。然し、まだ、後には信玄と
土岐氏を追いだして、美濃一国の主人となって、岐阜稲葉山の城によった。
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党と仲間われの戦争に追いつ追われつ、おかげで奈良の大仏殿に放火して焼いたり、堺へ逃げて、あやまったり、さすがの