田村将軍 / 楠山正雄
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ある時奥州の荒えびすで高丸というものが謀反を起こしました。天子さまの御命令
はないというので、いよいよ田村麻呂を大将にして、奥州へ出陣させることになりました。
と熱心にお祈りをして、奥州へ向かって立って行きました。
奥州へ着いていよいよ高丸と戦をはじめてみますと、なるほど向こうは名高い荒えびす
田村麻呂は奥州の荒えびすを平らげて、ゆるゆると京都へ凱旋いたしました。天子さまはたいそう
のついでに、田村麻呂はお寺の和尚さんに向かって、奥州の戦ではこれこれこういうことがあったと話しますと、和尚さんは
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にあずけて、お寺をりっぱにこしらえました。今の清水寺があれほどの大きなお寺になったのは、田村麻呂の時から、そうなっ
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(例)京都
墓を将軍塚といって、千何年という長い間京都の鎮守の神様のように崇められて、何か世の中に災いの起こる
を出しているのを見たに違いありません。この京都の町を一目に見晴らす高い山の上のお墓に埋められている人
お参りをして、あの高い舞台の上から目の下の京都の町をながめ、それからその向こうに青々と霞んでいる御所の松林を
京都に行ったことのある人は、きっとそこの清水の観音様にお参りを
坂上田村麻呂は今から千年余りも昔、桓武天皇が京都にはじめて御所をお造りになったころ、天子さまのお供をして奈良の
揃える手はずをしました。いよいよ出陣の支度ができ上がって、京都を立とうとする朝、田村麻呂はいつものとおり清水の観音様にお参りをし
田村麻呂は奥州の荒えびすを平らげて、ゆるゆると京都へ凱旋いたしました。天子さまはたいそうおよろこびになって、田村麻呂にたくさん
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御所をお造りになったころ、天子さまのお供をして奈良の都から京の都へ移って来たうちの一人でした。背の